1990年後半以降、日本の金融機関は公的資金の投入を受けながら、不良債権の圧縮と経営基盤の強化に努めたが、その影響は信用収縮による長期デフレという形でマクロ経済に波及した。GDPデフレーターという総合的な物価指標で見た場合1997年の消費税引き上げという特殊要因を除けば日本のデフレは1994年第3四半期から続いている。デフレ現象が現実に起こった国は第二次世界大戦後においては、1990年代以降の日本以外にない。
明治大学国際総合研究所フェローの岡部直明は、デフレが起きる要因として、1)需要要因、2)供給要因、3)貨幣要因・金融要因、の3つを挙げている。岡部直明は「日本のデフレはすべてが絡みあった『複合デフレ』といえる」と指摘している。
大和総研は「デフレの遠因として、長期的に続く円高傾向が挙げられる」と指摘している。
白川方明日銀総裁は、日本のデフレの原因について、
- 規制緩和などによる、内外価格差の縮小
- 労使の雇用確保の重視による、サービス産業などの賃金低下
- バブル崩壊後の国民の自身に喪失による、需要不足の発生
を挙げている。
2012年4月21日、ワシントンで行われたフランス銀行主催のパネルディスカッションで、白川は日本について「人々が将来の財政状況への不安から支出を抑制し、そのことが低成長と緩やかなデフレの一因になっている」と述べている。
2012年6月4日、白川は都内の講演で「少子高齢化とグローバル化という構造変化への対応が遅れていることが、低成長、ひいてはデフレの基本的な原因」と指摘している。池尾和人も同様の指摘をしている。
池尾和人は「デフレの原因は需要が弱いことであり、それは日本の供給力が弱いからである」と指摘している。
経済学者の齊藤誠はデフレの原因について「資源価格の上昇と国際競争力の低下による海外への所得流出にある」とし「金融政策で克服するのは難しい」と述べている。
森永卓郎は「1997年には、橋本内閣が消費税率引き上げ、医療費の本人負担の3割への引き上げ、特別減税の廃止という、9兆円のデフレ政策をぶつけて、15年にわたるデフレを引き起こした」と指摘している。
1997年から始まった日本の金融危機について、FRBが研究を行ってきたことは広く知られており、危機が訪れたとき、デフレ阻止に向けて急速な金融緩和を行うべきであるという結論は、インターネット・バブル崩壊と「世界デフレ」の危機に関しては予期した以上の成果へ結びついた。FRBは2002年7月に「デフレ防止策について1990年代の日本の経験の教訓」というFRBスタッフによるディスカッションペーパーを公表し、そのなかで日銀が阪神・淡路大震災後も金融スタンスを変えなかったことや、1997年に消費税を増税したことに言及し、財政構造改革の政策スタンスを転換し所得・消費税等を引き下げることにより経済を刺激できた可能性について言及している。田中秀臣などはこの論文を引用し1990年代のこれらの政策態度により日本は完全な長期停滞に突入したと論じている。
経済学者の松尾匡は「民主党政権の財政削減、紙幣発行の引き締め、官僚批判、規制緩和、コミュニティやNPOによる公財政の身代わり、エコロジー志向といった路線の姿勢は、人々がモノやサービスを買おうとする力を停滞させ、デフレ不況を深刻化させた。倒産や失業や不安定な雇用に苦しむたくさんの人々の期待を裏切った」と指摘している。
岩田規久男は「2011年3月現在の日本経済はデフレの状態にあるが、デフレの最中の増税によって内需が減少すれば、一層のデフレになる」と指摘している。