goo blog サービス終了のお知らせ 

一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

『文学とは何か―現代批評理論への招待』(T.イーグルトン著、大橋洋一訳(1985年)

2012年09月02日 | 小説作法

413unimijl__sl500_ 51on2eoes0l__sl500_aa300_

「文学とは何か」(T・イーグルトン1983:岩波書店1985)

文学とは何か』(An Introduction, 1983年)では、19世紀ロマン主義から最近のポストモダニズムまでの文献をマルクス主義的に研究し、脱構築主義などの流行学説を批判している。また彼は学問上だけでなく政治上もマルクス主義を標榜している。オックスフォード時代には、アラン・ソーネットらの労働者社会主義同盟(WSL, Workers' Socialist League)に加わるなど、マルクス主義活動に熱心であり、New Statesmanや、Red Pepper、『ガーディアン』などの雑誌・新聞に政治時事評論を寄稿していた。

「新文学入門」(大橋洋一:岩波書店1995)

「触れると手が切れてしまうような」名著を『文学部唯野教授』のモデルと目されたこの訳者はどう読むか。フェミニズム・ジェンダー批評など、この訳書刊行後十年の動向をも広い視野の下に収め、いま文学にかかわる諸問題を切り出して、細心かつ大胆に論じる。その論のはしばしに、ユーモア溢れる名講義。

「新版文学とは何か」(T・イーグルトン:岩波書店1997)

近現代の世界の文学の様々な潮流を見極め,文学の問題を論じ尽くした画期的な名著の10年ぶりの増補改訂版.明確なる視座に立ち,ポストコロニアル批評,新歴史主義,カルチュラル・スタディーズ,あるいはフェミニズム批評など,この10年間に起こり,更新し展開した文学の,さらには言論をめぐる動向を大きく俯瞰し,精細に論じる.20世紀の文学を明快に語りながら,文学の未来に向けて大きく踏み出したヴィヴィッドな1冊!

220pxterry_eagleton_in_manchester_2


筒井康隆「文学部唯野教授」(1990)

2012年08月23日 | 小説作法

51tg9q90mwl__sl500_aa300_

第1講 印象批評

第2講 新批評

第3講 ロシア・ファルマリズム

第4講 現象学

第5講 解釈学

第6講 受容理論

第7講 記号論

第8講 構造主義

第9講 ポスト構造主義

T.イーグルトンの「文学とは何か」を下敷きにして書かれたのであるが、大学の執行委員会、教授会、学部長会議、理事会、理事長、事務長、教務課等の仕組み、権限、営み、力関係、息使いが手に取るように解説がされて、面白い本である。

Images


中村真一郎「小説の方法」(1981)

2012年08月22日 | 小説作法

私にとっての二十世紀小説ーひとりの戦後派としてーという表題でまとめられた、十九世紀ゾラに代表される自然主義、写実主義の方法から、ジョイス、プルーストに始まるニ十世紀の新しい小説、その特徴は人間の内面の発見であった。戦後派は、野間宏、椎名麟三、梅崎春生、埴谷雄高、武田泰淳、堀田善衛そして、中村真一郎を飛び越えて井上光晴で終わっている。高橋和巳は少し外れている。

1.内面、2.時間、3.方法、4.純粋、5.神秘、6.虚構、7.形式、8.構成、9.全体、10.抽象、11.夢、12.反小説、13.前衛の項目で、日本の新感覚派、戦後派等を分析をしている。さらに、積み残した課題として、感性の問題があり、二十世紀の精神生活全体に浸透している問題で、プルーストは何よりも「感性の文学」と規定できる。根本的な主題でありながら、その表現可能な手段が発見できない課題として、1.政治、2.宗教がある。

51uprwg1qhl__sl500_aa300_


大江健三郎「小説の方法」(1978) 「新しい文学のために」(1988)

2012年08月22日 | 小説作法

5163gupaqjl__sl500_aa300_

1. 文学表現の言葉と「異化」 ・日常性、自動化に流されずに、如何に時と場所を繫ぎ止めるか。

2.構想の様々なレヴェル ・小説の構造の構築、階層化、多層化、モデル化。

3.書き手にとっての文体 ・言葉、文節、文章をみなれない、不思議なものとする。

4.活性化される想像力 ・想像力は状態ではなく、人間の生存そのものである。

5.読み手とイメージの分散化 ・作者の声、語り手の声、主人公の声、多様な人物の声。

6.個と全体、トリックスター ・道化師の舞台回しの役割、重要さ。

7.パロディとその展開 ・予想外の出来事が持つインパクトによる新しい展開へ。

8.周縁へ、周縁から ・中心に向かうのではなく、周縁に散らばる真実、歴史、意識の大切さ。

9.グロテスク・リアリズムのイメージ・システム ・今まで日本にはない分野で、成功した事例がない。

10.方法としての小説

人間の諸要素を全体として活性化させる、小説という言葉の仕掛け。著者は、具体的な作品に即し、「異化」と想像力、文体論、グロテスク・リアリズムのイメージ・システムなどを論じ、文学の全体像を同時代的手法でとらえなおす。書き手と読み手とが共有する精神と情動の深い経験を分析し、「未来の経験」にたちむかう文学の有効性をさぐる。「どう書くか・なにを書くか」を新たに加筆。

41dsoa7v63l__sl500_aa300__2

 文学とはなにか、文学をどのようにつくるか、文学をどのように受けとめるか、生きて行く上で文学をどのように力にするか - 本書はこれから積極的に小説や詩を読み、あるいは書こうとする若い人のための文学入門である。著者は文学の方法的・原理的な問題について考えを進めながら、作家としての生の「最後の小説」の構想を語る。

Img_0006


高橋和巳編「文学のすすめ」(1968年)

2012年08月20日 | 小説作法

41cwhstdx9l__sl500_

高橋和巳の編著であるが、今の時代の高橋和巳はただ懐かしいだけかもしれないが、当時の「憂鬱なる党派」の熱は、私には変わらずに健在である。

-目次-
Ⅰ イメージの形成と追求 (ききて 高橋和巳)
 想像力の根源 大江健三郎 1935-
 想像力の解放と人間の解放 野間宏 1915年2月23日 - 1991年1月2日
 夢と想像力 埴谷雄高 1909年12月19日 - 1997年2月19日
Ⅱ 時代と文学
 現代思想と文学 高橋和巳 1931年8月31日 - 1971年5月3日

1.文学の独立的価値と批評基準

2.存在形態による意識の決定(社会主義リアリズム)

3.自己超克と参加(実存主義)

4.善なるものは真である(プラグマティズム)

5.自己救済の論理(フロイディズム)

6.生きたものとしての文学と思想

 疎外と文学 平井啓之 1921年4月10日 - 1992年12月27日
Ⅲ 文学と感動
 壁の意識 秋山駿 1930-
 文学的感動の図式 作田啓一 1922-
 研究と感動 柴田翔 1935-
Ⅳ 現代文学の問題
 無神論と小説 -喪失の時代の中で- 真継伸彦 1932-
 二つのものを結ぶ力 -新しい方法を求めて- 飯島耕一 1930-
 未来社会の文学 小松左京 1931-2011年7月26日(80歳)

あとがき (高橋和巳)

Naka_4 4shugoujpg

高橋 和巳(1931年8月31日 - 1971年5月3日)

悲の器』 (1962年)
邪宗門』(1965年)
憂鬱なる党派』(1965年)
『わが解体』(1969年)


サルトル「文学とは何か](1952)

2012年08月20日 | 小説作法

41dvb56q86l__sl500_aa300_ 41zjdxn222l__sl500_aa300_

「書くとはどういうことか」「何故書くのか」「誰のために書くのか」という正面切った問いを立て、読む人間の自由な存在の全体にまで広げて論じた実践的文学論。「サルトル全集 第9巻」(1952年刊)の改訳新装版。

まず、『嘔吐』が執筆されたのは1938年であり、『存在と無』が1943年、『実存主義はヒューマニズムか』の公演が1945年、『文学とは何か』は1948年です。重要なのは『嘔吐』と『存在と無』の間にサルトルが戦争捕虜となっている点です。サルトルの『戦中日記』や後の対談等から読み取れるのは、サルトルが政治の問題に目覚めたのは捕虜体験からということです。『嘔吐』執筆時点ではサルトルは個人主義者であり、偉大な作家の人生が送れればそれでよいと単純に考えていた節があります。

「そうしてできあがるはずの人生も、私の頭の中ですでにあらかじめ描かれていた。それは、書物をとおして姿を現わすような、偉大な作家の人生だった」戦中日記p87

それが捕虜体験を経ることで、この世界で起こること、それは政治であったり諸々の社会問題であったり、とにかくすべてのことにわれわれは責任があり、それを引き受けなければならないというアンガージュマンの考え方が芽生えたと考えてよいでしょう。これは明らかに『嘔吐』ではなく、『存在と無』以降の思想です。
また、サルトルが実存主義という言葉を使いだすのは『実存主義とは何か』以降です。これもマスコミが実存主義という言葉をサルトルに対して使いはじめたのを受け、否定するのではなく、むしろ積極的に引き受けた、その結果なのでした。『存在と無』の中では実存という言葉すらほとんどまったく出てきていません。

よって、
>『嘔吐』という文学作品を通して実存主義を人々に伝える
というのは正確ではありません。前述の通り、もともと実存主義という言葉すらサルトルが使い始めたものではありませんでした。さらに言えば『嘔吐』の出版が決まる前にはサルトルはノイローゼ気味であり、思想を広めるどころの騒ぎではなかったのです。

「そして、ちょうどこの時期、最低の状態で――あまりにもみじめで、何度も平然と死を思ったほどだった」戦中日記p94

『嘔吐』にサルトルの哲学的直観が多数含まれているのはほんとうです。ただ、『嘔吐』をもってイコール実存主義というのは問題を単純化しすぎではないでしょうか。

ともあれここまで来れば『文学とは何か』の位置づけが理解できます。すなわち、『存在と無』以降のアンガージュマンの思想が色濃く反映された文学論です。人はみな今いる社会の中で、歴史の中で生きている、すなわち状況の中にいる。であれば文学の目的はただひとつ。状況の文学であることです。全体的な歴史と状況を書くことで、それを読者に発見させること。ひとたび文学の目標がこう設定されれば、書くこととはすなわち読者に向けて書くことであり、読者に呼び掛けることです。
そして現代社会の抑圧が文学において発見されるべき状況となってくれば、文学が呼び掛ける読者も必然的に抑圧されている人々とならざるをえません。こうしたきわめて政治的・倫理的な色合いを帯びた読者中心の文学論が、『文学とは何か』におけるサルトルの立場ではないでしょうか。


伊藤整「小説の方法」(1948)「小説の認識」(1954)

2012年08月19日 | 小説作法

Fd41ba7e11e42f9dcc728c8f51af0711_2

1.小説とは何か。
2.日本人は小説のどういう所に感動するか。
3.小説の実質は思想にあるか、散文の造型にあるか。
4.小説と他の芸術とは本質的に違うか。
5.違うとすれば、どこが違うか。
6.ヨーロッパの小説と日本の小説との違いはどこにあるか。
7.小説は進化するか。
8.進化するとすれば、どんな方向にであるか。
9.倫理的な現実処理と小説とは違うか。

10.日本やヨーロッパの小説は作者の生活環境とどういう関係を持つか。
11.スタイル探求と倫理の探求とは小説にどのように関係するか。
 (「仮面紳士と逃亡奴隷」より)

ロシア・フォルマリストと呼ばれる理論家たちは、芸術の存在理由を異化作用に見出した。異化作用とは日常的に見慣れてもはや何の感銘も受けず、現に眼にしていながら、見ている自覚すらも起こらないような対象を、思いがけない視点から描いたり、全く違う文脈の中に置き換えたりして、対象がそれ自体として存在するフォームや、質量感を、あらわに、新たに知覚させることである。惰性化した知覚に衝撃を与え、自分と世界との関係を再認識させることだ、と言ってもいい。

本書に解説を書いている奥野健男さんのひとことを紹介しておこう。
1.「文学論」夏目漱石
2.「小説の方法・小説の認識」伊藤整
3.「言語にとって美とはなにか」吉本隆明 (「作家は行動する」江藤淳)
これが、日本人によって書かれた、包括的な三大文学理論である、というが、いまのわたしには、反論の余地はない。

伊藤整(1905~1969年)

2

『得能五郎の生活と意見』(1941年)
チャタレイ夫人の恋人』(1950年、翻訳)
『氾濫』(1958年)
『変容』(1968年)
『日本文壇史』(1953年 - 1969年、評論)


丸谷才一「文章読本」(1977) 

2012年08月17日 | 小説作法

この本の最後に、石川淳「無法書話」を引用して、ここで語つてゐるのは、書くに値する内容がなければ字を書いてはいけないといふことである。この教訓は、文章においてさらによく当てはまるだらう。すなはち、記すに値することがあつてはじめて筆をとれ。書くべきこと、語るべきことがあるとき、言葉は力強く流れるだらう。これこそは人間の精神と文章との極めて自然な関係にほかならない。
51xfe2h21jl__sl500_aa300_

1925年8月27日(86歳)

『笹まくら』(1966年)
『年の残り』(1968年)第59回大庭みな子「三匹の蟹」と芥川賞を同時受賞。

『たった一人の反乱』(1972年)
『裏声で歌へ君が代』(1982年)
『女ざかり』(1993年)

『持ち重りする薔薇の花』(2011年10月) 8番目の長編小説であるが、学生時代からの弦楽四重奏のユニットがそれぞれのパートにかかわるこだわり、人生をふりかえる中で、4人の間に流れる心理の動き・描写が面白く、一気に読む事が出来た。


中村真一郎「文章読本」(1975) 

2012年08月16日 | 小説作法

中村自身、あとがきで、近代百年の口語文の歴史のあとを洗い直すという仕事、と言っている。「文章というものは、私たちの考えることと感じることとを表現するものだ」

口語文の成立

近代の文語文は、漢文読み下し体の骨格に、西洋の原語の直訳である漢語をはめこんで作られた。こうした文語文は、論理的普遍的であって、私たちの考えること(思想)を表現するのには適していましたが、非論理的主観的な感じること(感情)表現するには不自由だった。また、同じ(文壇的)口語文であっても、自然主義流(田山花袋、島崎藤村)の客観描写を好むのか、尾崎紅葉の弟子、泉鏡花流の主観的歌いぶりを好むかがあり、それは読者の趣味に属する問題であろう。

口語文の完成

文学者であり、学者である、森鴎外と夏目漱石により、考える口語体が完成された。

鴎外は西洋の文体に学んだ口語体と、漢文に学んだ文語体とを統一して、新しい気品に満ちた古典的口語体を発明した。さらに、もうひとり、同じく学者でもあった幸田露伴に、漢文の素養に裏打ちされた中に、その範を見出している。

口語文の進展

感じる文章を発展させ、その中に考える文体をつまり描写も同じく事実として写した、「自然主義初期の三尊」島崎藤村、田山花袋、国木田独歩がいる。

その後の漱石の文体を、一般の社会人の中に、飛躍的な進展を行わせたのは経済的に何ら不安のない富裕で、自由な階級にあった白樺派の、武者小路実篤、有島武郎、志賀直哉であった。

一方、鴎外の文体は、「文学者の内部」すなわち、最も文学的な文学者、芸術的な一部の文学者として永井荷風がいて、荷風に激賞され一躍文壇に出て、大正昭和の巨匠として、世界的名声を博した谷崎潤一郎がいる。

口語文の改革

佐藤春夫の意欲的な、実験の文体「田園の憂鬱」の紹介から始まって、北原白秋、木下杢太郎、白秋の弟子の萩原朔太郎の文章を挙げている。

第一次世界大戦が終わると同時に、西洋を中心とした世界は、突然に革命的変動期にはいり、特殊に主観的表現をとった「新感覚派」の大胆な文体の改革が起こり、横光利一であり、吉行エイスケ、堀辰雄、阿部知二、伊藤整、そして川端康成であった。

第ニ次世界大戦が終わると、日本の社会は、第一次世界大戦とそれに続く関東大震災の直後よりも、もっと徹底した変化を経験した。

野間宏の「崩壊感覚」、武田泰淳、椎名麟三、福永武彦、島尾敏雄、吉行淳之介、そして日本語を可能な限り明晰に使用しようという代表者としての大岡昇平、より視覚的にした三島由紀夫、より科学的な阿部公房、書き言葉のそれらの試みの後で、話し言葉の影響をもへ以前ととりいれた庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」、井上ひさしの一節、最後に、口語分の幅の広さを示す、小田実「状況から」と大江健三郎「状況へ」で終わりとしている。

近代文学史ともいえる、中村真一郎の「この百年の小説」(1968~1973)と併読すると面白いと思った。

2342

Nakamurashashin4

1918(大正7)年、東京生まれ。東京大学仏文科卒。1942年、福永武彦らと新しい詩運動「マチネ・ポエティック」を結成。1947年『死の影の下に』で戦後文学の一翼を担う。[春]に始まる四部作『四季』『夏』(谷崎潤一郎賞)『秋』『冬』(日本文学大賞)『頼山陽とその時代』(芸術選奨文部大臣賞)『蠣崎波響の生涯』(読売文学賞、日本芸術院賞)『私のフランス』など多数の著書と訳詩書がある。1997年に同没。

  • 1974年、『この百年の小説』で毎日出版文化賞
  • 1978年、『夏』で谷崎潤一郎賞
  • 1985年、『冬』で日本文学大賞
  • 1989年、『蠣崎波響の生涯』で藤村記念歴程賞
  • 1990年、『蠣崎波響の生涯』で読売文学賞(評論・伝記部門賞)

  • 三島由紀夫「文章読本」(1959) 

    2012年08月15日 | 小説作法

    三島由紀夫、34才の時の評論である。作家として、十何年経ち、月に平均約百枚の原稿を書いている、と言っている。三島らしく、小説(短編小説ー川端康成、堀辰雄、梶井基次郎、芥川龍之介と、長編小説ーゲーテ、バルザック、ドストエフスキー)の文章、戯曲(小説と台詞のみの戯曲の文体の違いー福田亙存「キティ台風」)の文章、評論(ヴァレリー、小林秀雄、中村光夫)の文章、翻訳の文章と分野別に言及している。

    文章の技巧の章の内容を列挙すると、人物描写ー外貌、人物描写ー服装、自然描写、心理描写、行動描写、最後に文法と文章技巧としてまとまられている。

    心理描写には、ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」の流れをくむアングロサクソン的心理小説、フランス古典的伝統にのっとるフランス的心理小説、プルーストがベルグソンの影響を受けて発明したと称される無意志的記憶に基ずく心理主義文学の形があり、さらに第四として、ドストエフスキーのような心理解剖小説もある。

    結語として、文章の最高の目標は、古典的教養から生まれる格調と気品に置いている、と結ぶ。

    2 3

    仮面の告白』(1949年)
    潮騒』(1954年)
    金閣寺』(1956年)
    鹿鳴館』(1956年)
    鏡子の家』(1959年)
    憂国』(1961年)
    サド侯爵夫人』(1965年、戯曲)
    豊饒の海』(1965年-1970年)

    随分と三島文学は読んだ記憶があるし、「仮面の告白」「金閣寺」は印象に残っている。しかし、最後となった「豊饒の海」四部作には今の所は、手が出ない。


    川端康成「新文章読本」(1950)

    2012年08月14日 | 小説作法

    谷崎潤一郎の同名の書から、16年が経っているが、谷崎と同じく50才頃に書かれた、川端康成の文章から見た作家論であるが、川端の代作ではないか、ともいわれているが。。。

    小説の文章、文体は、小説が言葉が媒材とする芸術である以上、小説の重要な構成の要素であろう、として、さらに、文章は、人と共に変わり、時と共に移る。生きている、生命ある文章を考えることは、私たちに課せられた、光栄ある課題としている。

    主な作家は、坪内逍遙、二葉亭四迷の言文一致の苦労から始まって、泉鏡花、そして徳田秋声、田山花袋、島崎藤村らの自然主義・私小説作家、志賀直哉、武者小路実篤、芥川龍之介、佐藤春夫、谷崎潤一郎、宇野浩二、正宗白鳥、永井荷風、菊池寛、里見弴、久保田万太郎、横光利一、高見順、石川淳、さらに中間小説といわれた丹羽文雄、舟橋聖一、林芙美子に続き、最後に太宰治の文章が戦後の文章のひとつとしてあげていて、実に多岐に渡っている。

    泉鏡花を名文章家としている。

    谷崎にならって、文章の不可欠の要素は、調子、体裁、品格、含蓄、余韻等である。

    多くの作家はその生涯、処女作以上の傑作を書き得ないようである。処女作が頂点で、あとはそのバリエーションである場合が実に多い。

    Photo_3

    伊豆の踊子』(1926年)
    禽獣』(1933年)
    雪国』(1935年 - 1948年)
    千羽鶴』(1949年)
    山の音』(1954年)
    眠れる美女』(1961年)
    古都』(1962年

    1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日

    「伊豆の踊子」は、淡い恋などではなく、親子、姉妹が持つ温かさ、血縁の言い知れぬ関係を感じて、主人公は涙している家族の小説ですよね。。

    川端が19歳の時の伊豆での実体験を元とする。川端は幼少期に身内をほとんど失っており、2歳で父、3歳で母、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父が死去して孤児となるという生い立ちがあった。


    谷崎潤一郎「文章読本」(1934)

    2012年08月13日 | 小説作法

    この「文章読本」は一連の同名の書の、最初の一冊であり、昭和10年(1935年)前後という文学史的転換期に文体論のほうからよく表現された本である。

    小説家として、日本語の持っている外国語とは違う特質を踏まえて、描写の対象、思想・考え、自然等を表現する際、いかに表現をするのか、またその限界は何であるのかを、解いている。

    それらの日本語の持つと特質と、表現方法の違いを述べると同時に、日本文としての現代文と古典文(「源氏物語」、「雨月物語」、西鶴もの)の違い、文章にある六っの要素(1.用語、2.調子、3.文体、4.体裁、5.品格、6.含蓄)を例示しながら、書かれている。とくに、送り仮名、音読み、訓読み、漢字・ひらかな・カタカナの使い分けにより、より正確に作者の意図をいかに表現するか、また文章は眼で読まれるものであり、見た目の美しさも表現として大切である、という。同時に、音読しても違和感がなく意味・内容が理解できることが大事である、としている。

    随所に、引用される志賀直哉の文章は、無駄のない良く考慮のされた名文とされている。森鴎外、夏目漱石等の引用もあり、文筆家としての苦労も語れている。面白い本である。

    Photo_2

    刺青』(1910年)
    痴人の愛』(1925年)
    春琴抄』(1933年)
    陰翳禮讚』(1933年、随筆)
    細雪』(1948年)
    』(1956年)
    瘋癲老人日記』(1962年)

    1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40 年)7月30日

    谷崎潤一郎の本は、「陰翳禮讃」(1933年)を読んだのみで、記憶にはない。

    「細雪」(1982年)は日本映画として、女優(岸惠子佐久間良子吉永小百合古手川祐子)に興味を引かれてみたことがあるし、「痴人の愛」(1967年)も安田(大楠)道代と小沢昭一が演じた映画を興味深々と観たことがある。


    島田雅彦「小説作法ABC」(2009) 

    2012年07月18日 | 小説作法

    小説はどのように構成されているのか、ジャンル、何を書くか、語り手の設定、対話、描写(風景、静物、細分化)・速度・比喩、流れる時間、日本語で書くこととは、創作意欲の由来は、等々の興味深いテーマを豊富な小説の引用により説いている。

    最後に70才を超えてもなお、一日たりとて書かない日はないという、30年以上書き続けている古井由吉に代表される本当の作家は世界に100人、日本では5人くらいではないか、といっている。小説への執念とは、の問いに古井氏は、憎しみ、と答え、書くことがなくなってから、本当の作家になるんですよ、と作家の境地を吐露している。なんて凄ましいことか。。。。

    島田 雅彦(しまだ まさひこ、1961年3月13日 - )は、東京都生まれ、神奈川県川崎市育ちの、小説家である。法政大学国際文化学部教授

    41mkmlq20rl_sl500_aa300_