和泉務(いずみ つとむ、1952年 - 、兵庫県神戸市出身、男性)と、妻鹿年季子(めが ときこ、1957年 - 、兵庫県西宮市出身、女性)のペアで執筆を行う。二人は2007年1月に入籍している。現在は神戸市中央区在住。
和泉は漫才・構成作家として出発。妻鹿は京都精華短期大学美術科染織コース卒業後、商社勤務を経てシナリオライターとなる(当時のペンネームは本名の妻鹿年季子)。その後、和泉は木皿泉のペンネームでシナリオを書き始めるが、『やっぱり猫が好き』の脚本依頼を機にペアを組み、共同のペンネームとなる。 ちなみにペンネームの由来は「キザな和泉」から。
和泉は「すいか」の脚本の執筆後の2004年に脳出血で倒れ、病院で生死の境を彷徨い(この時に妻鹿は入籍を決意)、退院後は重度の後遺症のため妻鹿の介護と介護保険サービスを受け生活している。
妻鹿は「セクシーボイスアンドロボ」の脚本を書く頃からうつ病を発症し(そのため4・5・7話の脚本が代理執筆)、治療しながら脚本を書いていたことをインタビューや講演、著書「二度寝で番茶」などで赤裸々に語っている。仕事の成功を祈願する時に生田神社に絵馬を奉納する。
二人とも大の読書家で、ドキュメンタリー番組ではバリアフリー化と共に壁という壁が本棚にリフォームされている自宅の様子が見られた。エアコンも扇風機も必要が無いと言い、脚本もワープロで書くなどアナクロなポリシーを持つが、探しても本が見付からない時は、通販で買った方が早い、と言うなど合理的な一面も見られた。
互いに相手を「とむくん」「ときちゃん」と呼び合う。
共同で脚本を書くスタイルは独特で、まずは二人で登場人物その他の設定を考え、後は妻鹿がほぼ一人で執筆していく。そして妻鹿が行き詰ると和泉が膨大な知識や経験を元にアイデアを捻り出し場面を展開していく、というもの。
脚本家としては遅筆であることが有名。連ドラの執筆中は河野英裕プロデューサーが打ち合わせのため東京から神戸に通ったり、脚本の遅れから撮影が遅れ、編集作業の完了が放映直前になることもしばしばあった。
2003年には、『すいか』(日本テレビ系列)で連続テレビドラマにも進出。視聴率こそ振るわなかったものの、連ドラ初脚本にも関わらず第22回向田邦子賞が贈られるなど、高い評価を受けた。翌2004年11月には、全話の脚本が“シナリオBOOK”として刊行された。
『野ブタ。をプロデュース』(2005年、日本テレビ系列)は、最高18.2%を最終話で記録するなど、好調な視聴率だった。 原作で男子だった“野ブタ”役を女子に設定変更したことについては、放送局・スポンサー側の意向によるものと広く受け止められていたが、制作開始にあたり木皿側が求めたことだった。
のちに行われた書籍のインタビューで、木皿自身も明らかにしている。
また、ほかの木皿作品同様に、ストーリーに内包しているメッセージは大きく深く、最終回放送後から続編やDVD化を望む声が殺到した。
脚本執筆に当たって、「十代の人のために、真剣に、わかりやすく、媚びずに」ということを念頭においていたと語る。その内容は高く評価され、ザテレビジョン誌主催の第47回ドラマアカデミー賞で最優秀賞作品等6部門を制覇した。
2007年4月に新設された日本テレビ系列の新ドラマ枠(火曜日22時台)第1弾となる、『セクシーボイスアンドロボ』の脚本を担当した。
『すいか』以降担当している日本テレビのドラマ作品は全て同社の河野英裕がプロデュースしている。
2013年上演の「君ほほえめば」から舞台脚本を手掛けることになったが、後に依頼を受けた「すうねるところ」の方が先に2012年に上演された。
「君ほほえめば」では主役のひきこもり青年の父母役として和泉、妻鹿共に声の出演をした。
2013年には、『昨夜のカレー、明日のパン』で小説家デビューを果たす。本作は『すいか』に感銘を受けた小野寺優(当時河出書房新社編集者)の依頼により2004年に執筆が開始されたものの、病気や多忙により執筆が中断されていたものを、河出書房新社の代表取締役社長に就任した小野寺の強い後押しにより9年越しで完成させた作品である。自身初の小説であるものの、第11回本屋大賞(第2位)や第27回山本周五郎賞の候補に選出されるなど、高い評価を受ける。2014年10月には、自身の脚本によりNHK BSプレミアムでドラマ化される。