一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

佐渡島

2012年10月02日 | 

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大化改新以後、8世紀以前に佐渡国が置かれた。

順徳天皇日蓮日野資朝などが配流された地でもある。

鎌倉時代以降は、本間氏が守護代として佐渡を支配していたが、1589年(天正17年)に上杉景勝の侵攻を受けて滅亡し、上杉氏の支配地となった。

関ヶ原の戦いの後、佐渡は徳川家の支配地となった。1601年(慶長6年)には佐渡金山が発見された。佐渡では、それ以前の戦国時代中期頃から、鶴子銀山等でが採掘されていたが、佐渡金山のの産出量は群を抜いて多く、そのため、江戸幕府は、藩を置かずに佐渡を天領として、佐渡奉行所相川に置き、幕府自ら直接統治を行った。明治維新では戦火を免れた。

佐渡は京から配流された文人・政治家などが都の文化を伝えたので、現在でも独特の言語を含め、伝統芸能が受け継がれている。また、西廻り航路が開かれ、西日本や北陸の文化が伝わってきたこと、また配流者が伝えた文化も含め、貴族文化や武家文化、町人文化が一体となって、佐渡特有の文化を形成していったといわれる。

の大成者である世阿弥が配流された影響からか、江戸時代には200を超える能舞台があり、現在も32余りの能舞台が残っている。人口当たりの能舞台数は、江戸時代も現在も全国一となっている。これらの能舞台は、今も、春から秋にかけ薪能などイベントや祭りで利用されており、各地区の希望する子供達が大人から指導を受け演じている。また、古浄瑠璃、文弥人形、のろま人形、説教人形、獅子舞なども代々受け継がれ、現存している。

佐渡金山は最盛期には、国内一の金産出量を誇っていたが、江戸時代の終わりごろから衰退し1951年に商業採掘は終了したため、現在では金の採掘は行われていない。残された多くの史跡や博物館等の資料館で当時の様子をうかがい知ることができる。他に、順徳天皇日蓮ゆかりの寺などの、歴史的な寺社仏閣が保存されており、こうした様々な史跡めぐりをする観光客が毎年訪れている。


与那国島

2012年10月02日 | 

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14世紀沖縄本島の有力者が海上交易を始めると、その中継点として訪れた人々によって文明化されたと思われる。1522年琉球王朝の支配下に組み入れられるまでは、女首長サンアイ・イソバ[10](実在不明)や鬼虎(同じく)の下で独立国であった。1879年琉球処分と共に日本に帰属する。台湾が日本領になった時代は、台湾住民との間で砂糖や米の密取引が行われるようになり、人口は2万人まで増加した。

1908年島嶼町村制で間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島とともに八重山村となる。1914年八重山村が分村し、与那国村となる。

1945年米軍の軍政下に置かれ、台湾が日本から分離したため、密取引は行われなくなり人口も急減。1948年町へ昇格し与那国町となる。1952年サンフランシスコ平和条約米国統治となり、1972年に日本へ返還されて現在に至る。

1986年にはダイバーによって海底遺跡のような地形が発見されて話題となる。

1996年、与那国島から約60キロメートルの海上に中国から発射された弾道ミサイル1基が着弾した。台湾も、中国に対抗した軍事演習として、与那国島の沖合で軍事演習を計画するなど、緊張が走った。当時は自衛隊や海上保安庁によるパトロールが行われた。


北方領土

2012年09月11日 | 

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北方領土の色丹島近くにある小さな2つの島に、今月7日から9日にかけてロシアの調査隊が上陸し、名前を付けていたことが明らかになりました。
ロシアでのAPEC=アジア太平洋経済協力会議の期間中の上陸だったことから、北方領土の実効支配を強調するねらいがあるものとみられています。

サハリン州の発表によりますと、学者やロシアの国会議員、それにサハリン州の副知事らで編成された調査隊が、今月7日から9日の間、色丹島近くにある2つの島に上陸しました。
島はいずれもおよそ100平方メートルの小さな岩場で、日本は正式名称を付けていませんが、調査隊はそれぞれにロシア国旗とサハリン州の旗を立てたうえで、ロシアの著名な学者と第2次世界大戦で千島列島の上陸作戦を指揮した司令官の名前を付けたということです。
サハリン州政府は、先月から、インターネット上で北方領土と千島列島の小さな島々およそ200について名前の募集を行っており、今回使われた名前はそこで人気の高かったものが選ばれたということです。
島に上陸した国会議員は「われわれの島であることは明らかだ」と話しており、上陸がロシア・ウラジオストクでのAPECの首脳会議の期間中に行われたことから、ロシアによる北方領土の実効支配を強調するねらいがあるものとみられています。


竹島

2012年09月11日 | 

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政府は11日から1週間、韓国による島根県・竹島の不法占拠を批判する新聞広告を全国・地方紙計70紙に順次掲載する。政府が新聞広告で竹島問題を取り上げるのは初めて。韓国が竹島を自国領土と主張する広報を強化していることに対抗し、国民への周知徹底に乗り出す。

 広告は内閣府による政府広報として出される。韓国の領有主張に「根拠とする文献の記述はあいまいで、裏付けとなる明確な証拠はない」と反論。「竹島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土」と明記した。

 広告は首相サイドの意向で実施。インターネットのポータルサイト「ヤフー」にも9日まで、「竹島は島根県です」とアピールする広告を初めて掲載した。

 一方、韓国政府は世界各国の在外公館に領有権を主張するパンフレット35万部を送付。海外広報活動の予算増も検討している。

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尖閣諸島

2012年09月11日 | 

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July 24, 2012

尖閣諸島所有主の弟は穏やかな常識人 

去る20日(金曜)に尖閣諸島の持ち主の弟である栗原弘行氏が日本外国特派員協会で会見しました。在京のテレビ局はNHKとテレビ東京を除く(予約段階での調べ)5社がカメラ取材を行い、ロイター、ブルームバーグ、NYタイムズなど世界的に有名な報道機関の特派員も出席し、香港や台湾のメディアの特派員(ほとんどが女性)も活発に質問をしました。全体で80人を越す盛況でした(私の印象では100人超)。ところが翌日の新聞紙面を見ると、扱いはきわめて小さく、写真も出ていず、会見の要旨がお義理のように載っているだけでした。朝日などは社会面のひとつ前のページで数行の扱いでした。私には非常に価値のある会見でしたので、会場で感じたことをそのままお伝えしたいと思います。

まず栗原さん(65歳)は「穏やかな常識人」だということです。けっしてかたくななナショナリストではありません。「兄はもう70歳であと5年くらいしか生きられないと思う」と語りました。その言い方に巧まざるユーモアがありました。会場には70を越したベテラン記者もいましたので、「おいおい、俺はどうなるんだ」というつぶやきも聞こえました。「兄は40年間もあの島々を維持してきた。維持することにだいぶ疲れてきたので、生きているうちに信頼できる人に譲りたいと思っていた。企業には売るつもりはない。そこへ東京都からのアプローチがあった」とのことでした。妹さんも二島の所有者であることを付け加えました。栗原さんは、今回の動きが国家間の問題として取り上げられていることに憂慮を示し、「あの島々の周囲は水産資源も豊富で、たとえば台湾の船が漁をしたりする日のことも考えている」とのことでした。

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「島嶼(とうしょ)経済学」という言葉がありますが、ご存知ですか? と記者団に問いかけ(残念ながらだれも知らないようでした)、ひとつの孤島だけでは経済は成り立たないが、いくつかの島を結ぶ航路や漁業活動が活発になれば、経済的に自立できるものだとの認識を示しました。ほとんどの日本人も中国人も、「尖閣」というと日中間の一触即発の危険地帯であり、ここを所有し東京都に売ることで摩擦をさらに大きくしている栗原一族というのは、タカ派の危険な人々だというイメージを持っているのではないでしょうか? しかし、この会見に臨んだ栗原弘行氏は、けっしてそんな人ではありません。心からあの地域の平和を願い、語ることの内容も世界に通じる説得力を持った「穏やかな常識人」です。実務家であり、理念や観念が上滑りする人でもありませんでした。あの地域が平和で豊饒の海であってほしいとの願いが、言葉の端々に滲み出た会見でした。情緒的な報道はいただけませんが、日本のメディアはもっとこうした「人間味」も伝えるべきだと思います。


奄美大島

2012年08月31日 | 

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先史時代から今の日本本土と沖縄それぞれの地域と交流があったことが数々の遺跡や貝塚から出土した品々によって証明されている奄美大島は、7~8世紀頃から14世紀頃までの自立的な立場での交易時代、その後の琉球王国や薩摩藩に支配された時代、明治以後の日本国家の元に編入された時代、戦後一時期のアメリカ占領時代を経て現在に至っている。


三宅島

2012年08月31日 | 

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伝説と神話

三宅島には、神々を主人公としたいくつもの伝説や神話が残されており、この伝説や神話の多くは、「三宅記」に記述されている。「三宅記」の著者が僧侶や修験道の行者(山伏)と推測されていることから、神道を背景として神々を主人公とした多数の伝説や神話が残っているのだろう。