一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

御厨 貴

2019年05月31日 | 社会
みくりや たかし
御厨 貴 生誕1951年4月27日(68歳)
東京都
出身校
東京大学法学部
職業
政治史学者・政治学者
御厨 貴(みくりや たかし、1951年4月27日 - )は、日本の政治史学者・政治学者(博士)。東京大学・東京都立大学名誉教授。東京大学先端科学技術研究センター客員教授、放送大学客員教授。公益財団法人サントリー文化財団理事、サントリーホールディングス株式会社取締役。専門は、近現代日本政治史、オーラル・ヒストリー。
祖父は戦前の貴族院議員で、検事総長や司法大臣を歴任した木村尚達。父はジョンソン社長で山梨学院大学教授を勤めた御厨文雄。

母体保護法

2019年05月30日 | 社会
母体保護法

日本の法令
法令番号
昭和23年7月13日法律第156号
効力
現行法
種類
医事法
主な内容
不妊手術や人工妊娠中絶に関する事項を定める

母体保護法(ぼたいほごほう、昭和23年7月13日法律第156号)は、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的とする法律である(同法1条)。
本法によって母体保護法指定医師が指定される。また、本法では薬機法の規定に関わらず「ペッサリー等避妊具を販売できる」という特権を有する受胎調節実地指導員についても規定が置かれている。

優生保護法の成立
1907年にアメリカ合衆国のインディアナ州で世界初の優生思想に基づく中絶・堕胎法が制定された。それ以降、1923年までに全米32州で制定された。カリフォルニア州などでは梅毒患者、性犯罪者なども対象となったこともあった[1]。優生学は20世紀には世界的に国民の保護や子孫のためとして大きな支持を集めていた。日本では戦後の当初は1948年(昭和23年)に優生保護法という名称で施行された。この法律は、戦前の1940年(昭和15年)の国民優生法と同様優生学的な色彩がある法律である。
明治刑法が「墮胎の罪」を定めて中絶した者には刑事罰を与えていた一方、国民優生法は、「国民素質ノ向上ヲ期スルコト」を目的とすることを謳って親の望まぬ不良な子孫の出生と流産の危険性のある母胎の道連れの抑制、多産による母体死亡阻止を目的とし、日本では中絶という行為が宗教的タブーであるとは見なされていなかったため、出産という女性への選択肢の位置づけがなされていた[2]。状況によっては家族や後見人が中央優生審査会、地方優生審査会に手術申請を行うことや、中絶や放射線照射の処置を可能としていた法律である[3]。なお当時存在した日本優生学会(1925年創立、阿部文夫、岡本利吉、他)では同法に併せて不妊手術の状況を報告し、また人口増加問題も論じている[4][5][6]。
しかし、戦後の優生保護法においては、戦後の治安組織の喪失・混乱や復員による過剰人口問題、強姦による望まぬ妊娠の問題を背景にし、革新系の女性議員にとっては、妊娠中絶の完全な合法化させるための手段である側面があった。1946年(昭和21年)4月10日に行われた戦後初の選挙である第22回衆議院議員総選挙で当選した革新系の女性議員らは、第1回国会において国民優生法案を提出した。日本社会党の福田昌子、加藤シヅエといった革新系の政治家は母胎保護の観点から多産による女性への負担や母胎の死の危険もある流産の恐れがあると判断された時点での堕胎の選択肢の合法化を求めた。
彼女らは死ぬ危険のある出産は女性の負担だとして人工中絶の必要性と合法化を主張していた。加藤などは外国の貧民街を見て帰国直後の1922年には社会運動に理解のあった夫と日本で産児調節運動を開始していた。石本静枝として産児制限運動を推進するなど母胎保護には望まぬ出産への中絶の権利や母胎への危険のある出産を阻止する方法が女性に必要だと訴えていた[7]。
障害者への強制不妊手術[編集]
障害者は度重なる性的暴行事件の加害者や被害者になるいう意見、また加害者の法的責任能力の欠如といった批判、そしてそれらの報道に触れる、等の負担増加などを理由とした親族らが、障害者への中絶や不妊手術を希望したり、容認した。齋藤有紀子はこの親族らの考えは世界的に珍しくなく、中絶の合法化された国家で障害を持つ子供を妊娠した時点で中絶を選択する率がどこの国家も高いことから、障害者の要望とその親族の要望では、親族の要望が優先されていると指摘している[8]。
改正案を巡る議論[編集]
1949年(昭和24年)の法改正により、経済的な理由による中絶の道が開かれ、1952年(昭和27年)には中絶について地区優生保護審査会の認定を不要とした。刑法上の堕胎罪の規定は存置されたが、空文化が指摘されるようになった。
その後、高度成長により、経済団体の日本経営者団体連盟(日経連)などからは将来の優れた労働力の確保という観点から中絶の抑制が主張されるようになった。また、宗教団体からは、生長の家とカトリック教会が優生保護法改廃期成同盟を組織して中絶反対を訴えた。一方、羊水診断の発展により、障害を持つ胎児が早期に発見されるようになり、日本医師会は生長の家などの主張には反対しつつ、障害を持つ胎児の中絶を合法化するように提言した。こうした、思惑は違えど様々な改正案の動きがあった。これに対して、全国青い芝の会などの障害者団体は優生学的理由を前面に出した中絶の正当化に対して、中ピ連やリブ新宿センターなどの女性団体からはそれに加え、経済的な理由に基づく中絶の禁止に対する反発が広がるようになった。
1962年に社会民主党の前身である日本社会党当時の宮城県議が宮城県に不妊手術の強化を要求した。そのため、後身の社会民主党は関係者に謝罪する声明を発表している[9]。 1970年代から1980年代にかけて、両者の間で激しい議論がなされた。1972年5月26日、政府(第3次佐藤改造内閣)提案で優生保護法の一部改正案が提出された。改正案は経済団体や宗教団体などの意向を反映したもので、以下の3つの内容であった。
母体の経済的理由による中絶を禁止し、「母体の精神又は身体の健康を著しく害するおそれ」がある場合に限る。
「重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められる」胎児の中絶を合法化する。
高齢出産を避けるため、優生保護相談所の業務に初回分娩時期の指導を追加する。
障害者団体からは主に2が、女性団体からは主に1と3が反対の理由となった。法案は一度廃案になったが、1973年に再提出され、継続審議となった。1974年、政府は障害者の反発に譲歩し、2の条項を削除した修正案を提出し、衆議院を通過させたが、参議院では審議未了で廃案となった。
宗教団体などによる、経済的理由による中絶禁止運動はその後も続いた。マザー・テレサは1981年、1982年と二度の来日で、中絶反対を訴えている。一方で日本母性保護医協会、日本家族計画連盟などが中絶を禁止するべきでは無いと主張し、地方議会でも優生保護法改正反対の請願が相次いで採択された。その結果、1981年(鈴木善幸内閣)から再度の改正案提出が検討されたが、1983年5月(第1次中曽根内閣)には、自民党政務調査会優生保護法等小委員会で時期尚早との結論を出し、国会提出は断念された。
母体保護法への改組[編集]
1996年(平成8年)の法改正により、法律名が現在のものに変更されるとともに、人権上の問題のある規定で、優生学的思想に基づいて規定されていた強制断種等に係る条文が削除され、「優生手術」の文言も「不妊手術」に改められた。
なお、優生保護法、母体保護法ともに、議員立法によって制定・改正が行われてきている。ただし、行政実務上の主務官庁は厚生労働省(雇用均等・児童家庭局母子保健課)となっている。

被害者救済への取組と社会の対応[編集]
2018年2月22日、日本社会党の後継政党である社会民主党党首吉田忠智は、宮城県の旧社会党県議が優生手術を推進したことについて謝罪した。[10]
2019年4月24日、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律(強制不妊救済法)」が参議院にて全会一致で成立・施行された。被害者に対する「おわび」及び一時金の支給を定めた[11]。同日安倍晋三首相が「政府としても、旧優生保護法を執行していた立場から、真摯に反省し、心から深くお詫び申し上げます」との首相談話を発表した[12]。
2019年4月25日時点で、各都道府県に、一時金支給に関する受付・相談窓口が設置されている[13]。

平和への道

2019年05月29日 | 社会
混迷の度を深めるこの国の政治と社会。今このとき、多くの人に知恵を与えてきた聖書の言葉、真の平和のメッセージに耳を傾ける。中学・高校の若い人たちに向かって語られたもの、新聞に投稿・掲載されたものを中心にして平易に綴る。

サイズ:B6判

池田香代子氏 (翻訳家・作家。『世界がもし100人の村だったら』『夜と霧』)
「磨きこまれた黒大理石のような聖典(カノン)に、そのときどきの社会や政治が影を落とす。移ろわぬものが移ろうものをとらえるとき、規範(カノン)が命を得て立ち上がる。その40年の記録を前に、襟を正す自分がいる。」

早野透氏 (桜美林大学名誉教授・コラムニスト・朝日新聞元編集委員)
「貧しき者、弱き者、罪ある者にやさしく寄り添うイエス・キリスト…。『理科の先生なのにクリスチャンなんですね』と教え子から親しまれる一教師がつづる温かき信仰告白、そして目は世界へ日本へ、戦争はあらゆる罪の集大成、憲法九条こそ、と心に刻む物語に胸うたれました。」

山田厚史氏 (ジャーナリスト・同志社出身・朝日新聞元編集委員)
「6歳で終戦、父は戦死、家は空襲で焼かれた。聖書の光に導かれ、時代と向き合い、社会を考え抜いたひとりのキリスト者は『剣を取る者は皆、剣で滅びる』と訴える。このメッセージに至る精神の軌跡をまとめた本書は、私たちが人生を考える『道しるべ』になる。」

First Penguin

2019年05月28日 | 社会
ペンギンは、氷上で群れの1匹が海に飛び込むと、次々と飛び込む習性があります。しかし、誰かが飛び込まないと誰も飛び込みません、よって「First Penguin」(最初のペンギン)が一番勇気が必要です。
英語圏では、「First Penguin」というと、勇気をもって行動する人を指します。
人間の場合、この最初のペンギンのような先の見えない不確実な状況が、もっとも頭をフル回転させ、"ひらめき"に導いてくれます。
茂木健一郎 『考える力をつくるノート』 (講談社) より

ペンギンにとって餌となる魚がいるのは海の中ですが、そこは死の危険と隣り合わせの世界です。
「みんなで飛び込めば恐くない」かもしれませんが、みんなが飛び込むためには、勇気ある「First Penguin」がいなくてはいけません。
「First Penguin」を日本的に言うと、困難な事態を切り開く「切り込み隊長」というところでしょうか。
茂木さんは「First Penguin」が飛び込める理由として次のような説があることを紹介されています。
「自分を見ている仲間」「見守っている家族や友人、同僚」などの存在によって、支えられているという自覚があるからだという考え方があります。
不確実性はスリリングな快楽を生みますが、それだけでは、将来が不安で耐えられない場合もあるので「愛着のある人」が、どうしても必要なのです。
これは、以前ご紹介した「人は『安心感』から動ける」と同じことですね。
気持ちが通じ合えるチームやグループになると積極的な行動につながります。人は安心感から動けるからです。
『イタい人にならない自分☆発信力』 (原村 和子 著/ビジネス社) より
単独ではチャレンジが難しいことでも、仲間と一緒であれば勇気が湧いてきますよね。

I’m POSSIBLE

2019年05月27日 | 社会
パラリンピック4つの価値
1、強い意志=困難があっても諦めず突破しようとする力
2、勇気=マイナスの感情に向き合って乗り越えようとする精神力
3、インスピレーション=人の心を揺さぶり、駆り立てる力。
4、公平(=近年平等から公平に変更)=多様性を認め、創意工夫すれば誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力
「I’m POSSIBLE」名称について
日本でのプロジェクト名「I’m POSSIBLE」は、2014年ソチパラリンピック閉会式の演出で起きたことによる。「Impossible(=不可能)」の文字に、車椅子の選手が昇り、アポストロフィを加えたことで「I’m POSSIBLE(=私は、できる)」となった。記者会見ではソチパラリンピックの映像が紹介された。

"Nothing is impossible, the word itself says 'I'm possible'!" - Audrey Hepburn
「不可能(impossible)な事なんてないのよ。だって言葉それ自体が言ってるでしょ、私はできる(I'm possible)って!」(オードリー・ヘップバーン)

三宅民夫 真剣勝負!

2019年05月26日 | 社会

三宅民夫の真剣勝負!

多くの報道番組、討論番組で司会を務めてきた三宅アナウンサーが、社会の様々な問題について有識者を招いて考えます。


マイオピニオン(月・金曜日にレギュラーゲストを招いて、独自の視点で語って頂きます)

<ゲスト>
神庭亮介 | BuzzFeed Japan 記者
高橋和夫 | 国際政治 中東研究|国際政治学者
開沼 博 | 社会学 福島学 | 立命館大学 准教授
渡辺 靖 | 米国研究 | 慶應義塾大学教授
工藤 啓 | 認定NPO法人育て上げネット理事長
遠藤 乾 | 国際政治 ヨーロッパ政治 | 北海道大法学部教授
斎藤 環 | 精神科医 | 筑波大学社会精神保健学教授
三浦まり | 政治学 | 上智大学法学部教授
迫田朋子 | 医療 介護 障害者福祉 減災 | ジャーナリスト
川島 真 | 現代政治 アジア史 | 東京大学大学院教授
影山知明 | カフェ店主 / まちづくりプロデューサー
木村草太 | 首都大学東京 大学院 教授
青山浩子 | 農業経営 農村ビジネス | 農業ジャーナリスト
堀内進之介 | 現代位相研究所 首席研究員

北岡 伸一

2019年05月25日 | 社会
北岡 伸一(きたおか しんいち、1948年(昭和23年)4月20日 - )は、日本の政治学者・歴史学者。国際協力機構(JICA)理事長。奈良県立大学理事長。政策研究大学院大学客員教授、東京大学名誉教授、法学博士(東京大学、1976年)[1]。元国連次席大使(2004年4月から2006年8月まで)。元国際大学学長。専門は日本政治外交史。

三谷 太一郎

2019年05月24日 | 社会
三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - )は、日本の政治学者・歴史学者。東京大学名誉教授、宮内庁参与、日本学士院会員。専門は日本政治外交史、特に大正デモクラシー期の日本政治史研究で知られる。
東京大学法学部学部長、東京大学大学院法学政治学研究科研究科長、成蹊大学特別任用教授などを歴任した。


6年前に「退位」のご意向聞く 元参与の三谷氏「驚きだった」「平成30年めどに実現を」
元宮内庁参与の三谷太一郎氏

 元宮内庁参与で東大名誉教授の三谷太一郎氏は平成22年7月の参与会議で、天皇陛下による「生前退位」のご意向を聞いた一人だった。8月のお気持ちご表明より6年前のことで、三谷氏は「『譲位』という言葉だったが、明確な意思表明をされた。まさに驚きだった」と振り返る。
 参与会議は皇室の重要事項などについて、陛下のご相談を受ける場。近代史が専門の三谷氏は18~27年に参与を務めた。22年7月22日の出席者は、天皇、皇后両陛下のほか、三谷氏を含む当時の参与3人、宮内庁長官、侍従長らだった。
 三谷氏によると、陛下が突然、「近い将来、健康上の問題が起きる前に、譲位を考えたい」とご発言。社会の高齢化にも言及し、「皇室も例外ではない」とも述べられたという。
 三谷氏を含めた他の出席者は、大正天皇の先例などがある「摂政」での対応を求めたが、陛下は強く否定された。さらに、「譲位は十分に先例があり、何らおかしいとは思わない」とのお考えも示された。
 三谷氏は「陛下は大正天皇の例は望ましくないとの考えで、その悲運に同情的であられたのが意外だった。退位については熟慮を重ね、決意を固められている印象だった」と話す。
 その上で、「8月のお気持ちで触れられた平成30年が一つのめどで、それまでに退位を実現すべきではないか。有識者会議には、将来的な皇室制度の課題を国民の立場で提言してほしい」と強調した。

鈴木哲夫

2019年05月23日 | 社会
福岡県出身。早稲田大学法学部卒業後、1983年テレビ西日本入社。報道部記者として警察、自治体を担当。北九州市政、雲仙・普賢岳噴火などを取材。その後、フジテレビに出向し報道局政治部へ。経世会担当、梶山静六、小渕恵三、橋本龍太郎等の番記者を務めた。なおフジテレビには過去、編成企画部に同姓同名の鈴木哲夫(平成教育委員会や鬼平犯科帳、やっぱり猫が好きなどの企画担当)がいる。
1995年、テレビ西日本から東京MXテレビに移籍。『東京NEWS』ニュースキャスター、ニュースデスク、東京ニュースセンター編集長、報道制作部長を歴任。2001年、東京メトロポリタンテレビジョンから株式会社衛星チャンネルに移籍し、報道制作本部チームリーダー、報道制作局報道部長を務めた。2007年12月、BS11に再度移籍し、報道制作部長、執行役員報道局長を歴任。2013年5月31日付でBS11を退社。 2013年6月よりフリーとなり、後にライトハウスと業務提携。

定年後の働き方 100歳人生時代

2019年05月22日 | 社会

労災隠しに巻き込まれた!泣き寝入りも 若者よりひどい定年後の働き方

© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供
100歳人生時代、工場での作業や清掃、警備などあらゆる仕事でシニアは戦力になっている(※写真はイメージです。本文とは直接関係ありません) (c)朝日新聞社
 
100歳人生時代、働く高齢者は増えている。一方で、シニアの労働環境の整備は置き去りにされている。心身が衰える60歳以上は、労働災害件数は現役世代よりも多く、死亡災害も最多。だが、統計は氷山の一角に過ぎない。事業所の労災隠しや、働き口を確保したいがために、労働災害保険の給付を得ていないシニアも少なくないのだ。
 シニアであれ、現役世代であれ、業務上の災害(事故)については、過失の有無にかかわらず、労働者に一定の補償が労働基準法で義務付けられている。これを保険制度化したのが、労災保険だ。労災保険は一人でも雇用者がいる事業所が入るべきもので、総人件費に基づき、1年分の保険料を政府に前払いする。業務上で事故が発生したら保険を労働者に給付。個人事業主とみなされる委託契約などの人を除き、正規職員か非正規職員かを問わず、労災保険の適用がある。
 だが実際には、事業所側が届け出をしない、労働者側が労災の申請をためらうといったケースがかなりあるとみられている。まずは、シニアが悪質な労災隠しに巻き込まれたケースを紹介しよう。
 大分県の佐伯労働基準監督署が昨年、労働安全衛生法の違反容疑で事業所と代表者を地方検察庁に書類送検したのは、こんな事案だ。金属製配管の空気漏れ試験などの作業中に配管が動き、60代の男性労働者の右膝に激突した。さらに配管が当たって別の配管が動き、もう一人の60代の男性労働者の左膝に激突した。二人とも休業4日以上の負傷となった。しかし、事業所側は労働者死傷病報告を提出していなかった。
 もう一つの労災隠しの事例は、石川県の穴水労働基準監督署が昨年、労働安全衛生法の違反容疑で事業所と代表者を地検に書類送検した。建築物解体現場で60代の男性労働者が2階から1階に転落し、左大腿骨骨折など休業4日以上の負傷をした。しかし、事業所側は労働者死傷病報告を提出していなかった。
 全国労働安全衛生センター連絡会議の古谷杉郎事務局長は、労災保険を巡る問題点について「労働者側のみならず、特に会社側、大企業より中小企業に無理解が多い」と指摘。労災保険を申請するとその後の保険料が上がるといった誤解のほか、「企業イメージ」が悪くなると捉えたり、業者間の関係に影響するのを恐れたりしているという。
 例えば、建設現場では元請け業者が労災保険料を支払っているため、現場を任されている下請け業者に費用負担はない。しかし、下請けにとっては、現場で労災が発生し労災保険を申請すると、元請けに迷惑をかけてしまうと気遣うのではないかと話している。
 古谷さんは「労災保険を使って保険料が上がることはまずない」と話す。東京労働局の労災担当者も同様の見解を示す。
「比較的大きな事業所で、死亡事故などで多額の保険金を国が支払った場合に2年ぐらい後になって保険料が上がることはあるが、ほとんどの事業所で保険料は変わりません」
 こうした事業所の労災隠しに加えて、問題を深刻にしているのは、シニアの場合、「労災保険という制度はあっても使いにくくなっている」(労働者の労災支援をする総合サポートユニオンの池田一慶さん)という点だ。若い世代に比べて、シニアの労働者はいわゆる非正規が圧倒的に多く、立場が弱いからだ。中央労働災害防止協会の調査では、60歳から64歳の雇用形態の69%が「非正社員」。65歳以上は79%だ。総務省の18年の労働力調査でも「非正規の職員・従業員」は、65歳以上で76.3%と同様の結果が出ている。働き口を確保したいがために泣き寝入りしたり、労働者自ら申請を控えたりすることは想像に難くない。
 例えば、シニアではないが、大手自動車メーカーの工場で期間工として働いていた男性によると、現場には「無事故連続○日」と貼り出しがあり、数千日の数字が入っていたという。実際は現場でけがをする人が少なくなかったが、ほとんどの人が貼り紙を無言のプレッシャーと感じ、個人的に治療して済ませていた。手脚の切断や、死亡など隠し切れない事案でもない限り、労災の申請がなされることはないという。事業者側が大きな問題にしたくないと考えているのに加え、有期雇用契約の場合、労働者側は労災保険を申請すると、次の契約更新をしてもらえなくなると恐れているのだ。
 池田さんは指摘する。
「例えば、現業系の現場でけがをしても、労災を申請すると、事業所から契約の更新をしてもらえなくなる恐れがあります。若い人なら次の転職先を見つけられるかもしれませんが、高齢者は厳しいでしょう」
 シニアは次の契約更新を最優先に考えがちで、仕事中のけがや病気でも、労災保険を申請することはかなりの覚悟が必要になるのだ。実際、有期雇用契約の更新に際しては、事業者側が労災保険申請者を契約期間が満了した場合に更新しなくても直ちに法令違反になることはないと、東京労働局の労災担当者は言う。この点に関して、大阪過労死問題連絡会・事務局長の岩城穣弁護士は「労働者にとって更新されることに合理的な期待があり、更新拒絶には正当な理由があるべきではないのか」と指摘している。
 労災保険のもう一つの問題点は、委託契約の場合、個人事業主とみなされて適用の範囲外になること。事業所側もそこをおさえている。例えばこんなケースだ。
 九州地方の60代の女性は、シルバー人材センターを通じて派遣され、製造業で働いていた。事故は製品の梱包中に起こった。正社員がスイッチを入れた際、機械に手をはさまれ、指3本を損傷。皮膚移植などの緊急手術を受けた。業務中の事故で負ったけがなのに、労災保険が適用されないと言われ困っている。最初に、損害賠償を請求しないとの誓約書に親族と連名で署名させられ、提出させられていたという。
 この事例のようなシルバー人材センターからの派遣や、バイク便の従事者、荷物を自分の車で持ち込むタイプの長距離トラックの運転手などは業務委託契約が多い。問題なのは、時間給で支払いを受けていたり、指揮命令や労務管理を受けていたり、実態は契約書とかけ離れている場合。このようなケースでは、実際は労働者と使用者の関係にあるにもかかわらず、ひとたび事故が起きれば自己責任にされてしまうのだ。
 前出の古谷さんは「指揮命令の関係があるかどうかがポイントになる」と話す。東京労働局の労災担当者も「実態が労働契約なら労災になる」と話しており、いくつかの要件を総合的に判断するというが、働くシニアにとって、心理的な面も含めて労災を認めてもらうためのハードルが上がるのは必至だ。
 高齢者が働きやすい労働環境を整える必要があるという認識は、政府にも出始めている。厚労省は15年に過労死防止大綱を策定し、18年の改定で高齢者と障害者に対して特段の配慮が必要との考えを新たに盛り込んだ。大綱を議論してきた過労死等防止対策推進協議会の委員として、この配慮を盛り込むことに尽力した岩城弁護士は、配慮が示されて画期的と評価するものの、具体化が進んでいないともいう。
 脳や心臓疾患の労災認定では、発症前1カ月に100時間を超える時間外労働があると、業務と発症の関連性が強いと評価される。岩城弁護士は「高齢者に100時間をそのまま適用していいのか」と指摘。高齢者に労災を認める場合は時間外労働を60時間にしてもいいのではないかという議論もあるそうだ。
 働き方改革がさかんに叫ばれているが、シニアに配慮した労働環境整備はまだまだこれから。100歳人生時代、対策は待ったなしだ。(本誌・浅井秀樹)

10月消費税10%ストップ!ネットワーク

2019年05月21日 | 社会
10月消費税10%ストップ! ネットワーク   
【呼びかけ人】 有田芳子(主婦連合会会長)
       斎藤貴男(ジャーナリスト)
       庄司正俊(全国FC加盟店協会会長)
       住江憲勇(全国保険医団体連合会会長)
       醍醐聰(東京大学名誉教授)
       富岡幸雄(中央大学名誉教授)
       浜矩子(同志社大学大学院教授)
       本田宏(NPO法人医療制度研究会副理事長)     
       室井佑月(小説家・タレント)
       山田洋次(映画監督)
「10%ストップ!」
5・24 日比谷野音に響かせましょう
  5月24日(金)13時から、東京・日比谷野外音楽堂で「消費税 いま上げるべきではない 5・24中央集会」を開きます。
全国のネットワークのみなさん、「10月消費税10%増税はストップを」と願うみなさん、ぜひご参加ください。
  集会終了後は、銀座、東京駅方面にサウンドデモを行います。



「10月消費税10%ストップ!ネットワーク」アピール
 14日、「10月消費税10%ストップ!ネットワーク」の結成記者会見で発表されたアピールは次のとおりです。
   ◇   ◇
 国民のみなさん
 政府は予定通り、2019年10月から消費税率を10%に引き上げようとしています。
 家計消費は低迷し、深刻な消費不況が続いています。実質賃金は伸びず、年金受給額はさらに削られようとしています。金融資産を持たない世帯が全世帯の3割を超えるなど、格差と貧困は拡大する一方です。
 このまま税率が引き上げられれば、地域経済をさらに疲弊させ、中小企業や小規模事業者の営業を脅かし、雇用不安を招くなど国民生活は大変な影響を受けることになります。
 国民のみなさん
 政府が行おうとしている消費税増税のための景気対策は、一時的で対象も限定され、富裕層ほど大きな恩恵を受けるものです。「軽減」と宣伝されている複数税率による混乱も心配されています。
 消費税率引き上げのために莫大(ばくだい)な予算をつぎ込むなど本末転倒であり、本気で景気対策を行うというのなら、消費税10%への増税こそ中止すべきではないでしょうか。
 国民のみなさん
 景気悪化を招き、低所得者ほど負担が重いのが消費税の特徴です。「いま、消費税を上げる時なのか」といった疑問の声が大きく広がっています。
 私たちは「10月消費税10%ストップ!ネットワーク」を立ち上げ、2019年10月からの消費税増税を中止させるために、あらゆる手段を尽くして活動します。
 こうした趣旨に賛同いただき、ともに声をあげていただくことを呼び掛けます。

山口厚史

2019年05月19日 | 社会
山田 厚史(やまだ あつし、1948年1月1日 - )は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社編集委員、デモクラシータイムス代表。

東京都新宿区戸塚町生まれ。筑波大学附属小学校卒業[2]。同志社大学法学部政治学科卒業後、毎日放送制作局ディレクターを経て、1971年12月朝日新聞社入社。青森支局、千葉支局を経て、東京経済部に異動。大蔵省、外務省、日本銀行、自動車業界、金融業界などを担当する。その後ロンドン特派員として欧州経済を担当したのち、大阪経済部次長。1993年4月から経済部編集委員で「国際経済と金融」担当に。同年9月にはハーバード大学ニーマンフェロー。1996年4月、経済担当の特別編集委員となる。2000年8月にはバンコク特派員(アジア経済担当)。
2003年4月、東京経済部兼AERA編集局。2005年4月には朝日新聞編集委員(経済担当)となる。2008年1月より、朝日新聞シニアライター。
1996年からテレビ朝日コメンテーターとして『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ』などテレビへの出演を開始する。1997年4月に政策NPO「構想日本」運営委員に就任。2007年よりイー・ウーマンのサーベイ・キャスター。
2013年4月に株式会社インターネット・ニュース・ジャパンを設立し、同社代表となる。同社はデモクラTVという名で会員向けに時事問題の解説や、討論番組の配信を行っている。
2017年4月からインエターネットメディア デモクラシータイムスにて「山田厚史の闇と死角」などの番組を担当。
2017年の第48回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で千葉5区より立候補するも、落選。

斎藤貴男

2019年05月18日 | 社会
東京都生まれ。東京都立北園高等学校、早稲田大学商学部卒業、英国・バーミンガム大学大学院修了(国際学MA)。『日本工業新聞』、『プレジデント』編集部、『週刊文春』の記者を経てフリー。
主に時事、社会、経済、教育問題等に関して、格差社会や新自由主義、政府による情報統制に対する批判などで知られている。
2007年、『週刊現代』にて「社史から「消えた」創業者とあの「七三一部隊」との関係-“タブー”を追うと見えてきたもの」に寄稿。御手洗冨士夫と七三一部隊が特別な関係にあるという報道をした[1]。キヤノン株式会社と御手洗はこれを名誉棄損として、2億円の損害賠償と謝罪広告を求めて民事訴訟を提起した[2][3]。1審の東京地方裁判所では見出しの内容に名誉棄損があったとして、講談社に200万円の支払いを命じたが、2審の東京高等裁判所でキヤノン側が逆転敗訴。最高裁でも御手洗らの上告が退けられた[4]。
ゴミ屋敷の発生原因を「モノが溢れている現代社会」「人との繋がりが失われた現代社会」に求める。『追跡!AtoZ』(NHK)に出演した際は、「派遣村などの発生からもこの問題は分かる」と、ゴミ屋敷問題と派遣切り問題を結び付けて語った[5]。
消費税の構造に早くから疑念を呈する。2011年11月20日、『日曜討論』(NHK)に出演した際は、「消費税は下請け、つまり赤字経営の中小自営業者に転嫁される。最下層を助けるために、底辺から二番目の層を犠牲にしていいのか」「このままでは自殺者がさらに増えることになる」と前原誠司に詰め寄った[6]。
「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている[7]。
2012年、『「東京電力」研究 排除の系譜』で、第3回いける本大賞を受賞[8]。
2013年4月より、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員[9]。

西田 亮介

2019年05月17日 | 社会
西田 亮介(にしだ りょうすけ、1983年5月10日 - )は、日本の社会学者。専門は公共政策、情報社会論。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員、北海道大学大学院公共政策学連携研究部附属公共政策学研究センター研究員。