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一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

「袖振り合うも他生の縁」

2014年09月28日 | まち歩き

「袖振り合うも他生の縁」

Even a chance acquaintance is decreed [preordained] by destiny. <script type="text/javascript"></script>  - 研究社 新和英中辞典

 Even a chance acquaintance is a divine ordinance. <script type="text/javascript"></script>  - 斎藤和英大辞典

 A meeting by chance is preordained - JMdict


「奄美語」

2014年09月01日 | まち歩き

2009年にユネスコ(国連教育科学文化機関)が、日本では8つの言語が危機にさらされていると発表したうちの一つが「奄美語」です。8つの言語はアイヌ語、八丈語、奄美語、沖縄語、国頭語、宮古語、八重山語、与那国語ですが、アイヌ語、八丈語、を除く6つの言語は全て琉球方言(琉球語)で、これらの言葉は「琉球諸語」と呼ばれています。
言語学の調査研究によると、北は奄美大島、喜界島から南は波照間島、西は与那国島に至る、全長1千kmに及ばんとする広い海域に点在する50余の島々で話されている「琉球諸語」は、『琉球語祖語』が九州から島伝いに南下し、変化したもので、島々に普及するに際しての出発点となったのが「奄美方言」とされており、言語学的にも奄美の言葉は非常に重要であり、研究対象としても注目されています。

しかし、TVなどのマスメディアによる共通語の浸透、そして核家族化や地域コミュニティの衰退などにより、地域文化の継承はより困難な環境に置かれており、各地域における伝統的な方言等は急速に失われています。

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飛鳥II

2014年08月10日 | まち歩き

飛鳥II

飛鳥II(あすかツー)とは、日本郵船の子会社、郵船クルーズが所有・運航している外航クルーズ客船である。2006年2月に売却された「飛鳥」の後継船にあたる。

1990年6月、「クリスタル・ハーモニー(Crystal Harmony)」(バハマ船籍)として三菱重工業長崎造船所で竣工し、アメリカのクリスタルクルーズ社(日本郵船の子会社)に就役した。三菱重工業長崎造船所で大型客船を建造するのは実に50年ぶりであり、知識ゼロの状態で設計・建造された。建造期間は契約後2年間であり、通常の大型客船の3年前後と比較すると短期間で建造された。2006年1月に郵船クルーズが本船を買い取り。日本市場向けの改装を施し、2月末よりの習熟航海を兼ねた日本各地でのお披露目を経て、3月17日に正式デビューした。

2014年8月時点で、日本籍では最大の客船である。

伊東の空を染める1万発以上の花火を飛鳥IIから!伊東按針祭海の花火大会を船上よりご覧いただけます!

お得な子供代金が設定された、ハッピーファミリークルーズです。ベビーシッターも乗船しますので、小さなお子様連れのお客様も安心です。

旅行期間 :
2014年8月9日(土)~8月11日(月)
日数 :
7日間
出発地 :
横浜
旅行代金 :
110,000円~514,000円

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ローソク出ーせー出ーせーよー

2014年07月07日 | まち歩き

ローソクもらい」は、子供たちが浴衣を着て提灯を持ち、夕暮れ時から夜にかけて近所の家々を回ってを歌い、ローソクお菓子を貰いあるくハロウィンに似た習わしである。富良野市函館市では7月7日、その他の多くの地域では8月7日におこなわれ、七夕から盆にかけておこなわれる地域もある。現在も北海道各地でおこなわれているこの「ローソクもらい」は、古くから拓かれた函館や江差などの道南地方や、札幌市など家々の密集する地域でとくに顕著にみられる。

函館の古い習俗を記した安政2年(1855年)の『函館風俗書』(蛯子七左衛門著)には、七夕の習わしとして、子供たちがめいめいにガク灯籠を差し出して、に五色の短冊をつけて、太鼓を鳴らし囃し立てて歩くようすが描かれている。ここではローソクを貰い集めることは記されていないが、灯籠を見せて歩く習わしは、「ねぶたッコ見てくれ」と練り歩く青森県ねぶたの習わしに似ている。

ローソクもらいの日には、学童前から小学校低学年の子供たちが缶灯籠や提灯を手に三々五々集まり、7人前後の集団となって、囃し歌を歌って近隣各戸を訪ねあるく。

「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー噛み付くぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー喰い付くぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにーひっかくぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー ひっかくぞー おーまーけーにーかっちゃくぞー」
「ローソク出ーせー出ーせー出ーせー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー噛み付くぞー」

平塚七夕祭り

2014年07月06日 | まち歩き

平塚は海軍火薬廠があったことから昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け、中心市街地の約70%が焼け野原と化してしまいました。
しかし復興は早く、「戦災復興五ヶ年計画」も一段落した昭和25年7月『復興まつり』が開催されました。そして、ちょうどこの時期が近隣農家の野上りの時期とも重なり非常に多くの人出を見ました。

そこで、平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって昭和26年7月に仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。
昭和27年と昭和28年には「平塚七夕音頭」「紅谷町音頭」「平塚恋しや」が発表され七夕まつりに色を添えました。

そして、昭和32年の第7回七夕まつりからは、平塚市の主催となり、諸産業発展を願い、また平塚を広く全国に紹介する場として重要な役割を果たしており、今日では、日本を代表する七夕まつりに成長しています。

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