朝5:12仙台発の仙石線で、石巻市に行きました。物見遊山で、被災地をこの目でみてきました。
「あー松島や、松島や。。」の松島海岸駅からは、線路の復旧が進んでなく、JR代行バスが運行されていて矢本駅までバスで行く、その後また仙石線の電車に乗り、石巻駅へ着く。
石巻は漫画家の石の森章太郎の故郷で、駅前から漫画ロードと称して、等身大の漫画キャラクター(ブラックジャックなどなど)の置物が通りに並んでいる。駅前は平穏そのもので、津波で水没したとは思えず、わずかに道路上に被害の痕跡が残る。高校生が元気に通学路を歩いている、多分石巻水産高校の生徒だろう。
石巻から、女川町に足を伸ばす。石巻線も寸断されて、渡波駅から女川まではJR代行バスで、女川駅は高台の総合運動場の前が終点。途中、女川町の中をバスが走ったが、海岸から山までの間の民家、商店、工場等は全部津波で流されて、更地になっている。道路だけが整備されていて、他の場所は雑草がはえて何も建物はない。高台には女川町役場、学校、仮説住宅が造られているが、震災ご一年半がたって、震災前の生活が戻りつつあるが、復旧までの道は遠い。
役場の掲示板に、現金108万なにがし、下顎部の骨、大腿部の骨、そして選挙人告示が同列に告示されていた。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、女川町は女川原子力発電所の震度計が震度6弱を観測した(町内の検測所は津波で流失)。 さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った(東日本大震災)。また、港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高)は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8mを記録した。
津波で3階建ての町庁舎も冠水したが、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事であった。女川原子力発電所は高台にあったため辛うじて津波の直撃を免れたものの、発電所を管理する宮城県原子力センターや原子力防災対策センター(双方とも2階建ての建物)は屋上まで冠水し、環境放射線監視システムが壊滅。職員の多くも行方不明となったため、国や県に一時的に報告ができないという状態に陥った。
東北電力は女川原子力発電所の潮位計の記録を解析し、当施設が浸水高13mの津波に襲われていたことを、4月7日に公表した。女川原発の敷地の標高は14.8mであるが、地震で約1m地盤沈下したことが分かっており、計算上、津波は敷地まで80cmの高さにまで迫っていたことが判明した。実際、津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた。なお、最大波から15分ほど後に発生した強い引き波のときには、海水面が下がりすぎて原子炉を冷却するための取水口が3- 5分の間むき出しになっていた可能性もあるという。
町域にある鉄道駅のうちJR石巻線の女川駅は、土台だけを残して駅舎が流失したほか、駅に停車中であった列車や町営温泉の保存車両等が流されるなど、甚大な被害を受けた。また、女川-石巻間では線路が損傷した。
更に鉄筋コンクリート製のビル6棟が基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになる被害も発生した。液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われる。世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針を固めている。
- 3月??日:津波被害で損壊著しい町庁舎に代えて、女川町立第二小学校の校舎2階に女川町災害対策本部が置かれる。
- 3月23日:この時点で判明した人的被害は死者473人・行方不明者620人、物的被害はほとんど詳細不明。
- 3月31日:女川町公式ウェブサイトのホームページが臨時の状態ながら回復する。
- 4月21日:町の有志により、町内をエリアとする臨時災害放送局(FMラジオ 79.3MHz)「おながわさいがいエフエム」が開局し、女川町立第二小学校校庭に設置されたスタジオから24時間体制で放送を開始する。
- 5月26日:この時点で判明した人的被害は死者476人・行方不明者567人・重軽傷者2人、物的被害は全壊3,021棟・半壊46棟・一部破損86棟。
- 6月6日:この時点で判明した人的被害は死者488人・行方不明者454人。
帰路は、女川駅10:05発で、渡波駅へ、石巻線小牛田経由で11:53発、仙台12:35へ。駅中食堂で、 昼食寿司1500円。
13:25仙台発福島行き、5490円、14:55福島15:04郡山16:25黒磯17:47宇都宮18:50新宿から小田急線で登戸、帰宅23:00。