一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

9条の会

2019年01月31日 | 社会
呼びかけ人は以下の9人。※は故人
井上ひさし(作家)※
梅原猛(哲学者)※
大江健三郎(作家)
奥平康弘(憲法学者)※
小田実(作家)※
加藤周一(評論家)※
澤地久枝(作家)
鶴見俊輔(哲学者)※
三木睦子(元内閣総理大臣である三木武夫の妻)※
東大教授の小森陽一などが、運営に関わっている。
世話人会 編集
世話人は以下の12人。
愛敬浩二(名古屋大学教授、憲法学)
浅倉むつ子(早稲田大学教授、労働法)
池内了(総合研究大学院大学名誉教授、名古屋大学名誉教授、宇宙物理学)
池田香代子(ドイツ文学翻訳家)
伊藤千尋(元・朝日新聞記者)
伊藤真(弁護士、日本弁護士連合会憲法問題委員会・副委員長、資格試験予備校伊藤塾・塾長、法学館憲法研究所・所長)
内橋克人(経済評論家)
清水雅彦(日本体育大学教授、憲法学)
高遠菜穂子(ボランティア活動家)
高良鉄美(琉球大学大学院法務研究科教授、憲法学)
田中優子(法政大学総長、江戸文化研究家)
山内敏弘(一橋大学名誉教授、法学博士、憲法学)

N I NBY

2019年01月30日 | 社会
NIMBY(ニンビー)とは、英語: “Not In My Back Yard”(我が家の裏には御免)の略語で、「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉である。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」 「嫌悪施設」などと呼称される。

サンティアゴ巡礼

2019年01月29日 | 社会

■聖地サンティアゴ巡礼
2015年にはじめたスペイン聖地サンティアゴ巡礼5年5回めは「銀の道/Via de la Plata」を計画しま した。
総旅程は2019年 3月30日~5月28日(60日間)
1銀の道(Via de la Plata)
Sevilla→Granja de Moreruela 612.3km(36日間)
2サナブレスの道(Camino Sanabrés)
Granja de Moreruela→Santiago de Compostela367.7km(18日間)
3往復の移動(4日間)
道程はかなり激しいらしく経験者は、次のように例えていました。 「フランス人の道」は、大学サークルの気楽なピクニック 「北の道」は、同好会の少し真面目な集いのハイキング 「銀の道」は、がちがちの体育会系を思わせるトレッキング ・すでに往復航空券、国内航空券、最終の宿等の支払い予約を終えました。 ・スペイン政府救急隊のお世話にならぬよう、毎朝120分のウォーキング40分のストレッチ、10分の ラジオ体操は欠かしません。
※道中FBに投稿してまいります、どうかみなさん応援してください。
・その他 6月7日~6月21日:中山道/下諏訪~草津15日間 6月25日~7月2日:熊野古道/伊勢路8日間 8月1日~8月10日:お遍路/足摺岬~桂浜10日間 8月10日~8月13日:高知よさこい祭り4日間 去年につづき今年ももり沢山です。

大竹まこと ゴールデンラジオ

2019年01月28日 | 社会
大竹まことラジオ金字塔、ライバル伊集院光が祝福
[2019年1月17日14時44分]

大竹まこと
文化放送の看板番組「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(月~金曜午後1時~同3時半)が17日、放送3000回の金字塔を打ち立てた。

12年間、パーソナリティーを務めてきた大竹まこと(69)は「1月17日、木曜日、3000回。今まで1000回も2000回も通過点で、別にどうってことなかったけれど、何か3000回となるとちょっと、違うな。ずいぶん続いたなと思います」と冒頭でうれしそうに語った。

節目の放送3000回を迎えた番組は、ライバル局TBSラジオの顔、伊集院光(51)をゲストに迎えた。伊集院はTBSラジオ「伊集院光とらじおと」(月~木曜午前8時半~11時)に出演中。異色のコラボレーションが実現しラジオトークに花が咲いた。

伊集院は「赤坂からきました。おめでとうございます」とゴールデンラジオの快挙を祝福。大竹は「わざわざ来ていただいてありがとうございます」と感謝した。

大竹から「伊集院さん(の番組)は何年?」と問われた伊集院は「昼間の帯を始めて3年です。昼間を引き受ける決意、いろいろありますけど、まあ一番デカイところでは、浜松町のあの男(大竹)でも出来てるんだからって…」と冗談を飛ばすと、大竹の声に不快感が込められ「ちょっとムッとするけどね」と、やり返した。

伊集院から「(昼のラジオ出演を)引き受けるのに勇気が必要だったでしょう」と聞かれると、大竹は「事務所が決めたこと。おれは番組へのオファーは全部で5回断った」と当初はゴールデンラジオへの出演に二の足を踏んでいた内情を明かした。その上で「3000回を振り返って、やっていて良かったと思う」と足かけ12年の足跡について、満足感を得られた心境を語った。

番組は2007年(平19)5月7日にスタートした。初回から大竹の木曜パートナーとして出演してきた光浦靖子(48)も「すごいね。がんばりましたね」と感無量の様子だった。

番組は12年前の放送開始からわずか7カ月で同時間帯の聴取率首位に躍り出た。その後もライバル局の人気番組と長く首位争いを展開してきた。


賀川豊彦

2019年01月27日 | 社会
賀川豊彦

1939年、アメリカで出版された「Three Trumpets Sound」という本で、ガンジー、シュバイツァーと並び20世紀の三大聖人と称された日本人がいた。その人の名は賀川豊彦。当時、賀川豊彦は生活に苦しむ貧しい人々を救済する活動に我れを顧みず取り組んだ。
その一方で、彼は大正時代に空前絶後の400万部を超えるベストセラーの小説を書く文学者でもあった。自伝的小説「死線を越えて」では、自身の前半生を重ね合わせた主人公が弱者を救い、しいたげられていた労働者のため、労働争議などで問題を解決する様が力強く描かれた。また、この小説は当時の日本が抱える社会問題を浮き彫りにする記録的な側面をも持ち合わせ、歴史的に意義のある作品になった。実は、日本人で初めてノーベル文学賞と平和賞の候補になったのは、賀川豊彦だ。この作品を読んだ、後のノーベル賞作家・大江健三郎に、「なんて面白い小説なのか…。あんなにも多くの読者の心をつかむ作品を書くことは、とても自分にはできない」といわしめている。
賀川豊彦は、大正から昭和にかけて社会運動家として弱者救済を訴え、「労働組合」「生協」「農協」など、現在にまで続く日本の相互共助の基礎を作り上げた。「21世紀の日本をグランドデザインした男」呼ばれる、賀川豊彦の人生に迫る。

土井善晴 美食探訪

2019年01月26日 | 社会
今、最も旬の料理研究家である土井善晴が全国各地の市場を巡り知られざる「美味しい物」そして、今、食べるべき究極の逸品を紹介します!
さらに巷で話題の一流店を、料理研究家ならではの目線でグルメリポート!
料理人のプロだからこそわかる、名料理のウラ側やその美味しさの秘密に迫ります!
全編を4Kカメラで撮影、究極の逸品を美しい映像でお届けします!

プロフィール
土井善晴 1957年大阪生まれ。
おいしいもの研究所代表 料理研究家。
大学卒業後、スイス、フランス、大阪にて料理修業。
土井勝料理学校勤務の後、1992年に独立。
十文字女子大学特別招聘教授/甲子園大学客員教授/東京造形大学・学習院女子大学非常勤講師。
和食文化を未来に繋ぐために「和食の初期化」、持続可能な家庭料理のスタイルを提案。

近代文学

2019年01月25日 | 社会

2018年4月~6月放送予定

「カリスマ講師に学ぶ近代文学の名作」

講師:出口 汪(でぐち・ひろし)広島女学院大学客員教授・予備校現代文講師

受験生から圧倒的人気を誇る予備校のカリスマ講師として知られている出口汪さんは「コンピュータは多くの知識・情報を扱うが、教養は人間独自のもので、そうした教養を身につけるには、過去の文学作品の名作に触れることが重要」と語ります。
「名作とは、時代を超えて人に感銘を与える普遍的なもので、そうした名作を深く読みとることにより、私たちの世界が深まり、また様々な角度から物事をとらえ直すことができる。ただし、そうした読み方を可能にするためには、鑑賞の仕方を知らなければならない」と出口さんは言います。
今回は、予備校のカリスマ現代文講師の出口さんに、文豪として知られる森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郞、太宰治など近代文学の名作をその文学史的背景を抑えながら真の教養を身につけていくためにはどのように鑑賞していけばよいのかをお話し頂きます。

出演者プロフィール

出口 汪(でぐち・ひろし)広島女学院大学客員教授、株式会社水王舎代表取締役、東進衛星予備校現代文講師。関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現代文講師として、入試問題を「論理」で読解するスタイルに先鞭をつけ、教室が満員となり、受験参考書がベストセラーになるなど受験生から絶大なる支持を得る。そして、論理力を養成する画期的なプログラム「論理エンジン」を開発、多数の学校で採用されている。著書多数。

第1回 4月5日 プロローグ 教養と文学
第2回 4月12日 森鴎外「舞姫」の世界その1
第3回 4月19日 森鴎外「舞姫」の世界その2
第4回 4月26日 夏目漱石「道草」の世界その1
第5回 5月3日 夏目漱石「道草」の世界その2
第6回 5月10日 夏目漱石「こころ」の世界その1
第7回 5月17日 夏目漱石「こころ」の世界その2
第8回 5月24日 芥川龍之介の世界 「地獄変」その1
第9回 5月31日 芥川龍之介の世界 「地獄変」その2と「或阿呆の一生」
第10回 6月7日 近代文学史
第11回 6月14日 谷崎潤一郎「春琴抄」の世界
第12回 6月21日 太宰治「晩年」の世界
第13回 6月28日 太宰治「人間失格」の世界

こころ

2019年01月24日 | 社会
「もの」と「こころ」をつなぐ回路、心理臨床、幸福研究、グローバル定常型社会、知覚、社会脳、ヒトとサル…。数々のユニークな切り口から、第一線の思想家・研究者が縦横に語る。「京都こころ会議」発、充実のレクチャー。
目次
講演1 「もの」と「こころ」の統一へ
講演2 こころの歴史的内面化とインターフェイス(こころのオープンシステムとクローズドシステム
西洋におけるこころの内面化の歴史 ほか)
講演3 ポスト成長時代の「こころ」と社会構想(現在という時代をどうとらえるか
こころとコミュニティ・まちづくり ほか)
講演4 こころの潜在過程と「来歴」―知覚、進化、社会脳(「来歴」とは?
「来歴」によって、多くの謎が解ける ほか)
講演5 こころの起源―共感から倫理へ(黄金律とダーウィンの疑問
類人猿の共感能力 ほか)
まとめにかえて―閉じることと開くことの逆説

村上春樹の物語

2019年01月23日 | 社会
2019年1月~3月放送予定

「心理学者 河合俊雄が読み解く村上春樹の「物語」」

講師:河合 俊雄(かわい・としお)京都大学こころの未来研究センター教授

代表作『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめとした世界的なベストセラー作家として知られる村上春樹さんの作品を、著名な心理学者である河合俊雄さんが心理の面からアプローチし読み解いていきます。現代的な世界に、神話的モチーフが融和していると言われる村上作品を通してなぜ私たちが「物語」に惹かれるのかを探っていきます。
番組では毎回村上さんの作品を紹介し解説頂きます。
出演者プロフィール

河合 俊雄(かわい・としお)1957年生まれ。1982年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。Ph.D.(チューリッヒ大学、1987年)、ユング派分析家資格取得(1990年)。甲南大学助教授、京都大学大学院教育学研究助教授を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授・センター長。専門は臨床心理学。主な著書に、『村上春樹の「物語」-夢テキストとして読み解く―』(新潮社)、『心理臨床の理論』(岩波書店)、『ユング』(岩波現代文庫)、『ユング派心理療法』(創元社、編著)、『発達障害への心理療法的アプローチ』(創元社、編著)など。
第1回 物語・夢のリアリティ:「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
第2回 現代のリアリティ:バラバラとデタッチメント『風の歌を聴け』
第3回 性と暴力:『ノルウェイの森』、『1Q84』
第4回 解離と向こうの世界:『海辺のカフカ』
第5回 作中物語:『1Q84』
第6回 垂直性:「パン屋再襲撃」
第7回 大切な人と向こうの世界の喪失:『スプートニクの恋人』
第8回 現実へのコミット:『ねじまき鳥クロニクル』
第9回 インターフェイス(夢と現実を超えて):『色彩のない多崎つくる・・』
第10回 第三者と縁:『騎士団長殺し』
第11回 現実への帰還:『騎士団長殺し』
第12回 偶然とリアリティ:「偶然の旅人」


「心理学者河合俊雄が読み解く村上春樹の“物語”」(1)<全12回>【『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』物語・夢のリアリティ】

村上春樹の作品を心理学者で京都大学こころの未来研究センター所長・教授の河合俊雄さんが読み解くシリーズです。春樹作品には「自己とは何か」という問いがよく出てきます。村上春樹はその問いを別のものに置き換えて描いています。この方法は心理療法でも使われる方法だと講師は語ります。作品がどのような世界やリアリティを見せてくれるのか、心理学者ならではの視点で読み解いていきます。

南極観測船

2019年01月22日 | 社会
日本においては1957年(昭和32年)から1962年(昭和37年)までの南極観測船運用(第1~6次)は海上保安庁により行なわれたが、1965年(昭和40年)から海上自衛隊により運用が行なわれている。南極地域の観測及び南極地域観測隊の日本と南極との往復に以下の艦船が用いられた。

初代:宗谷(1957~1962)
2代:ふじ(1965~1983)
3代:初代しらせ(1983~2008)
4代:しらせ・2代目(2009~)
このうち宗谷は、もともと南極観測船として造られたものではない。宗谷は第二次世界大戦前にソビエト連邦の発注により造られたがソ連に引き渡されずに日本海軍に買収され特務艦として太平洋戦争に従事、戦後は紆余曲折を経て海上保安庁に編入され当初は灯台補給船として活躍していたものである。

なお、2008年度の往復にはオーストラリアの民間砕氷船オーロラ・オーストラリスが用いられた。

BS-TBS 報道19:30

2019年01月21日 | 社会
BS-TBSが2000年12月の開局以来、初めて放送する平日の大型報道情報番組である。日本のBS放送ではすでに他局が『BSフジLIVE プライムニュース』(BSフジ)や『深層NEWS』(BS日テレ)などの報道番組を看板に据えており、本番組の始動は他局に「殴り込み」を仕掛ける体裁となった。
メインキャスターには『NEWS23X』(TBS)や『週刊報道 LIFE』(BS-TBS)などでキャスターを務めてきたTBS記者の松原耕二を起用し、月曜日と木曜日のサブキャスターには『ひるおび!・午前』内包の『JNNニュース』(TBS)からの異動となるTBSアナウンサーの高畑百合子、火曜日・水曜日・金曜日のサブキャスターには『週刊報道 LIFE』で松原とコンビを組んできたTBSアナウンサーの出水麻衣がそれぞれ起用されることとなった。
月 - 金曜日19時30分という本番組の放送開始時刻は、19時開始の『NHKニュース7』(NHK総合)が終了し、月 - 金曜日20時開始の『BSフジLIVE プライムニュース』が始まる前の時間帯となる。BS-TBS編成局編成部長の佐藤秀一は、2018年9月4日に行われた同局の改編説明会で、「本番組の最大のポイントは、夜の7時30分からスタートするところ」「NHKさんから流れてくる、もっと深くニュースを知りたい、聞きたいという“ニュースコア層”をBSフジさんに先駆け、取り込んでいくことが最大の狙い」「地上波を含め、ニュースがない報道の未開拓ゾーン。ここにくさびを打ち込んで、BS-TBSが旗を立てる」とアピールしている。

報道19:30 保坂政康

2019年01月20日 | 社会
保阪正康氏が語る「明治」「大正」「昭和」「平成」
そして次の時代には何が?
保阪氏が見た天皇陛下の平和への思いとは?
政府に「明治」回帰の動き? そのとき天皇陛下は?
「起承転結」の明治・大正・昭和・平成…次の時代は?

"明治の国の形"
帝国主義国家 イギリス、オランダ
帝国主義国家的道義国家
自由民権国家 フランス
連邦国家 アメリカ

ゲスト
保阪正康(現代史研究家・ノンフィクション作家)

岩波新書

2019年01月19日 | 社会
旧赤版
1938年11月20日-1946年10月10日
101点
青版
1949年4月5日-1977年4月22日
1000点
黄版
1977年5月20日-1987年12月21日
396点
新赤版
1988年1月20日-現在進行形
1000点超

生きて帰ってきた男
――ある日本兵の戦争と戦後
新赤版
小熊 英二
2015/6/20

(株)貧困大国アメリカ
新赤版
堤 未果
2013/6/28

詩のこころを読む
ジュニア
茨木 のり子
1979/10/22

和漢診療学――あたらしい漢方
新赤版
寺澤 捷年
2015/11/21

砂糖の世界史
ジュニア
川北 稔
1996/7/22

魔女狩り
青版
森島 恒雄
1970/6/20

原発プロパガンダ
新赤版
本間 龍
2016/4/21

子宮・卵巣がんと告げられたとき
アクティブ
まつばら けい
大島 寿美子
2003/12/5

ビジネス英語の第一歩
アクティブ
ハイディ 矢野
2002/9/5

プルトニウムの恐怖
黄版
高木 仁三郎
1981/11/10

バタフライエフェクト

2019年01月18日 | 社会

 初期のごく小さな差違が、将来的に予測不能な大きな違いを生じるというカオス理論を効果的に取り入れた異色サスペンス。“バタフライ・エフェクト”とは、カオス理論を“一匹の蝶が羽ばたいた結果、地球の裏側で竜巻が起きる”という喩えで表した有名な言葉。主演は「ジャスト・マリッジ」のアシュトン・カッチャー。愛する者を救うため、過去を書き換えようとした男が体験する想像を超えた出来事をスリリングに描く。
 少年時代、エヴァンは記憶を喪失する“ブラックアウト”を起こすことがしばしばあった。そこで、精神科の医師の勧めに従い日記をつけるようになるエヴァン。そんなある日、エヴァンが13歳の時、ひとつの出来事が原因で幼なじみケイリーとの仲が引き裂かれてしまう。しかしその時にも彼にはブラックアウトが起きていた。やがて大学生となり、ブラックアウトもなくなり平穏な日々を送っていたエヴァンは、ふと幼い頃の日記を手にとる。すると突然13歳のあの時の記憶が鮮明に蘇った。やがてケイリーのその後の運命を知ったエヴァンは、彼女への想いのあまり、ある行動に出るのだが…。

ラストエンペラー

2019年01月17日 | 社会
溥儀の自伝『わが半生』を原作に、ベルナルド・ベルトルッチが監督、脚本を兼任した。メインキャストである溥儀の青年時以降の役は、香港生まれの中国系アメリカ人俳優のジョン・ローンが演じた。
西太后による溥儀に対する清朝皇帝指名と崩御を描く1908年からスタートし、所々に第二次世界大戦後の中華人民共和国での戦犯収容所での尋問場面を挟みつつ、満州国の皇帝になり、退位し連合軍に抑留された後、文化大革命のさなかに一市民として死去する1967年までの出来事をメインに溥儀の人生を描く。歴史的事実には重きをおいておらず、大胆な創作が随所に盛り込まれている。
清朝及び満州国を舞台にした映画であるが、中国系アメリカ人俳優が主なキャストを占めており、主な台詞は英語であったり、独自の脚色も多い。故宮で世界初のロケーションを行われたことが公開前から大きな話題を呼んだ。観光名所として一日5万人が訪れる故宮を、中国共産党政府の全面協力により数週間借り切って撮影が行われた。色彩感覚豊かなベルトルッチの映像美は圧巻の一語に尽きると高い評価を受けた。特に故宮太和殿での即位式の荘厳、華麗なシーンは映画史に残る有名なシーンとなった。
一方で、他にも中華人民共和国で同じテーマの映画やテレビドラマが作られた上、当時は同国政府による外国映画の上映・放映規制が現在より厳しかったこともあり、アカデミー賞作品賞を受賞した作品であるにもかかわらず、映画の舞台となった中華人民共和国での知名度は高くない。
第60回アカデミー賞作品賞[3]並びに第45回ゴールデン・グローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。
後に219分のオリジナル全長版もVHSやDVD、ブルーレイのソフトで発表された。2011年からは2年をかけて劇場公開版フィルムを全面修復。2013年のカンヌ国際映画祭で「3D版」として公開され、イタリアにてブルーレイ化された。
あらすじ[編集]


作中、溥儀が自転車で走った場所
1950年。第二次世界大戦の終結による満州国の崩壊と国共内戦の終結により、共産主義国である中華人民共和国の一都市となったハルビン駅の構内。5年間にわたるソビエト連邦での抑留を解かれ、中華人民共和国に送還された「戦犯」達がごった返す中で、列から外れた1人の男が洗面所で自殺を試みる。男は監視人の手により一命を取り留めるものの、薄れ行く意識の中で幼い日々の頃を思い出していた。この男こそ清朝最後の皇帝にして満州国の皇帝、紀元前以来から続く中国王朝の最期の皇帝「ラスト・エンペラー」と呼ばれた愛新覚羅溥儀その人であった。
1908年11月14日、北京。清朝第11代皇帝・光緒帝の崩御に伴い、長きに渡って清朝の最高実力者として君臨してきた西太后は溥儀を紫禁城へ呼び出す。事態を察知した溥儀の実母福晋幼蘭は、乳母アーモに溥儀を託す。物々しい様子の宮中で、溥儀は動じることなく、無邪気に「お家に帰れる?」と繰り返すばかりであった。瀕死の西太后は、溥儀を皇帝に指名して崩御する。即位式の日、家臣たちが三跪九叩頭の礼で新皇帝に拝礼する最中、溥儀はコオロギの鳴き声を追って列中を歩き回る。そして居場所を突き止めると、コオロギを入れ物ごと家臣から譲り受ける。
再び、1950年、一命を取り留めた溥儀は、中華人民共和国の戦犯として撫順の政治犯収容所(撫順戦犯管理所)に送られる。そこの所長は溥儀を助けた男だった。そこで待っていたのは「戦犯」としての自己批判の強要や要人の立場を奪われた生活習慣だった。そこで溥儀は厳しくも善良な所長相手に、孤独で不遇だった私生活を「すべては、(空虚な)儀式でしかなかった」と振り返り、過去を回想していく。
収容所では、実弟の溥傑と再会する。紫禁城を出ることが認められず、宦官ら大人にかしずかれて育った溥儀にとって、溥傑は初めて出会った同世代の子供であり、大切な存在となった。しかしながら、乳母のアーモからは依然として乳離れできず、溥傑の目を盗んでアーモの乳房に顔をうずめる。その様子を、先帝妃たちが見ていた。ある日、溥傑が皇帝しか許されないはずの黄色い衣服を着ていたことから、兄弟喧嘩となる。溥傑は「兄ちゃんは皇帝じゃない」と言い、すでに辮髪もしない洋服の新しい「皇帝」がいると話す。溥儀は皇帝である証明に、宦官に命令して墨汁を飲ませるが、溥傑は自動車に乗った袁世凱が、新たな皇帝として君臨する姿を見せる。ショックを受け、宦官らに問いただすと「紫禁城の外では皇帝ではないが、紫禁城の中では皇帝である」と説明を受ける。そしてアーモは紫禁城を追放され、溥儀は彼女を必死で追うが、会えずに終わる。アーモは乳母以上に、初恋の女性だった。
再び1950年代、収容所所長は溥儀の過去を知るため、家庭教師だったレジナルド・ジョンストンが記した『紫禁城の黄昏』[4]を開く。学生のデモで物々しい北京市街を経て、ジョンストンは紫禁城へ赴く。城内は城外と打って変わって旧態依然としており、伝統や慣習がそのまま息づいていた。10代になった溥儀は知的好奇心旺盛で、盛んに城外へ出たがっていた。ジョンストンは家庭教師として、勉強だけでなく城外の知識や常識を溥儀に与え、溥儀にとって信頼できる友人となる。1921年、溥儀の実母が逝去し、溥儀は自転車で城外へ出ようとするが、衛兵に妨げられる。さらに城外へ出ようと屋根に上った際、頭を打ち、西洋人の医師から「眼鏡をかけないと失明する」と診断される。先帝妃らや宦官は反対するが、ジョンストンは眼鏡を認めないなら、紫禁城の腐敗を新聞を通じて世界に伝えると言い返す。
眼鏡を認められた溥儀が最初に見たものは、お妃候補たちの写真であった。17歳の婉容を皇后に、12歳の文繍を淑妃(第2皇妃、側室)に選ぶ。古式ゆかしい婚礼が行われ、婉容と文繍は友情を結ぶ。彼女を古風な女だと思っていたが、実際には溥儀の理想通り、外国語が話せてダンスが踊れる「モダンな妻」であった。溥儀は2人でオックスフォードへ留学したいという夢を語り、婉容も彼を気に入り好きになりそうだと、互いに好印象を抱く。
再び1950年代、溥儀は日本と接近した経緯と理由を激しく詰問される。成長した溥儀は、もはや城外への脱出ではなく改革を志すようになっていた。その始まりは辮髪の断髪と、宦官らの不正を露呈させるための美術品目録作成であった。その夜、不安を感じた婉容は自ら溥儀の寝所を訪れる。さらに文繍も現れ、3人で仲睦まじく過ごすが、屋外では炎が燃え盛っていた。一部の宦官らが、証拠隠滅のため美術品ごと建福院に放火したのであった。溥儀は激怒し、共和国軍の支援も得て1000名以上の宦官を全て追放する。日本への接近が決定的となったのは1924年、北京政変だった。溥儀を対象としたクーデターで、溥儀ら一族は1時間以内の退去を命じられる。ついに溥儀は紫禁城を離れることとなった。ジョンストンはイギリス大使館へ連絡して庇護を求めるが、国際問題になることを恐れ受け入れず、結局溥儀に手を差し伸べたのは、同世代の天皇もおり親近感もあった大日本帝国のみだった。
日本の庇護下、天津での生活は、軍閥との交渉はあったものの、総じて楽しいものだった。溥儀と婉容は「ヘンリーとエリザベス」となり、社交界でも注目の的だった。一方、文繍は紫禁城の外では(社会的に)妻として認められず、孤独な思いから離婚を望んでいた。ダンスパーティーの最中、蒋介石の上海制圧のニュースが伝えられ、居合わせた欧米人らが拍手喝采する中、輪から外れた溥儀らに甘粕正彦が「日本公使館へお越し下さい」と誘いかける。文繍は車中で離婚の意思を告白し、混乱の中ついに出奔する。友を失った婉容の護衛のため「東洋の宝石」(Eastan Jewel)こと川島芳子が現れる。彼女は溥儀の遠縁であり、あらゆる情報に通じていた。彼女は清朝の陵墓(清東陵)が国民党により略奪されたニュースをもたらし、溥儀を激しく憤慨させる。そして芳子は、婉容にアヘンを勧める。
再び1950年代、溥儀が自発的に満州国皇帝になろうとしたか否か、激しく論争が起こる。溥儀自身は告白には「日本に誘拐された」と記したが、ジョンストンは『紫禁城の黄昏』に溥儀が望んだと記していた。そして、かつての使用人も天津出立前日に荷造りをしたと告白していた。当時、溥儀は満州国の支配者の家系に生まれた自分抜きで満州国の成立はあり得ないと考えていた。清朝復活に魅かれる溥儀に対し、婉容は慎重な姿勢を示す。所長は事実を思い出せ、と『紫禁城の黄昏』を溥儀の目の前に置く。


満洲国皇帝時代の溥儀
1934年に、溥儀はついに満州国皇帝となる。告天礼が行われた後、即位を祝う舞踏会の最中、婉容は涙を流しながら蘭の花を食べる[5]異常な様子を示す。溥儀は婉容をたしなめるが、彼女は日本の傀儡でしかない現状だけでなく何故自分を抱かないのか抗議する。溥傑の横で客人から挨拶を受ける嵯峨浩[6]を見やり、自分も彼女のように子供が欲しいと訴えるが、溥儀はアヘン中毒が理由だと説明し、訪日にも連れて行かないと告げる。宴を中座した婉容は、芳子の導きでアヘンと同性愛関係に溺れていく。
日本で歓迎を受けた溥儀が帰国すると、満州国内の様子が異様だった。国務総理大臣鄭孝胥(Zhèng Xiàoxū)は息子の暗殺を機に隠棲し(=辞職に追い込まれ)、代わって軍政部大臣張景恵(Zhāng Jǐnghuì)が関東軍の推薦の元、溥儀から後任の承認を得ようとしていた。御前会議の場で、溥儀は自分のあずかり知れないところで決められていた張の首相就任を認めないばかりか、諸外国からも承認されつつある独立国として日本のみならず各国と対等な関係を築こうと話すが、関東軍の息のかかった家臣は次々に退席する。
夕食の席で、婉容は溥儀に懐妊を告げる。相手は満州人の男で、溥儀のためにもなると話す。そこへ甘粕が現れ、承認のサインをするよう迫る。溥儀は皇后の懐妊を告げ、満州国の後継者が誕生すると強気に出るが、甘粕は逆に相手の男の名を溥儀に教える。溥儀は帝室の名誉のため、傀儡となることを余儀なくされる。やがて婉容は出産するが、生まれた子はすぐ殺害され婉容は静養のため皇宮を離れる。溥儀は彼女を必死で追うが、会えずに終わる。その様子を見ていた甘粕と芳子は指を絡めあうのだった。
再び1950年代、戦犯たちに対し中国共産党視点での歴史映画が放映される。大日本帝国は満州で侵略の足場を固め、上海での無差別爆撃、南京での20万人以上の虐殺、真珠湾奇襲、そして満州における細菌戦のための人体実験にアヘン生産――満州の映像が流れたとき、溥儀は思わず立ち上がる。日本の敗戦、そして満州国の滅亡により、溥儀は溥傑の勧めにより日本への亡命を図る。出立直前、皇宮に戻った婉容と再会するが、中毒症状で変わり果てた姿の彼女はもはや会話が成立する状態ではなかった。そして亡命の途上、ソ連に捕えられたのであった。
溥儀は、共産党政府が用意したあらゆる「告白」に一転して署名を行った。1959年に特赦により収容所を出所する。文化大革命の嵐が吹き荒れようとしていた折、一介の庭師として植物園に職を得ていた溥儀は、紅衛兵のデモの中に罪人として引き回され晒し者にされているかつての収容所所長の姿を見つける。紅衛兵に話しかけ懸命に庇おうとする溥儀であったが、徒労に終わり所長は連れ去られていく。
溥儀はその足で街をさすらい、博物館として一般公開されている紫禁城へ、そしてかつては自分のものだった玉座へと赴く。そこには彼の顔も知らない博物館の守衛の子供が一人いるだけだった。玉座への立入をとがめる子供に「昔ここに住んでいた」と語る。溥儀は皇帝だった証拠として、幼い頃玉座の隅に隠し持っていたコオロギの壷を手渡す。そして子どもが目を上げたとき、そこにはもう溥儀の姿はなかった。
時代は移り、1987年(公開当時の「現在」)。歴史を直接に知らない国内外から訪れた大勢の観光客たちが紫禁城を訪れ、騒がしさのなかで溥儀の玉座を眺めるのだった。