一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

原爆災害

2018年04月30日 | 社会
 1945年8月6日、ヒロシマに原爆が投下されました。8月9日ナガサキに原爆が投下されました。日本は世界で唯一の被爆国となりました。

 今回最初にご紹介する書籍『原爆災害―ヒロシマ・ナガサキ』は、1979年に出版された原爆災害の学術的研究の集大成というべき『広島・長崎の原爆災害』を底本にその主な内容を要約した普及版として、被爆40年の年1985年に岩波書店より刊行(2005年に岩波現代文庫に収録)されたものです。
 本書に多くの説明は要りません。原爆投下直後の貴重な写真、広島原爆医療史や長崎原爆戦災史、米国戦略爆撃調査団の報告などにもとづく詳細かつ克明な資料。何よりも事実が雄弁に物語ります。長期間にわたる調査を続けられた関係者の努力とあわせて、これらの記録を後世に伝え残そうとされた数多くの人々の努力も忘れてはならないでしょう。記憶を歳月に風化させないために、改めてアーカイブの必要性を痛感します。
 先に“唯一の被爆国”、と書きました。しかし、被爆された方々の“二度と私たちと同じ被爆者をつくってはならない”という願いを裏切って、世界でまた“ヒバクシャ”が生まれているのではないでしょうか。

報道されなかったイラク戦争

2018年04月29日 | 社会
 書籍『報道されなかったイラク戦争』の表紙。タイトルの下に“これはヒロシマ・ナガサキだ!”とあります。湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の被害者の息子、不幸にも7歳でがんを発症した「被爆2世」のガフィル君。「(イラク戦争での劣化ウラン弾使用後)彼の腫瘍はみるみる大きくなり、‥‥ガフィル君は2重に被爆したのである。」(p.32)
 本書は、日本のマスメディアが引揚げた後のイラクで、著者自身が激戦地の今を生きる人びとに体当たりで取材した体験にもとづいて書かれています。だからこそ、イラクの現状が迫力ある筆致で伝わってきます。同時に、本書で著者は、中東の歴史をさかのぼってブッシュとフセインとの“密接”な関係について言及し(第4章フセインとアメリカの本当の関係)、またイラク戦争の背後にあるものを指摘しています(第5章戦争の民営化―巨大ビジネスとしての戦争―)。一般マスメディアが掴んでいなかったイラクの実態、そして一般マスメディアが口をつぐんだイラク戦争の本質。二重の意味で、文字通り“報道されなかった”イラク戦争の真実がここにあるのです。

坂本一亀

2018年04月28日 | 社会
1943年、日本大学法文学部国文学科を繰上卒業し、学徒出陣。佐賀と満洲の通信隊にいたとされる。敗戦3ヵ月後に復員。故郷に帰り、文学書に読み耽りながら小さな同人誌をやっていたところ、元河出書房社員の眼にとまったのがきっかけとなり、1947年1月河出書房に入社。1947年7月、待望の編集部に移り、『ドストエフスキー全集』の訳者米川正夫の担当となる。同月、伊藤整、瀬沼茂樹、平野謙の三人を揃えて文芸評論全集を企画。

以後、野間宏「真空地帯」、椎名麟三「赤い孤独者」、三島由紀夫「仮面の告白」、島尾敏雄「贋学生」、高橋和巳「悲の器」など戦後文学の名作を次々と手がけ、純文学編集者として名を馳せた。

1957年、河出は1度目の倒産を経験したが、坂本は残務整理にあたる再建要員として残された。1962年から1964年まで雑誌『文藝』の編集長。1978年に退社。構想社を設立した。

音楽家坂本龍一は長男。時折インタビュー等で父のことを語っている。孫の坂本美雨も歌手として活動している。

インカ帝国とスペインの長い交錯

2018年04月27日 | 社会
征服と融合が生んだ植民地空間に生きる人々 スペイン支配下のアンデスで、インカはいかに命脈を保ったか。多様な混血集団、ユダヤ商人の活動、インディオの反乱。帝国の衝突がもたらした新たな社会の歴史。

先住民と征服者。征服と融合、服従と反乱。アンデスの大地は揺れた。

近代ヨーロッパの覇権

2018年04月26日 | 社会
ユーラシアの最果てがなぜ世界を制覇したか 大航海時代に世界を一体化し、科学の進歩と工業化で世界を制覇。国民国家からEUによる地域統合へと、常に世界秩序を形成してきたヨーロッパの功罪を問い直す。

長くアジアの後塵を拝してきたユーラシア極西部の国々は、いかに世界を圧倒し、現代にその余波を及ぼしたか。「大航海時代」や幾多の戦乱と革命、工業発展を経て、一九世紀の世界に覇を唱えたヨーロッパが、第一次世界大戦で破局を迎えるまでの光と影を描く。

モンゴル帝国と長いその後

2018年04月25日 | 社会
ユーラシアを席巻した大帝国の残像を追う チンギス・カンの権威と統治システムは、帝国解体後も各地に継承された。ロシア、中東、ヨーロッパ、そしてアフガン。ポスト・モンゴル時代の世界史を書き換える

チンギス・カンが創始し、ユーラシアをゆるやかに統合した「大モンゴル国」。その権威と統治システムは、ポスト・モンゴル時代にも各地に継承されていった。ロシア、中東、ヨーロッパ、そしてアフガンの現在―。西欧中心の「知の虚構」を廃し、新たな世界史の地平を開く。

イスラーム帝国のジハード

2018年04月24日 | 社会
講談社創業100周年記念出版 刊行開始!

この「大征服」は、誰にも予想できなかった

文明の空白地帯、7世紀のアラビア半島で誕生したイスラーム。世界帝国を創出した共存と融和の原理とは。20世紀初めに、最後のイスラーム帝国が滅んだとき何が起こったのか。現代にいたる「力による布教」のイメージを問い直す。

■イスラームの誕生から、ビン・ラーディンまで、歴史と現代を1冊でとらえる!
現在も日々報道されるイスラーム世界の紛争や混迷――。これらは、イスラーム社会の歴史のなかで生じた根深い問題だといえるでしょう。しかし、従来こうしたイスラーム世界の諸問題は、20世紀初頭のオスマン帝国崩壊までを扱う前近代史か、逆に、20世紀の「現代中東政治」の文脈で解説されることが多く、私たち日本人にとっては全体像がみえにくいジャンルでした。本書の著者・小杉泰氏は、イスラームの誕生から、帝国の発展、衰退、そしてまさに今現在のイスラーム復興運動までを大きくひとつの流れとしてとらえる数少ない研究者です。

■イスラームがめざしたものは、国家でも帝国でもなく、「社会」だった
イスラームは何より宗教に基づく社会の建設をめざしました。イスラームの教えに立脚した社会生活を営むために必要な規律や仕組みが、ムハンマドを慕うごく少数の信徒の集まりから、共同体、国家へと発展していく過程で形成されていったのです。歴史上のイスラーム帝国は解体し栄光とともに消え去っても、イスラームがその強さを失わないのは、そのあたりに理由があるのでしょう。

■ジハードは「聖戦」か? 「右手に剣、左手にコーラン」は西欧の偏見だった
近年では、9.11同時多発テロ事件をきっかけとして、イスラームの「ジハード」に強い社会的関心が集まり、ジハードをテロと結びつける短絡的な議論さえ生まれています。小杉氏は「ジハードはしばしば聖戦と訳されるが、それはごく一面に過ぎない」「イスラーム世界と国際社会が有意義な対話と問題解決に臨むためには、ジハードを本来の意味で理解することが必要である」と述べています。

大英帝国の経験

2018年04月23日 | 社会
解体と再編の歴史から、現代を読み解く
未曾有の世界帝国は、「アメリカ喪失」から始まった

連合王国にとって、アメリカを失うという経験こそが、19世紀、ヴィクトリア朝の帝国ネットワークを築く画期となった。奴隷貿易の支配者から博愛主義の旗手へ、保護貿易から自由貿易へ。植民地喪失と帝国再編に揺れ続けた国民のアイデンティティ。帝国となった島国の経験とは、どのようなものだったのか。

■イラク、アフガニスタン、アイルランド…現在の世界が抱える問題の根幹に触れる
アイルランド、インド、オーストラリア、カナダ、南アフリカ、中東、香港……世界中いたる所にその足跡を残した大英帝国。この拡大は、紅茶や石鹼などの生活革命を世界的に広める一方で、時には深刻な問題の種を植民地に蒔く結果ともなり、その影響は現代にまで及んでいます。大英帝国を知ること、それは「今を知る」ことに他なりません。

■大陸の片隅にある島国の「帝国への伸張」は、「アメリカ独立」から始まった!
これまでイギリス史のうえで「例外的なエピソード」として捉えられてきた「アメリカの独立」。井野瀬氏はこの出来事以前と以後のイギリスという帝国の性格の違いに着目し、むしろこの喪失の「経験」こそが、のちに未曾有の発展を遂げる大英帝国の基礎になった、と述べています。保護貿易から自由貿易へ、奴隷貿易の支配者から博愛主義の旗手へと変容を遂げた帝国の内実が、手に取るように理解できます。

■今なおイギリスを揺さぶる「奴隷貿易」の過去
昨今、わが国では従軍慰安婦問題が取り沙汰されていますが、奴隷貿易廃止法制定200周年にあたる2007年、英国では「奴隷貿易の支配者」であった過去を踏まえ、「謝罪」のあり方について、国民の間で議論が沸騰しています。イギリスでは欧米諸国に先んじて奴隷制度が廃止されましたが、本書には、どのような人びとが尽力し、どのような経緯を経て、またどのような事情から廃止に至ったのかが、生き生きと描かれています。

NHK 人間講座

2018年04月22日 | 社会
NHK人間講座(エヌエイチケイにんげんこうざ)は、1999年4月5日から2005年3月30日まで毎週月曜日から水曜日の23:00 - 23:30(のちに22:25 - 22:50)に放送されたNHKのテレビ番組である。再放送は翌週の同じ曜日の5:05 - 5:30、1か月後の火曜日 -(木曜日の26:00 - 26:25(水曜日 -(金曜日の2:00 - 2:25)である。以前は、『NHK市民大学』、『NHK人間大学』という番組名で放送された(副音声解説放送実施)。

NHK市民大学(えぬえいちけいしみんだいがく)は、1982年4月5日から1990年3月30日までNHK教育で放送された生涯学習番組である。

番組テーマ音楽は武満徹の作曲による。

NHK人間大学(えぬえいちけいにんげんだいがく)は、1992年4月6日から1999年4月1日までNHK教育で放送された教養番組である。各界の著名人が自ら最も得意とするテーマを取り上げ、3か月にわたって講義する生涯学習番組である。

スローターハウス5

2018年04月21日 | 社会
『スローターハウス5』(スローターハウス ファイブ、Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death)は、1969年に出版されたカート・ヴォネガットの小説。時間旅行を筋立ての道具とするとともに、ヴォネガットがその余波を目撃した第二次世界大戦でのドレスデン爆撃を出発点として、SF小説の要素と人間の条件の分析とを結びつけた作品である。ヒューゴー賞(1970年)受賞。

1973.9 氷の世界

2018年04月20日 | 社会
当時の日本人アーティストの作品としては珍しく、ロンドンでレコーディングされた。クォーターマスのメンバーであったピート・ロビンソンとジョン・ガスタフソン、後にイアン・ギラン・バンドに参加するレイ・フェンウィック、ローリング・ストーンズの『悲しみのアンジー』のストリングス・アレンジャーを務めたニック・ハリソンなどの現地ミュージシャン・スタッフが参加している。
当時、LP(アルバム)はEP(シングル)と比して非常に高価であったが、100週以上BEST10に留まるなどロングセールスを続け、発売から2年後の8月に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた。また、オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという珍記録を持っている。
1982年にCDが発売される前のミリオンセールスアルバム(オリコン集計)4作品のうちの一作品である(そのほかは、松山千春『起承転結』・寺尾聰『Reflections』・YMO『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』である)。
累計売上は140万枚。
陽水の地元、福岡市・天神の福岡ビルにある「日本楽器天神店」(現:ヤマハミュージックリテイリング福岡店)では、朝8時ごろレコード店に客が殺到し、まだシャッターが下りた店の前で係員4、5人が、積み上げた段ボール箱からレコードを取り出し、汗だくで即売をした。
先行シングルとしてアルバム制作中にリリースされた「心もよう」は、陽水にとって初のオリコンシングルチャートのトップ10入りとなった。南沙織も、1974年7月21日に発表したアルバム『夏の感情』で、カバーしている。
1983年に初めてCD化され、1990年、1996年、2001年(紙ジャケット仕様)、2006年、2008年(SHM-CD仕様)にも再リリースされている。また2007年には完全予約限定生産でLPが発売され、2014年には発表40周年記念としてボーナストラックとDVDが追加されたリマスター盤が発売された。
レコードジャケットは楽屋でギターを奏でる陽水を写したもので、このギターは忌野清志郎の所蔵品であることを忌野本人が後日談として語っている。
アルバムジャケットを撮影した中村冬夫によると、とある事情でネガを現像液に浸けておく時間が長くなり、あの独特の白い感じになったとの事。
2014~2015年に行われた「井上陽水氷の世界ツアー」は「氷の世界」発売40周年を記念して、「氷の世界」収録曲を全曲歌った。

1973.11 ひこうき雲

2018年04月19日 | 社会

ジャケットデザインは、教会音楽を多く扱う名門古楽レーベル『アルヒーフ』のジャケットを模したものと言われている(松任谷正隆などによる)。ブックレットのイラストは荒井自身が手がけ、少女から大人への変化を綴った「誕生日」と『ひこうき雲』は、荒井由実 のファースト・アルバム。オリジナルは1973年11月20日に当時の東芝EMI株式会社からリリースされた。一時期、音源の原盤権の都合でアルファレコードから発売されたこともある。
アーティスト: 松任谷由実
リリース: 1973年11月20日いう詩が収められている。

2010年1月16日、NHK-BS2にて、録音されたアルバムのマスターテープを聴きながらレコーディング当時について振り返る『MASTER TAPE〜荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る〜』という特番が放送された。出演:松任谷由実、細野晴臣(ベース)、松任谷正隆(キーボード)、林立夫(ドラム)、有賀恒夫(「ひこうき雲」レコーディング・ディレクター)、吉沢典夫(「ひこうき雲」レコーディング・エンジニア)、駒沢裕城(スチール・ギター) VTR出演:村井邦彦(「ひこうき雲」プロデューサー、元アルファレコード社長)、雪村いづみ(荒井のデビュー前に「ひこうき雲」をレコーディング)、シー・ユー・チェン(荒井がおっかけをしていた「ザ・フィンガーズ」の元ベース) ナレーション:小島聖 制作・著作 NHK、エイベックス&イースト 制作統括:林信男、波多野健 構成:中川真由美 演出:片岡K
2013年のNHK「SONGS」にて、ともに愛好する音楽であるクラシックとポップスのギャップについて解決できなかった部分を、プロコル・ハルムの楽曲に影響を受け彼女自身で解釈し表現できるようになったと語り、「ひこうき雲」の中にプロコルを髣髴とさせるメロディーラインがある事を自ら示した。

アンネの日記

2018年04月18日 | 社会
第二次世界大戦の最中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっている。国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるために、咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ、8人のユダヤ人達の生活を活写したもの。

執筆は密告(密告者はいまだ不明)により、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕まるまでのおよそ2年間に及んだ。1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。彼女の死後、父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになった。

初恋のきた道

2018年04月17日 | 社会

都会で暮らすユーシェンは、父親の訃報を聞き、遥々母のいる小さな農村へと帰郷した。父はこの村の小学校を40年以上、一人で支えた教師だったが、校舎の建て替えの陳情のために町に出かけた際に、心臓病で急死したのだ。

父の遺体を町からトラクターで運ぶという村長たち。だが、母のチャオディは、伝統通りに葬列を組み、棺を村まで担いで戻ると言い張った。葬列を組もうにも、村の若者は出稼ぎに出て人手が足りない。困り果てたユーシェンは、母と父の、若かりし日の出逢いを追想する。

母のチャオディが18歳の頃に、この村に初めて小学校が建つことになった。町から来た教師は、20歳の青年チャンユーだった。一目ぼれしたチャオディは、自分の数少ない服を、急いで赤から華やかなピンクに着かえた。古い時代のこの村では自由恋愛は稀で、アピールの方法もなかったのだ。

総出で校舎の建築を始めるチャンユーと村の男たち。女たちの役目は家で昼食を作り、持ち寄ることだった。チャンユーが食べるとは限らないのに、心を込めた料理を作業現場に運ぶチャオディ。学もなく、素朴な彼女に出来ることは、水汲みやキノコ採りの際にすれ違うことぐらいだった。

実はチャンユーも、村に着いた時に見た、赤い服のチャオディが目に焼き付いていた。だが、チャンユーは文化大革命の混乱に巻き込まれ、町へ連れ戻されることになった。チャオディに、赤い服に似合うヘアピンを贈り、村を去るチャンユー。

高熱があるのに、チャンユーを探しに町へ行こうとして倒れるチャオディ。二日間、眠り続けたチャオディが目覚めたとき、小学校から授業をするチャンユーの声が聞こえて来た。チャオディの病気を伝え聞いたチャンユーは、連れ戻されるのを覚悟で、許可も受けずに町から戻って来たのだ。

追想から覚めたユーシェンは、町から続く道が持つ母にとっての意味に気づき、村長に無理を言って葬列を組んだ。息子や教え子たちと共に、夫の遺体を村へ連れ帰るチャオディ。都会に戻る前にユーシェンは、建て替えの決まった古い校舎で一度だけ授業を開くのだった。

横井小楠

2018年04月16日 | 社会
坂本龍馬が師と敬い、勝海舟が恐れた鬼才!

勝海舟曰く「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠と西郷南洲だ」。日本史の教科書でもろくに取り上げられず、幕末もののドラマで登場することもほとんどない。しかし小楠こそ、坂本龍馬や西郷隆盛をはじめ、幕末維新の英傑たちに絶大な影響を与えた「陰の指南役」であった。早くから現実的開国論を説き、東洋の哲学と西洋の科学文明の融合を唱え、近代日本の歩むべき道を構想した鬼才。その生涯を追う。

横井小楠―維新の青写真を描いた男―
徳永洋/著

熊本藩において藩政改革を試みるが、反対派による攻撃により失敗。その後、福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍する。明治維新後に新政府に参与として出仕するが暗殺された。

本姓は平氏で、北条時行の子孫を称していた。諱は「時存」(「ときひろ」「ときあり」)であり、正式な名のりは平 時存(たいら の ときひろ/ときあり)。通称は「平四郎」で、北条平四郎時存、北条四郎平時存ともいう。

「小楠」は彼が使った号の一つで、楠木正行(小楠公)にあやかって付けたものとされる[1]。他の号に畏斎(いさい)、沼山(しょうざん)がある。字は子操。