藤 圭子(1951年7月5日 - )は、日本の演歌歌手。本名、阿部 純子(あべ じゅんこ)。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌を、伸びやかに深々と超越的に歌い上げた。1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡した演歌歌手。前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實で、娘は音楽家の宇多田ヒカル。また、元夫は演歌歌手の前川清。
幼いころから浪曲歌手の父、三味線瞽女(ごぜ)の母の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌っています。
8月22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子(本名・阿部純子)さん(62)があおむけの状態で倒れているのが見つかった。警視庁新宿署によると、藤さんは病院に搬送されたが、頭などを強く打っており間もなく死亡した。
ちあき なおみ(本名:瀬川 三恵子、1947年9月17日 - )は、日本の元歌手、女優。1992年に夫の郷鍈治との死別をきっかけに一切の芸能活動を休止し、引退同様の状態となった。結婚後に所有した不動産(ビル)のオーナーではあるものの、実業家として表立って活動しているわけではない。
義兄(郷の実兄)に俳優の宍戸錠。
・【紅とんぼ】1988年(昭和63年)紅とんぼ詞:吉田 旺 曲:船村 徹 唄:ちあきなおみ の作品である。JASRACさんのお目こぼしを願って、1番だけを掲載させて戴こう・・・
「空にしてって 酒も肴も
今日でおしまい 店仕舞い
五年ありがと 楽しかったわ
色々お世話に なりました
しんみりしないでよ ケンさん
新宿駅裏 紅とんぼ
想い出してね 時々は♪」
『ロッキー』(Rocky)は、1976年のアメリカ映画。配給会社はユナイテッド・アーティスツで、監督はジョン・G・アヴィルドセン。主演・脚本はシルヴェスター・スタローン。
第49回アカデミー賞作品賞ならびに第34回ゴールデングローブ賞ドラマ作品賞受賞作品。また、2006年に米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の中の1つである。
黒川創/著 桁外れの財力とセンスを活かし、大正昭和の文化を牽引した、美しく剛毅な快男児の肖像。 青年時代に大逆事件で叔父を失い、不敬罪で公判中に終戦の日を迎える――紀州生まれの文化学院創設者、西村伊作は、類まれなセンスと豊富な財力を理想の実現のために用いながら、「ああ言えば、こう言う」のつむじ曲がりな精神と、そのしなやかな思想を生涯貫いた。自由と芸術を愛した知られざる人物像を甦らせる第一級の評伝。 |
法華経は、いわば日本仏教におけるバイブルのようなものとして、古くから宗派の別なく、仏教徒の間で読まれてきた経典です。
法華経は、日本でははじめ、叡山(比叡山の略称)の天台宗において研究されました。法然、親鸞、道元、日蓮など鎌倉新仏教の祖師とされる人々も、一度は叡山の学僧となりましたから、彼らはみな法華経にふれています。
彼らのうち、とくに道元と日蓮は、最後まで法華経と深い関係を持ちました。
道元の著した『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)には、法華経の言葉が数多く引用されています。また彼は、病重きを悟ったとき、法華経の詩句を口に唱えながら、死に対する心の準備をしたといいます。
一方、日蓮は、法華経をシャカの唯一の真の教えとし、「南無妙法蓮華経」の題目を説き、法華経信仰を広めました。彼はまた、自分を「法華経の行者(ぎょうじゃ)」と呼び、苦難の中でも法華経信仰に生きました。
法華経は、仏教の発祥地インドでは、ほとんど見向きもされなかった経典です。しかし、大乗仏教の伝わった中国や日本では、非常に重要視される経典となりました。
今日、中国の大乗仏教はほとんど消滅状態にあるので、日本は、法華経が今なお篤く信奉されているほとんど唯一の国です。
天台宗では、法華経を"第一の"経典とし、日蓮宗では、法華経をシャカの"唯一の"真の教えとしました。こうした宗派では、法華経は絶対的な権威を持った経典なのです。
近代の仏教系新興宗教の中にも、法華経を信奉するものが、数多く現われました。「霊友会」「立正佼成会」は法華経信奉団体ですし、「アメニモマケズ」の宮澤賢治も法華経信者でした。
彼らの"法華経信仰"すなわち"一書に対する信仰"は、ある意味では、クリスチャンの"聖書信仰"にも比べられるものです。クリスチャンが聖書のみを信仰の拠り所とするように、日蓮・法華信奉者においては、法華経のみが信仰の拠り所とされているのです。
真言八祖
密教がインドで起こり、中国を経て、空海(弘法大師)に伝えられ、日本で独立した宗派として真言宗を開くまでに、八祖を経て伝えられたとする伝承がある。これを真言八祖(しんごんはっそ)という。
付法(ふほう)の八祖と伝持(でんじ)の八祖の二つがあり、空海は著作『秘密曼荼羅教付法伝』『真言付法伝』で、真言密教の起源と付法の七祖・伝持の七祖(付法・伝持の八祖の内、弘法大師を除く七祖)の伝記や付法の系譜を記している。
真言宗のほとんどの寺院は、本堂などに真言八祖((伝持の八祖)・絵像で制作されることが多い)が祀っているのが特徴の一つである。
付法の八祖
真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩埵が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。
- 大日如来(だいにちにょらい)
- 金剛薩埵(こんごうさった)
- 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
- 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
- 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
- 不空三蔵(ふくうさんぞう)
- 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
- 弘法大師
伝持の八祖
真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった8人の祖師。付法の八祖のうち、大日如来、金剛薩埵は実在しない人物なので除き、2人の祖師を加えた。八祖大師(はっそだいし)とも称される。
手に印を結んだり仏具などを持っているが、これは悟りの本質をあらわしている。
- 龍猛菩薩 : 大日如来の直弟子金剛薩埵から密教経典を授かって、世に伝えたといわれている(三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っている)。
- 龍智菩薩 : 龍猛から密教を授かった(経文を右手に持っている)。
- 金剛智三蔵 : インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、「金剛頂経」を伝える(数珠を右手に持っている)。
- 不空三蔵 : 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、灌頂道場を開いた(外縛印(げばくいん)を結んでいる)。
- 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう : インド生まれ。大乗仏教を学び、さらに密教を受け継ぐ。80歳になって唐に渡り「大日経」を伝える(右手の人さし指を立てている) 。
- 一行禅師(いちぎょうぜんじ): 中国生まれ。禅や天台教学、天文学、数学を学ぶ。長安で善無畏に入門し、善無畏の口述をもとに「大日経疏(だいにちきょうしょ)」を完成させた(法衣のなかで印を結んでいる)。
- 恵果阿闍梨 : 中国生まれ。金剛界・胎蔵界両部の密教を受け継いだ(椅子に座り、横に童子を待らせている)。
- 弘法大師 : 恵果阿闍梨から金剛・胎蔵界両部を授けられ、日本に伝えて真言密教を開いた。空海(五鈷杵(ごこしょ)を右手に持ち、左手には念珠を持っている)。
枢軸時代(Achsenzeit)とは、ドイツの哲学者で精神科医でもあったカール・ヤスパース(1883年?1969年)が唱えた紀元前500年頃に(広く年代幅をとれば紀元前800年頃から紀元前200年にかけて])おこった世界史的、文明史的な一大エポックのことである。枢軸時代の他に「軸の時代」という訳語があてられることもある。
この時代、中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立して、イランではザラスシュトラ(ツァラトストラ、ゾロアスター)が独自の世界観を説き、パレスティナではイザヤ、エレミヤなどの預言者があらわれ、ギリシャでは詩聖ホメーロスや三大哲学者(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)らが輩出して、後世の諸哲学、諸宗教の源流となった。
なお、枢軸時代とは「世界史の軸となる時代」という意味であり、ヤスパース自身の唱えた「世界史の図式」の第3段階にあたり、先哲と呼ばれる人びとがあらわれて人類が精神的に覚醒した時代、「精神化」と称するにふさわしい変革の起こった時代ととらえられる。
食料生産革命、文明の誕生に続く、人類史の第三の転換点が、「精神革命」とでもよべる出来事です。これは、前500 年前後におきた、人類の精神における大変革を指しています。つまり、この時代にはじめて、人類は「思想」とよべるものを手にしたのです。
こう書くと、それ以前にも思想はあった、と反論があるかもしれません。たしかに、はるか昔から、世界各地で人々は呪術的な信仰や、独自の神話などをもってはいました。しかし、それは自然界や人間界の出来事を説明するために、それぞれの「集団」がもっている思想でした。たとえば、雨が降らないのは水の神様が怒っているから生けにえを捧げなければいけないとか、そういった類いの迷信・神話の世界に人々は生きていたわけです。
ここでいう「思想」とは、そうした神話などに疑問を感じ、自然のしくみ、あるいは人間や社会のあるべきすがたを、自分の頭で考えて説明しようとする、そういった行為をさしています。前500 年前後に、世界の四つの地域で、この「思想」が誕生しました。つまり、インドでは仏陀があらわれて仏教を開き、中国では諸子百家とよばれる大ぜいの思想家があらわれ、イスラエルでは預言者らによってユダヤ教が確立し、ギリシアでは哲学が全盛をむかえました。この時代を、ドイツの哲学者ヤスパースは「枢軸時代」とよんでいます。その後の人類史の基軸となった時代、という意味でしょう。
熱烈な多神教優越主義者であり、一神教を砂漠の宗教として、自然豊かな環境で生まれた多神教と対比させ、後者の前者に対する寛容性と優越性を強く主張している。
内容
ロシア語通訳の第一人者としても、またエッセイストとしても活躍している米原万理がはじめて書いた長編小説である。第13回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した。
1960年代のチェコ、プラハ。主人公で日本人留学生の小学生・弘世志摩が通うソビエト学校の舞踊教師オリガ・モリソヴナは、その卓越した舞踊技術だけでなく、なによりも歯に衣着せない鋭い舌鋒で名物教師として知られていた。大袈裟に誉めるのは罵倒の裏返しであり、けなすのは誉め言葉の代わりだった。その「反語法」と呼ばれる独特の言葉遣いで彼女は学校内で人気者だった。そんなオリガを志摩はいつも慕っていたが、やがて彼女の過去には深い謎が秘められているらしいと気づく。そして彼女と親しいフランス語教師、彼女たちを「お母さん」と呼ぶ転校生ジーナの存在もいわくありげだった。
物語では、大人になった志摩が1992年ソ連崩壊直後のモスクワで、少女時代からずっと抱いていたそれらの疑問を解くべく、かつての同級生や関係者に会いながら、ついに真相にたどり着くまでがミステリータッチで描かれている。話が進むにつれて明らかにされていくのは、ひとりの天才ダンサーの数奇な運命だけではない。ソ連という国家の為政者たちの奇妙で残酷な人間性、そして彼らによって形作られたこれまた奇妙で残酷なソ連現代史、そしてその歴史の影で犠牲となった民衆の悲劇などが次々に明らかにされていく。
物語の内容や手法からすれば、この作品は大宅壮一ノンフィクション賞作品『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の姉妹版であるといえる。しかし読み終わったあと、ときにフィクションのほうがノンフィクションよりも多くの真実を語ることができる、ということに気付くに違いない。