一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

上村博康

2017年04月30日 | 社会

上山 博康(かみやま ひろやす、1948年- )は、日本の脳神経外科医。禎心会脳疾患研究所所長、旭川赤十字病院脳神経外科顧問、札幌北脳神経外科顧問、コスモ脳神経外科顧問。


重商主義

2017年04月30日 | 社会

 

重商主義(じゅうしょうしゅぎ、mercantilism マーカンティリズム)とは、貿易などを通じて貴金属貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルドオリバー・クロムウェルジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができる。いずれにも共通しているのは、「富とは(や、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。

 歴史的展開

大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。

オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を遺し、19世紀の産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にフランソワ・ケネーデイヴィッド・ヒュームアダム・スミスが登場する素地となった。

重商主義政策の実施によって国境管理が厳しくなり、海を越えて移動する物品に関税がかけられるようになったが、海の国境管理は社会通念的に定着しておらず、密輸に対する犯罪意識も低かった。税関組織が未発達なために海岸線の管理能力が限られており、アメリカ植民地愛国派商人や、自由な国境移動を当然の権利と考える人々によって大規模な密貿易が横行した。


OECD

2017年04月29日 | 社会

 

1.OECDの正式名称・設立経緯

OECDは「Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構」の略で、本部はフランスのパリに置かれています。

第二次大戦後、米国のマーシャル国務長官は経済的に混乱状態にあった欧州各国を救済すべきとの提案を行い、「マーシャルプラン」を発表しましたが、これを契機として、1948年4月、欧州16か国でOEEC(欧州経済協力機構)が発足しました。これがOECDの前身にあたります。その後、欧州経済の復興に伴い1961年9月、OEEC加盟国に米国及びカナダが加わり新たにOECD(経済協力開発機構)が発足しました。我が国は1964年にOECD加盟国となりました。

2.OECD加盟国

現在、OECDの加盟国は以下の35か国となっています。

(1)EU加盟国(22か国)

イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フィンランド、スウェーデン、オーストリア、デンマーク、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、アイルランド、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、エストニア、スロベニア、ラトビア。

(2)その他(13か国)

日本、アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、ノルウェー、アイスランド、トルコ、韓国、チリ、イスラエル。

※ OECDは、80年代を通じて24か国の加盟国により構成されていましたが、90年代に入り、メキシコ(94年)、チェコ(95年)、ハンガリー(96年)、ポーランド(96年)、韓国(96年)の5か国が加盟、更に2000年にはスロヴァキアが、2010年にはチリ、スロベニア、イスラエル、エストニアが、2016年にはラトビアが加盟し、35か国となりました。


コスタリカ平和憲法

2017年04月28日 | 社会

コスタリカ平和憲法

中米コスタリカで1949年に制定された憲法。第12条に「常設的機関としての軍隊は禁止する」とうたい、常備軍を廃止した。自衛のための戦争は認めており、国家防衛のために軍隊を再編できると明記している。国家の安全は集団安全保障米州相互援助条約(リオ条約)に頼る。同国は48年に政争から内戦が起き約2000人が死んだ。勝利したフィゲレス大統領は軍隊の廃止を決意し、「兵士の数だけ教師を」を合言葉に軍事予算をそっくり教育予算に変え教育国家に転換した。中米紛争が起きた80年代には当時のモンヘ大統領が積極的・永世・非武装中立を宣言した。その路線を引き継いだアリアス大統領は87年、中米地域の内戦を終わらせた功績でノーベル平和賞を受賞した。

(伊藤千尋 朝日新聞記者 / 2007年)


アゴラ

2017年04月27日 | 社会
 

アゴラ:αγορά)は、市場とも翻訳できるが、古代ギリシア都市国家ポリスにおいて不可欠な場所である広場を指すギリシア語である。ポリス市民の市場、フォルムとして機能した。

アゴラはまた、古代ギリシアのいかなる国家においても民会の開催場所を意味した。現代語においては、比喩的に複数の関連概念の交わる点か概念を指し、または文字通り複数の実際の道路が出会う地点を指す用語として使用されている。ヘシオドスも、『仕事と日』の中でアゴラという言葉を集会の場として用いている。

アゴラは、ミケーネ文明の崩壊の後にポリスと共に成立し、ホメーロス(紀元前8世紀後半頃?)の時代までには都市の一部として確立した。最も著名なアゴラはアテナイの古代アゴラである。イズミルのアゴラ屋外博物館は、世界で最も良く保存されたアゴラの1つである。

カール・ポランニーは、古代ギリシアの市場はポリス内部の地域市場と対外用の市場に分かれていたとし、対内市場の例としてアゴラ、対外市場にはエンポリウムをあげている。アゴラは中央集権制度にかわって食料の再配分を行なうための制度となり、民衆に食物を供給し、新鮮な食材や調理ずみの食品が売られた。アゴラには、カペーロスという小売人が居住していた。ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテナイは商業的なアゴラを推進したが、アリストテレスは市場としてのアゴラと政治的なアゴラを分離することを主張した。


トラバント

2017年04月26日 | 社会
<form class="header" action="https://ja.m.wikipedia.org/w/index.php"></form>
VEBザクセンリンク
トラバント
トラバントP50
Trabant P50 front.jpg
トラバントP601L(フランス・ミュルーズ、自動車博物館蔵)
Trabant 601 Mulhouse FRA 001.JPG
販売期間 1957年 - 1990年
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドアセダン/2ドアステーションワゴン
エンジン 直列2気筒2ストローク空冷エンジン横置き配置594cc (P601)
駆動方式 FF
変速機 4速MT(コンスタントメッシュ)
全長 3,555 - 3,560mm
全幅 1,504 - 1,510mm
全高 1,437 - 1,467mm
車両重量 620 - 660 kg
ブレーキ 4輪ドラムブレーキ
先代 なし
後継 トラバント1.1
-自動車のスペック表-

トラバントTrabant)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)のVEBザクセンリンクドイツ語版社が生産していた小型乗用車である。「トラビ」 (Trabi) の愛称で親しまれた。名称はドイツ語で「衛星」「仲間」「随伴者」などを意味する語。1957年に打ち上げに成功したソ連の人工衛星「スプートニク1号」を賞賛して命名された。

 

 開発までの背景
トラバント生産工場(1990年3月15日撮影)

メーカーは、東ドイツ時代にカール=マルクス=シュタット県(現在のザクセン州)にあったツヴィッカウに所在した、東ドイツ国営企業のVEBザクセンリンク (VEB Sachsenring Automobilwerke Zwickau) である。第二次世界大戦前のドイツを代表する民族系自動車メーカーアウトウニオンの旧工場のうち、高級車ホルヒの生産拠点で、第二次世界大戦後、東ドイツ地域に含まれたツヴィッカウ工場がその前身であった。

アウトウニオンは元々ドイツの民族系自動車メーカー4社が、外資対抗のため1932年に大合同して成立したメーカーである。オートバイ及び廉価な大衆車DKW、上級小型車をヴァンダラー、中型車をアウディ、大型高級車をホルヒという形で分担した。

このうち1904年創業のDKWは、第一次世界大戦後に自転車補助動力用の2ストロークエンジンを開発して以来、1920年代にはオートバイメーカーとして急成長、1928年からは2ストロークエンジン搭載の小型乗用車生産にも進出して、アウトウニオン結成の中核ともなった企業である。DKWは1931年に、大衆車としては史上初の量産型前輪駆動車である500 cc車「DKW・F1」を発表、以来前輪駆動方式を得意とし、同じアウトウニオン系のアウディにも前輪駆動を導入するなどの進歩性を見せていた。

VEBザクセンリンクは、ホルヒ工場を引き継いだ1949年以来、戦前形DKWの同型車および第二次大戦直前の試作車であったDKW・F9をベースにした800ccクラスの2ストローク前輪駆動車を製造していた。

しかし1956年以降、このクラスのモデルについてはBMWアイゼナハ工場の後身であるアイゼナハー・モトーレンヴェルクが生産することになり、1957年モデルチェンジでアイゼナハから3気筒900cc車のヴァルトブルクが登場した。ザクセンリンクはより小型のモデルを担当することになり、戦前のDKW系ベーシックカーのリバイバルともいうべきクラスのトラバントを開発することになった。

 

2017年04月25日 | 社会

(つかさ/し)は日本古代律令制において主にのもとに置かれた官司等級の一つである。

と並び主に省(中務治部刑部兵部大蔵宮内の各省)や衛門府京職のもとに置かれて事務を行った。前二者との違いは基本職員である四等官の数の違いにある。通常四等官は長官・次官・判官・主典の四者から構成されるが、司の場合は基本的に次官が欠けている。また、前二者が省との間はある程度の独立関係であるのに対し、こちらはほぼ完全に省など上級機関の統制下に置かれている。職・寮・司の中で最も格が低いため、現業部門が多く平安時代に大部分が整理・統合された。


神楽

2017年04月24日 | 社会


「神楽」の起源はさだかではありませんが、少なくとも平安時代まで遡ります。そのルーツは謡曲・三輪に「先ずは岩戸の其の始め、隠れし神を出ださんとて、八百万の神遊び、是ぞ神楽の始めなる」と書かれている通り、岩戸神話に登場する天宇津女命の歌舞にある、という説が一般的です。また、神楽という言葉の由来は神座(かむくら)であるとも言われています。神座は神がおられる神聖な場所を意味するため、その「かむくら」に向けて喜び歌い、歌と踊りをもって神に仕えることが、神楽歌の原型になったと考えられます。そしていつしか「神座」は、「神楽」とも呼ばれるようになりました。その訛りの理由はヘブライ語の意味を理解することで説明が


ソーラン節

2017年04月23日 | 社会


ソーラン節は日本人なら誰もが知っている北海道民謡です。ヤーレン・ソーランと始まり、繰り返し歌われるこのソーラン節は、歌う人の脳裏にしっかりと残る優しい響きがあります。また唄の途中に「ドッコイショ」という掛け声も入り、これは日常会話でもよく使われている言葉だけに、その軽快なメロディを口ずさんだことのある人は少なくありません。「チョイ ヤサエ エンヤンサー ノドッコイショ…」、どこかで一度は聞いたことがある一節です。しかしソーラン節の意味は不可解であり、今日では単なる掛け声の組み合わせにしか思われていないようですが、それは間違いです。実はソーラン節は元来、ヘブライ語の行進賛歌であり、そこには驚くほどわかりやすい意味が隠されていたのです。


エンデの遺言

2017年04月22日 | 社会

 

現代のお金に関する常識を破る思想を紹介。事例や寓話を交えながら,「暴走するお金」の正体を探る 
「パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と,株式取引所で扱われる資本としてのお金は,まったく異なった種類のお金である」。こう語りかける本書は,NHKで放送されたドキュメンタリー「エンデの遺言--根源からお金を問う」を1冊の本にまとめたものだ。

ドイツの作家であるエンデ(故人)は,「個人の価値観から世界像まで,経済活動と結びつかないものはない。問題の根源はお金にある」と提起する。エンデへの取材をもとに,彼の蔵書,貨幣社会の歴史を紹介しながら,現代の金融システムが引き起こす弊害に警鐘を鳴らすのが本書の目的だ。

本書では,事例や寓話を取り上げて,貨幣経済の仕組みと問題点を分かりやすく説明している。たとえば---。

豊かな漁師町に,貨幣経済の導入と一緒に銀行ローンもやってきた。漁師たちはローンで大きな船を買って,効率が高い漁法を採用。そのおかげで,ローンを返すためにたくさん魚をとり,結局最後には魚が1匹もいなくなる---。

貧しくても心豊かに暮らす人々の前に,時間貯蓄銀行から来たという「灰色の男たち」が現れる。男たちは人々から時間を奪おうとする時間泥棒で,「時間を節約して銀行に預ければ,利子が利子を生んで,人生の何十倍もの時間を持てるようになる」と言う。彼らの誘惑にのせられた人々は,余裕のない生活に追い立てられて人生の意味までも失ってしまう---。

こうした身につまされるストーリーは,「将来」を輸入する一方で環境を消費し,地球の資源を食いつぶす現代人に向けた痛烈な批判だ。資本主義経済におけるお金は,より高いリターンが得られる場所に移動し,その結果,利益はごく一部の人に集まり,一方で利益を奪われ続ける多数の人々が存在する結果になったという指摘もうなづける。

お金を銀行に預けると利子が増えるというのが現代の常識だが,本書では面白い事例が紹介されている。世界大恐慌直後のオーストリアのある町では,お金を保有していると1カ月ごとに価値が1%減少するという金融制度を導入し,経済活動を活性化させたという(最後は国家権力が制度を廃止させた)。プラスの利子は短期的な利益に向かい,マイナスの利子は長期的で人間の豊かさをもたらす有意義な投資に向かうというのは,現代社会の中に生きている我々にはなかなか思いつかない発想だ。

お金の病にかかっていると指摘するエンデの予言は,とりわけ日本の経済状態を厳しく批判しているように感じた。本題の解決を先送りして,国と地方を合わせた長期債務残高は先進国の中でも最悪で,GDP(国内総生産)をはるかに上回っている。「人々はお金を変えられないと考えているが,それは違う。お金は変えられる。人間がつくったものだから」という本書の主張に,現代人はいつ目覚めるのだろうか。 (ダイヤモンド社 出版局 編集委員 名久井 範章)
(Copyright©2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)
-- ブックレビュー社

 

内容紹介

暴走する「お金」の正体 
『モモ』の作者が遺した、お金の常識を破る思想。リーマンショックを予言した奇跡の書 

『モモ』『はてしない物語』などで知られるファンタジー作家ミヒャエル・エンデが日本人への遺言として残した一本のテープ。これをもとに制作されたドキュメンタリー番組(1999年放送/NHK)から生まれたベストセラー書籍がついに文庫化。忘れられた思想家シルビオ・ゲゼルによる「老化するお金」「時とともに減価するお金」など、現代のお金の常識を破る考え方や、欧米に広がる地域通貨の試みの数々をレポートする。 

●人間がつくったお金は、変えることができるはず 
●どうすれば「お金の支配」から自由になれるのか 
●「老化するお金」「時とともに減価するお金」とは 
●「地域通貨」を生み出す「共生の思想」 
●ベストセラー『モモ』には、お金への問題意識が込められていた


2025年のベッド数

2017年04月21日 | 社会

写真・図版


戦場のピアニスト

2017年04月20日 | 社会

 

戦場のピアニスト』(せんじょうのピアニスト、原題: The Pianist)は、第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台としたフランスドイツポーランドイギリスの合作映画。2002年公開


コンビニコーヒー

2017年04月19日 | 社会

 コーヒーの歴史自体、高品質化と大衆化の歴史である。

 元々コーヒーは、11世紀から16世紀にかけてアラビア半島のイスラム教寺院で修行僧が飲む秘薬だった。

 1970~80年頃には、スタバのようにコーヒーのおいしさを追求するスペシャリティーコーヒーが世界に広がり、さらに21世紀になるとブルーボトルコーヒーのように豆の産地・品質を重視し、豆の個性を楽しむサードウェイブコーヒーも生まれた。

 日本におけるコンビニコーヒーの誕生は、長いコーヒーの歴史の中で、本格派レギュラーコーヒーの大衆化を果たした特筆すべき出来事なのだ。

 コンビニコーヒーによって、おいしいコーヒーが広く普及したことで、日本のコーヒー市場が活性化した。「おいしいコーヒーをゆったりと楽しむ」という体験をするためにカフェチェーンにも行くようになった。コンビニコーヒーとカフェチェーンの共存共栄が実現したのである。

 このようにコーヒーの歴史を振り返ってみると、すっかりおなじみになったコンビニコーヒーは、新たな顧客を創造したイノベーションなのである。


武士三部作

2017年04月18日 | 社会

 

山田 洋次 監督(Yamada Yoji)

 1931年大阪府豊中市生まれ。2歳で満州に渡り15歳で大連から日本(山口県宇部市)に引き揚げる。流れ者や社会の逸脱者を多く描くのは、自身の引き揚げ体験が強く影響している。54年東京大学法学部卒業。同年、助監督として松竹入社。61年『二階の他人』で監督デビュー。69年、全48作となる「男はつらいよ」シリーズ開始。2002年『たそがれ清兵衛』で日本の映画賞を総なめにした。また、『幸福の黄色いハンカチ』がハリウッドでリメイクされることも予定されている。

フィルモグラフィ(主要作品)
1963年 『下町の太陽』
1964年 『馬鹿まるだし』
1969年〜1995年 男はつらいよ」シリーズ(全48作)
1970年 『家族』
1977年 『幸福の黄色いハンカチ』日本アカデミー賞監督賞他5部門
1980年 『遥かなる山の叫び声』
1986年 『キネマの天地』
1988年〜 「釣りバカ日誌」シリーズ(脚本)
1988年 『ダウンタウン・ヒーローズ』ベルリン映画祭コンペティション
1991年 『息子』
1993年 『学校』日本アカデミー賞最優秀作品賞
1996年 『虹をつかむ男』
2002年 『たそがれ清兵衛』米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、ベルリン映画祭コンペティション、ハワイ映画祭グランプリ、香港電影金像奨アジア映画賞
2004年 『隠し剣 鬼の爪』ベルリン映画祭コンペティション、イスタンブール映画祭グランプリ
2002年 『祖国』(原作・脚本)
2006年 『出口のない海』(脚本)
2006年 『武士の一分』ベルリン映画祭招待作品
 
藤沢 周平(Fujisawa Shuhei)

 本名、小菅留治(こすげとめじ)。1927年山形県黄金村(現・鶴岡市)に生まれる。49年山形師範学校を卒業。2年間教員を務めるが肺結核で入院。退院後新聞社に勤めて、71年43歳でオール讀物新人賞を受賞し、作家としてデビュー。4年連続で直木賞候補となり、73年「暗殺の年輪」で受賞を果たす。25年の作家生活の中で、短編191、長編36を書き上げる。架空の藩、海坂藩(庄内平野)を舞台にした作品が多い。97年逝去。享年69歳。

主要作品
1973年 「暗殺の年輪」
1974年 「又蔵の火」
1975年 「雲奔る」
1978年 「竹光始末」、「義民が駆ける」
1979年 「用心棒日月抄」
1981年 「雪明かり」
1985年 「隠し剣弧影抄ー隠し剣鬼の爪」、「隠し剣秋風抄ー盲目剣谺返し」
1988年 「蝉しぐれ」、「たそがれ清兵衛」
1989年 「三屋清左衛門残日録」、「市塵」

貨幣と言語

2017年04月17日 | 社会

「貨幣とは何だろうか」(今村仁司 1994)この本を読んで初めて、貨幣と言語との関係に気づいた。「文字は音声言語を記号化し、記号として書くように、貨幣は交換行為を記号化し、記号として書きとどめる。」と今村仁司が言った。
昔、人間は動物と同じ、ジェスチャーでコミュニケーションしていた。しかし、わずかなジェスチャーが相手に理解してもらえるかどうかは不確定だ。だから、意志伝達の媒体として、言語が生じた。それと同じように、昔、人間は物々交換だった。しかし、自分の物をほしがる相手が自分のほしい物を所有しているかどうかは不確定だ。だから、物々交換の媒体として、貨幣が生じた。また、経済のグローバル化によって、ドルが世界通用貨幣とされた。それは、世界共通語を英語とされることにあたる。貨幣は文字と同じく、人間の作った交流交通のための記号である。
「インタネットの私」(大塚英志)の中に述べたように、「真実」は文字が生じたことで、隠蔽されたということだ。文字は記録のためで生じたものだ。人間は今のことを後世の人に知ってもらえるために、文字で記録しておいた。いわゆる歴史というものである。しかし、記録された歴史は執筆者あるいわ当時の権力の片方の言い分に過ぎない。だが、私たち後世の人は、文字で記録したものがあるからこそ、それを信じてしまう。それで、文字の以外の「真実」は永遠に沈んで、後世に知られることはない。また、メディアが発達した現代、言語は、テレビ、ラジオ、インタネット、新聞などいろいろな形で伝えられている。「メディア・リテラシー」(菅谷明子)に書いてあるように、メディアが伝える情報は、現実そのものではなく、取捨選択の連続によって現実を再構成した恣意的なものである。ニュースは中立公平・客観報道というのは、建前に過ぎない。しかし、メディアの幅広い宣伝力によって、より多くの人は、真実ではない情報を真実として受け入れた。
それと同じく、物の本当の「価値」は貨幣で表示する「値段」に隠蔽されたと。経済社会と呼ばれる今の時代、すべての物事が「価格」で表示することができるようになっている。見舞いに来れない子女を訴える老人の話をよく耳にする。その結果、子女が扶養金を払えば済む。親子の愛情は、扶養金の金額で計る。このように、すべての物事が金額で計れ、すべての物事がお金で手に入れることができるから、人の目は「価格」に引かれ、その裏にあるもっと大切な価値が見えないようになってしまう。そもそも、価格に隠蔽された真の価値こそ人間の求めるべきのものなのではないだろう。
以上に述べたように、これで、貨幣と言語はいろいろな共通点があるといっていいだろう。いや、貨幣と言語とはただ形式が違って、本質が同じな物だといえる思う。

最後に、聞きたいことがありますが、動詞の使い方です。「テキストを学ぶ」といいますか、それとも「テキストを習う」と言いますか。