一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

無条件降伏

2019年06月22日 | 社会
無条件降伏論争
1978年、文芸評論家の江藤淳と本多秋五の間で「無条件降伏論争」が行なわれた(江藤『全文芸時評』『もう一つの戦後史』、『本多秋五全集』第13巻)。その際、東大教授で国際法の権威である高野雄一は、江藤が正しいとした。その後学術的に高野らに明確に反論した者はなく、ポツダム宣言受諾は条件つき降伏であるとの論が有力である[6]。この際本多は、ドイツの降伏が無条件降伏であったのに対し、日本のそれは条件つき降伏だったと認めつつ、カイロ宣言の精神がポツダム宣言の底流に流れているとしている。