- 『百鬼園戦後日記』 小澤書店 上下巻 / 新版 ちくま文庫〈内田百間集成23〉
- 高見順 『敗戦日記』※ 文春文庫/ 新版・中公文庫
- 高見順 『終戦日記』※ 文春文庫、続編
- 『夢声戦争日記 抄 敗戦の記』 中公文庫BIBLIO
- 『摘録 断腸亭日乗』 岩波文庫上下 -磯田光一編、多くの解説本が公刊
大佛次郎
明治30(1897)年、横浜市生れ。本名・野尻清彦。長兄は英文学者の野尻抱影。大正10(1921)年、東京帝国大学政治学科を卒業後、鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院高等学校)教師となったが、翌年外務省条約局勤務(嘱託)に。13年、鎌倉の大仏の裏手に住んでいたことに由来する大佛次郎の筆名で、「隼の源次」、ついで「鞍馬天狗」シリーズ第一作「鬼面の老女」を発表、作家活動をはじめる。時代小説から現代小説、歴史小説、ノンフィクション、エッセイと幅広いテーマとスタイルで多くの作品を手がけた。昭和48(1973)年4月30日逝去。
断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)は、永井荷風の日記。1917年(大正6年)9月16日から、死の前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、激動期の世相とそれらに対する批判を、詩人の季節感と共に綴り、読み物として近代史の資料としても、荷風最大の傑作とする見方もある。
1917年分を第一巻、1918年分を第二巻……とし、和紙に墨書して綴じたが、敗戦の1945年秋以降は仮綴じとなり、さらに1947年以降は大学ノートへのペン書きとなった。
戦後に公刊されるまで、(戦前は)当局の筆禍を怖れ知友にも見せなかった。製本の師に対してさえ、そうだった。荷風が日記を付けているとの噂がもれ、危険な記述を消し、下駄箱に隠して外出するなど用心したが、やがてその怯懦を恥じて廃した。
名文と評される漢文調で綴られている。その日の天候、家事、来客、出版の商談、外出、食事、交友、散策先の状況、巷の風景、風俗、世相、噂、物価、体制批判、読書、読後感などを記し、時に筆書きのスケッチ・地図も添える。交友の相手には女性も、外出先には遊郭・赤線地帯もあり、馴染んだ女性の名を列記してもいる。
晩年まで読書を怠らず、江戸後期の版本とフランス語原書の文学作品を、読んだ記述が多数ある。対人関係(佐藤春夫・平井呈一など)に潤色があるとされるが、太平洋戦争末期の破滅的な生活風俗と荒み行く人心の記録は、『後車の戒』(『後世への戒め』)としても読みうる。『断腸亭日乗の頂点は、1945年3月9日、自宅の偏奇館焼亡の記述』とする論者が多い。
その後の空襲罹災の逃避行でも、日記原稿を携え記述を続けた。1949年頃までは、読者を引き込ませる中身があるが、以降(とりわけ後半の数年間)は、没する前日まで、ほぼ一日一行の記述のみになっている。