一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

山女日記

2017年10月30日 | テレビ番組
山女日記〜女たちは頂を目指して〜
放送回 放送日 サブタイトル 演出
第1回 2016年11月6日 女ともだち 〜妙高山・火打山〜 水谷俊之
第2回 11月13日 高嶺(たかね)の花 〜妙高山・火打山〜
第3回 11月20日 てっぺん 〜唐松岳〜 金澤友也
第4回 11月27日 ロマンチスト 〜唐松岳〜
第5回 12月4日 雨女 〜白馬岳〜 水谷俊之
第6回 12月11日 分岐点 〜白馬岳〜
最終回 12月18日 頂を越えて 〜上高地・涸沢(からさわ)〜
山女日記〜山フェスに行こう/アルプスの女王〜
放送回 放送日 サブタイトル 演出
前編 2017年10月29日 山フェスに行こう 〜常念岳〜 水谷俊之
後編 11月5日 アルプスの女王 〜燕岳〜
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私のことのメモ

2017年10月29日 | きわめて個人的なこと
- エンジニアとして、学んだことは、1ビットの世界は、大切さにおいて、重大さな意味において、ないがしろにできない真の形の世界です。
今は、メモリー容量は、テラの世界になっています、私の時代は64kbyteの世界でした。何倍になたのでしょうか。メモリー容量の急激な増大が、イコールIT社会の普及増大に直結している感があります。
- 叔父の世界、通信社の記者、にいるかも知れない。
- 母の悔しさ、小学校の代用教員として、の意味は。自分、家族の境遇、周囲の対応、またまた社会。

ラインの監視

2017年10月28日 | 演劇
一九四〇年晩春。ワシントン郊外にある大邸宅ファレリー家。女主人ファニーとその息子、黒人の執事と家政婦のフランス女、そしてルーマニアの亡命貴族夫妻。そこへドイツ人に嫁いだファニーの娘サラが、三人の子供と夫を連れ二十年振りに帰ってくる。
昔の思い出に浸るひととき。しかしナチスドイツ大使館とも通じる亡命貴族テックはサラの夫クルトの素性を怪しみ、ついに手配中の反ナチ地下運動者であることを突き止める。そこに届いた長距離電話。クルトは同士であり友である地下運動リーダーの逮捕を知ることとなる……。

ユネスコ憲章

2017年10月27日 | 社会
ユネスコとは
この憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の十分で平和な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに研究され、かつ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、かつ、その憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。

横井小楠

2017年10月26日 | 社会
鎖国体制・幕藩体制を批判し、それに代わり得る新しい国家と社会の構想を公共と交易の立場から模索した。

小楠は、公共性・公共圏を実現するために、「講習討論」「朋友講学」といった身分階層を超えた討議を政治運営のもっとも重要な営為として重視した。また、交易を重視する立場から、外国との通商貿易をすすめ、産業の振興をも交易として捉えて国内における自律的な経済発展の方策を建議し、そのために幕府・藩を越えた統一国家の必要性を説いた。

日印原子力協定

2017年10月25日 | 社会

インドに原子力技術の輸出を認める日印原子力協定が20日、発効した。インドの原発市場への日本企業の参入が可能になる。インドが核保有国で核拡散防止条約(NPT)に未加盟であることから、軍事転用への懸念の声もある。


ハーバーマス

2017年10月24日 | 哲学
フランクフルト学派第二世代に位置。公共性論や、コミュニケーション論の第一人者である。ドイツの哲学者ハンス・ゲオルグ・ガダマーとの論争、フランスの哲学者ジャック・デリダ、ジャン=フランソワ・リオタールとの論争、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンとの論争、また1986年6月にフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙に発表されたエルンスト・ノルテ(de:Ernst Nolte)による論文「過ぎ去ろうとしない過去」に対して批判を加えたことによる歴史家論争(de:Historikerstreit)、アメリカ合衆国の哲学者ジョン・ロールズとの論争でも有名である。東西ドイツの再統一に際しては、目先の経済的利益や、民族主義的に基づく性急な統合ではなく、「すべての人間にあてはまる規範を掲げる憲法を尊重せよ」とする「憲法パトリオティズム」を提唱した。

カフェ・グレコ

2017年10月23日 | 社会
アンティコ・カフェ・グレコ (Antico Caffè Greco) は、1760年にイタリア・ローマのコンドッティ通り86番地で開業した歴史的なカフェ。

ローマでは現存する最も古いカフェとして知られていて、イタリア内ではヴェネツィアの カッフェ・フローリアン(1720年創業)だけがグレコよりも古い。

堀田善衛

2017年10月22日 | 文学者
1948年に処女作である連作小説『祖国喪失』の第1章「波の下」を発表、戦後の作家生活を始める。1950年10月23日に品川駅でかっぱらいをして逮捕されたと報じられたが、『高見順日記』によると、酔った上でのいたずらだったらしい。 1951年に「中央公論」に話題作「広場の孤独」を発表、同作で当年度下半期の芥川賞受賞。また、同時期に発表した短編小説「漢奸」(「文学界」1951年9月)も受賞作の対象となっていた。

1953年に国共内戦期の中国を舞台にした長編小説『歴史』を新潮社から刊行。1955年に「南京事件」をテーマとした長編小説『時間』を新潮社から刊行。

1956年、アジア作家会議に出席のためにインドを訪問、この経験を岩波新書の『インドで考えたこと』にまとめる。これ以後、諸外国をしばしば訪問し、日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍した。また、その中での体験に基づいた作品も多く発表し、欧米中心主義とは異なる国際的な視野を持つ文学者として知られるようになった。この間、1959年にはアジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長に就任。モスクワでパキスタンの詩人ファイズ・アハマド・ファイズと知り合ったのは1960年代である。ジャン=ポール・サルトルとも親交があった。日本評議会が中ソ対立の影響で瓦解したあと、1974年に結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも初代の事務局長を務めた。また、「ベ平連」の発足の呼びかけ人でもあり、脱走米兵を自宅に匿ったこともあった。マルクス主義には賛同せず日本共産党などの党派左翼でもなかったが、政治的には戦後日本を代表する進歩派知識人であった。

1977年の『ゴヤ』完結後、スペインに居を構え、以後はスペインと日本とを往復する。スペインやヨーロッパに関する著作がこの時期には多い。また、1980年代後半からは、社会に関するエッセイである〈同時代評〉のシリーズを開始。同シリーズの執筆は堀田の死まで続けられ、没後に『天上大風』として1冊にまとめられた。

1998年、脳梗塞のため死去。

編集

1952年 - 第26回芥川龍之介賞(『広場の孤独』)
1971年 - 毎日出版文化賞(『方丈記私記』)
1977年 - 大佛次郎賞(『ゴヤ』)、ロータス賞(『ゴヤ』)
1994年 - 和辻哲郎文化賞(『ミシェル城館の人』全3巻)
1995年 - 1994年度朝日賞
1998年 - 日本芸術院賞(第二部(文芸)/評論・翻訳)

スペイン内戦

2017年10月21日 | 社会
スペイン内戦(スペインないせん、Guerra Civil Española、1936年7月 - 1939年3月)は、第二共和政期のスペインで勃発した軍事クーデターによる内戦。マヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府(共和国派)と、フランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争った。反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援し、欧米市民知識人らも数多く義勇軍として参戦、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持・直接参戦するなどした。

ムーア人

2017年10月20日 | 社会
【ムーア人(moor)】 北アフリカのイスラム教徒のことでベルベル人を指す。 スペインではモーロ人と呼ぶ。 後にフィリピンでイスラム教徒と出会ったスペイン人は、彼らをモロと呼んだ。 後ウマイヤ朝の滅亡後、小王国に分裂したイスラム勢力は、絶えず紛争を繰り返した。

社会保障制度改革国民会議

2017年10月19日 | できごと

 政府の社会保障制度改革国民会議(清家篤会長=慶応義塾長)は5日、高齢者にも所得に応じた費用負担を求める最終報告書をまとめた。6日にも安倍晋三首相に提出する。毎年度1兆円ずつ増え続ける社会保障関係費を削減する一方、社会保障の対象を子育て世代や低所得者など全世代対象に改めることを求めた。

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 ただ最終報告書は2014年度からの消費増税を前提としており、安倍政権が増税の予定を修正すれば明確な行動計画を描くことはできない。

 最終報告書は「総論」部分で、「給付は高齢世代中心、負担は現役世代中心」という現行制度を見直し、社会保障の給付・負担の両面で世代間の公平性を確保するよう要望した。これからは負担を「能力別」に見直すよう提言したもので、高齢者にも所得により応分の負担を求めている。

 また少子高齢化の進展により労働力の先細りが懸念される中、子育て世代や低所得者への新たな対策を講じることも要望。


狂女フアナ

2017年10月18日 | 社会

結婚後から精神異常が顕著となり、特に夫と死別して以後さらに悪化したため、約40年の長期間にわたり幽閉された。この間、公文書のサインは女王フアナとカルロス1世の2つのサインが添えられ、名目上の共同統治者であり続けた。長男カルロス1世の統治下でスペイン帝国は隆盛を極めることとなる。


狂女フアナ」(Juana la Loca)という異名でも知られ、芸術作品の題材ともなっている。


黒沼ユリ子

2017年10月17日 | 音楽

1940年、東京に生まれる。8歳の頃よりヴァイオリンを始める。1956年桐朋女子高校音楽科1年で日本音楽コンクール第1位および特賞を受賞。その後、1958年よりプラハ音楽芸術アカデミーに留学する。プラハでいくつかの賞を受賞した後、首席で卒業し、以降世界各地で演奏活動を行っている。1980年より2012年まで、メキシコシティ・ コヨアカン地区に「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を開校したメキシコを本拠に世界各地で音楽活動を行っている。1988年フェリス女学院大学大学院の教授に就任。2007年メキシコで音楽家に与えられる最高の賞とされるモーツァルトメダルを受賞

http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2012-07-19

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アカデミア・ユリコ・クロヌマ閉幕にあたっての ご挨拶                          
メキシコにて、2012年5月15日      

本来でしたら個人的にお目にかかり、感謝の気持ちと共にご報告いたさねばならない事柄なのですが、とりあえず、このような略儀を使わせて戴きますことを、どうか悪しからずお許し下さいませ。
実はつい先週のことなのですが、やはり今学期末(6月30日)で私共のアカデミアに、幕を引くことを決心いたしました。すでに70歳になった1~2年前から迷いに迷っていたことなので、近々72歳になる今、最終的な決断をいたした次第です。
この32年間に起こりましたメキシコのみならず、世界中の政治・経済・社会状況の変化は、1980年のアカデミア発足当時には、誰もが夢にも想像出来なかったことだと思います。

今般、アカデミア閉幕の決断に至る主なる要因は、次の3点にあると考えております。

1) 近年のメキシコ市内における治安と交通渋滞のさらなる悪化。そこにソ連邦・及び東欧社会主義崩壊後の国々からのヴァイオリニストたちのメキシコへの大量移住。中流以上の家庭の子弟たちは、自宅での出稽古を申し出る彼ら教師に習うことを優先し、妻の運転する車で子供がアカデミアに通うことを夫が許さなくなった。

2) インターネットの急速な浸透により、子供や学生たちには自宅でパソコンと向き合う時間が大幅に増え、毎日、何時間かの自習が必修のヴァイオリンやチェロの練習に興味を示す者が激減した。

3) 俗に「ベネズエラ方式」と呼ばれている音楽教育システムから生まれ、現在ヨーロッパはじめ日本でも高く評価されているシモン・ボリバール交響楽団や、同システムで育ち、今や世界の楽壇で最も活躍する指揮者となったグスタボ・ドゥダメルらの存在に刺激されて、メキシコでもやっと10年ほど前に国立少年少女交響楽団が創立され、国家文化芸術審議会(日本での文化庁にあたる)直属の管轄下で、全国で子供たちへの無料音楽教育に力を入れ始めた。そこでは「奨学金」の名目で毎月メンバーたちに数千ペソの現金支給があり、低所得家庭への経済援助も兼ねている。

以上のような状況下で、昨今のアカデミアでは生徒数が激減し、以前のような存在の意義も必要性もなくなり、存続そのものも不可能となった訳です。
30年前には生徒数も120名で、門外にウエイティング・リストの生徒が並び、私共のアカデミアが唯一の幼児および少年少女への音楽教育の場だったのですが、時代がこの様に大転換・変化してしまったのです。何に関しても常に「始めあれば終りあり」と言われますが、おこがましく申せば、いわば“先見の明”があり「後世のために誰よりも一歩先んじて貴重な貢献をした」と仰って下さる方々の言葉を信じたい気持ちです

そこで、1983年のメキシコ通貨大暴落で子供用のヴァイオリンが輸入禁止品目に入ってしまい、私が日本で「不要になった小さなヴァイオリンをメキシコの子供達にご寄贈願えないでしょうか?」というキャンペーンを展開した折、多くの方々からお届け戴いた楽器を、今後どのように活用したら最善であるかを考え抜いた末、国家文化芸術審議会を通じて、地方の国立少年少女交響楽団に「日本からの善意」として託すことに決心いたしました。そして音楽振興国家システムの音楽監督エンリケ・バリオス氏と会見し、その件を伝えましたところ「大歓迎でその楽器を全部、有難く頂戴しましょう」との快諾を得ました。彼からは、「アカデミア・ユリコ・クロヌマが姿を消すのは非常に残念だが、すでにこれだけ多くの優秀なメキシコと日本をはじめ、外国人も含めたヴァイオリニストを国内のみならず世界にも送り出した多大な実績と功績が有り、それはこの国の誰もが認めているところなのだから、十分な満足感を持って今、閉幕の決断をすることは正しいことだと思う」と評価されました。
このように「公式にメキシコ側へ日本の善意が届けられる」ということを、私は6月6日の叙勲の伝達式後、日本全国津々浦々から当時ご寄贈下さった方々へお礼とご報告をしたいので、もし何らかの方法で、マスコミ関係のみな様からのご援助が戴けましたら大変有難く、この不躾なお願いをご理解戴けましたら、幸いです。
現在アカデミアには寄贈された大小のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが合わせて100台ほどあります。それらをメキシコの地方の貧しい子供たちに使ってもらえるようになりましたら、最善の終止符の打ち方になろうかと考えております。今後の楽器管理は当然、音楽振興国家システムがすることになっております。
音楽を愛するメキシコの子供たちが、これらの楽器を通じて、今後さらに日本との友情を深めて行ってくれることが出来ましたら、これ以上の歓びはありません。
一抹の寂しさが無いと言っては嘘になりますが、何しろ年齢(とし)が年齢ですので、この辺でみな様から “無罪放免”のお許しを戴けます様、お願い申し上げます。



タレンタイム

2017年10月16日 | 社会

2009年に他界したマレーシアの女性監督ヤスミン・アフマドの長編映画としての遺作となった作品。音楽コンクール「タレンタイム」(才能の時間=タレントタイム)が開催される高校で、ピアノの上手な女子学生ムルーは、耳の聞こえないマヘシュと恋に落ち、二胡を演奏する優等生カーホウは、成績優秀で歌もギターも上手な転入生ハフィズを嫌っていた。コンクールに挑戦する生徒たちの青春を描きながら、マヘシュの叔父に起きる悲劇や、ムルーとの交際に強く反対するマヘシュの母、闘病を続けるハフィズの母など、民族や宗教の違いによる葛藤を抱えた人々の様子を通して、多民族国家としてのマレーシア社会を映し出す。