一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

なだいなだ

2018年02月28日 | 社会
「権威」と「権力」と聞けば、はじめに政治学の専門分野と捉えてしまうかもしれないが、本書は、権威と権力を親子関係といった普段の生活意識に基づくものから、職業やメディアそして政治までを巻き込み、幅広く身近に見つめなおそうと試みている好著だ。 高校生と医者の二人の対話という設定で議論が進んでいき、医者がやさしく諭しながら話しをリードしていくので、初め「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)的雰囲気が頭に浮かんだが、後半に進むにつれて高校生の質問や考え方もかなりしっかりしてきて、こと後半の政治に関することでは、その内容による時代背景の違いにやや戸惑うかもしれないが(1974年初版)、ほぼ対等に議論を交えることに驚きを覚える。 とはいってもやはり、本書の魅力は、権力と権威をずっと身近に感じて考えることだ。 「~の権威が失われた」と簡単に耳にするが、それを回復することとは? 「海外は~だから、日本も~するべきだ」といった言葉に潜む権威やそれに対してどう考えればいいのか? 人が権威を信仰してしまう心理的背景とは? 個人的に印象に残ったところは、「組織は感情もなく意思もない」と語られた部分。つまり組織や集団を擬人化するのではなく、「組織の意思は個人の意思」と客観的に考える視野である。情報過多の時代だからこそ、権威や権力によって自分を見失うことなく生きていくために、本書を是非多くの人に勧めたい。

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女の一生

2018年02月27日 | 社会
フランスの文豪、モーパッサンの不朽の名作の映画化。
修道院の寄宿学校から家に戻った男爵家の一人娘ジャンヌは、清純な17歳の乙女。親の勧める子爵ジュリアンと結婚し、希望に胸躍らせ人生を歩み出したかに見えたジャンヌだったが、やがて信じ難い夫の不貞を知る。それを機に、ジャンヌの人生に対する夢は、次々と打ち砕かれていく——。



原作:ギィ・ド・モーパッサン Guy de Maupassant(1850-1893)
フランス、ノルマンディー生まれ。パリ大学在学中に普仏戦争に従軍・フローベールに師事、創作の指導を受ける。30歳で発表した「脂肪の塊」で作家としての地位を確立。33歳で発表した「女の一生」はベストセラーになる。10年間で長編6作と中短編300余と旺盛な創作活動を続けたが、神経系の発作に襲われ1892年に自殺を図り、翌年パリの精神病院で死去。



 世界中で何度も映像化されてきた不朽の名作「女の一生」が、再び映画化された。時代も国も超え、1883年に刊行された古典文学の、何がそんなに私たちを魅了するのか——。
 恋愛、結婚、出産、子育て、親を看取ること——。置かれる立場や状況は違えど、“女の本質”はそう変わらない。こと世間知らずなお嬢様ジャンヌは、諸所のつまづきを真正直に、まともにかぶってしまう。だから濃いドラマが生まれる。濃いから面白く、目が離せない。
 一方、ジャンヌの夫ジュリアンをはじめ他の登場人物も、この現代でもたやすく見出せるほど、滑稽なくらいにリアルで人間臭い。また、現代社会をも賑わせる“不倫”についても、どれほど多くの人が“道ならぬ恋”に陥るか、その代償の大きさも含め、古典という言葉のイメージを覆す過激な展開をみせ、観る者の度肝を抜く。古典文学の格調高さと普遍性に、予想を超えた劇的な展開が差し込まれる。それが、「女の一生」の魅力の一つでもあろう。
女の一生
研ぎ澄まされた大胆な演出、美しい映像のミルフィーユ

本作の監督・脚本は、『母の身終い』(12)『ティエリー・ドグルドーの憂鬱』(15)など、逆境に置かれた人間の静かなる闘いを、リアリズムに徹しながらそこに詩情を流し込んで描く手腕が高く評価されてきたステファヌ・ブリゼ。本作で見事ヴェネツィア国際映画祭2016国際批評家連盟賞、2016年ルイ・デリュック賞を受賞した。
 19世紀の四季折々のノルマンディーの美しい田園そのもののような映像美と、モーパッサンの小説ならではの世界を映画化するために、ストイックな話法で、ジャンヌの人生を自制をこえて重ねる映像のミルフィーユを作り上げた。格調高くも斬新な、その美味なるミルフィーユをご賞味いただきたい。
女の一生
新旧の名優が競演!

 ジャンヌを演じるのは、『カミーユ、恋はふたたび』(12)でセザール賞助演女優賞にノミネートされ、本作でセザール賞主演女優賞にノミネートされたジュディット・シュムラ。本作では、初々しい17歳から老け込んだ40代後半までを、特殊メイクの力を借りずに自然に演じ切って監督を唸らせた。
 ジャンヌの父親役には、『キリマンジャロの雪』(11)の名優ジャン=ピエール・ダルッサン、母には『セラフィーヌの庭』(08)のヨランド・モローと、実力はベテラン勢が存在感を発揮している。スワン・アルロー、フィネガン・オールドフィールドの美青年対決も目が楽しい。

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吉田裕

2018年02月27日 | 社会
吉田 裕は、日本の歴史学者。一橋大学教授。同時代史学会代表。専門は日本近代史。大学では大江志乃夫、大学院では藤原彰に師事。 埼玉県豊岡町出身。南京事件論争においては、虐殺数を十数万人以上とする立場を取っている。また、昭和天皇の戦争責任などについても論じている。

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和田春樹

2018年02月26日 | 社会
大阪府生まれ。静岡県立清水東高等学校を経て、東京大学文学部卒業。

大学入学から、退官まで、約50年間に渡って東京大学においてのみ過ごした。研究分野は多岐にわたるが、ロシア・ソ連・朝鮮半島の近現代史及び、それらの地域と日本の関係にまつわるものが多い。左翼運動・市民運動などの実践活動でも知られる。2010年に韓国の全南大学から「第4回後広金大中学術賞」を授けられる。
2017年10月意見書―米朝危機と日本


  みなさま

 私は、現在日本では、北朝鮮危機、あるいは米朝危機についての情勢分析ばかりが行なわれ、日本が戦争と平和の危機の前にあると認めることを躊躇し、戦争を防ぐために行動する意欲がなかなか高まらない雰囲気であることを憂慮しています。

 政治の世界では、安倍政府自民党が対北朝鮮政策を衆院選挙の公約のトップにかかげて、国民の信を問おうとしています。安倍政府を批判しようとする野党の側では、政府の政策に対抗して、自分たちの求める方策を対置するところにまで進めていないように見えます。どういう方策が実際に提案できるのか、十分な討論が不足しているのです。

 そこで、このたび、私の意見をまとめてみました。これをお送りしますので、ご検討いただければ幸いです。

 なお、私は、先に『世界』7月号に「北朝鮮危機と平和国家日本の平和外交」を発表し、それを書き直し、インタビューを加えた小さな本、『米朝戦争をふせぐー平和国家日本の責任』(青灯社)をこのたび刊行しました。また日朝国交促進国民協会が9月11日に開催した討論会「北朝鮮危機と日本のなすべきこと」のまとめは『世界』11月号に収録されました。こちらもご覧になっていただければ、幸いです。

 

               2017年10月6日

                             和田 春樹




意見書「米朝危機の中で日本と東北アジアの平和を守ることを願う」

              2017年10月6日   和田 春樹

 

1 北朝鮮のミサイル、ICBMの発射が猛烈なテンポで行われ、第6回の核実験、水爆実験もなされた。これに対して米国、日本、国連の制裁措置がつぎつぎに厳しさを増して打ち出され、軍事的な威嚇の措置も米韓および日本によってとられている。

 しかし、双方の行動が相手側の態度の変化をもたらすことはなく、対立と緊張は言葉の戦争をもともなって、激化の一途をたどっている。米国と北朝鮮のこの対立のゆきつくところに見えるのは米朝の軍事的衝突、米朝戦争しかない。

 すでに英国の王立防衛安全保障研究所では、9月に所員マルコム・チャルマースの報告書「朝鮮における戦争に備える」を発表した。この報告書は、戦争が起きる可能性を二つ指摘している。第一は、北朝鮮が、米国が不意打ち攻撃を準備していると思い込んで、先に攻撃する場合、第二は、北朝鮮のミサイルがグァムやカリフォルニア近くの海にとどく能力をもつにいたったということで、米国が我慢できずに北朝鮮を攻撃する場合である。第二の可能性がずっと現実味をおびている。この報告書は、戦争が朝鮮半島でおこるかのように想定しているが、われわれの見方からすれば、米国の原子力潜水艦、その他艦船からの巡航ミサイルの大量発射により北朝鮮に壊滅的な攻撃が行われるとすれば、瀕死の北朝鮮はのこったミサイルで在日米軍基地、佐世保、岩国、横須賀、沖縄そしてグァムを攻撃するだろう。沖縄へは核攻撃が行われる可能性があり、日本海沿岸にある原発原子炉23基へのミサイル攻撃もありうる。日本も瞬時のうちに米朝戦争にまきこまれる。したがって、米国の軍事行動がとられれば、米日対北朝鮮の戦争になり、自動的に日本は戦場になるのである。この戦争で、北朝鮮、日本、韓国が壊滅的な被害をうけることはまちがいない。

2 だから、米朝の対立が激化するのを目の当たりにしている日本は、この対立緊張が高まって、米朝戦争になるのをなんとしても防がなければならないのである。この前の戦争が終わって、70有余年、日本のまわりで、戦争がおこらなかったわけではない。しかし、日本から米軍が出動し、B29やB52が出撃して、よその国に爆弾を投下することはあっても、日本に爆弾が降ってくることが心配されたことは一度もなかった。いまはじめて、日本は戦争にまきこまれ、平和な生活を失う危険に直面しているのである。

そうであるのに、安倍晋三首相は、トランプ大統領が「自国と同盟国を守ることを強いられれば、われわれは北朝鮮を完全に破壊するほかなくなるだろう」と述べると、翌日同じ国連総会の演壇から、いまや必要なのは、「対話ではなく、圧力」であると宣言し、「全ての選択肢はテーブルの上にある」という米国の立場を一貫して支持すると述べたのである。翌日、河野太郎外相は、コロンビア大学で講演し、北朝鮮と国交をもつ各国に断交するように呼び掛けた。断交は宣戦布告につながる行為である。これでは、日本は米国トランプ政権と一心同体になって、北朝鮮の屈服、降伏をめざして、圧力、制裁を高め続けていくということになる。最後に米国が北朝鮮に軍事的措置をとるということになったら、それに同調して、戦争に突っ込むことになってしまうのである。

安倍内閣の対北朝鮮政策は、日本の平和をあやうくし、日本国民の生活と未来を破壊するものであり、到底容認することはできない。日本国憲法は、その第9条第一項で、国際紛争の解決のために軍事力の行使も、軍事力の威嚇も絶対におこなわない、平和外交によって努力することを政権担当者に命じている。安倍首相の対北朝鮮政策は憲法違反の政策である。

3 安倍政権の見るところでは、現在の危機は、北朝鮮という「ならずもの国家 rogue state」が国際秩序に挑戦し、安保理決議違反の「挑発」をつづけていることからくる。しかし、この見方は正しくない。現在の危機の本質は、多年にわたる米朝対立、米朝紛争にあると考えなければならない。

朝鮮戦争は1953年7月に終わったが、中朝軍と国連軍16か国のあいだに休戦協定が結ばれただけであり、平和は構築されず、軍事的対峙状況がつづいている。その後米軍が韓国に駐留し続ける間、北朝鮮は朝ソ友好協力相互援助条約によって核の傘を提供され、守られていた。70年代には米中和解によって中国にとっての朝鮮戦争が完全に終わることになり、南北関係も変化した。朝鮮半島での軍事的対峙状況は米朝対立に限定されるにいたった。ところで、1990年前後には冷戦の終わり、ソ連社会主義体制の終焉という大変化がおこり、ソ連の核の傘をうしなった北朝鮮は核武装を模索することを決意し、同時に、日朝国交正常化をおこなって、孤立から脱しようとした。しかし、米国は北の核開発、核武装を認めず、そのような志向をもつ北朝鮮と日本との国交正常化を妨害した。これによって米朝関係はあらたな対立関係に入り、25年の曲折をへて、今日の危機的関係にいたったのである。

4 米朝間の対立の本質が以上のようなものであるとすれば、日本が米朝戦争を防ぐために働く余地が十分にあり、当然そうすべきである。

日本と北朝鮮とのあいだには、交渉しなければならない懸案がある。日本は1945年におわった朝鮮植民地支配の清算を朝鮮半島北半分の国家とは70年余はたしていない。2002年に日朝平壌宣言を出し、清算の方式について合意を結ぶにいたったままで、15年間放置してきた。この積年の日本国家の未済の責務をはたすことがまずすべての交渉の前提である。

さらに、1970年代末からおこった拉致事件についての交渉もいまだ終わっていない。北朝鮮を制裁でおいつめるだけでは、拉致問題の解決はえられないのである。

日本と北朝鮮は交渉しなければならない問題をかかえている。だからこそ、米朝の対立をゆるめ、緊張を緩和するために、日本が米朝の間に入って、説得することもできるのである。日朝国交正常化の課題は一挙に問題解決への前進を可能にする道をあたえてくれる。

現実的には、日本は、オバマ大統領の無条件キューバ国交樹立方式にならって、北朝鮮との国交を無条件で樹立し、平壌と東京で、ただちに経済協力問題、拉致問題、核ミサイル問題について交渉を開始するのがよい。

5 さらに2020年の東京オリンピックの開催に対して、日本はそれが無事に開催されるように条件を整える責任を全世界の人々に負っていることに注意を喚起したい。オリンピックを招致した安倍晋三首相、オリンピック・パラリンピック組織委員会会長森喜朗氏、さらにオリンピック開催都市東京の都知事小池百合子氏の三人には、特別重い責任がある。日本国民は、何よりも日本の周辺で戦争がおこり、オリンピックが開催できなくなることがないように、あらゆる努力を払わなければならない。

この意味でも、日本は、米国と一緒になって、緊張を高めるのではなく、米朝戦争を絶対に阻止するように、全力をつくさなくてはならない。対北朝鮮平和外交を!――これこそ現下の最大の課題である。



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金子兜太

2018年02月25日 | 社会

【動画】戦争について語る俳人の金子兜太さん=2013年取材
 俳壇の長老で、戦後俳句を代表する金子兜太さんが20日、亡くなった。98歳だった。埼玉県熊谷市の病院に2月上旬から入院していたが、長男真土(まつち)さんとその妻に見守られて静かに息を引き取った。真土さんは「この年まで現役で俳句を詠みつづけ、よく頑張りましたね」と声をかけて頭をなでた。
【特集】金子兜太さん
 金子さんは「俳句にも社会性が必要」と同時代の思想や時代背景を積極的に詠み、時に実験的な手法も用いて俳句の革新を試みた。一方で、民衆の心をうたう詩として普及につとめた。悲惨な戦争の体験者として不戦を訴え続け、晩年まで政治や国際情勢に関心を抱き、きな臭くなる社会の行く末を案じていた。
 力強い作風の原点には、海軍主計中尉として赴任した南洋・トラック島での戦場体験があった。
 ログイン前の続き「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」は、15カ月間の捕虜生活を終え、日本へ帰る船上で作られた。戦争がない世の中をつくり死者へ報いるという決意は、「朝はじまる海へ突込む鷗(かもめ)の死」「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」など初期の作品から、近年の「左義長や武器という武器焼いてしまえ」にまで一貫した。
 2011年3月の東日本大震災後は、東北への思いも深めた。被災地の復興を気に掛け、震災関連の句に目をとめては「新聞の俳壇欄はジャーナリズムだ」と言い続けた。安全保障関連法案への反対が広がった15年には、旧知の作家澤地久枝さんに頼まれて揮毫(きごう)した「アベ政治を許さない」のプラカードが、全国のデモの現場で揺れた。
 1987年に朝日俳壇選者に就任して以降、毎週約5千の投句の全てに目を通し、新しい表現や詠み手を積極的に発掘した。好奇心旺盛で、17年夏には埼玉県の「原爆の図 丸木美術館」を記者と訪れ、受けた感慨を句に詠んだ。
 17年秋の朝日俳壇・歌壇全選者による歌仙(36句の連句)イベントにも参加した。イベント当日は欠席したが、「戦さあるなと起きて花野を歩くなり」と力強い発句を詠んだ。明るく親しみやすい人柄で、俳句以外の分野の人々とも交流を深め、世代を超えて慕われた。(小川雪、田中正一)

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田淵行男

2018年02月25日 | 社会
日本が誇るナチュラリストがとらえた安曇野の自然

日本を代表する昆虫生態研究家で自然写真家の田淵行男を顕彰するため、平成2年7月開館。ご遺族などからのご厚意を得て、現存する田淵作品、約73,000点を収蔵しています。

また、カラーフイルムの無い時代、本物の美しさを持ったチョウの図鑑を作りたい、との想いから描き始められたチョウの細密画や、愛用の品々など、田淵の仕事の全容を把握できる内容となっています。

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カーリング

2018年02月25日 | 社会
 「カーリングが日に日に好きになってきた」「お互いを信頼しあっている感じ」。SNS上には好意的な反応が広がる。選手が作戦を話し合うときに何げなく使う「そだね~(そうだね)」の相づちも、優しい北海道弁のイントネーションが耳に残ると評判だ。

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両班

2018年02月24日 | 社会
ヤンバン【両班 yangban】

朝鮮の高麗や李朝において,官僚を出すことができた最上級身分の支配階級。この語は中国に起源をもち,元来は国家の公的会合における官僚の2列の並び方のことであり,東班(文官)と西班(武官)を意味する。両班の形成は官僚制が成立した高麗初期からみられるが,官僚の世襲化とともにしだいに社会的・身分的に特権化していき,李朝初期には血縁的身分として固定化される傾向が顕著になった。また14世紀ごろからさまざまな契機によって両班が増加し,朱子学の浸透とともにいわゆる両班社会を形成した。

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韓国 運動圏

2018年02月24日 | 社会

韓国には「制度圏」と「運動圏」という言葉があります。「制度圏」とは、大統領や、議会や、与党野党、行政機関など、伝統的な政治制度のこと。「運動圏」は、利害ではなく正義を求めている。社会正義を求めていると言ったらいいでしょうか。ただ、正義といっても自分たちが求めるものが正義であるとしていますから、行動がかなり原理主義的なんですよ。慰安婦問題でも正義を求める人がいて、おばあさんたちが一人でも納得していなかったら抗議しなきゃいけないと、そういうことをしているんですね。
日本の場合は、代議制の間接性が非常に強いんだと思います。だから市民運動や社会運動などは選挙の間は比較的おとなしい。韓国の場合は、直接性と言ったらいいんでしょうか。参加型の民主主義で、いつも行動しているようなところがあります。その原因は難しいんですが、これは多分儒教的な文化ではないでしょうか。

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光州事件

2018年02月23日 | 社会
1979年10月26日、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、18年にわたる軍事独裁政権が幕を下ろした。しかし12月12日、軍部の一部勢力が粛軍クーデターで事実上、政権の実権を握ると、軍事政権の復活を警戒する学生らの民主化デモは韓国全土に拡大した。

1980年5月17日、軍の実権を握っていた全斗煥(チョン・ドゥファン)は、非常戒厳令を全国に拡大。金大中や金泳三ら有力政治家を連行した。民主化を求める学生デモはさらに激化。南部の光州では、空挺部隊が投入され、市民への発砲などで多くの死者、行方不明者が出た。「5.18記念財団」によれば、認定された死者は154人、行方不明者70人、負傷者1628人に上る。

5月27日、戒厳軍は市内を制圧した。光州市内の電話がこの日まで通じなくなり、メディアも情報統制されたため、光州市内で何が起きていたのかの真相は、長く明らかになることはなかった。

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ソスン

2018年02月22日 | 社会
徐勝(ソ・スン、서승、1945年 4月3日-)は、在日韓国人2世。立命館大学特任教授。立命館大学コリア研究センター研究顧問、靖国反対共同行動韓国委員会共同代表。専門は、比較人権法、東アジアの法と人権、現代大韓民国の法と政治。北朝鮮工作員との容疑で韓国で共に逮捕された人権運動家の徐俊植、作家で東京経済大学教授の徐京植は実弟。

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韓国大統領

2018年02月21日 | 社会
過去の大韓民国の大統領は、在任中に暗殺されたり、退任後に自身や身内が刑事捜査によって逮捕・起訴されて有罪判決を受けたり自殺したり、あるいは糾弾を受けて亡命を余儀なくされるなどして、不幸な末路を迎えている例が多い。

李承晩:1960年の4月革命により国外へ亡命。
尹潽善:クーデターにより任期満了前に辞任。
朴正煕:夫人の陸英修が1974年に、自身も1979年に暗殺される。
崔圭夏:クーデターにより任期満了前に辞任。
全斗煥:退任後に不正蓄財と民主化運動弾圧の罪で逮捕・投獄・死刑判決。
盧泰愚:退任後に不正蓄財と民主化運動弾圧の罪で逮捕・投獄。
金泳三:次男の金賢哲が斡旋収賄と脱税で逮捕。
金大中:長男の金弘一・次男の金弘業(김홍업)・三男の金弘傑(김홍걸)が権力を悪用した不正蓄財で逮捕・投獄。
盧武鉉:在任中に弾劾訴追(罷免には至らず)、兄盧建平(노건평)が斡旋収賄で逮捕、自身も収賄疑惑を受け投身自殺。
李明博:兄の李相得が斡旋収賄で逮捕。
朴槿恵:知人の崔順実に国政への介入を許したなどとして弾劾訴追・罷免、罷免後に収賄疑惑で逮捕・起訴[20]。

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脱亜入欧

2018年02月20日 | 社会


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“脱亜入欧”の時代もあったが、時代は“脱欧入亜”に限りなく近づいている

 福沢諭吉が自ら主宰する新聞「時事新報」において、論説で興亜論を展開したことになっているが、“入欧”については一言も触れていない。脱亜とも言っていない。丸山眞男は「日本で、「脱亜入欧」という成句が、あたかも福沢自身の造句であるかのように喧伝(けんでん)され、いなそれ以上に、福沢の全思想のキー・ワードとして、学界だけでなく、一般ジャーナリズムの世界にまで流通するようになったのは、きわめて最近の現象であり、たかだか一九五〇年代以後の傾向である。」だと言っている。

 その他の福沢諭吉の「脱亜入欧」言説研究に置いても、福沢諭吉の言葉とする“便宜主義者”が介在し、歪曲したと考えるのが妥当だ。当然右翼系論陣を張る何者かが、便宜的に使用し始めたのだろう。それを、マスメディアも都合よく使った。福沢諭吉にしてみれば、自分が言ってもいない「脱亜入欧」で日本がアジアから遠ざかったことを、不快に思っているに相違ない。右翼系陣営と経済界・米国には都合の良い勘違いだったことも事実だ。どちらかと言うと、諭吉は韓国を中心に「進出」を企てていた傾向があるくらいで、脱亜に至る経緯は見られない。

 まぁ筆者もキャッチコピーに「脱亜入欧」の裏返しで「脱欧入亜」を標榜しているのだから、便乗者の一人だともいえる(笑)。脱亜入欧が一般に強く喧伝されたのは1950~1960年あたりだと云う。正直筆者も騙されていたわけだ。「脱亜入欧」こんなことを真面目に語った福沢諭吉が、どうして一万円札の中で、デカイ顔をしているのか判らなかったが、今回概ね理解した。興味があるのは、1950年以降一般に使われだした点だろう。

 1950年以降の戦後史で目を引くのが1949の「ドイツ東西分断」、「北大西洋条約機構」、「中華人民共和国成立」。1950年の「中ソ友好同盟相互援助条約」、「朝鮮戦争」の勃発である。つまり、東西冷戦が始まった年と云うことだ。同時に、日本ではレッドパージの嵐が吹き荒れ、自衛隊の前身である警察予備隊が編成されている。

 ほう!成る程そう云う事なのか、とニオイとして納得した。たしか記憶によれば、吉田首相に対し米国は再軍備を命じたが、吉田は再び官僚及び軍部の台頭を招くとして、首を縦に振らなかった経緯があったはずだ。穿った見方をすると、「脱亜」は「脱社会主義」と云う意味合いの“すり替え成句”だった可能性がある。これぞ見事な“プロパガンダ四文字熟語”だ。一般的に福沢諭吉といえば「学問のすゝめ」を書いた国民人気抜群の啓蒙思想家であり、慶應義塾の創始者でもある。「脱亜入欧」を、国民からの絶大な支持を持つ偉人・福沢諭吉の言葉とすることは、絶対真実として通用すると、プロパガンダ用語化した人間達は考えたのだろう。

 今でも、ネトウヨ系人物のブログ等を覗くと「脱亜入欧」を標榜している部分に出くわす。そもそも、「脱亜入欧」等と云う言葉はなかったのだ。まぁ99%、東西冷戦のはじまりに合わせ急遽西側陣営によって作られた“スローガン”なのだろう。「脱亜入欧」なる四文字は「脱社会主義、入自由主義」と云うことなのだろう。しかし、「学問のすゝめ」諭吉の言葉にしてしまうとは、巧妙だ。おそらく日本の官僚がサジェストしたと考えるのが妥当だ。まぁこの件を深追いする寝られなくなるので、やめておく。

 ここまで調べて疲れ果ててしまった(笑)。しかし、政権交代時の鳩山由紀夫の“日本と価値観の異なる国に対して互いの立場を認め合いながら、共存共栄をしていく”と云う友愛外交に触れないのはフェアではないので、もう少し頑張ってみよう。鳩山はその中で、“自由民主党が推進して来た価値観外交に嫌悪感を表明し、 日本と価値観が異なる国家体制を尊重しながら、「友愛が導く国家目標」として「東アジア共同体」を創設し、アジア共通通貨”構想を語っている。筆者も鳩山の外交姿勢は大いに支持している。ダメだったのは、それを推進する政治力がゼロだった事である。

 特に「東アジア共同体」の構想は、その後の米国の暗躍を激化させた。鳩山・小沢追い落としが、米国配下の日本の既得権益勢が総出で、彼等に襲いかかった。この「東アジア共同体」の構想は、戦前からあった構想だし、中国も考えていたし、ASEANも色々と考えていた。ただ、構想の中身は我田引水な心根に基づくものだったし、アイディア程度の意味合いも強かった。しかし、鳩山の友愛外交を基盤とする東アジア共同体構想は、必ずしも我田引水ではなかったし、いやしくも日本の内閣総理大臣が所信で発言したことに意義がある。勿論、それ故に、つぶしに掛かる勢力の動きも急だったと云うことだ。

 ただ、どれほどアメリカがTPP等とチャチャを入れたとしても、アジアの時代が来ているのは確実で、動かしようもない。太平洋を隔てて“俺もアジアだ!”アメリカさんよ、それは無体だ(笑)。つまり、福沢諭吉の発言だと捏造してでも「脱亜入欧」を日本人に刷りこもうとしたアメリカである。鳩山の「東アジア共同体」や筆者が主張する「脱欧入亜」など死んでも認めるわけにはいかないのだろう(笑)。しかし、凋落の兆しは、力づくで何度押し返しても、足元にヒタヒタと波は押し寄せる。これは恐怖だろうね。世界最強の軍事力を持ち、地球を支配し、人類を支配できると思っていたのに、その栄華が滅びようとしているのだから、簡単には諦めないだろう。

 筆者などが考える「脱欧入亜」は鳩山の友愛などには程遠く、ただ現実を観察した結果のリアリズムだ。人類の人口分布図を眺め、生産に適する民族の分布を観察し、資本主義というものが、当分の間人類の主たるツールである限り、そこは何処かである。呆れる事実だが、アジアだけが突出して、その条件を満たしている。歴史的に俯瞰すれば、東西冷戦の次の時代はアジア(亜細亜)だったのだ。資本主義では“生産に適する民族の分布”は一大消費地であることも示すのだから、もう勝負ありである。グローバリズム経済を作ったアメリカが、そのグローバルの影響で窮地に追いやられる。自由と人権を標榜し国家を存立させているアメリカが、今度は「自由と人権」のブーメラン現象で、群れのように存在する小国諸国の権利主張に耳を傾けるポーズを取らざるを得ないと云う、更なる皮肉な現象にまで直面している。

 もう駄目だ、寝ます(笑)。何処か“尻切れトンボ”だが、賢明な皆様は、ご自分で補足しながら理解してくれるに相違ないと信じて、寝ることに。オヤスミナサイ!そうそう、朝の11時からはダルビッシュ君応援しないと~!



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有吉佐和子

2018年02月19日 | 社会
有吉 佐和子は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナといった。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。

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平出和也

2018年02月18日 | 社会
1979年5月25日長野県諏訪郡富士見町生まれ。

小中学校では剣道に打ち込み、長野県3位となった記録を持つ。

1995年4月、東海大学第三高等学校に入学。陸上部に所属し競歩の選手として活躍、全国大会で6位入賞。高校時代は訓練のため赤岳など日本の山を陸上スタイルで走って登っていた。

1998年4月、東海大学入学。高校時代に引き続き1,2年時は陸上部で競歩に取り組み、日本選手権10位。3年時より陸上部を離れ、山岳部に所属。2年後にはヒマラヤ遠征に加わる。

2001年、未踏峰クーラカンリ東峰(7,381m)に初登頂を果たし、日本スポーツ賞を受賞した。

2008年7月、同じICI石井スポーツ所属のプロ登山家竹内洋岳からの誘いで8,000m峰のガッシャーブルムⅡ峰とブロードピークにサポート兼カメラマンとして参加、連続登頂に成功。

2008年10月のカメット峰(7,756m/インド)南東壁未踏ルート初登攀の功績によって、パートナー谷口けいと共に「第17回ピオレドール賞」を日本人として初受賞[1]。同功績により日本スポーツ賞も受賞。山岳スキー競技選手権アジア選手権団体リレー優勝、個人バーチカル5位、個人総合4位。

2013年5月、ミウラエベレスト2013隊に参画し、三浦雄一郎の80歳でのエベレスト登頂を撮影[2][3]。

2014年、NHKテレビ番組「グレートトラバース」で日本百名山一筆書きに挑戦した田中陽希に撮影スタッフとして同行。翌年、続編の日本二百名山一筆書きにも撮影スタッフとして同行。

2015年12月、世界的な山岳登攀と独自の技法による撮影実績が讃えられ、第17回秩父宮記念山岳賞受賞。

ICI石井スポーツ所属(登山本店勤務)。

2017年「誰にもまねできない冒険と撮影を両立している」として第21回植村直己冒険賞受賞。

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