福田 恆存(ふくだ つねあり(有職読みで「ふくだ こうそん」とも)、1912年(大正元年)8月25日 - 1994年(平成6年)11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。1969年(昭和44年)から1983年(昭和58年)まで京都産業大学教授を務めた。1981年から日本芸術院会員。
平和論への批判をした保守派の論客であり、またウィリアム・シェイクスピアの戯曲の翻訳で知ら1947年(昭和22年)に『思索』春季号に発表された「一匹と九十九匹と」は、政治と文学の峻別を説く内容で、「政治と文学」論争に一石を投じた。この一文をもって福田の代表作とみなす声も多い。
昭和20年代後半ごろから、文学への関心は次第に個別の作家論や文芸批評を離れていった。この時期の代表作は、芸術をより根本的に論じた1950年(昭和25年)の『藝術とは何か』(要書房)に加え、人間論にまで展開した1956年(昭和31年)の『人間・この劇的なるもの』(新潮社)などの著作である。
福田恆存の名を世間で有名にしたのは、進歩派全盛のなかでの保守派の論争家としての活動であった。1954年(昭和29年)に『中央公論』に発表した「平和論の進め方についての疑問」で、進歩派の平和論を批判。また戦後の国語国字改革を批判し、1955年(昭和30年)から翌年にかけての金田一京助たちとの論争で「現代かなづかい」・「当用漢字」の不合理を指摘した。その集大成が歴史的仮名遣のすすめを説く『私の国語教室』(新潮社、初版1960年(昭和35年)、読売文学賞受賞)である。著書は全て歴史的仮名遣で書かれたが、出版社の意向で文庫の一部等は現代かなづかいを用い出版された。れる。昭和・戦後・20世紀を代表する思想家として名高い。
イトケン>「平和論の進め方についての疑問」「常識に還れ」を読んだが、福田恒存のいわゆる保守派の言動という先入観から、解き放つ必要がある。いわゆるレッテルはなんら解決にはならないばかりで、むしろ違和感があることの方が真実を多く含んでいるのかも知れない。
『キティ颱風』
著 福田恆存
1950年
資産家・大村浩平とその妻・大村咲子の邸宅は多くの人が集まりサロンとなっている。咲子を中心に回るサロンの人物関係はある事件をきっかけに崩壊の一途をたどる。
4幕構成。3幕で、タイトルにもなっている「キティ颱風」が上陸、その幕の終わりにたたみかけるように事件が起きる。4幕ではひたすら時間が流れる。
チェーホフの『三人姉妹』を読んでいるような感覚になる。
登場人物がやたらと多く、一度読んだだけでは人間関係を拾いきれなかった。