一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

ジャパンハンドラーズ

2019年06月30日 | 社会
ジャパンハンドラーズ マイケル・グリーン氏
ジャパンハンドラーズが進めている運動の目的は、日本と協調して国際金融情報を駆使して日米両国の経済発展を模索することです。
その為に、今から日本の若手国会議員にアプローチして、国際金融情報を共有して長期的な日米の協力体制の布石を打っておくという、米国の対日本への長期戦略ともとれる動きです。

ジャパンハンドラーズが震災後の日本に、
特に第1に強調しているのが、国際金融情報の指針に基づき環太平洋連携協定、TPPへの参加を早期に表明し、震災復興、経済再建に全力を尽くすべきという点。
しかし、TPPに関してはトランプ政権になってから、アメリカ自体が脱会を表明したので、今後のTPPの将来性に少し翳りが見え始めました。
このアメリカのTPPへの不参加は、国際金融情報を駆使しても予想できない不測の事態でした。

出典: http://gunji-douga.fem.jp
国際金融情報の活用が重要!
第2に日本が国際金融情報を活用して経済問題に取り組み、長期的な成長戦略を策定することです。

第3に上昇率2%の物価のインフレ目標を掲げ、デフレ対策にに取り組むこと。
これを実現する為に長期的に、国際金融情報をベースに経済改革が最も重要になり、改革を促進するベストの方策として、ジャパンハンドラーは日中韓などで自由貿易協定を締結することを提言しました。

知日派(ちにちは)あるいは知日家(ちにちか)とは、日本の社会・文化などに対して深い理解を持つ言動を行う外国人を指す言葉である。日本文化を愛好する「親日」とは一般に区別され、対日強硬派の知日家もありうる。
また、特に国際政治において、日本政府の手法を知り尽くした政権スタッフやタフ・ネゴシエーター(手強い交渉人)、ジャパンハンドラー(日本を飼い馴らした人物。特にアメリカでの用法)を指すことが多い。この意味での知日派の代表としてリチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、ジョセフ・ナイ、カート・キャンベルらがあげられる。
中国や韓国でも用いられる語句であるが、特に韓国の場合には「親日派(チニルパ)」が売国奴と同義になるため、「知日派」が用いられる(詳しくは当該ページを参照のこと)。政治とは無関係に日本文化に熱中する人々は中国・台湾では「哈日族」、韓国ではやや軽蔑的に「イルパ」と呼ばれる。
このページでは「親日家」もまとめて記載する。

パッチギ!

2019年06月29日 | 社会
あらすじ[編集]
1968年。京都にある府立東高校2年生の松山康介は、常日頃から争い事の絶えない朝鮮高校(朝高)にサッカーの練習試合を申し込むことになった。康介と友達の紀男はしぶしぶ朝高を訪れるが、そこで康介は音楽室でフルートを奏でていた少女・キョンジャに一目惚れする。しかしあろうことかキョンジャの兄アンソンは同校の番長であった。どうしてもキョンジャと仲良くなりたい康介は韓国語を必死で習得すると同時に楽器店でギターを購入。キョンジャが演奏していた「イムジン河」(임진강/림진강)を覚え彼女の前で演奏することを決意する。
作品解説[編集]
京都における日本人の少年と在日コリアンの少女との間に芽生える恋を中心とした青春映画。
オール京都ロケで撮影された。京都の町並みはほとんどが撮影時の風景そのままの姿であり、CGで電線やアンテナ、ビル群などを消すことはほとんどなかったという[2]。エキストラには朝鮮総連協力の下、実際の在日朝鮮人が多数出演した。ただし、主要の演者で「韓国人」「朝鮮人」「在日」の人はほとんど起用されておらず、朝鮮語がかなり片言の日本語訛りである。そのため、単語のみで会話するシーンが多い。 本作では日本社会とは完全に同化せず独立した共同体を築く在日韓国・朝鮮人の社会を描いている。
他方、主人公が恋をバネに朝鮮人への理解を深めるという作劇や、全編に「イムジン河」を流し、「あの素晴しい愛をもう一度」をオリジナル形で映画主題歌に提供するなど音楽監督の加藤和彦が力を入れた音楽面の充実もヒットに貢献した。

降籏康男

2019年06月28日 | 社会
長野県松本深志高等学校、東京大学文学部フランス文学科卒業後、1957年東映入社[1][2]。1978年に東映を退社しフリーとなり、1999年、『鉄道員』で日本アカデミー賞監督賞・脚本賞を受賞。2002年に紫綬褒章、2008年には旭日小綬章を受章した[1]。80歳を過ぎてからもメガホンを執った監督として知られた。
『追憶』撮影終了後の2016年にパーキンソン病を発症し、療養生活に入る[1][2]。2019年5月20日9時44分、肺炎のため東京都内で死去[1][2][3][4]。84歳没。
人物
降旗とのコンビで「夜叉」「鉄道員」など数々の作品を作り上げた高倉健は、寡黙で撮影現場ではほとんど声を張り上げて指示を出さない降旗に対し、コンビを組むことの多いカメラマンの木村大作が大変なおしゃべりで現場を仕切るため、初めて呼ばれる役者は木村が監督だと勘違いすることもしばしばあると、自身のエッセイ「あなたに褒められたくて」でユーモラスに紹介していた。一見すると頼りないようにも思えるが、木村のような個性の強いカメラマンに撮影された作品でも、必ず降旗の個性の出た降旗作品に仕上がる。と語っている。
1978年には、東映の吉川進プロデューサーから「『スパイダーマン』の監督をやってみないか?」と声をかけられたことがあり、しばらく後になって「いつになったら俺に『スパイダーマン』を監督させてくれるんだ」と意外な返答をしたこともあったという[5]。
日本共産党の支持者としても知られていた。

ケインズとシュンペーター

2019年06月27日 | 社会
【1930年代の大恐慌時代を生きた二人の天才経済学者。時代を超え、偉大な英知がいま再び光を放つ!】

〓〓不況期における有効需要の大切さを説いたケインズ、イノベーションこそ資本主義の原動力だと喝破したシュンペーター。
20世紀を代表する二人の経済学者の足跡をたどりつつ、そのビジョンをわかりやすく解説。我々を襲う現在の経済危機克服に向け、天才の遺した「ビジョン」が甦る。〓〓

●本書は、日本を代表するケインジアンであり、経済財政諮問会議の民間議員として日本の経済政策に深くかかわってきた著者による最新作です。
●とはいえけっして難解な内容ではなく、ケインズとシュンペーターという天才たちの「経済に対するビジョン」を、二人の歩んだ足跡を丁寧にトレースしつつ浮き彫りにしてゆく、知的興奮に満ちた書です。
●そのなかから、21世紀を迎え新たな危機に陥った我々にとって、二人のビジョンが今でも間違いなく有効であることが説き明かされます。
●さらには、天才二人の思想を融合した新たな経済理論の可能性を探るという、著者にとってのライフワーク的なテーマをも射程に入れた意欲作です。
●未曾有の経済危機に見舞われている今だからこそ、時代を超えて生き残ってきた本物に学ぶ必要があるはずです。

■以下、「まえがき」より引用■

ケインズの経済学は、マクロ経済の動きを理解する際に必要不可欠な導きの糸をわれわれに提供するものだが、二〇世紀はその前半に、もう一人偉大な経済学者を生み出した。「イノベーション」という概念を経済学の中心に据えたシュンペーターである。本書で説明するとおり、シュンペーターは強烈なケインズの批判者でもあった。一見矛盾する二人の経済学がなぜ両方とも必要なのか。そのことを理解するためには本書を読んでいただくしかない。
マクロ経済は、一個人・一つの企業がその全体像を知るにはあまりにも大きい。何人の鳥瞰も許さないその巨体を理解するために、われわれは「理論」という眼鏡を必要とする。ケインズとシュンペーター、二人の天才が用意した眼鏡は、極上のレンズ付きの眼鏡なのである。
いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ。

ケインズ・モデル

2019年06月26日 | 社会
ケインズ・モデル
『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1935年 - 1936年)では、不完全雇用のもとでも均衡は成立し得るとし、また完全雇用を与えるための理論として、反セイの法則を打ち立てて、「産出高は消費と投資とからなる」とする有効需要の原理を基礎として、有効需要の不足に基づく非自発的な失業の原因を明らかにした。
有効需要は、市場メカニズムに任せた場合には不足することがある。しかし、ケインズは、投資の増加が所得の増加量を決定するという乗数理論に基づいて、減税・公共投資などの政策により投資を増大させるように仕向けることで、有効需要は回復することができるとした。生産者が価格を変えずに、供給量を総需要に応じて調整する[5]。ケインズは総需要の増大させる方法として、財政政策、特に財政支出政策を重視した[6]。
なお、上の議論に対しては、公共投資政策ないし投資の国家管理の本質は、単なる有効需要の付加ではなく、政府による公共投資が企業家のマインドを改善することで経済全体の投資水準が底上げされ得るという点にあり、生産手段の国有化を意味するものではない。
これらの彼の提唱した理論を基礎とする経済学を「ケインズ経済学」(「ケインズ主義」ともいう)と呼ぶ。このケインズの考え方は経済学を古典派経済学者とケインジアンとに真っ二つに分けることとなった。そのため、ケインズ理論の提唱は、のちにケインズ革命と呼ばれるようになった。
ケインズは、大不況下では、金融政策は効果的ではなく、消費を直接的に増やす財政支出政策が最も効果があると主張した[7]。ケインズの有効需要創出の理論は、大恐慌に苦しむアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディール政策の強力な後ろ盾となった。

批評文学としての枕草子、徒然草

2019年06月25日 | 社会
「批評文学としての『枕草子』『徒然草』」

講師 :島内裕子(放送大学教授)

『枕草子』と『徒然草』は、数ある古典文学の名作の中でも、今を生きる我々が、大いに共感できる、親しみやすく、現代的な作品であると言えます。一方、古典文学というと、どうしても固定化されたイメージで捉えられる傾向があろのではないでしょうか。例えば、『枕草子』は随筆や王朝文学、『徒然草』は随筆や隠者文学といった枠組みが、イメージとして付着しています。今回はその2作品をジャンルや時代性にとらわれず、様々な角度から、現代的な視点で捉え直していきます。
現代では、自分の美意識や価値観、人間観を、心の赴くまま、自由に書き綴ることは、取り立てて珍しいことではありません。実は『枕草子』や『徒然草』が、すでにそうした姿勢を打ち出していたことが、何を意味するのでしょうか。近代になって、森鴎外や夏目漱石、上田敏、小林秀雄らによって繰り広げられた新しい文学世界、「批評文学」と言うべき世界の源流に、『枕草子』と『徒然草』があったとは考えられないでしょうか。鋭敏であると同時に人間性に満ちた『枕草子』と『徒然草』を古典文学としてではなく、今、生まれたての文学として、現代人の眼で読んでいきます。

ケインズ経済学

2019年06月25日 | 社会
ケインズ経済学の根幹を成しているのは、有効需要の原理である。この原理は、古典派経済学のセイの法則と相対するもので、「供給量が需要量(投資および消費)によって制約される」というものである。これは、有効需要によって決まる現実のGDPは古典派が唯一可能とした完全雇用における均衡GDPを下回って均衡する不完全雇用を伴う均衡の可能性を認めたものである[注釈 1]。このような原理から、有効需要の政策的なコントロールによって、完全雇用GDPを達成し『豊富の中の貧困』という逆説を克服することを目的とした、総需要管理政策(ケインズ政策)が生まれた。これは「ケインズ革命」といわれている。またケインズは、財政規律にきわめて熱心であったことも明らかになっている。
ケインズ経済学では貨幣的な要因が重視されている。このことは、セイの法則の下で実物的な交換を想定とした古典派とは、対照的である[注釈 2]。不完全雇用の原因について、ケインズの『一般理論』では「人々が月を欲するために失業が発生する」と言われている。これは歴史的な時間の流れにおける不確実性の本質的な介在によって、価値保蔵手段としての貨幣に対する過大な需要[注釈 3]が発生し、これが不完全雇用をもたらすとするケインズの洞察を示すものとして知られている[注釈 4]。
一般論として、経済モデルは不完全で疑わしく、その経済モデルが年単位で実体経済と乖離するようでは有用性に乏しい。また、経済モデルは、その実証性を検証するのに長い月日を要する。ケインズの言葉「長期的には我々はみな死んでいる」は、長期を無視するのではなくて、より優れた経済分析をすべしとの懇願でもある[1]。ポール・クルーグマンも述べるように、財政政策の短期的効果の度合いは、その経済状況に大きく依存する。景気が悪いときに政府が歳出削減をすれば、失業率は悪化し、長期的な経済成長も阻害され、結局は長期的な財政状況も悪くなってしまう。
理論[編集]
ケインズは、大恐慌(世界恐慌、英語では大不況Great Depression)に対する解決策として、二つの方策を取り混ぜることにより経済を刺激するよう説いた。
利子率の切り下げ(金融政策)
社会基盤等への政府投資(財政政策)
中央銀行が商業銀行に貸し出す利子率を引き下げることにより、政府は商業銀行にたいし、商業銀行自身もその顧客にたいし同じことをすべきであるというシグナルを送る。
社会基盤への政府投資は経済に所得を注入する。それによって、ビジネス機会・雇用・需要を作りだし、需給ギャップが引き起こす悪い効果を逆転させる[2]。政府は、国債の発行を通して経済から資金を借用することにより、必要な支出をまかなうことができる。政府支出が税収を超えるので、このことは財政赤字をもたらす。
ケインズ経済学の中心的結論は、ある状況においては、いかなる自動機構も産出と雇用を完全雇用の水準に引き戻さないということである。この結論は、均衡に向かう強い一般的傾向があるという経済学アプローチと矛盾・対立する。新古典派総合は、ケインズのマクロ経済概念をミクロ的基礎と統合しようとするものであるが、一般均衡の条件が成立すれば、価格が調整され、結果としてこの目標が達成される。ケインズは、より広く、かれの理論が一般理論であると考え、その理論では諸資源の利用率は高くも低くもなりうるものであると考え、新古典派総合ないし新古典派は資源の完全雇用という特殊状況にのみ焦点を当てるものとした。
新しい古典派マクロ経済学の運動は、1960年代末から1970年代初めに始まり、ケインズ経済学の諸理論を批判した。これに対し、ニュー・ケインジアンの経済学はケインズの構想をより厳密な基礎の上に基礎付けることを試みた。
ケインズに関するある解釈は、ケインズ政策の国際的調整、国際的経済機構の必要、および国際調整のありようによっては、戦争にも平和にもつながりうることにケインズが力点を置いたことを強調している[3]。

初の天覧試合

2019年06月25日 | 社会
◆巨人5x―4阪神(昭和34年6月25日・後楽園)
 巨人・長嶋が打った。決めた。初の天覧試合でサヨナラホームランだ―。今でも語り継がれる伝説の試合は1959年6月25日、後楽園球場で行われた。今日25日でちょうど60周年を迎え、スポーツ報知では、60年前のヒーロー原稿も掲載し、長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督(83)=報知新聞社客員=には思い出話や、いま明かされる真実まで披露してもらった。

西部邁

2019年06月24日 | 社会
西部先生は雑誌『表現者』の顧問として長年同誌に密に関与されたが、その商業的経営は極めて難路だったと聞く。実際に『表現者』の版元は二回も入れ替わった。

 TOKYO MXでは『表現者』と提携して毎週土曜日の朝『西部邁ゼミナール』を放送していた。先生が入水された後に、唐突に「西部、西部」と話題になったが、ネット空間では『西部邁ゼミナール』よりも、同じ局で夜に放送されている『ニュース女子』の話題に圧倒され、西部先生を全く顧みることは無かったばかりか、保守論客であることすら、よく知られていなかったのでは無いかと断じざるを得ない。先生が強烈な反米を志向していたことのみをどこかで聞きかじり、「西部は左翼」などと断定していた無知蒙昧の輩もいた。

 保守界隈の人々も、本当にここ最近の西部邁の本を購読し、雑誌を買っていたのか、大変疑わしい。要するに、「西部、西部」と言っておきながら、肝心の保守層は朝日新聞叩きに熱狂し、相も変わらず韓国と中国批判に執心し、沖縄の反基地運動家の策動に注視するばかりで、西部邁が何を言ってきた人で、また西部邁が現在何を言っているのかに、全然注意していなかった様に思える。

 よく言えば余りにも高尚すぎて「いつか読む」枠に入れていたか、悪く言えばその視界にすら入っていなかったのではないか。

 私は、『ニュース女子』が駄目で『西部邁ゼミナール』が良い、といっているわけでは無い。そして朝日新聞を批判するなと言っているわけでも無い。いや寧ろ社会の公器による誤報は糾されてしかるべきであろう。中国の軍拡は脅威では無いという方がおかしい。

 が、先生が入水されてから殊更「西部、西部」というのには違和感を感じる。本当に先生を賞賛するなら、生前からもっと西部邁の本や雑誌を買うべきでは無かったのか。出版不況や雑誌不況が言い訳になるとは到底思えない。書店で『表現者』が平積みでは無く、如何にもムックという扱いでその背表紙のみが陳列されていたのを観たとき、ふと虚しくなったのを覚えている。

 そこには「西部邁」と名前が書かれていたのに、みな素通りしていった。「西部邁」はすでに何年も前から大衆の視界に無かった、というのは些か礼を失し過ぎだろうか。しかし、私以上に熱心な西部先生のファンは、より強い義憤の感情を持ってもおかしくはないはずであろう。

オピオイド

2019年06月23日 | 社会
オピオイド (Opioid) とは、ケシから採取されるアルカロイドや、そこから合成された化合物、また体内に存在する内因性の化合物を指し、鎮痛、陶酔作用があり、また薬剤の高用量の摂取では昏睡、呼吸抑制を引き起こす[1]。医療においては手術や、がんの疼痛の管理のような強い痛みの管理に不可欠となっている。このようなアルカロイド(オピエート)やその半合成化合物には、モルヒネ、ヘロイン、コデイン、オキシコドンなどが含まれ、また合成オピオイドにはフェンタニル、メサドン、ペチジンなどがある[1]。これらは本来的な意味で麻薬(narcotic)である[1]。オピオイドとは「オピウム(アヘン)類縁物質」という意味であり、これらが結合するオピオイド受容体に結合する物質(元来、生体内にもある)として命名された。内因性のオピオイドにはエンドルフィン、エンケファリンなどがある。

無条件降伏

2019年06月22日 | 社会
無条件降伏論争
1978年、文芸評論家の江藤淳と本多秋五の間で「無条件降伏論争」が行なわれた(江藤『全文芸時評』『もう一つの戦後史』、『本多秋五全集』第13巻)。その際、東大教授で国際法の権威である高野雄一は、江藤が正しいとした。その後学術的に高野らに明確に反論した者はなく、ポツダム宣言受諾は条件つき降伏であるとの論が有力である[6]。この際本多は、ドイツの降伏が無条件降伏であったのに対し、日本のそれは条件つき降伏だったと認めつつ、カイロ宣言の精神がポツダム宣言の底流に流れているとしている。

ポツダム宣言

2019年06月21日 | 社会
ポツダムせんげん 【ポツダム宣言】
1945年7月26日、ポツダムにおいて、米・英・中三国の名で(のち、ソ連も対日参戦と同時に参加)発せられた日本に対する降伏勧告および戦後処理方針の宣言。日本の軍国主義の除去、軍事占領、主権の制限、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止などについて規定している。日本は8月14日これを受諾した。

人権啓発用語辞典 財団法人和歌山県人権啓発センター
ポツダム宣言 Potsdam Declaration
1945/7/26 アメリカのH・トルーマン大統領、イギリスのW・チャーチル首相(途中でC・アトリー首相がかわる)、ソ連のI・スターリン首相が、降伏(5/8)後のドイツの処理とヨーロッパの再建を議したベルリン郊外ポツダムの会議(45/7/17〜8/1)の際、米英の代表間で協定され、後に中国の蒋介石総統の同意を得た。ソ連は8/8の対日参戦とともに、この宣言に加わり、4主要連合国の宣言となりました。
日本は8/14夜、本宣言を受諾し、連合軍に降伏。ポツダム宣言は9/2の降伏文書の中に取り入れられました。13項目からなり、最初の五項目は、連合国の圧倒的な軍事的態勢と決意を誇示するとともに、日本人としては、潰滅か日本国軍隊の無条件降伏かのいずれかを選ばなければならない、と述べていました。
主として、軍国主義的権力および勢力の除去(第6項)、戦争能力破壊と新秩序成立までの日本占領(第7項)、領土の制限(第8項)、軍隊の武装解除および復員(第9項)、戦争犯罪人の処罰と民主主義の強化および基本的自由ならびに人権の確立(第10項)、公正な実物賠償、平和産業維持と軍需産業廃止、将来の世界経済参加(第11項)、以上の諸目的の達成と自由意思による平和な責任ある政府の樹立を条件とする占領軍撤収(第12項)など。

「15年5月に安倍首相が『ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない』と発言して非難の声が上がると、翌月に『首相はポツダム宣言を読んでいる』と閣議で決定していました。さらに安倍首相の口癖である『そもそも』の意味を間違えているのではと問われた17年5月にも、『“そもそも”には“基本”という意味がある』と 珍決定をしていました」(全国紙記者)

私のこと 2012〜

2019年06月20日 | 社会
閑話休題、お元気ですか。
家から、300m位離れたバス通りに、吉野家が7月からオープンとのことで、建屋工事が始まっています。バス通りには、4月にはすき家ができ、松家が出来ると御三家が揃います。
コンビニの御三家は昔からあり、ドラックストアがあり、スーパーがあり、焼肉屋のチェーン店があり、すかいらーくのチェーン店がありで、なんか昔ながらのお店の風情がちっともありません。味気ない時代ですね🥺

イギリスはしらないけど、ここは、ヨーロッパのBar感覚なんですよ。夜な夜な、呑んべいが集まって、静かに人生に感謝しながら、ただ酒を飲むだけ、ないよね、こういうお店🤪

私は良くは記憶していませんが、30代の頃から、通っていますから、へたをすると40年になります。イラク戦争か湾岸戦争があった頃に、日本人の女性と結婚をしていたアメリカ籍の黒人の人がいて、時々隣にあわせで飲んでいました。彼のことで、印象に残っている言葉は、本国アメリカから遠く離れているアメリカ人程、戦時の徴兵の声がかかるのでとても心配だ、と言っていた事です。
戦争は怖いな、実感した覚えがあります。彼はどこでどうしているかな。🥺
従業員の方も、ずいぶん入れ替わって変わりましたが、飲兵衛はかわりません😜

私のこと 1997〜2012

2019年06月19日 | 社会
閑話休題😜
中国🇨🇳、アメリカ🇺🇸の貿易戦争で、話題となっている5Gに、私は現役時代に多少とも仕事で関わりました。当時の私のポイントは、日本🇯🇵の携帯業界が国内に閉じてしまっている、いわゆるガラパゴス現象を抜けて、世界標準に合わせて、世界市場に展開して日本の技術を切磋琢磨しながら、市場競争を勝ち抜くのが、これからの時代だ、と思い、外資企業の立場から仕事に取り組んでいました。
しかし、今日の現状は日本のメーカーは全滅で、競争を勝ち抜くことはできなくなり、中国の後塵を拝しています。NE C、富士通、パナソニックしかり、日立、東芝は言うに及ばず、、、
グローバル化は、国を企業を人を、本当に幸せにするのでしょうか。今の、私の大いなる疑問であり、課題として、なんらかの考えを得なければなりません。🥺😊
私の人生の、仕事の意味は、、、、

私のこと 1979 中国の一人っ子政策

2019年06月18日 | 社会
中国🇨🇳関連の本を読んで、気がついたのですが、中国で一人っ子政策が始まったのが。1979年で、私が現役を退いたのが、2012年ですから、まだ彼らが現場の第一線に顔を出して活動するのには、若干の時間差があったのです。
その後に、それこそ高学歴で、上昇意欲がある、1980年世代が中国の成長を牽引しているのだ、とわかりました。後10年もしたら、中国🇨🇳と日本🇯🇵の格差は、もっと明確になる、と思いますよ🤪
県連のゴタゴタも、世代が交代しないのが、最大のネックなんですよ🥺😔
とりあえず、晩酌前の一言でした。