一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

「ホモ・サピエンスの10万年史と日本人」

2018年08月22日 | 社会
【沖縄島への渡海の謎】 国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長…海部陽介

九州から台湾にかけての1200kmにおよぶ琉球列島にホモ・サピエンスがたどり着いたのは、およそ3万年前。琉球列島は海に囲まれている上に黒潮が流れていて、この海を越えて琉球列島の島々に到達するのは多くの困難を乗り越える必要がありました。その困難を乗り越えて、琉球列島に到達したホモ・サピエンスは、意外な文化を築き上げました。私たちの祖先、ホモ・サピエンスの沖縄への渡海の謎や文化についてお話しします。

【3万年前の航海を再現する実験プロジェクト】 国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長…海部陽介

私たちの祖先は、たどり着くのが困難と考えられている琉球列島にどのようにたどり着いたのかを再現する実験プロジェクトが行われています。どんな舟で海を越え、どのようにして島の位置を知り、なぜ黒潮の流れに流されながら島にたどり着けたのかなど多くの謎があります。その謎を一つ一つ検証しているプロジェクトの進捗状況をお話しし、取り組みを通して何が分かるのかをお伝えします。

近代文学

2018年08月21日 | 社会
「カリスマ講師に学ぶ近代文学の名作」

講師:出口 汪(でぐち・ひろし)広島女学院大学客員教授・予備校現代文講師

受験生から圧倒的人気を誇る予備校のカリスマ講師として知られている出口汪さんは「コンピュータは多くの知識・情報を扱うが、教養は人間独自のもので、そうした教養を身につけるには、過去の文学作品の名作に触れることが重要」と語ります。
「名作とは、時代を超えて人に感銘を与える普遍的なもので、そうした名作を深く読みとることにより、私たちの世界が深まり、また様々な角度から物事をとらえ直すことができる。ただし、そうした読み方を可能にするためには、鑑賞の仕方を知らなければならない」と出口さんは言います。
今回は、予備校のカリスマ現代文講師の出口さんに、文豪として知られる森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郞、太宰治など近代文学の名作をその文学史的背景を抑えながら真の教養を身につけていくためにはどのように鑑賞していけばよいのかをお話し頂きます。


出口 汪(でぐち・ひろし)広島女学院大学客員教授、株式会社水王舎代表取締役、東進衛星予備校現代文講師。関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現代文講師として、入試問題を「論理」で読解するスタイルに先鞭をつけ、教室が満員となり、受験参考書がベストセラーになるなど受験生から絶大なる支持を得る。そして、論理力を養成する画期的なプログラム「論理エンジン」を開発、多数の学校で採用されている。著書多数。

第1回 4月5日 プロローグ 教養と文学
第2回 4月12日 森鴎外「舞姫」の世界その1
第3回 4月19日 森鴎外「舞姫」の世界その2
第4回 4月26日 夏目漱石「道草」の世界その1
第5回 5月3日 夏目漱石「道草」の世界その2
第6回 5月10日 夏目漱石「こころ」の世界その1
第7回 5月17日 夏目漱石「こころ」の世界その2
第8回 5月24日 芥川龍之介の世界 「地獄変」その1
第9回 5月31日 芥川龍之介の世界 「地獄変」その2と「或阿呆の一生」
第10回 6月7日 近代文学史
第11回 6月14日 谷崎潤一郎「春琴抄」の世界
第12回 6月21日 太宰治「晩年」の世界
第13回 6月28日 太宰治「人間失格」の世界

小泉八雲

2018年08月20日 | 社会
「小泉八雲の文学とその背景」

講師:小泉 凡(こいずみ・ぼん)小泉八雲記念館館長、島根県立大学短期大学部名誉教授

アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれたラフカディオ・ハーン(1850-1904)。19歳でヨーロッパを離れてアメリカへ渡り、ジャーナリストとして活動した後、39歳で日本の土を踏み、松江・熊本・神戸・東京と移り住みました。1896年に日本に帰化し小泉八雲と名乗ります。地球半周を優にこえる人生旅行で得た体験と知識は、その独特なオープン・マインドな精神性と多面性を醸成しました。
明治維新から150年となる今年、八雲の代表作『知られぬ日本の面影』(ルポルタージュ紀行文)と『怪談』(再話文学)などを通して、作家小泉八雲が五感でとらえた明治日本の姿を浮き彫りにしていきます。さらに、彼の文学が後世の人々に与えた影響や、現代にも活かされている業績とそこに流れている精神性の魅力に迫っていきます。
講師は、小泉八雲のひ孫にあたる小泉凡さんです。ひ孫ならではの小泉八雲像に迫っていきます。


出演者プロフィール

小泉 凡(こいずみ・ぼん)小泉八雲のひ孫。島根県立大学短期大学部教授・小泉八雲記念館館長・焼津小泉八雲記念館名誉館長。1961年東京生まれ。成城大学・同大学院で民俗学を専攻後、1987年に松江へ赴任。妖怪、怪談を切り口に、文化資源を発掘し観光・文化創造に生かす実践研究や、小泉八雲の「オープン・マインド」を社会に活かすプロジェクトを世界のゆかりの地で展開する。2017年7月、日本・アイルランドの文化交流貢献で外務大臣表彰。主著に『民俗学者・小泉八雲』(恒文社、1995年)、『怪談四代記―八雲のいたずら』(講談社、2014年)ほか。小泉八雲曾孫。日本ペンクラブ会員。

第1回 小泉八雲と語り部たちの系譜
第2回 小泉八雲とアメリカ~クレオール文化を題材とする作品群
第3回 『知られぬ日本の面影』(1)~耳の文学、音の文学~
第4回 『知られぬ日本の面影』(2)~山陰の風景との出会い~
第5回 『知られぬ日本の面影』(3)~出雲大社訪問と神道の理解~
第6回 怪談の再話(1)~八雲の再話文学と「耳なし芳一」~
第7回 怪談の再話(2)~「雪女」をめぐる物語~
第8回 怪談の再話(3)~生まれ変わりの物語~
第9回 家庭における小泉八雲
第10回 フォークロリストとしての小泉八雲~護符の蒐集をめぐって
第11回 八雲の文学とその影響(1)~小村寿太郎、ボナー・フェラーズ~
第12回 八雲の文学とその影響(2)~柳田國男と白樺派の作家たち~
第13回 文化資源として現代に活かされる小泉八雲

世界史

2018年08月19日 | 社会
 現在は第10章第2節 アメリカ独立革命 までです。随時追加してゆきます。ワード版もダウンロードできます。
   ┌序章:先史の世界
   │
第Ⅰ部┼1章:オリエントと地中海世界
   ││
   │├1節:古代オリエント世界
   ││
   │├2節:ギリシア世界
   ││
   │└3節:ローマ世界
   │
   ├2章:アジア・アメリカの古代文明
   ││
   │├1節:インドの古典文明
   ││
   │├2節:東南アジアの諸文明
   ││
   │├3節:中国の古典文明
   ││
   │└4節:南北アメリカ文明
   │
   ├3章:内陸アジア世界・東アジア世界の形成
   ││
   │├1節:草原の遊牧民とオアシスの定住民
   ││
   │├2節:北方民族の活動と中国の分裂
   ││
   │└3節:東アジア文化圏の形成
   │
第Ⅱ部┼4章:イスラーム世界の形成と発展
   ││
   │├1節:イスラーム世界の形成
   ││
   │├2節:イスラーム世界の発展
   ││
   │├3節:インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
   ││
   │└4節:イスラーム文明の発展
   │
   ├5章:ヨーロッパ世界の形成と発展
   ││
   │├1節:西ヨーロッパ世界の成立
   ││
   │├2節:東ヨーロッパ世界の成立
   ││
   │├3節:西ヨーロッパ中世世界の変容(前)
   ││
   │├3節:西ヨーロッパ中世世界の変容(後)
   ││
   │└4節:西ヨーロッパの中世文化
   │
   ├6章:内陸アジア世界・東アジア世界の展開
   ││
   │├1節:トルコ化とイスラーム化の進展
   ││
   │├2節:東アジア諸地域の自立化
   ││
   │└3節:モンゴルの大帝国
   │
   ├7章:アジア諸地域の繁栄
   ││
   │├1節:東アジア世界の動向
   ││
   │├2節:清代の中国と隣接諸地域
   ││
   │├3節:トルコ・イラン世界の展開
   ││
   │└4節:ムガル帝国の興隆と東南アジア交易の発展
   │
   ├8章:近世ヨーロッパ世界の形成
   ││
   │├1節:ヨーロッパ世界の拡大
   ││
   │├2節:ルネサンス
   ││
   │├3節:宗教改革
   ││
   │└4節:ヨーロッパ諸国の抗争と主権国家体制
   │
   ├9章:近世ヨーロッパ世界の展開
   ││
   │├1節:重商主義と啓蒙専制主義
   ││
   │├2節:ヨーロッパ諸国の海外進出
   ││
   │└3節:17~18世紀ヨーロッパの文化と社会
   │
   ├10章:近世ヨーロッパ・アメリカ世界の成立
   ││
   │├1節:産業革命
   ││
NEW│├2節:アメリカ独立革命

ペルシャ戦争

2018年08月18日 | 社会
ペルシア戦争(ペルシアせんそう、ギリシア語: Περσικοί Πόλεμοι)は、紀元前499年から紀元前449年の三度にわたるアケメネス朝ペルシア帝国のギリシア遠征をいう。ペルシャ戦争とも呼ぶ。「ペルシア戦争」とは、ギリシア側からの呼称である。学者によっては勝者の名を冠してギリシア戦争、ギリシャ戦争、あるいはフェアに両陣営の名をとってギリシア・ペルシア戦争(Greco–Persian Wars)、ギリシャ・ペルシャ戦争と呼ばれることもある。

ダビデ

2018年08月17日 | 社会

ダビデ像(伊: David di Michelangelo)は、ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品である。フィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されている。

ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つである。人間の力強さや美しさの象徴ともみなされる作品であり、芸術の歴史における最も有名な作品のひとつと言える。ダビデとは旧約聖書においてイスラエル王国の二代目の統治者。大理石で身の丈5.17メートルにかたどられたこの像は、ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。そして、ルネサンスならではの表現として、瞳が割礼器具のようにハート型に象られていることや、イスラエルの民の証とされる割礼の痕がないことが挙げられる。

元来はフィレンツェ市庁舎の置かれたヴェッキオ宮殿の前に飾られていた(1873年に現在の場所に移設)ことなどもあり、のちに都市国家フィレンツェ共和国が周囲を取り囲む強大な対抗勢力に脅かされるようになった時には、巨人に立ち向かうこの像こそフィレンツェを象徴するものだという解釈がなされるようになった。

ガパオライス

2018年08月16日 | 社会
材料 (2人分)
挽肉(鶏か豚) 200g
玉ねぎ 1/2個
パプリカ 1/2個
バジル 10枚
にんにく 1個
卵 2個
ナンプラー 大さじ1
醤油・オイスターソース 各小さじ1
豆板醤 小さじ1/2
砂糖 小さじ1/2
胡椒・ごま油 各少々
作り方
1
玉ねぎとにんにくはみじん切り、パプリカは2cm角に切り、フライパンにごま油を引いてにんにくと豆板醤を炒める。
2
香りが立ってきたら玉ねぎを加えて軽く炒め、挽肉も加えて炒めてほぼ火が通ったら、パプリカを加えてよく炒める。
3
調味料を加えて混ぜ、バジルを加えて軽く炒めたら、火を止めてご飯に添え、同じフライパンで目玉焼きを作り胡椒を振って添える。

最後の審判

2018年08月15日 | 社会
『最後の審判』(さいごのしんぱん、イタリア語 Giudizio Universale)は、ルネサンス期の芸術家ミケランジェロの代表作で、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画である。1541年に完成した。

最後の晩餐

2018年08月14日 | 社会
『最後の晩餐』(さいごのばんさん、英: The Last Supper伊: L'Ultima Cena)は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、彼のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた絵画である。これは、キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネによる福音書13章21節より、12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景である。

青柳正規

2018年08月13日 | 社会
「文明」とは何か。なぜ必ず滅ぶのか。衰亡の原因はいつも繁栄のなかに隠れている

直立歩行のリスクが、ヒトに「文化」をもたらした。いくつもの絶滅を乗り越えて地球上に拡散した人類が、農耕というイノベーションを経て築いた多様な文明。シュメールからローマまで、その長大な歩みを通観し、現代文明が直面する危機を考察する。

■ヒトの誕生から古代地中海世界まで。長大な文明史の「見取り図」。
著者の青柳正規氏は、35年以上、おもにイタリアの遺跡の発掘に携わり、文明を「手触り」で理解してきました。本書では、メソポタミアの最初の都市文明・シュメールや、従来の文明観に大きな変更を迫っている「古代アンデス文明」、著者自身が現在手掛けているローマ帝国の遺跡・ソンマ=ヴェスヴィアーナの最新成果など、文明・文化の「多様性」に着目し、人類の歴史の大部分を占める「古代」を通観します。

■いくつもの絶滅を乗り越えて、人類は多様な社会と文明を生みだしてきた!
約600万年前、直立二足歩行へと移行した人類は、これまでにいくつものリスクを克服してきました。ホモ・エレクトゥスとホモ・サピエンスによる2度の「アウト・オブ・アフリカ」、現生人類に近い思考能力を持ちながら絶滅したネアンデルタール。私たちは、いかにして危機を乗り越え、環境に適応し、地球上のあらゆる陸地に拡散して、文明を築くようになったのでしょうか。

■どんなに栄えた文明も必ず滅ぶ。現代文明が見失ったものとは?
「文明の進歩」を測る物差しは何か。現代人はなぜ、過去への時間認識が縮小し、「歴史」への感覚が鈍ってしまったのか――。廃墟と化した遺跡には、私たちの現在を知り、未来を考えるヒントが隠されています。

スキタイと匈奴 遊牧の文明

2018年08月12日 | 社会
前七世紀前半、カフカス・黒海北方に現れたスキタイ。前三世紀末、モンゴル高原に興った匈奴。彼らはユーラシアの草原に国家を築き、独自の文明を作り出した。ヘロドトスや司馬遷が描いた騎馬遊牧民の真の姿は近年の発掘調査で明らかになってきた。

林/俊雄
1949年、東京都生まれ。東京教育大学卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程東洋史学科単位取得退学。古代オリエント博物館研究員を経て、創価大学文学部教授。専門は中央ユーラシアの歴史と考古学

このナイーブなアメリカの経済援助が失敗した背景には「砂漠では強い者が遊牧民(ノマド)になる」という掟(おきて)ないし価値観をアメリカ人が全く理解していなかったからだと言われています。

なぜ強い者が遊牧民になるのか?

この歴史を知る事は最近流行っている「ノマド的なワークスタイル」を考える上でも示唆に富んでると思います。

日本の中東研究の草分け的存在である岩村忍(いわむらしのぶ)は『世界の歴史 西域とイスラム』(中公文庫)の中で遊牧民の起源を次のように説明しています。

オアシスに人間が住みついて農耕を生業としているうちに(中略)家畜の飼養が始まった。しかし(中略)飼養するためには必ず飼料が必要なのである。

(中略)

ところがオアシスにおける家畜の飼養はたちまち限界にぶつかる。(中略)オアシスというものは、元来きわめて面積が限られている。すなわちオアシスの水は一定量しか出ないから、耕地を拡大するわけにはゆかない。だから耕地は非常に貴重である。

(中略)

オアシスの民はオアシス周辺の草原にならしたヒツジを放すことを発見したにちがいない。(中略)しかしこの方法にも限界がある。数が多くなれば夜に家畜をことごとくオアシスに連れて帰ることはできない。そこで唯一の解決法は牧畜の専門化である。すなわちオアシス住民のある者が草原における牧畜を専業とするように生業が分化する。そうすれば家畜がふえるにしたがってオアシスから離れた所でも、良い牧地があれば夏にはそこに家畜を連れて出かけ、寒くなると低地に帰って冬ごもりをすることができる。

(中略)

低い草原地帯では夏になると非常に気温が上がり、草は不足してくる。それで多数の家畜を飼うとなると、冬は暖かい草原や峡谷のオアシスで過ごし、夏になれば涼しい山地へいくという移動、しかもところによってはかなり長距離の移動が必要になる。

オアシス社会は(中略)階級的、保守的であり、個人の自由よりは社会の安定が上位に置かれ、指導権は少数の上層階級に握られていて、しかも世襲的である。

ところが遊牧民の社会はそれとはまったく異なっている。定着の農耕社会の場合は生活は固定し、特別なことが起こらない限り毎年循環的な、ほとんど変化が無い固定した生活が繰り返される。これに対して遊牧という生活は夏の牧地と冬の牧地と、そしてこの二つの間の移動経路は大体決まっているが、なにしろ遠い距離、ときには数百キロにも達する距離を移動するので危険も多い。そこで牧地の割り当てに関しての争いごとも起こるし、移動の途中においてオアシスの付近や渓谷を通過するときは農民との間に軋轢、衝突を起こすこともまれではない。また水や草の不足、気候の激変、疫病などによって家畜の多くが斃死することもある。そこで必要なのは固い団結と強い指導力である。

(中略)

遊牧民はつねに定着社会とは密接な関係を保ってきたのでけっして両者が敵対的な関係にあったのではない。オアシスにとっても畜産品は必要であったし(中略)遊牧民との交易はオアシス経済の重要な支柱となった。

フジコ・ヘミング

2018年08月11日 | 社会
60代になってから世界に見いだされたピアニスト、フジコ・ヘミングのドキュメンタリー。日本人ピアニストの母とロシア系スウェーデン人のデザイナーである父との間に生まれ、母の手ほどきによって5歳からピアノを習いはじめたフジコ。やがて演奏家として高い評価を受けるようになるが、大事なリサイタルの前に聴力を失うという大きなアクシデントに見舞われるなど、数奇な人生を歩んできた。1999年にNHKで放送されたドキュメント番組によって日本でも広く知られるようになったフジコの、初のドキュメンタリー映画となる今作では、ワールドツアーで世界を巡って演奏する姿や、自宅で愛する猫に囲まれて過ごす時間など、公私にわたるフジコの素顔に密着。父との別離、厳しい母のレッスン、ハーフへの差別、貧しい留学生活や聴力喪失など、数々の苦難に見舞われても、夢をあきらめずに進んだフジコの人間性と音楽に迫る。

海部陽介

2018年08月10日 | 社会
約10万年前、アフリカを出た私たちの祖先は、4万8000年前、ヒマラヤ山脈を挟んで、南北に別れて拡散、1万年後、東アジアで再会する。そして、私たちの遙かなる祖先は、古日本列島に、3ルートから進出した。3万8000年前の航海術の証拠そして実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究。国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がる日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」その新たなる仮説―。

◎国立科学博物館「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」はこの本から生まれた!

約十万年前、アフリカを出た私たちの祖先は、
四万八千年前、ヒマラヤ山脈を挟んで、南北に別れて拡散、
一万年後、東アジアで再会する。
そして、古日本列島に、三ルートから進出した。
世界各地の遺跡の年代調査比較
DNA分析、石器の比較調査、
しかし、最後の謎、台湾沖縄ルートが残った。
台湾から黒潮を横断し
100キロを超える航海は可能だったのか?
国立科学博物館気鋭の人類学者は、
科学者のチームをつくり、
当時の草舟を再現、
実際に航海をし、検証してみることにした!

はじめに 私たちはどこから来たのか?
遺跡調査は日本の国内で閉じているかぎり本当のことはわからない。
本書は、海外の遺跡との比較とDNAの研究という重層的なこの10年の
研究で浮かび上がってきた、人類がこの日本に到達するまでの新しい仮説である

第1章 海岸沿いに広がったのか?
私が強く違和感をいだいてきたのが、欧米研究者の間でいつのまにか
定説となっている「海岸移住説」だった。アフリカを出た人類は、
中東から海岸沿いに広がっていったというものだが、はたしてそれは本当だろうか?

第2章 私たち以前の人類について
かつて私たちホモ・サピエンス以外にもいくつもの種類の人類がいた。
北京原人やジャワ原人らの原人、より人間に近いネアンデルタール人らの旧人。
これら滅びてしまった人類のことをまず、整理しておく必要がある

第3章 ヒマラヤ南ルート
世界各地の遺跡年代をマッピングすると、ホモ・サピエンスは4万8000年前、
ヒマラヤ山脈を南北に隔てて、別れて拡散していったことがわかる。
インドから東南アジアへ進んだ「南ルート」をたどった者たちを見る

第4章 ヒマラヤ北ルート
ヒマラヤの北ルートへ回った集団は予想外に早く南シベリアに進み、
北極圏に至った者までいた。さらにモンゴルを経て、4万年前頃には
中国、朝鮮半島など東アジアに到達したらしいことが、石器の特徴から見えてくる

第5章 日本への3つの進出ルート
日本では3万8000年前から、突如人類遺跡が爆発的に現われる。
それ以前の遺跡には確証がない。それまでいわば無人の野だった日本へ、
対馬、沖縄、北海道の3ルートから別々に、初めて祖先が足を踏み入れた

第6章 対馬ルート、最初の日本人の謎
3ルートで最も早く日本に入ったのが対馬。学界では見過ごされてきたが、
対馬から本州へは海を越える必要がある。しかも到来直後の遺跡からは、
世界最古の往復航海を示す証拠が。最初の日本人は、航海者だったのだ

第7章 沖縄ルート、難関の大航海
沖縄に来た祖先は誰だったのか。本州と全く異なる遺跡の証拠は
南ルートを示唆する。だがそれには台湾から黒潮を横断し100キロを
はるかに超える航海が必要。その本当の困難さを知るには、航海の再現実験しかない

第8章 北海道ルート、シベリアからの大移動
北海道の人類出現は3ルートで最も遅い。すると彼らは大陸でなく
本州由来の可能性もあるのか? だが北海道の2万5000年前の石器文化は
北ルートと共通する。やはりシベリアから南下してきた祖先がいたのだ

第9章 1万年後の再会
対馬から入ってきた「最初の日本人」のルーツはどこなのだろう。
今わかる証拠から考えられることはひとつ。ヒマラヤ南北ルートをたどった
それぞれの集団は、東アジアで1万年ぶりに再会し、混じり合ったのだ

第10章 日本人の成立
3つのルートからそれぞれ日本列島に入ってきた3つのグループはいかにして
今日の日本人までつながっているのだろうか? 朝鮮半島や中国で発掘される
人骨や石器などとの比較やDNA研究で、ここまでわかった

斎藤環

2018年08月09日 | 社会

斎藤 環(さいとう たまき、1961年9月24日 - )は、精神科医、批評家、漫画評論家。精神科医としての専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学。筑波大学医学医療系社会精神保健学教授[1]。「ひきこもり」診療の世界的な第一人者。

公益社団法人青少年健康センター参与、筑波大学医学博士、精神保健指定医。日本病跡学会賞、角川財団学芸賞受賞。

オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表

岡田英弘

2018年08月08日 | 社会
歴史を理論として確立しているのはヘロドトスに始まるヨーロッパ史と司馬遷らに始まる中国史だけであり、両者の歴史観はまったく原理を異にしていること、そしてその他の地域の歴史は両者いずれかの歴史観による焼き直しであることを主張した。この観点から、両者を単に融合して世界史を記述するのではなく、両者を止揚・昇華させた新たな原理による世界史を構築する必要性を説き、世界史の始まりをモンゴル帝国によるヨーロッパ文明・中国文明の接触に求めている。