一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

西村 伊作(1884 - 1963)

2013年05月25日 | 建物

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黒川創

桁外れの財力とセンスを活かし、大正昭和の文化を牽引した、美しく剛毅な快男児の肖像。

青年時代に大逆事件で叔父を失い、不敬罪で公判中に終戦の日を迎える――紀州生まれの文化学院創設者、西村伊作は、類まれなセンスと豊富な財力を理想の実現のために用いながら、「ああ言えば、こう言う」のつむじ曲がりな精神と、そのしなやかな思想を生涯貫いた。自由と芸術を愛した知られざる人物像を甦らせる第一級の評伝。


日本美の再発見

2013年01月01日 | 建物

桂離宮をはじめ、伊勢神宮、飛騨白川の農家および秋田の民家などの美は、ドイツの建築家タウトによって「再発見」された。彼は、ナチスを逃れて滞在した日本で、はからずもそれらの日本建築に「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を見いだしたのであった。日本建築に接して驚嘆し、それを通して日本文化の深奥に遊んだ魂の記録。

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岩崎久弥邸

2013年01月01日 | 建物

この建物は、 旧三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎(いわさき・やたろう 1834-1885)の長男で、 三代目・岩崎久弥(いわさき・ひさや 1865-1955)が、 J.コンドルに設計を依頼して建てられました。

17世紀初頭の英国ルネッサンスのジャコビアン様式を採用し、 装飾には多種多様のモチーフが駆使されている、明治期の邸宅を代表する洋風木造建築です。 洋館南側には列柱の並ぶベランダがあり、 ベランダの床にはサラセン風デザインのタイルが敷き詰められ、 1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の装飾が施されています。 東側のサンルームは、1907年(明治40年)に増築されたものです。

完成当時の岩崎庭園には、15,000坪の敷地に20棟以上の建物がありましたが、 現存するのは洋館、和館、撞球室の3棟のみで、 敷地面積も約1/3に狭められています。

地下道で隣の撞球室とつながっています

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