稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

赤胴鈴之助が私の剣道の原点。かも。

2017年02月23日 | 剣道・剣術

(小説家、野崎六助氏のサイト「野崎六助映画評論集」より
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2016-01-14 )

昭和30年生まれの私の一番古い記憶は「赤胴鈴之助」だ。
昭和33年頃の記憶である。

当時はテレビも無く、娯楽は本かラジオだった。
ラジオも当時の番組は、野球や相撲やニュースがほとんどで、
幼い私にとって何の魅力も無かった。

兄たちの買ってきた漫画本も、字の読めない3才児には、
パラパラとめくって見るだけで、話の筋はさっぱりわからない難解なものだった。
しかし赤胴鈴之助の漫画は字が読めなくてもある程度は理解できる。
当時の子供の遊びはチャンバラだったのでその影響もあるのだろう。
赤胴鈴之助は、当時の私にとって、最高最強のスーパースターだったのだ。
真空斬りはこうするのだとかどうだとか兄達に聞いて真似したものだ。

調べて見ると、赤胴鈴之助のラジオ番組は、
昭和32年(1957年)1月7日-昭和34年(1959年)2月14日で全42回。

昭和30年(1955年)5月生まれの私がかろうじて覚えているので、
勝手に昭和33年頃の記憶とした次第。さすがに2才の記憶は無いと思う。

番組が始まる前にラジオの前に父と子供達(兄2人と私)が集まる。
真空管ラジオの時代で早めに電源を入れて準備するわけだ。
固唾を呑んで放送が始まるのを待っている。

ラジオドラマは「赤胴鈴之助の歌」で始まる。
歌の前に、道場での稽古の打ち込み合う音、続いてセリフ、
「エイ!」「ヤーッ!」「ターッ!」
「んー、ちょこざいな小僧め、名を、名を名のれぃ!」
「赤胴ー 鈴之助だ!」
前奏のあと、トントコトントントコトンという小太鼓?と鞭の音、そして歌が始まる。
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剣をとっては 日本一に 夢は大きな 少年剣士
親はいないが 元気な笑顔 弱い人には 味方する
おう! がんばれ 頼むぞ ぼくらの仲間 赤胴鈴之助
(藤原信人作詞・金子三雄作曲)
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もう我々子供達は大興奮である。
漫画で見た静止画が、頭の中で動画として合成され膨らんでいく。
実際は3才児の私にドラマの筋はわからないがイメージだけでも充分だった。
自分自身が赤胴鈴之助になったような高揚感に包まれたのだ。


それから7年ほど経ち、従弟のお供で奈良の習心館道場に入門した。
実際の剣道は、思い描いていた赤胴鈴之助の剣術とは大きく異なり、
自分の才能の無さ、家から1時間も掛けて行くことに疲れ、ほどなく辞めてしまった。

高校になって剣道部に入った頃は森田健作の剣道ドラマ「俺は男だ」の時代で、
すでに赤胴鈴之助のことはすっかり忘れてしまっていた。

しかし物心がつく前から赤胴鈴之助に接していた事が私の剣道の原点だと思うのである。
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