嫌札幌~札幌が嫌いなブログ

札幌生まれ、札幌育ち、札幌在住な私が札幌を批判します。札幌嫌いな人集まれ!

お墓参りに行ってきました

2013年10月19日 19時18分32秒 | 嫌札幌
往復100キロかけてお墓参りに行ってきました。

とにかく親戚の件で気分が悪かったので気分転換を兼ねたちょっとしたドライブでした。
(参照:今、すごく不快な気分です

そういえばお墓参りに行く途中の札幌市内でパンツ丸見えで自転車に乗っている女性を車内から目撃しました。

思わず見てしまいましたがあまり教養の無さそうな典型的な札幌の女性だなと感じました。

このような女性でも札幌では特権階級なため割と楽に華やかに自分の実力以上の成果を出しながら生きていくことができます。
(参照:札幌で恩恵を受けれる人はこんなタイプ

また信号待ちにてベビーカーを引っ張る子供を見かけました。

いや、よくよく見るとベビーカーを引っ張っているのは大人の女性でした。

服装が派手でケバく品のかけらもなかったため一瞬子供っぽく見えたのですが大人の女性でした。

もう札幌市内では見飽きた光景ですがデキコンで生まれたであろう子供の親が何故に派手な服装とケバい格好で子供と外に出るのか私にはよくわかりません。

ヒトラーの言葉を借りると札幌はもう子供が子供を生む時代になっています。

こんな札幌という地を私はとっくに諦めて見限っていますが将来は一体どうなってしまうのでしょうか。

そして札幌市外に出て無事にお墓参りを終えて帰りに札幌市内へ入ってからは大渋滞でした。

そういえば今日は週末の土曜日だった、しまったなと思いました。

札幌は基本的に車社会なため何処も混雑して渋滞しています。
(参照:札幌の車社会は異常です

とにかく今日はろくな1日ではありませんでした。

さて、私は後に仮眠をしてから夜勤バイトに向かいます。

夜勤バイトを終えて明日には札幌を出て道東、道南、道北のいずれかに向かおうかと思います。

もういっそこのまま失踪してしまいたい気分です。
(しませんので安心してください)

絶対勝ち組になる

2013年10月19日 15時18分53秒 | 嫌札幌
生きていると日常生活の範囲内でもそれなりに色んなことがあったり色んな気持ちになることもあります。

どんな事が起こってもどんな気持ちになっても絶対勝ち組になろうと決めました。

俺は絶対に勝ち組になるんだ!と決め付けました。とにかく決めました。

先程の親戚の件で不快な感情になってしまうこと、いわゆる「邪魔」が入ってくることもあるでしょう。

くじけず、諦めず、時には心が折れることだってあるかもしれません。

だけど絶対に勝ち組になるんだ!という気持ちだけは死んでも捨てるつもりはありません。

もし万が一の空想話として私が死んでしまっても生まれ変わったら絶対に勝ち組になりたいです。

もちろん現実の今の自分の人生で勝ち組になりたいと思っています。それもできるだけ早い内に。

もうなってしまおう。絶対に勝ち組になろう。勝ち組になる人生を私は心の底から熱望しております。

大嫌いな札幌に住みながら勝ち組になったときの気分はどんなものか? それが楽しみです。

とにかく絶対に勝ち組になります。

勝ち組になると決めて

2013年10月19日 10時11分55秒 | 嫌札幌
今朝起きた瞬間に第1に「勝ち組になる」と無意識に思い浮かんだ自分を認識しました。

確実に「勝ち組になりたい」→「勝ち組になる」という意識の変化が起きたのではないかと思います。

もしかするとこれは(勝ち組になれないから)「勝ち組になりたい」→(勝ち組になれるから)「勝ち組になる」という意識の変化かもしれません。

とにかく自分の中での何かが変わっているという確実な実感があるように思います。

とにかく逆戻りをせず今の意識のまま維持向上をしていけばきっと良い結果に繋がるのではないかと思います。


ところで今晩は深夜の夜勤バイトに出勤しますがそれが終わったら休日が続くので札幌を出て遠出をしようかなと思います。

今乗っている愛車が今月一杯で最後なので愛車との思い出作りのためとにかく何処か遠くにロングドライブをしようと思います。

道南に行くか道北に行くか道東に行くかもまだ決めていませんがとにかく札幌人が少ない地域に行きたいですねー。

札幌に帰ったらどんどん攻めていきます。

自分の趣味も自分の本業の仕事もこのブログを通した嫌・札幌活動もどんどん進めていきます。

そして勝ち組になります。

札幌では「優しい」は決していい意味ではない

2013年10月19日 00時27分11秒 | 嫌札幌
私は元来根の優しい人間だったと思う。

これは親の遺伝子かもしれないし、たまたまそういった環境で育てられたからかもしれないし、今となっては特にどうでもいいことかもしれない。

しかし何時からか優しい人間ではなくなったと自覚するようになった。

ところで「優しい」とは何だろうか?元来「優しい」とはポジティブな意味で、プラスな意味で、良い意味を含んだ言葉だと思う。

しかし札幌ではそれはちょっと違うと私は感じている。

札幌で他者から「優しい」と言われることは決して褒め言葉だと受け取らないようになってしまった。

なので私は他者から「優しい」などと言われるとあまり嬉しくないし条件反射的に全力で否定をするようにしている。

はっきり言って札幌という地では「優しさ」を持っていても何の役にも立たない素質だということが経験を通してわかっているからだ。

優しさを持っていても札幌という地ではその優しさにつけこんで他者(札幌人)から利用をされてしまうだけであろう。

また違った角度、逆の意味で考えてみると札幌で「優しい」ということは人を利用するための自分のための手段でもあるということだ。

私は痛いほどそれを思い知らされてきているので優しいという概念は札幌を生きる上で必要の無いことだと割りとマジで思っている。

とにかく悪い意味で「真面目」「お人好し」「優しい」という人間に札幌ではならないほうがいい。

辛い目に合うのは当の本人でありその素質が何かの形で報われることなど決して無いのが今日の札幌の現実なのだ。

札幌には義理と人情はありえない by 札幌が嫌いな管理人