嫌札幌~札幌が嫌いなブログ

札幌生まれ、札幌育ち、札幌在住な私が札幌を批判します。札幌嫌いな人集まれ!

札幌社会攻略メンタルの作り方

2016年09月27日 00時04分23秒 | 嫌札幌
まるで昨日のことが幻のようだ・・・

昨日までラッキーピエ○に居たのが10日くらい前のことに感じる・・・

本当に俺はラッキーピエ○に居たのだろうか・・・



今日は目まぐるしく行動することが出来た。

昨夜に日帰りでラッキーピエ○に行って深夜早朝に帰り、数時間寝た後に朝から行動できた自分に安心をしたのだ。

と振り返ると身体的バイタリティーを意識しがちになるが、実は精神的なメンタリティの進歩に手応えを感じている。

ラッキーピエ○から帰った直後数日間というのは非常に寂しく、持ち帰ったものなどを食べながら感傷に浸っていたのが今までの私だった。

今は全くそれが無いと言ったら嘘になるかもだが、だが殆どそれが無いというのも本当なのだ。

また、今日1日を通した生活の中には嬉しいこともあれば、ムカつくこと(w)もあったのだが、そういった感情を通してあまりブレないことで結果的に質を落としていない自分に手応えみたいなものを感じている。

とにかく最近は必要以上に一喜一憂しないことを意識していた成果だろう。

嬉しいことがあってテンションが上がれば次の油断と隙に繋がるデメリットがあるし、ムカつくことがあってイライラしたり落ち込むと負の連鎖に繋がってしまう可能性があることに気づかされたのだ。

だから必要以上の一喜一憂をしないように、少しだけ自分に我慢をするような意識を持って生活をすることで安定した質を発揮することを目指していたのが最近の私である。

何でそんな修行僧のような取り組みをしているかって?

札幌社会を攻略してネオ札幌人になって社会貢献したいからに決まってんだろッ!
by札幌が嫌いな管理人

(↑ここ笑ってほしいところ)

メンタルというのは持って生まれた資質だけではなく、技術や取り組み方でこうも違うものなんだなと思わされるね。


本当に札幌を嫌いになってよかった

札幌を嫌いになれたおかげで生粋の怠け者だった俺でも真面目で優しくなれたんだ

そして札幌が嫌いなことを好きになってきたんだw

だから、もっと嫌いにさせてくれ!!!

森町から帰札

2016年09月26日 03時30分36秒 | 嫌札幌


投稿日時の通り、たった今、森町のラッキーピエ○から帰宅してこれを書いているw

昨日の記事(怒りのち反省。。。)を書いてから自宅を出て森町のラッキーピエ○に行き食事をしてからそのまま帰ってきたのだ。

少々強行的だが、要はラッキーピエ○のためだけに行って帰ってきたのである。

実はこういった強行的に日帰りラッキーピエ○に行くのは年に2-3回は行っているくらいに無類のファンなのだ。

森町の方まで行ってるしせっかくだから函館の方まで行けばいいのにって?

日程的にタイミングが合わないっていうのもあるけれど(今日はこの後に10時から予定が…)、

函館の方まで行っちゃうと札幌に帰るのが嫌になって函館を出るときが寂しくて辛いから、敢えて森町のところで引き返すのもいいじゃないか by札幌が嫌いな管理人
(↑ここ笑ってほしいところw)

帰りの車の運転中にこんなことを思ったね。

幸せってなんだろうな、と

 ・大嫌いな札幌で札幌社会を攻略した(*)ネオ札幌人になり「札幌社会を攻略した男」になることに無類の喜びとロマンを感じる将来像

 ・自分が無償に好きになれる地域(函館方面)で平凡でもいい、もしかしたら少々不自由をしてもいいから無邪気に穏やかに暮らす将来像


どっちがいいんだ??ということを考えたね。

どっちも良いに決まってんだろッ! by札幌が嫌いな管理人
(↑ここも笑ってほしいところw)

とにかく思うに、札幌が嫌いな情熱と個性を完全燃焼させたい!と強く思っている自分を確認できたね。

俺がやるんだ!という使命感、俺がやりたい!という熱望的願望、とにかく札幌社会を攻略することに情熱を注ぎたい!という自分を強く確認したよ。

天才クラスでも秀才クラスでもない自分でも、札幌が嫌いな情熱と個性を発揮することで必ず自分の望む成果を出せると信じている。

だから札幌に帰ったらまた頑張ろうと帰りの車の運転中に思っていたね。

函館にはまた何時でも行ける、気が向いたときや行きたいときにまた行けばいい。


がんばろう。
(運転疲れからとりあえず寝たいw)


*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。

怒りのち反省。。。

2016年09月25日 16時49分43秒 | 嫌札幌
最近の話である

日常的に徹底的に札幌社会を避けている私だが、仕事上で関わらざる得ないケースがある。

つい最近、仕事絡みで札幌市内のテナント物件を探している際に超有名な某不動産業者の従業員のお世話になったのだが、、、

終始、札幌パワー全開(笑)の営業応対を頂いたね

まず電話の時点で札幌らしい〝やる気のなさ〟みたいなものを感じてしまった。

何度か電話でのやり取りがあったのだが、こちら側から何かを言わない限りは向こう側からは決して何も言わないという殿様商売的というか超受身な無気力マグロ営業な応対だった時点で嫌な予感がしたのである。

電話に出る際も、

「はい、○○○○○xxxxx営業部 札幌○店です」
↑この最初の一声を秒速1.5くらいで発してくるのだ

何の早口大会だ?最初の一声は2秒以内に言い切るというマニュアルでもあるのか?

そして電話相手が私だとわかった途端に人工的なお客様対応モードになるのだ。

おそらく1日に何回も電話がかかってくる内に経験を積んだ成果がこれなのだろう。

何度も何度も電話に出ているうちに〝札幌流、超機械的電話応対術〟を身につけていったのだろうと思われる。

そして肝心のテナント物件を現地にて視察させて頂くのだが、ここでも札幌パワーが全開だった(笑)

ただ現場を見るだけ。見て終わり。ただそれだけなのだ

この担当している営業マンは何のために居るんだ?と思わされるし、私のことをお客だと思っていないのだろうか。。。

 ・そういえば私のその時の服装がラフな格好(Tシャツ、ハーフパンツ)だったので、ドレスコートとしてスーツでも着ていかなければいけなかったのだろうか???

 ・担当者より若いから相手にしていないのだろうか?

 ・ただの冷やかしだと思われて私の真剣味が伝わっていなかったのだろうか?

 ・そう思われないように「確実に一つお借りしますので!」とまで言っておいたのだが・・・


電話のときと同様で私から何かを言わないと何も発言をしてこないし、営業マンとしての提案等も無いのである。

相変わらず殿様的商売というか、営業マンのくせに超受身な無気力マグロ営業なのだ…。

ホント一体何なの・・・ by札幌が嫌いな管理人

お前それが営業マンかよ!って言いたくなったし、やる気あるの!?と思ったし、何なのお前!?ってマジで言いたくなったよ…。

しかも頂いた名刺を見てみると「主任」って書いてあったので本当に驚いたというか、さすが札幌だと思わざる得なかったね。

なんつーのかな、商売っ気が無いのとはまた違う感じがするのだ。

商売っ気が無いというと己の利益を省みず、良いか悪いか先方に還元をしてしまうことだと思うのだが、

この典型的札幌人の担当者の場合はそれ以前の次元の問題で、営業マンのくせに顧客の立場と気持ちに全く寄り添う姿勢(演技さえ)も皆無な〝札幌らしい機械的で心の無い適当なやっつけ仕事〟という感じなのだ。

結局、あまり相手にされず流されるように扱われた不快な感覚を残しただけだった

現地から車を運転して帰える際にこんなことを思っている自分が居たね。

(あのヤロー!!!魚みたいな顔しやがって、ああああああ!!! 以下略) by札幌が嫌いな管理人の心の声
(↑ここ笑ってほしいところ)

・・・でも、その後に落ち着いて食事を食べながら反省したね。

そもそも札幌人に期待したり頼ったりする前提の心構えがあったから怒りのエネルギーが沸いたのではないだろうかと思ったのだ。

とにかく自分が怒ろうと、悲しもうと、逆に喜ぼうと、札幌社会攻略という一つの目的に向けて一喜一憂をしないことで自分の質を安定させて行動していきたいと思い返したら冷静になってきたよ。

だからあんなクソな営業マンに当たっても以前よりも自分がぶれていないことを身を持って確認できたことは一つの収穫でもあったなと手応えを感じたね。

方向性はこれでいい。


札幌人よ!!!

もーーーーーッと俺を怒らせてくれ!!!!

その度に俺は精神ムキムキになるんだw

あざーっす!!!!!

昔の札幌は違ったはず

2016年09月23日 01時11分14秒 | 嫌札幌
誰だ!!!札幌社会を汚しているヤツは!!!

何でこんなに冷たく余所余所しい街になってしまったのか・・・


ブログを書き始めて3年と9ヶ月くらい、この2-3年は徹底して札幌社会を避けた隠居のような生活を送っている。

そんな中で最近は札幌市外(←ここ重要w)の映画館でシンゴジラを鑑賞してからは若干ゴジラにハマっている自分が居るのだ。

youtubeでゴジラ関連の動画を再生させたり、モスラの歌を聴いたりしていると、
平成ゴジラ世代の私にとって90年代初頭には親に札幌の街中にある映画館に連れて行ってもらったことを思い出してきたのだ。

当時はゴジラやドラえもんやドラゴンボールを観に連れて行ってもらったっけ。。。

凄く懐かしいけれど、寂しい気持ちになるのは何故だろうか・・・

「あの頃の札幌を返せ!」という声が自分の中から聞こえてくるのは気のせいだろうか…。

 ・あの頃、街中にある某百貨店の最上階にあるレストランに連れて行ってもらっては「何時もの席ですね?」と覚えていてくれた人情味のある店員は何処に行ったのだろう?
 
 ・札幌が嫌いになって避けるようになってからはすっかり行かなくなった某区域にあった今は無き市場の人情味のある、ばあちゃんは何処に行ったのだろう?

 ・俺が中学生の頃、親切に商品説明をして名刺までくれた○○カメラチェーン店の店員は一体何処に行ってしまったのだろう?

あの人たちは幻だったのだろうか・・・

それとも俺が見た目も年齢も子供だったから守られていただけだろうか?俺が大人になってしまっただけなのだろうか・・・

そんなことを考えたこともあるが、やっぱり違うなと確信している。

札幌(時代)が変わってしまったのだ

昔の札幌はもっと庶民的で多様にお店があったと思うのだが、今の札幌(下界)は程度の低そうな女性向けのファッション店+顔に「私はバカです」と書いてるようなチャラい店員ばかりじゃないか?

なんだかJRタワーが出来たあたりから一気にそこら辺の加速度が増した気がするね。

人柄っつーか、人情面も景気の低迷に沿ってなのか劣化しまくりで寂しい街になってしまったなと思うよ。

当時を生きてた札幌人は何処に行ってしまったのだろう?それとも皆、札幌ウイルスにやられてしまったのだろうか?

なんだかとても寂しいね。



「札幌そごう 最終日閉店アナウンス」

札幌人の強烈なコンプレックスとプライド

2016年09月22日 16時20分38秒 | 嫌札幌
誰だ!!!こんな札幌社会にしたのは!!!

何時から札幌はこうなった???

とにかく札幌は変わったと思う。

具体的に何時から何がきっかけで変わってしまったかというと何とも言えないが、

 ・バブル崩壊以降
 ・拓銀破綻以降
 ・2000年前後~JRタワーが出来たあたり(2003年)


ここら辺が大きく関係しているような気がするね。

とにかく経済の悪さが人格にまで影響しており、(*)「貧して鈍する」を地で体現しているのが現代の札幌社会だと思う。

(*貧乏をすると、毎日その生活のことばかり考えるようになるから、人は知恵や頭の回転が衰えてしまい、賢い人でも愚かになるという意味)

もっと掘り下げて具体的に言えば(コメントに頂いた読者様の言葉を借りました)、

「異常な嫉妬心と執着心を持って接し、その気持ちのままに発言し、相手にダメージを与えることが人間関係」だと思ってるヤツが札幌では異常レベルに多く、その種の大らかさとはかけ離れた攻撃性の強さが広まってしまっていると思う。

そういった背景の根にあるのは「強烈なコンプレックスとプライド」がある気がしてならないし、それは島国(北海道)の中の〝都会〟である札幌だから発生しやすいのではないだろうか?

おそらく札幌生活の中で話題選択に気を遣うヤツっていうのは札幌人の「強烈なコンプレックスとプライド」を刺激しないように注意を払っているのだと思われる。
(参照:話題選択の重要性)

何が怖いって、一般常識や教養を持った〝ごく普通レベルの人間〟でさえも札幌だとそんなヤツが珍しくないところに深刻さを感じるね。

元来ならば〝ごく普通レベル〟〝まともな人間〟でさえも札幌生活の環境次第ではそうなってしまうのだから環境って大事だなと思わされるし、

そうやって札幌ウイルスに染まってしまうヤツは一刻も早く札幌を出て行ったほうが幸せだと思うぞ。
(出て行った先でも札幌ウイルスを撒き散らすかもしれないがw)

特に「何処の地域も同じ」と思ってるヤツと、
そういった状況に適応して染まることが社会的に全うな成長だと思っているヤツ

さっさと目を覚ませよw


札幌人よ!!!

これからも貧して鈍してくれ!

そんなヤツが増えれば増えるほど俺のライバルは居なくなるんだw

あざーっす!!!!!