嫌札幌~札幌が嫌いなブログ

札幌生まれ、札幌育ち、札幌在住な私が札幌を批判します。札幌嫌いな人集まれ!

生きることは戦いに似てる 背中向けた時が負けさ (某歌詞)

2016年01月27日 01時14分46秒 | 嫌札幌
札幌社会特有の札幌気質が大嫌いだから、何時かは札幌社会の壁をぶっ壊してやる!という気持ちで日々を生きている。

タイトルの通りこの感覚は戦いに似てると思うし背中を向けたときが負けだとも思っている。

札幌社会に媚びる気なんて毛頭ないし、札幌社会の壁を壊すに当たって俺がやるんだ!という気持ちで日々を生きている。

ここで逃げたら男が廃るってもんだろ by札幌が嫌いな管理人
(↑ここ笑って欲しいところ)

札幌に住み続けて、札幌の社会性質が変わらない限りは戦い続けるだろう。

仮に100万円あげるからもう辞めて!と言われても絶対に辞めない自信があるね。

おかしいことはおかしいと思うし、むかつく時はむかつくし、一般的にゴキブリを見て気持ち悪いと思うように好きになれないものは好きになれないのだ。

とにかく札幌の社会性質が嫌いでしょうがない!!!

札幌が嫌いな個性と情熱、これが俺のチャームポイントだ by札幌が嫌いな管理人
(↑ここも笑ってほしいところ)

真面目な話、札幌嫌いを語ってるときの自分が活き活きと輝くようになっちまったよ。

風呂に浸かりながら思っていたこと

2016年01月26日 18時16分01秒 | 嫌札幌
風呂に遣っているときにこんなことを思った

札幌の悪しき性質を一人でも多くの方に知ってもらう活動をもっと真剣にがんばれないものかと。

もしそういった活動をしないと食べていけない状況ならばもっと必死にやっているはずだし、

もしそういった活動に生活がかかっていたとしたらもっと必死になってやっているはずだ、と。

細く長く楽しみながら続けていきたいとは思うが、もっと頑張れるんじゃないか?と思うときがある。

例えば今日は久々にHPを更新してパワーアップさせよう!と思うも中々取り組むことができずに更新できなかったり、

今日はブログに関してこんなことを書いてみよう!と思うも他の作業をしてしまったり、

札幌嫌いのための新しいコンテンツを作ろう!と思っても行動に移せなかったり、

とにかく妥協しているし自分に甘くなってしまうときがある。

嫌札活動に取り掛かるということはある意味で本当に孤独である。

だけど俺は札幌が嫌いな個性と情熱には絶対の自信を持っているから、それを変えて、乗り越えて、絶対に札幌社会の壁を破っていきたいとも思うね。

その絶対的な個性と情熱を沈めながらバランスを取りつつ熱く冷静に地道に取り掛かっていかなければならない。

とにかく地道、地道、地道の繰り返しだと思う。


がんばろう。

妥協に妥協を重ねて向かった先で…2

2016年01月26日 00時12分55秒 | 嫌札幌
日常の買物等に関しても札幌社会を徹底的に避けて近郊地域(主に石狩)で済ませるようにしている。

ところで先日、どうしても札幌市内の某スーパーの駐車場を使わなければならない状況になったのだ。

某スーパーの駐車場に車を4-5時間くらい置いたのだが、スーパーの中で買物をすると駐車場代が無料になるので仕方なく店内で買物をすることにしたのだ。

適当にさっさと買物を済ませてレジに向かうと実習生のプレートを付けた女性店員がせっせとレジ打ちをしていたのだ。

ラッキーだと思ったね。

何故なら札幌社会では仕事に手馴れた店員ほど基本を疎かにして札幌社会特有のお客を処理するような超機械的な接客をしてくる傾向が強く、

経験が浅い実習生、新人クラスの店員ほどお客を人間として迎え入れる謙虚な接客をする傾向が強いからだ。


そしてその法則が見事に今回も当たっていたのだ。

お釣りを渡そうとしてきた実習生の女性店員がレジから小銭を出す際に落としてしまったのだ。

その瞬間からの光景に私は釘付けになってしまったね。

何か運動をしていたのだろうか?女性とは思えぬような超俊敏な身のこなしで床に落とした小銭を一瞬にして立ち姿勢から這いつくばる姿勢になって確認している姿を見て思ったね。

(はやっ!今の動作は俺より早いんじゃないか?)と思った瞬間は「この一連の動作は本能的な意識が形となって咄嗟の行動に繋がっている光景だ」と感心してしまった。

そしてお釣りを私の手元に渡すと同時に「どうもすみませんでした!」と言うのだ。

札幌社会の超機械的な接客対応、人間(お客)を処理するかのような機械気質とは180度違う真心のある人間的対応(その中でも上の上)を受けた瞬間はまじまじと店員に対して頷いてしまったね。

(何だこの女性店員、惚れてまうやろ!!!)と思った瞬間は「札幌社会にもこういった人間がまだ絶滅せずに存在していたか…」と再確認をした瞬間でもあった。


…本当にこういう人間ほど札幌社会で働いてはいけないと思う。

札幌社会で経験を積み、札幌社会を取り入れていくほどに札幌社会特有の社会人気質が出来上がってしまう可能性が高いからだ。

何時かこの店員が実習生のプレートを外し、現場に慣れ込み、札幌社会を自分に取り入れてしまった時にどうなっているか…

老婆心(余計なお世話)ながら札幌社会では数少ないこの手の貴重な人間にほど札幌社会の悪しき実態を説明してみたくなるのだ。

妥協に妥協を重ねて向かった先で…

2016年01月25日 17時01分33秒 | 嫌札幌
先日、妥協に妥協を重ねて札幌市内の某ラーメン屋(白石区)へ行ってみた。

普段の買物から外食も札幌社会を徹底的に避けて札幌近郊地域で済ませるようにしているが、ふと札幌市内の店舗に行ってみることにしたのだ。


1.
初めて行くラーメン屋だったのでメニュー表をまじまじと見ているとアルバイトらしき店員が水を持ってきて一言。

「(メニューが)決まりましたらお呼び下さい」

と言って去っていったのだ。

改めてメニュー表をまじまじと見ていると1分もしない内にその店員がやってきて一言。

「(注文を)お申し付け下さい」

と言ってくるのだ。

(まだ決まってねーよ!)と思いつつ仕方なく妥協する形で適当に味噌ラーメンを注文したのだが…

特に店内が混んでいるわけでもなく余裕がありそうな状況だったと思うが、言っていることとやっていることが矛盾している奇妙な接客に当たってしまったのだ。


2.
ラーメンを食べている最中に私の隣の方向に若い男性客二人組みが座ってきたのだが、その内の一人が超うるさいのだ。

「うるさい!」と言ってやろうかと思って隣方面の男性客をまじまじと見つめてみると男性客も私の視線を察したのか静かになった。


3.
ラーメン屋の店員が隣の男性客達に対してどのような接客をしているか観察していたのだが、

超機械的に注文を聞き取って超機械的に「ありがとうございました」と言っていることを確認した。

しかも最後に発した「ありがとうございました」の言葉はまるでお客に対して言い捨てるように、
お客から離れると同時に発している姿は「ああ、お客を処理している札幌らしい接客だなー」と感じさせられた。


全体的な感想を言えば決して感じが悪く雰囲気の悪いお店ではないのかもしれないが、やっぱり悪い意味での札幌気質が出ている札幌らしいお店だと感じたのが正直なところである。

ちなみに上記の1.2.3の具体例に関しても決して私の札幌嫌いからくる独りよがりな感性では無いと思うし、かと言ってただの偶然だとも思わない。

やっぱり札幌社会特有の現象であるのだ(確信)

ちなみにこれくらいのことなら札幌社会ではまだ大したことの無いレベルの光景なのだから根が深いと思わされる…。

現状の札幌社会で札幌社会特有の異常な接客光景、レベルの低さを理解できる人間が本当に少ないことが1番の問題だと改めて思わされる。

何で理解できる人間が少ないかって?

そこら辺に居る札幌人にこの記事を読ませたら大体の人が「細かい!」「仕方ない」「札幌だけじゃなく何処でも同じじゃない?」とか言いますから(笑)

人生で大切なことは全て札幌社会から学んだ

2016年01月20日 13時53分04秒 | 嫌札幌
地域社会(札幌)を嫌いになるということは非情な世界に入ることかもしれない。

合わない人は全く合わない。札幌を楽しめない人は全然楽しめないという状況を受け入れることになるからだ。

札幌が嫌いだという楽しみ方が無く、嫌いな地域(札幌)に身を置きながらも環境に恵まれなければ、何歳になっても札幌という地域を楽しめない。

自分の生まれ故郷である札幌という地域の実態に気づいてきた瞬間は自分は札幌が大嫌いだったということを自覚してきた瞬間でもある。

そこに至るまでに随分と時間がかかった。約四半世紀、25年ほどかかってしまった。

そしてそこから私は生まれ変わったのだ。

「札幌を嫌いになったくらいで何を言っているんだ?」と思うかもしれないが、

けれど、本当に生まれ変わったのだ。

パッとしない風貌の人間が身なりを整えて垢抜けるように、万年最下位のチームが翌年に優勝してしまうように、売れない芸人が一発ギャグで超売れっ子になるように…

ではどうやって自分は生まれ変わったのか?

それはたくさんの事例、例えば札幌社会で生活をしてきて不快になったこと、嫌悪感を感じたこと、違和感を感じてきたことなどを思い返し、見つめ返し、客観視し、時に比較し、主観的に考えて得てきた教訓と結論が自分を変えてくれたのだと思う。

失敗から振り返ったことも、成功体験から得た喜びも、札幌生活で感じた何気ない感覚も、自分の心に深々と突き刺さって血肉となってきた。

札幌を嫌いになる前、つまり札幌を嫌いだと自覚をする前は札幌社会の異質さに関する着眼点が中々向かずに謎の違和感ばかりを感じて自分を責めることが多かった。

札幌の異質さに着眼点が向く前は、頭に靄がかかったように、寝ているのか起きているのかさえわからないまま札幌で生活をしていた。

いってしまえば「札幌病」にかかっていたのだ。

札幌が異質だいうことを徐々に気づき、札幌が嫌いだということをハッキリと自覚したことで新しい目標が出来、生活に張りが出来、現実感が生まれ、自分の人生が変わってきた。

前例が少なく、これといった教科書があるわけでもなく独自に考察をしながらなので五里霧中をさまよう思いではあるが、

ブログやHPを通して札幌社会の悪しき実情を一人でも多くの方に知って欲しいし、

私が札幌社会を通して人生を変えたさまざまな教訓、札幌社会を生きるうえで欠かせない知識なども今後も提供できるように力をつけていきたい。

まずは札幌社会で嫌悪感を自覚している方、次に札幌社会で生活しながらも違和感の正体に気づいていない方、次に本州など札幌で生活経験が無い方の順に理解を深めてもらえるようにできればと思っている。

そのためにまだまだやること、課題は山積み状態だが、焦らず細く長くでも継続していきたい。


がんばろう。