嫌札幌~札幌が嫌いなブログ

札幌生まれ、札幌育ち、札幌在住な私が札幌を批判します。札幌嫌いな人集まれ!

細く長く続け、小さな生産性を積み重ねればベスト

2017年02月26日 13時01分04秒 | 嫌札幌
こんなテーマのブログを4年続けてきて実際にあることなのだが、

例えば変な荒らし(未公開)もあるし、ストーカーみたいで気持ち悪いこともされるし、誰が見ているかもわからないし、時に変なメールが来るときもあるし、ここには書けないことだってたくさんあるし、身の危険を感じたことだってあるよw

そんなリスクを冒してまでこんなブログを続けてきて一体俺は…って最近思ったよw

リスクに対する見返りがあまりに少ないという損得勘定が全く無いかと言えば嘘になるw

それに、

札幌が嫌いな個性と情熱に絶対の自信を持ってきたが、一般的大多数な札幌嫌いな読者様と私とでは相当な温度差もあるのだろう。

…私が独りよがりに勝手に熱くなってるだけなのだろうかw

いずれにせよ、今一度このブログの意味を、定義を、見直していかなければいけないのかもしれない。

元々は私の札幌に対する愚痴吐き用のブログとして始めたつもりだったが、

いつの間にか共感者様が増え、一人でも多くの方に札幌の知られざる一面を知って欲しいと願うブログになり、私自身が札幌が嫌いなことが好きになり、私自身もエンターテイメントとしても楽しむブログになってきた感がある。

ここからどうしようか?

一個人としてはネオ札幌人(*)の追求と札幌生活必勝法を求めて行きたいが、

札幌が嫌いなブログとして、札幌が嫌いな管理人としてはどうしていけばいいのか?

最近そんなことを思って考えさせられたね。


ただ言えるのは、とにかく細く長くでも続けていきたいとは思っている。

同じような内容の記事を繰り返し続けていくことにも十分な価値も感じているし、更新しないよりは100万倍マシだからだ。

生きたブログを続けていき、一人でも多くの方に札幌の良くない面を知って頂くことで今後に活かして欲しいという目的があるからだ。

古くから当ブログを読まれているオールドな読者様には長年の積み重ねにマンネリを覚えているかもしれないが、

更新を続けていくことで新規の共感される読者様を増やしていき、絶対数(分母)が増えていけば良いのではないだろうかとも思う。

それにブログを続けたいと思う根底にある気持ちは札幌嫌いな個性と情熱に私が本気だからだと思うし、札幌が嫌いなことが好きだからだと思う。

好きだから、楽しいから、前を見てるから続けられるんだと思う

この素直な気持ちを生産性という形に変換すればするほど「一個人として」私は究極のネオ札幌人(*)へ近づいていくと確信している。

近い将来、自分は必ずやネオ札幌人(*)になっていると信じている。確信している。

ブログに関してもまだまだ他の一般的な札幌に違和感を感じられている読者様とは温度差があるかもしれないが、

真剣に向き合って話をしてくださる読者様とは何時でもお付き合いをさせて欲しいと思っているし、何時か結果を出していけば「札幌が嫌いな管理人として」も読者様に認めてもらえるのではと思っている。


がんばりたい。


*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。

札幌社会必勝術

2017年02月23日 19時48分27秒 | 嫌札幌
近年は徹底的に札幌社会を避けた隠居のようなマイノリティ生活を送ってきたが、

最近は例の件に伴い、札幌市内への通勤場所が確保されたと同時に一定の拘束時間が出来たために札幌社会に身を置いていると言えるだろう。

今ではスーツを着て出勤という形で活動をしているのだ。一応。

そして今、凄く思っていることがある。

今までよく札幌社会を徹底的に避けた隠居のようなマイノリティ生活が成り立ってきたな、と。

今までの生活環境から少し離れ、新たな環境に身を置いたことで今は凄く客観的に感じている。

結構すごいことだったんだな、と。

かといって現在、自分が身を置いている環境というのも、マイノリティと言えばマイノリティかもしれない。

とにかく気楽なのだ。

そして身を持って実感をしていることがある

これが社会の隙間なんだな、と。

これが社会に住みながらも別の世界で生きる方法の一つなんだな、と。

すなわち、札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして楽しむことが出来る環境なのだな、と。

この独自の環境から生産性を確立していけばネオ札幌人(*)になってしまうのではと感じている。

残念だが不特定多数の人間が見ているブログに書けるのはここまでである。

札幌社会を徹底的に避けた生活を送っていた近年から、札幌社会に身を置きながらも札幌社会の土俵に立っていない現在までの経験を形として一定の層に伝えていこうと思っている。

それを形にして伝えることが出来る人間がそうそう居ないことを知っているし社会からの溢れんばかりのニーズを感じているからだ。

ネオ札幌人(*)に向けてこれから楽しみたいと思ったね。


札幌社会よ!!!

マジで札幌を嫌いになってよかったよ

札幌を嫌いになった個性と経験が俺を成長させてくれたんだw

あざーっす!!!!!


*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。

マイノリティの生き方

2017年02月19日 11時48分25秒 | 嫌札幌
最近、めちゃくちゃ身を持って実感していることがある

こういう生き方もあるんだなーとめちゃくちゃ実感している

ズバリ、マイノリティ(社会的少数派)な人間の社会生活必勝法の法則を身を持って最近わかってきたのだ

その全てをブログに書くことが出来ないのが残念だが、当たり障りのない程度にちょっとだけ書いておきたい。


まず世の中には様々なマイノリティ(社会的少数派)が存在していると思う。

広い意味では私も札幌に住んでいる癖に札幌が大嫌いだというマイノリティ(札幌社会的少数派)だと思う。

何故なら札幌の中で札幌に違和感や嫌悪感を持つということは某国家や戦時中の日本のように、
お国に対して違和感や嫌悪感を持つ状況と同義のようなもので周囲から叩かれてしまうのだw


やはり札幌に違和感や嫌悪感を持ってしまう感覚はマイノリティだと言わざる得ない面がある

そんな世界で生きているマイノリティにはどんな生き方があるのだろうかということを考えてみて欲しい。

可能性は無限にあると思うし、様々な形があるはずだが、
答え(形)を導き出せずに苦しまれている人間が多いことも私は知っている。

また周囲の理解や共感に乏しく傷つき時に疲弊している人間が多いことも私は知っている。

マイノリティ必勝法に結び付く大きなヒント(考える材料)を1つ置いておこう。

それはズバリ、

ニート(無職)とサラリーマン(フリーター含む)の隙間の中の社会で生きることだと思ったね。

これは決して両者の悪口ではないのだが、それが出来ないから大多数の人間がニートになったりサラリーマンになったりするのだろう。

社会の隙間で生きること、社会に住みながらも別の世界で生きること、その中で生産性を高めていくことで人並みにもなれるし人並み以上にもなれるのだ。

一般的にそれを一人で出来るヤツが中々居ないということも私は知っているし、そこに世の中からの溢れんばかりのニーズを物凄く強く感じている。

そういったニーズに応えて社会からのフィードバックを得る活動を今後やってみたい、最近凄く感じているね。

超優良級かつ有料級の経験談(情報)なため、不特定多数が見ているブログに書けるのはここまでで心苦しい思いもあるが、札幌に住みながらも悩まれている読者様にはどうかヒント(考える機会)にして欲しいと個人的に勝手に思っている(大きなお世話ならすみません)

がんばりましょう。


札幌社会よ!!!

札幌が嫌いだというマイノリティを通して俺は貴重な財産(経験)を得ることが出来たんだ

この財産(経験)を使って万倍に活かせて貰うよw

あざーっす!!!!!

札幌市内(下界)に用事を作るリスク

2017年02月17日 23時31分36秒 | 嫌札幌
ところで私はリラクゼーションマッサージマニアである

月に2回は札幌市外の格安リラクゼーションサロンに行って癒しと贅沢を堪能しているし、

過去には短期のリラクゼーション講座を受講した経験もあるほどだ。

札幌は嫌いだが無類のリラクゼーションマッサージ好きであるのだ
(↑ここ笑ってほしいところw)

ところで最近気になっている手法のリラクゼーションマッサージがある。

ズバリ、ヘッドマッサージである

凄く気になっているのだが、どうしても札幌市内の店舗に行くには抵抗が…

どうしてかって?

只でさえ客層の女性色が強そうで行きにくいし、浮きそうだし、札幌特有の接客の酷さも加わって邪険扱いされてしまうのではないだろうか?って思うからだよ。

仮にサロンに問題が無かったとしても、店舗に辿り着くまでの道のりや自宅に帰るまでの道のりで札幌特有の現象(ストレス)で台無しになってしまいそうなことも懸念材料である(w)

私にとって札幌市内に用事を作って済ませるということは一般の人間が危険区域に立ち入るほどのリスクがあることと同義なのだ。

ヘッドマッサージを受けてみたい!…けど危険(リスク)を冒してまで行こうかどうか?

ここ最近はそんな葛藤が渦巻きながら悶々としている。

ネオ札幌人への登竜門で厳しい洗礼を受けた私8(完)

2017年02月12日 17時33分20秒 | 嫌札幌
この件に関してここらへんで統括したい

店舗オープン間近になって連絡が途絶えてしまったHさんに関してはバックレたと思ってしまっていたが、

その背景には私自身の立場からの甘さも感じており、この経験を糧にして今後に活かそうと思っていたところで、

実はHさんがバックレたのではなくTされた故に連絡が途絶えてしまったという本質が発覚した瞬間は思わぬ肩透かしを食らったような何とも言えない複雑な気分になった。

この件に関しては少々心苦しいところがある。

もしHさんと連絡する機会が今後にあったとしたら、そしてHさんと今回の件の本質を語らう機会があったとしたら、その時は正直に謝っておきたいと思う。

TされるHさんもHさんだと思う反面、バックレたと決めつけた上にそれをブログの記事にする私も私だったかもしれないと思うからだ。もう少し他の方法があったかもしれない…。

気持ちはわかるが…こういった根拠(本質)なき決め付けが思わぬ事態や展開に発展して結果的に失敗してしまうケースはよくある話だと思う。そういう意味でも今回の自分は甘かったと思う。

そういった甘さもネオ札幌人(*)を目指す上での障壁になっているのではないかと身を持って実感したね。

ただ大事なのは今回の件を通して身を持って実感をした生きた経験を今後どうするかだと思う。

ネオ札幌人(*)になりたくなければ忘れてしまえばいい。

ネオ札幌人(*)を目指していくなら活かせばいい。


今後もボチボチで良いから細く長く諦めず、がんばりたい。


(完)


*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。