ふと思うときがある。
この札幌で生まれ育って札幌という社会に時に揉まれ私が身に付いた才能というものを。
それはズバリ、「(札幌の)人を信じない」「根底で自分しか信用しない」という才能だと思う。
何時からか人を信じたいとかも深いところで思わなくなってしまったのと札幌に住んでいる以上は今のままで良いと思うようになった。
だからこそ他者に対して優しくなれるという特徴もある。
例えば私は自分の仕事でアルバイトのお手伝いさんに定期的に来てもらっているがこれ以上にないくらい非常に温く優しく接しているつもりだ。
上に立つものの立場だからこそ、そうするべきだと私は思っている。
怒鳴るなり偉そうにするなり上から目線で指示をするような勘違いしちゃっている方針が私は大嫌いだからであり、
そのような方法を取らずとも良い方向に進めていける自信があるのだろう。
業務は業務である以上、お手伝いさんにとっては一定のつまらなさはあるかもしれないが私としてはお手伝いさんには楽しくやってほしいのだ。
また上記に書いたこととは全く真逆の特徴もある。
例えば日本ハムファイターズが負けたら本当に嬉しいし、もっと言えばニュースなどで不幸なニュースが流れていると喜んで笑ってしまうときもある。
ある意味で自分には出来ないからこそ犯罪者に対して「すごい!よくやった!」などと思ってしまう。
何時だったかに秋葉原で加藤智大が通り魔事件を起こしたことがあったが是非札幌でも大なり小なりそんなことが起きればいいのになーと思ってしまう。
思ってはいけないことなのかもしれないが思ってしまうw
まとめてみると何処までも優しくなれるし何処までも冷徹残忍になれるという多様性が身に付いた。
そんな特性が役立つ舞台がきっとあるはずだ。