渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

夕方林道

2024年09月16日 | open

(秦の山から見た瀬戸内海)

三原市内住宅街から筆影山の
登山林道を登って竜王山=秦
の山に行く。


家の所用で外出してから帰宅
後、3時半頃から林道を走り
たくなり、ちょい乗り。

筆影山(三原市内安芸国)の
登山林道を登る。


こちら下り側。


筆影山から秦の山=竜王山へ。
秦の山への道は道路一杯に苔
がびっしりの区間もあり、転
倒しないように注意した。
山頂駐車場からはごく短距離
のみ「竜王みはらしライン」
を通過した。

竜王山の山頂付近の山の集落
区域。

「こかぁー900才の欅の木と へて
小まぁー星が見えるとこじゃけぇ」
一部私には言葉の意味が分から
ない。「へて小まぁー」の部分。
たぶん「とても小さい」だろう

か。

八幡宮跡の石碑の所を枝分かれ
道のその「じゃけぇ」の道に入
ってみた。



この秦の山は源平合戦の頃の
平家の落ち武者の隠れ里。
三原市内にはもう一ヶ所、別
山の深い所に平家八幡宮とい
う小さな神社があり、その周
辺には平家の落人たちの隠れ
里がある。つい近年まで平家
の子孫が住していたが、今は
廃屋群となっている。
こちらの安芸国側の竜王山の
山頂付近には現在も民家が点
在している。かなりの山奥。


このあたり一帯は1185年(文治
元年)屋島の合戦で敗れた平家
の家臣、秦四郎國重が落ちて
開いたという伝承があり、三
原市の北にある龍王山と区別
して葉田竜王山とも呼ばれて
いる。三原市内の古い人は
「秦の山」「葉田の山」と呼
んでいる。この付近に住して
いる人たちは秦四郎國重の子
孫とされている。


ピンぼけになってしまった。
猫バスの「はたの森」という
バス停がある(笑


昭和8年(1933)に建てられた
石碑。平家一門の子孫が八
幡宮を建てたとの伝承がある。
子孫の多くは後に山を下り、
海岸線や戦国末期に海の上
に築城された三原城の城下
に出たらしいが、まだ山麓
に民家も残っている。
小さな祠があるが、これが
神社の祠か。


このあたりも秦の山の八幡宮
神社跡地ではなかろうか。


秦の山をあとにして、林道を
進む。


10数年前は未整備でこの地点
から車で下山するのに3時間程
かかった。途中、轍が深く、
車の腹をこすったり、笹に覆わ
れていて車のボディは疵だらけ。
途中、倒木等もあり、Uターン
もできないのでかなり困惑した。
数年前に整備されて砂利舗装さ
れたが、今回は果たしてどうか。


数年前の砂利舗装整備された
頃は原付スクーターでも何度
も走った。伐採草刈整備もさ
れて走りやすい砂利道になっ
たからだ。
今回、ひどかった。10数年前
の廃道のような状態ではなか
ったが、やはり轍に雨水が流
れて道に沿って深い縦溝が
いくつも出来ており、そこに
タイヤが入ったら転倒確実と
いう状態になっていた。

しばらく行くと、道の状態が
良くなって来た。




遠くに佐木島(さぎしま)と瀬
戸内海が見える。


大型船舶は沖に停泊している
ようだ。


この林道をゆっくり走って山
を下っていたらアライグマが
いた。道の恥っこでこちらを
じっと見ていたが、二輪を進
めたらお尻を向けてトコトコ
と森の中に逃げた。
アライグマは害獣扱いで駆除
対象になっている。

2005年以降は外来生物法に
より特定外来生物に指定さ
れた。研究以外の保護飼育
は厳禁。駆除対象となって
いる。
この子たちに罪は無いが、
農作物を荒らす為、地方の
農家は狩猟免許を持ち、見
つけ次第罠で捕獲して殺し
ている。

山を下りて海に出ようと思っ
た。
下り切る直前に間道があった
ので初めての道だが走ってみ
た。かなり良いロードだった。
そこは今度からシークレット
ロードとしようかと。
結構良い高速ワインディング
が続いた。

その道を抜けたら隣りの竹原
市の駅前に出た。


忠海駅に停車中のJR呉線の
下り列車。


帰り道はずっと海岸線の国道
185号を東進北上して三原城
下に帰って来た。
海岸線が実に美しかったが、
写真は取り忘れた。
1530頃に家を出て、帰還は
1705。
数十キロのちょい乗りだが、
なかなか面白かった。
いや~、ホンダバイアルス
TL125、とてもいいわ~。
轍道で転ばなくてよかった
よ(笑