まじかこれ。
ロシアの動物園って、体の
弱い子は捨てるの?
世の中、そんな動物園ある
のか。
でかい保護猫だが、助かって
よかったよ。
こちらは本物の超巨大猫。
体調1.2メートル、13kg。
小型犬より遥かに大きい。
高校1年の時、この西武池袋
線江古田駅横の踏切をバイク
で通った。
桜台から江古田のレーサー
置き場の建物に行くのに。
桜台の置き場が手狭になった
ので、MT125レーサー1台を
移動させる必要があったので
RD250でMTを牽引して。
私がレーサーに跨り、後年国
際A級になってマン島を走っ
たクラスメートの奴が自分の
ソノートカラーのRDで引っ張
った。
なんという違法(笑
レーサーの移動はチームオー
ナーの指示だったが、一言あ
ったのは「捕まるなよ」では
なく「転ぶなよ~」だけだっ
た(笑
あかんやろ。
その方式の牽引走行は違法だ
が、昭和時代というのはかな
り大雑把な時代だった。
今だと絶対にやってはいけな
いやつ。てか、当時でも違法。
西武線のこの踏切通過時をよ
く覚えているのは、警報が鳴
って遮断機が下り始めたのに
RDは突っ切ったからだ。S字
を走るように。
牽引されてるほうはロープの
テンションかけたまま同じラ
インを通らないとならないの
でちょい神経使った。こちら
はエンジンに火を入れてない
(混合用タンクは空)シフト
はニュートラでの滑走なので。
まさか、公道でレーサーのカ
ウルの中に身を伏せるとは思
わなかった。しかも下りて来
た遮断機が頭に当たらないよ
うによけるため。
車を下りた時「おっめえよ~、
警報鳴ったら止まれよな~」
と同級生に言ったら、「ハハ」
と笑うだけだった。
江古田の置き場には他にも
ロードレーサーが何台もあっ
たが、桜台のほうも結構数が
あった。レーサーでパンパン
状態。
今、グーグルストリートビュー
でその物件を見ると、建物は
桜台も江古田もどちらも全て
建て替えられて新築のような
一般戸建て住宅とビルになっ
ている。
江古田という街は日大の芸術
学部のキャンパスがある街だ。
チームの先輩や同僚とよく晩
飯を食べた桜台駅前の喫茶店
がまだ健在だったのには驚い
た。ネットでメニュー見たら
1977年の時のまんま(笑
見た目が全く美味そうに見え
ないピラフだったが、実際に
あんまし美味くなく、先輩や
私は塩や醤油を少しかけて食
べていた(笑
当時あった生姜焼き定食は
そこそこいけた。
どす黒い色のフルーツジュー
スはかなり美味かった。
全公開は避けるが、私は一部
に特殊な着用法を用いて袴を
着用している。
私の袴の着付け方だと、少な
くとも私は着崩れしない。
一部公開する。これは知って
いる人は誰もがやっている事
だからだ。
ただし、私のオリジナル部分
は非公開。
まず、帯は私は稽古では逆神
田に結ぶ。これは私式だ。
神田の逆だから松田とでも名
付けるか。いや蒲池か(笑
稽古用では幅が狭い化繊の二
寸三分帯にしている。
こちらは絹の角帯、博多献上
を一文字巻きしたときの画像。
紋付の演武などの時にはこの
ように正絹角帯で一文字に箱
結びに縞帯を結ぶ。「稽古着」
で「晴れ」の場で演武すると
いうのは失礼にあたると私は
考えている。「ハレ」と「ケ」
については厳格に意識する必
要が日本人ならばあると私個
人は考えている。
前紐を後でバッテンにして結
ぶのも一般と同じ。
その後は、こうやって、袴の
後紐を一旦袴の前紐の最上部
に通して袴板の位置をギチッ
とキメちゃう。
献上模様の帯には上下がある
が、この帯は作り込みによる
刀の据わりを考えて上下はこ
の向きにしている。
これは実は私が習った頃の剣
道の袴のはき方で、私は大昔
からこれにしていた。
撮影の為片手だが、両手でピ
ンピンと引っ張ってテンショ
ン掛けて袴板をバシッと帯の
結びより上方に乗せて背中に
密着させる。たとえ稽古着の
袴だろうと、帯を締めている
のだから、袴板の下は小さな
太鼓状になるように着る。こ
れは絹製帯と絹製袴の場合さ
らに登城着装のようにシャキッ
と太鼓ができる。袴板から真
下にデレンと袴が下がるよう
には稽古時でもしない。
太鼓とはこのような袴の後ろ
の状態。これが武家の袴のつ
けかた。
そして、殿中小さ刀は大刀の
代わりなのでまっすぐに閂に
差す。厳密にいうと、やや閂
ぎみの鶺鴒差し。
鶺鴒差しとはこれ。武家の登
城時の礼装での刀(小さ刀=
大刀の代わり)の差し方。落
とし差しと完全閂差しの中間
よりもやや閂ぎみの角度。
セキレイ
セキレイを観察すればすぐに
判るが、尾は45度ではない。
やや閂(地面と水平)ぎみの
斜めの角度である。
「鶺鴒差し」と呼ばれるから
には、45度ではなく、鶺鴒の
尾の角度であることにいわれ
の所以がある。
鶺鴒は地面や岩場に着地して
尾をクイックイッと上げる。
それが鶺鴒の特徴であり、そ
の様子を採った正眼は鶺鴒の
構えなどと云われたりしてい
る。
鶺鴒を実際に観察すれば即断
できるが、これが鶺鴒の特徴
であり、突起場所に飛来して
尾を下げた鶺鴒は他の鳥と同
じ45度角度となるので、あえ
て鶺鴒差しと呼ぶ
ことは惹起されない。45度角
度になるならば、オナガや鷹
でもよいのであり、鶺鴒差し
が鶺鴒と呼ばれるのには、鶺
鴒たる特徴の写しという行為
があるからだ。
それをきちんと知悉していな
いと、誤った方式を思い込み
で誤伝拡散することになるの
で厳重注意が必要だ。
尾を45度に傾けられるイレギ
ュラーな鶺鴒の着地状態を引
用して鶺鴒差しについて説明
するのは明らかな誤謬である。
ここから先が私の(というか
私が通った道場の)オリジナ
ルの方法で袴紐がずれないよ
うに特殊な方法で締めるのだ
が、それは非公開。
あとは一般着付けと同じく、
東京の豊島岡女子高の制服
の通称「コロッケ」のよう
な状態を作る。
できあがり。角帯の真下にコ
ロッケを作った。武家礼法の
正式は十文字。
なお、袴紐の前紐と後紐は、
現在は後紐を前紐の下にくぐ
らせる方式が正式かのように
着付けることが一部で見られ
るが、江戸期の武士の古写真
を観察しても、上部に後紐が
くるのが幕藩時代の正式な結
び方と思われる。
鍋島家の裃
刀を閂ぎみの鶺鴒に差すとこ
うなる。袴紐の一番下段は刀
の下になる。
(コロッケは正規の位置にし
た)
鶺鴒差し。水流しとも呼ぶ。
二本差しの時にはこんな感じ
をお手本に。大刀は「前半(ま
えはん)」に。
そして、これはコロッケを作
らないいわゆる剣道のように
袴紐の端を絡めるやり方。袴
は「後上がり前下がり」には
く。
脇差は切り合いの際には落と
し差しにするが、通常は閂に
差す。
これは幕臣旗本の外国人要人
警固部隊。当時のSPだ。脇差
は閂に差している。垢ぬけた
絽の羽織を着ているので夏で
すね。
後ろ右側は齋藤大之進殿では
なかろうか。
脇差とダブル閂だとこんな感
じ。幕臣系に多い。
ダブル閂差しの前差しバージ
ョン。
袴は後ろ下がりには絶対には
かないのは一般和服の着付け
と同じだ。
私も右横の先輩もここでの刀
の差し方は鶺鴒差しの前半
(1992年於鎌倉鶴岡八幡宮武道
館)。
ということで、私の着付けで
はこうなります。
土佐居合では落とし差しはダ
メ。父方実家庭にてハタチの
時の私(笑
私は刀術の師匠から刀の差し
方を習ったが、私の師匠の先
祖は福岡藩黒田家の家老だっ
た。師匠は福岡藩伝新陰流の
目録を允可されていた。黒田
藩新陰流は「落とし差し」に
刀を差す。それにはその藩な
りの歴史的な理がある。
その師匠がやって見せて教え
残した「落とし差し」とはこ
の私の20才の時の上掲画像の
角度である。
これは鶺鴒差しとは呼ばない。
武士の系譜の剣技を嗜むなら
ば、知っていて然るべき武家
文化の一つであろうと思われ
る。