んだ男、チャック・イェーガー。
けてだらしなく歩くような間抜
けはいない。
に、爪先はまっつぐに前を向け
て歩く。
行法だ。
着地も離れも股関節、膝、
くるぶしを不必要に捻ること
になり、身体機能を損なう。
では全力疾走で適切に走るこ
とはできない。
蹴り方、全てまっすぐに体の関
節を円滑に動くようにして使っ
ている。二足歩行の人類の体の
構造は二足歩行するのに適した
構造となっている。そこがガニ
股外開きの猿とは大きく異なる
点だ。
しゃがむ際にはむしろ爪先を
やや内に向けるようにして
安定を得ている。本能でそう
している。
の際には身体機能を正しく
用いるために足先の向きは
歩行する間抜けは人類だけ
かも知れない。全力で走る
必要性の認識が希薄になった
からだろう。
を見ても隙が無い。
ジェームズ・ディーンのジーンズはLee。
これは噂の別バージョンの紺色のタイプ
こちらは赤バージョンだろう。
薄手の安い作業ジャケットも彼が着ると
現在、小学校教育では国公立を問わず
一輪車を体育の授業に導入している。
これは私たちの時代には無かったこと
であり、子どもの体幹を鍛えるのに適切
かと思われる。
ただし、落とし穴がある。
一輪車の体軸の取り方と二輪車はまるで
異なるのだ。
一輪車でバランスを取るように、背骨の
真ん中の軸線で二輪車には乗れない。
跨って乗っても、操縦ができない。
これは自転車だろうがモーターサイクル
だろうがである。
最近、異様に一輪車のような自動二輪
の乗り方が増えているのは、一輪車と
二輪車の体の使い方を区別識別弁別する
教育が欠如しているからではなかろうか。
二輪の場合、背筋を伸ばして背骨を伸ば
しきると、加速減速のGに対しての対処
ができなくなる。体がヤジロベエの
ようになってしまうからだ。
二輪の場合は、上体は脱力させて背骨を
ごく自然に軽く曲げる「ゆるみ」が
絶対的に必要になる。
路面からのショックも、足、脚、膝、
尻、腰、背骨、上体というように全身
で衝撃を吸収する。
背筋を伸ばしっぱなしで上体を起こして
二輪を運転すると、路面からの衝撃が
そのまま脊髄を直撃し、身体を壊す。
また前傾の二輪車では、日本の立礼の
ように背筋を伸ばしたまま腰を曲げて
前屈するような姿勢は二輪車では×だ。
体重がハンドルにかかり、前輪のセルフ
ステアという最重要挙動を殺すので
極めて危険を誘発するからだ。
前傾の場合も、下半身で車体をホールド
し、上体は軽く背中を曲げてごく自然
に前に伏せる。
ベタ伏せの場合は背筋が伸びてようが
丸くなっていようが構わない。
これは自動二輪も自転車も同じ。
自転車でも全伏せの場合には背骨を
あえて伸ばす走法もある。
問題は、自動二輪の場合ならば、タンク
から腹と胸が離れるように起こしてから
の状態だ。
通常走行の上体が起きた場合も、衝撃
緩衝とG対応と両輪バランス取りのため
には、背骨に定規を入れたような硬直伸
ばしでは自動二輪の操縦は困難になるし、
何よりも、付随する体各部の諸体勢から、
繊細で適切な操作ができなくなり、危険
なのだ。
一輪車と二輪車は、車軸からのバランス
の軸線が異なる。
一輪には一輪の理屈があり、二輪には
二輪の理屈がある。
二輪車の操縦と三輪車、四輪車の操縦
がまるで異なるのと同じことだ。
タイヤが付いている乗り物は、その
個体種別によっての適切な乗り方が
あるので、それを的確に理解しない
と、なかなか車輪付き乗り物は乗り
こなすことができない。
最近は小学校でやらないのだろうか。
自転車の乗り方の講習を。
1960年代は交通事故が激増したから
か、小学生向けの早期交通教育と
して自転車の乗り方、交通法規の
説明の授業が神奈川県にはあった。
ああした早期交通教育と二輪の乗り
方を教育機関で教えるのは、交通
社会として非常に有意義だと思う。
子どもたちを守るためにも。
一輪車は体育・運動としての体躯
の機能発達のため、二輪車は交通
社会に溶け込むための教育として
大切な事だと私は確信している。
干物自体は今では瀬戸内地方でも食べられ
御進物などの伊豆物のアジの開きは10枚
伊豆半島の激ウマのアジ干物は現地では
まことに美味しい。