渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

メーター

2020年10月12日 | open


この車凄いね。350km/hまでメーター
ある。
実際にサラッと出ちゃうというのがまた
凄い。
空飛ぶど。



日本神話

2020年10月12日 | open


日本神話って、ギリシャ神話と同じく、
多くの場面で性行為するんだよなあ。
恋愛と情愛と嫉妬と暴力も付き物だ。
結構、生々しい。

天孫降臨

2020年10月12日 | open


天孫降臨というやつがだ、仮にあったと
して、どうして北部九州や出雲や大阪湾
周辺ではなく、宮崎の高千穂という山奥
なのか。
誰かおせーて。


どうして、この地であらればならなかった
のか。そこ。
というか、これは誰も説明できないのだ
ろうけど。
なぜ、イエスがナザレに生まれたか、と
同じく。




特化包丁の汎用性

2020年10月12日 | open



これ、肉スキのサバキなんですけどね。
40年前の学生の時に実家から横浜に持っ
て帰って使っていた。
主目的は洋式出刃なので肉スキとサバキ
用なのですが、実はこの包丁がとんでも
なく切れるんですよ。
しかも、汎用性がとても高い。
肉や魚体をさばいたらよく消毒して、野菜
や何でも切れます。めちゃくちゃ切れる。
サバキなので、肉だけでなく、魚のサバキ
にも大活躍する。
一度これをマス釣り現場に持って行って
これで50センチ級のマスをさばいたら、
凄く楽なので思わず笑ってしまいました。

切れるだけではなく、汎用性が非常に高い
というのは、何だかですね、凄い事かと。
色んな骨スキがありますが、出刃がそう
であるように、ほぼ同じ形をしている。
たぶん考案した人は、練りに練ったのだ
と思いますよ。使用者から何度もダメ出し
されながら。
まるで、光代が作った柳生蓮也の鬼の包丁
のように。

あまりに切れるし汎用性が高すぎるので、
私はキャンプ用具として折り畳みの俎板
に仕込みました(笑)。


野外装備の米軍アリスパックの中に入れて
常備です。


嘘のようなホントの話

2020年10月12日 | open


ハマの友人の家のそばには、かなり良い
魚屋がある。本格的な良質鮮魚店。
そこのお店には、時々、こんなクエが並ぶ
という。
ここまでは大きくないがこれに近いクエだ
という。
「そんなの売れるの?」と訊くと、「それ
がパッと無くなるんですよ」とのこと。
ひょえ〜。
軽トラででも持って帰るのかしらん。

広島県三原沖で70センチの鯛貰った時も
シンクに入らなかったものなあ。
二尺三寸一分。
土佐英信流の定めの刀の長さと同じだ(笑)。

でか過ぎるのも味はどうなんでしょうね。
鯛は大味でした。
鯛は30センチ位のが締まって美味しいと
感じる。
けど、不思議なもんで、マスは50センチ級
でもウマかったりする。
ほら、シャケがそうじゃない。
マスもサケ科でサケの仲間だし。
厳密な分類は学問上の事だけで、サケマス
は一つの同族種だ。
味はヤマメとイワナだと違うけどね〜。
そんでも、ヤマメなどよりシャケのほうが
ウマいと思うよ。
ヤマメはですね、塩焼きもいいけど、おす
すめは天ぷらなの。
それを熱い蕎麦に入れて食う。
これね、最高す。絶品。
ニシン蕎麦位にうめえど。


秋刀魚

2020年10月12日 | open


友人が秋の刀を買って来た。
目がいいね。活きがいい。
って死んでる死体だけどさ(笑)。
いい秋刀魚だ。
さては名産地目黒あたりで仕入れて来た
な。

目黒川には良質の秋刀魚が遡上する。
これは江戸時代にさるお殿様が発見した。
あちきが生まれた所だ。
目黒川は河口付近ではさむれえがいた
頃には品川と呼ばれた。
最近は秋刀魚の水揚げ量も減っていると
聞くので案じている。






夕焼け

2020年10月12日 | open


学生の時、ふらっと寄った京都で見た
夕焼けは最高だった。
嵯峨野のあたりに日は沈んで行く。

夕焼けは物理現象ではあるが、我々が
住む丸い所の大気がもたらしてくれる
最高のプレゼントだ。


ティーンの時から夕陽の中で時が過ぎる
のを感じるのが好きだった。

荒川土手。金八先生のとこはここから
ちょい下流。1977年。


43年後の同じ場所。


日が沈むと街はトワイライトに染まり、
やがて昼の静から夜の動の息吹を見せる。
街は夜。それがいい。


キッコーマンしぼりたて生しょうゆ

2020年10月12日 | open
 
 
私、醤油マニアです。
一般的にどこでも買える醤油のうち、
このキッコーマンしぼりたて生しょうゆ
は、
かなり美味しいと思います。
 

日光いろは坂

2020年10月12日 | open



日光いろは坂。
観光道路であり、シーズンでは渋滞が常
で、走りのメッカとはならない。
レイアウトもUターン路の連続であり、
仮に空いていたとしても、走りのロード
とはなり得ない。
ドリフターさんたちは面白いのだろうが。
こうしたレイアウトの道が走り屋の舞台
となるのは劇画の中だけの話だ。


小学校の修学旅行は日光だった。
中禅寺湖ではトラウトがジャンプしてい
て、バスの中の男子は沸き立った。


関東在住時代、何度か行ったが、日光は
景色が抜群に良い。
絵葉書みたいな景色。


日光はかなり良い。
東照宮もあるでよぉ〜。


マスの燻製

2020年10月12日 | open

完成。とのこと。
ブラボー。




長距離走行

2020年10月12日 | open
 
(日光中禅寺湖)
 
今までで一度に一番走った距離はどれ位
だろうと思う。
四輪車では950km超えもあるが、二輪の
場合。
 
生まれて初めて「遠く」に行ったのは、
高校の時にクラスの奴らと一泊で出かけ
た日光だった。片道150km程だ。
土曜の夜に都内を走り回るのはそれより
も遥かに距離を走るので、「遠く」に行っ
たのはそれが初めてだった。マッハで
行った。
友人のイトコ宅にみんなで泊めてもらっ
たが、栃木の人はとても心が温かった。
同世代の兄弟が歓待してくれて、彼ら2台
も一緒に東京組と共に翌日走った。
10月の日光はとても肌寒かった。
数台で帰る高速が都内と違って真っ暗で
驚いた。


その後、やはり高校の時に首都圏から広島
県まで二輪で走った
この時は、イトコのカリーナGTと同行し
た。私はCBだ。
東京から船で徳島に渡り、四国を陸路で
横断してからフェリーで広島県に入った。
ドライブインでの休息の時に従兄が言う。
「お前のフォームはリーンインだな」と。
まだ世の中にはハングオフどころかハング
オン(誤訳、和製造語。英語のハングオン
は「ちょい待てよ」だ)という言葉さえ
存在しない。まだ国内ではレースでも
ハン
オフをする人は少なかった。私
とチーム
の仲間は「荘乗り」などと
呼んでいたが、
峠でもハングオフをして
いた。タイヤの
性能が云々を言ってハング
オフを否定する
人がまだ多かったが、それら
が言う事は
嘘であると私たちは見抜いていた。
TT100
を履いてスリッピーなヨーロッパの
公道レースでハングオフしていたのだか
ら、国内公道でも同じ事だ。
ハングオフの理論を理解せず、無知で保守
的な固定観念族が新理論と技法にアレル
ギー反応を示してハングオフを採る者たち
を非難していただけのことだ。
ハングオフで膝を路面にすって走ったの
は世界チャンピオンのヤーノ・サーリネン
が初めてだが、尻をずらして腰をインに
落としてバランス取りのために内側の膝
を開くハングオフは1960年代初期から
WGPのライダーたちはやっていたことだ。
 
私は「リーンインではなく、リーンアウト
なのになあ」と思い、イトコに説明した。
ハングオフはマシンの中心軸に対して腰は
インに落ちているが、上体はマシンの中心
軸延長からアウト側に向いている。
つまり、上体は真っ直ぐ垂直近くに直立
し、マシンのみがガバッと傾いているの
だ。ハングオフはリーンアウトなのであ
る。
膝を路面にこするのが目的ではなく、旋回
でのバンクの際のバランス取りのためだ。
身体を自然なフォームにする為に膝を開
く。左右屈伸体操の時と同じ原理だ。

高校時代の70年代からフォームは同じだ。
ただ、後輪の使い方が83年から大きく変
わった。


四国横断は真冬だったので極めて寒かっ
た。革ジャンと下はジーンズだけだった
のもバカチンで、凍え死ぬかと思った(笑)
 
首都圏から広島県東部までは陸路では
780km位だ。
これは大学の時にも陸路で走った。
高速道を利用し、給油とトイレ食事以外
はノンストップで走り通した。車はRZ
1型だ。
初めての「かなりの遠く」までの一貫走行
だったが、予想に反してさほどきつくは
なかった。高速ではほぼ常にタンクに伏せ
ていた。左手はフロントフォークを持って
いる。
 
翌年には、通学用セカンドバイクを買った
ので、それで広島県東部まで走った。
カワサキのAR50だ。
買ったバイク屋のその場から、着の身着の
ままで金だけ持って下道を走った。
24時間以内に広島県内に到着した。
途中、京都で夕焼けが綺麗だったので、
土手に寝転がって眺めた。
土手で知らない年上のライダーの方から
話しかけられて話をした。
その人は西から東へと向かう途中だった。
神戸に入った時、タワーのそばの信号
ナンバーを見て「横浜から来たの?!」
とライダーに言われた。
「そう」と答えたが、原付50で横浜から
神戸まで走る人は何だかあんましいない
のかも知れない。知らんけど。
 
この時は給油とトイレと食事のみ。
食事もパンをかじってまた走り出した。
京都あたりからは慣らしも終わり、ずっ
と国道を全開だった。夜に我々が養って
いるマウスキャッチャーは出ない。
常に
全開だ。
カワサキの空冷2ストエンジンも焼けず、
快調そのものだった。
実は国内初の実質的なレーサーレプリカ
はAR50だった。
ポジションがレーシーな為にとても楽で、
横浜から広島まで走っても身体はなんと
もなかった。
これが直立姿勢のバイクならば、振動が
もろに腰と背骨に来るので耐えられな
かったことだろう。
下半身で乗り、上体を脱力させて被せて
腕はぶらんぶらんにさせて、セパハンは
軽くフワリと支える。これで800km連続
バッチリだ。
 
帰りは名古屋の友人の実家に泊めて貰っ
た。アパートの隣りの部屋の慶應の奴で、
FX乗りだった。
この時、名古屋に寄ったのは目的があっ
た。東山植物園の一方通行ツイスティを
走る為だった。
地方のミニサーキットみたいで面白かっ
た。まだ世の中にローリング族はいない
頃で、ロードは貸し切り状態だった。
(現在閉鎖)
 
一日のロングライドは、私の場合、どう
やら800kmあたりまでが多かった。
昨年5月は地元の仲間と山梨まで走った。
片道約720kmだ。
これは弾丸で走った。時々針が目盛りの
ない所で止まるまで。
山梨の刀工康宏の工房での合宿のために
深夜に走行した。
途中、大雨にたたられたのが厄介だった
が、翌日はド快晴だ。
 
刀工康宏の工房前から。


素晴らしい所だ。


初めて行ったのは90年代初期だったが、
相変わらず、山梨のここは別天地だ。


刀工の都合が合えば、毎年行くことに
している。


昨年は秋には北九州まで日帰りで数台で
サッと走った。
これは10月の阿蘇行き全国からの共走り
が台風で流れた為だが、翌月にサクッ
北九まで有志で走った。
行き帰りは弾丸。ネイキッドなのでベタ
伏せで左手はウインカーステーを握って
いた。この時の車もライトミドルだが、
針目盛りの無い所あたりまで針は行く。
吸排気はノーマルではなく、電子回路も
いじってある。
下道では生まれて初めての平尾台。
これまた、最良のよき一日だった。
景色も珍しく、存分に楽しめた。
日帰り735km。
朝4時から夜23時50分あたりまで走って
いた。全員が。


この40数年間を振り返ると、遠くに行く
のは山ばかりだ(笑)。
考えたらそうだ。
湘南にしろ、瀬戸内海にしろ、海という
のは住む街から近すぎる。埼玉南部から
湘南までも100km程だ。三原から広島
までと変わらない。近すぎる。神奈川な
どは海に面している。
どうしても遠乗りとなると、山に向かう。
これ、日本の地形的にもそうなのだろう。
東京横浜時代に、走りに行くとなれば、
それは湾岸ではなく箱根だった。
 
私が愛した箱根。
雪で閉鎖期間以外は毎週走っていた。


箱根はとにかく最高だ。
関東にいて箱根を走らない手はない。
奥多摩よりも、とにかく箱根だ。
東京、神奈川、埼玉にいるなら、まず
箱根。


瀬戸内沿岸は、海のすぐ前が山という
地形で、これは関東とは大きく異なる。


山から海が見え、海からは山が見える。


瀬戸内海は波が無い内海だが、潮が
急流のため危険な海だ。源平の合戦
然り。


箱庭のような海と山だが、瀬戸内って
なかなかいいもんだぜ。


景色は見惚れるよ。

鱒釣り

2020年10月12日 | open


私は鱒族の餌釣りは小学生の時しかやら
なかったが、不思議なもので、毛鉤釣り
をやる人は餌釣りには一切興味が無くな
る。毛鉤以外では鱒族を釣ろうとはしな
くなる。

思うに、よく世間でいわれる「釣り人」
という種族とは毛鉤釣りの人たちは異な
る概念の人たちのように思える。
そもそも「釣り」をしている意識があまり
無い。
「釣り」ではなく「毛鉤釣り」をしている
という意識がどこかにあるように思える。
そして、食うために釣る、ということを
そもそも鱒族毛鉤師たちはしない。
目的が漁労ではないからだ。
ヘラ釣り師たちが毛鉤釣り師に近い。
ヘラ師たちも「釣りではなくヘラ釣りを
やるのだ」とよく言う。そして、食う為
にヘラを釣ろうとはしない。

毛鉤釣りの事を知らない人に限って渓流
での毛鉤釣りと聞いて「ヤマメっておいし
いですよね」と言う。魚を食材にしか考え
ていない。それ以外の概念は存在していな
い。
もう、その時点で「向こう側とこちら側」
の世界の人間なので、毛鉤釣りを知らない
人間10人が10人そう言っても、適当に
聞き流しておく。
バイクに乗った事も乗る気もない人間が
バイク乗りに「夏にバイク乗ったら気持ち
いいでしょうね」とか言うのと同じだ。
直射日光浴びる真夏に二輪に乗る事の実態
を知らない。知るつもりもない人間が無知
なまま脳内で設えた虚構を断定的に口にし
て同意を求める。
うんざりなのだ。


毛鉤釣りは毛鉤釣りをやる者にしか解らぬ
世界がある。「あちらの人間」には理解
はできない。
毛鉤釣りの狙いは主としてトラウト一本。
而してその意味は?


当然、毛鉤釣りに興味が無い人間には答え
られない。
ディアハンターはディアハンターである事
の意味を余人は知らないし、知りたい風
を装っていても、本気で知るつもりは無
い。物を知らない無知なままで、全て妄想
で規定して物を言う。
そういう「向こう側」の人間につきあって
いる程、釣り人は暇人ではない。

クマなどは源流域でなくとも渓流だろう
が、鱒ではなく鮎の領域の農村部の里川
だろうが出る。
ど素人はそれさえも知らずにありもしない
脳内妄想で物を言い、人を中傷して喜ぶ。
アタマオカシイ。
そもそも、渓流とは源流域まで含めて渓流
であるということさえにも無知だ。
当然、ライムとかストーンとかの川の種別
さえ知らない。

渓流とは源流域までを含める。
水源池まで遡行するのは毛鉤釣り師にとっ
てはごく当たり前の事だ。


ただし、魚止めの滝より上には魚はいな
い。
滝を巻いて必ず調査するが、まず魚は
いない。


鱒族は氷河時代に陸封されたのでエラが
進化しなかった。
それゆえ酸素量が多く水が澄んだ上流域
でないと棲息できない。
その鱒族一本に狙いを定めるのが毛鉤釣り
だ。
当然、最上流部まで行く。
これは毛鉤釣り人たちの常識だ。
そうした常識を知らず、クマもいない土地
に住んでいる者が脳内妄想でネットで揶揄
を執拗に繰り返す。
本当にアタマオカシイ。





マス竿

2020年10月12日 | open

友人の振り出し餌釣り竿。

細い!
これで50センチ級を揚げられるのだから、
現代釣竿ってのはよく出来てるよなあ。


燻製

2020年10月12日 | open


横浜燻製の第二弾。
くんせいというのも奥が深いみたいね。

尾道の玉撞き投げ羽屋の友人の店では
自作燻製を出す。
これがまたウマい。
簡単に出来るけど、簡単には行かないの
が燻製のようだ。




14C28N鋼を研ぐ

2020年10月12日 | open



リアルスチール社ブッシュクラフト
プラスのナイフを研ぐ。
鋼材はスウェーデンのサンドヴィ
ック社の新SUS鋼の14C28Nだ。
実用硬度は55〜62と幅が広い。

簡単な鋼材だ。
サッと即刃が付く。
任意の刃を好きなように付けら
れる。






0.1ミリ以内で小刃の中にさらに
細い帯のプログレ研ぎを施して、
漸次的摩擦係数の可変を実現さ
せている研ぎ。
砥石はシャプトン1000番と本山
アイサである。


使い易く、非常に素直で研ぎ易
い鋼材だ。
この鋼材が研ぎにくいと思うと
したら、それは研ぎの技術が極
めて低いだけの事だ。この鋼材
はすぐに研げる。
研ぎ上げ後は、自重で新聞紙1枚
がスーッと切れる。


同じリアルスチール社のガルダ
リクもかなり木を削ったので研
いだ。


こちらは9Cr14MoVという鋼材
で中国製だ。大陸人民共和国の
ヤンドン・グランドシャープ工
業が製造している鋼材で、日本
の日立金属のATS-34とほぼ同
じ成分製造されている。


これまた簡単に研げる。
サッと刃が付く。鋼材は悪くない。
ロックウェルで60は出ていそうだ。


ただし、研いだ感触ではATS-34
よりも靭性が劣るような気がす
る。
微細刃こぼれとか起きそうな雰
囲気だ。


こちらもプログレ研ぎにしてある。
ただし、ブッシュクラフトプラス
よりも幅広い小刃を作り、その部
分をハマグリに成形させた。この
ナイフ本体がフラットな平地の
グラインドだからだ。


リアルスチール社が使う鋼材は
14C28Nも9Cr14MoVも、どち
らもとても研ぎ易い。
良い鋼材だ。
よほど下手くそで未熟な研ぎの
腕でない限り、初心者でもサッ
と研ぎ上げる事ができるだろう。
但し、砥石は平面をビシッと出
していないと刃物は研げない。
私がコンマ単位の幅の小刃の中
に幾筋もの研ぎ面を作れるのは、
砥石をビシッとまっ平に都度仕
上げているからだ。

私はビリヤードのキューのタッ
プもカッターの刃のみで旋盤と
同精度で切り出す事ができるが、
それも刃物の研ぎもさしたるこ
とではない。
絶対に外してはならないキモを
知っていて、それを実行してい
るだけだ。
コツとか特殊技法とか秘伝とか
離れ技とかではない。誰でもで
きる。
できないのは、それは単に技術
がそこに至っていないだけの事
であり、きちんとやればどなた
でも出来る。
繰り返すが、出来ないのは、そ
れは切りにしても研ぎにしても、
重要なポイントを知らない、見
つめようとしないからだ。
やれば出来る。誰でも。研ぎも
切りも超難易度のウルトラC(今
は体操はEくらい?)ではないの
だから。
出来ないのは鋼材のせいではない。
鋼材のせいにしている時点で、
永久に研ぎは出来ない。
自分の技術が全く至らない事を
自覚せずに自分以外に原因を見
いだそうとしているからだ。
映画『ハスラー』では、そうし
た負けの言い訳を探している人
間の事をルーザー=落伍者と呼
んだ。
まず、己が出来ている事、まだ
出来ていない事を自分に厳しく
冷徹に正確に客観的に識別でき
なければ、その後の課題も見つ
けられなければ、方針も方策も
立てられない。
なぜだ、どうしてだ、どうやれ
ば、ということを一心不乱に常
に考えていなければ、技系のも
のは拓けない。

研ぎや切りの正確性の実現なん
ていうのは、誰でも出来ます。
同じ人間がやるのですから。
日本刀での切りや斬りも然り。
切るのなんてのは簡単です。
剣技で難しいのは対人戦闘です。
物を刀で切るのは簡単。

彫刻等も、切ったり彫ったりす
るのは簡単です。
彫刻などで難しいのは、芸術的
な作品としてまとめ上げて作る
事。
切ったり研いだりは、プッシュ
ボタンを押すようなもので、さ
したることではない。
難しい事案はその先にあります。

刃物は研ぎが出来ないと使用が
始まりません。
よく切れる刃物でも、使えばそ
のうちどんな刃物でも切れなく
なって来るのですから。
そして、研ぎというのは難しく
はない。
難しいのは、切れるように研ぐ
事ではなく、「狙った切り味」
を的確にピタリと実現させる事
です。切れ味ではなく切り味。
良く切れるように研ぐというの
は誰でも出来る。