(日光中禅寺湖)
今までで一度に一番走った距離はどれ位
だろうと思う。
四輪車では950km超えもあるが、二輪の
場合。
生まれて初めて「遠く」に行ったのは、
高校の時にクラスの奴らと一泊で出かけ
た日光だった。片道150km程だ。
土曜の夜に都内を走り回るのはそれより
も遥かに距離を走るので、「遠く」に行っ
たのはそれが初めてだった。マッハで
行った。
友人のイトコ宅にみんなで泊めてもらっ
たが、栃木の人はとても心が温かった。
同世代の兄弟が歓待してくれて、彼ら2台
も一緒に東京組と共に翌日走った。
10月の日光はとても肌寒かった。
数台で帰る高速が都内と違って真っ暗で
驚いた。
その後、やはり高校の時に首都圏から広島
県まで二輪で走った。
この時は、イトコのカリーナGTと同行し
た。私はCBだ。
東京から船で徳島に渡り、四国を陸路で
横断してからフェリーで広島県に入った。
ドライブインでの休息の時に従兄が言う。
「お前のフォームはリーンインだな」と。
まだ世の中にはハングオフどころかハング
オン(誤訳、和製造語。英語のハングオン
は「ちょい待てよ」だ)という言葉さえ
存在しない。まだ国内ではレースでも
ハングオフをする人は少なかった。私
とチームの仲間は「荘乗り」などと
呼んでいたが、峠でもハングオフをして
いた。タイヤの性能が云々を言ってハング
オフを否定する人がまだ多かったが、それら
が言う事は嘘であると私たちは見抜いていた。
TT100を履いてスリッピーなヨーロッパの
公道レースでハングオフしていたのだか
ら、国内公道でも同じ事だ。
ハングオフの理論を理解せず、無知で保守
的な固定観念族が新理論と技法にアレル
ギー反応を示してハングオフを採る者たち
を非難していただけのことだ。
ハングオフで膝を路面にすって走ったの
は世界チャンピオンのヤーノ・サーリネン
が初めてだが、尻をずらして腰をインに
落としてバランス取りのために内側の膝
を開くハングオフは1960年代初期から
WGPのライダーたちはやっていたことだ。
私は「リーンインではなく、リーンアウト
なのになあ」と思い、イトコに説明した。
ハングオフはマシンの中心軸に対して腰は
インに落ちているが、上体はマシンの中心
軸延長からアウト側に向いている。
つまり、上体は真っ直ぐ垂直近くに直立
し、マシンのみがガバッと傾いているの
だ。ハングオフはリーンアウトなのであ
る。
膝を路面にこするのが目的ではなく、旋回
でのバンクの際のバランス取りのためだ。
身体を自然なフォームにする為に膝を開
く。左右屈伸体操の時と同じ原理だ。
高校時代の70年代からフォームは同じだ。
ただ、後輪の使い方が83年から大きく変
わった。
四国横断は真冬だったので極めて寒かっ
た。革ジャンと下はジーンズだけだった
のもバカチンで、凍え死ぬかと思った(笑)
首都圏から広島県東部までは陸路では
780km位だ。
これは大学の時にも陸路で走った。
高速道を利用し、給油とトイレ食事以外
はノンストップで走り通した。車はRZ
の1型だ。
初めての「かなりの遠く」までの一貫走行
だったが、予想に反してさほどきつくは
なかった。高速ではほぼ常にタンクに伏せ
ていた。左手はフロントフォークを持って
いる。
翌年には、通学用セカンドバイクを買った
ので、それで広島県東部まで走った。
カワサキのAR50だ。
買ったバイク屋のその場から、着の身着の
ままで金だけ持って下道を走った。
24時間以内に広島県内に到着した。
途中、京都で夕焼けが綺麗だったので、
土手に寝転がって眺めた。
土手で知らない年上のライダーの方から
話しかけられて話をした。
その人は西から東へと向かう途中だった。
神戸に入った時、タワーのそばの信号
でナンバーを見て「横浜から来たの?!」
とライダーに言われた。
「そう」と答えたが、原付50で横浜から
神戸まで走る人は何だかあんましいない
のかも知れない。知らんけど。
この時は給油とトイレと食事のみ。
食事もパンをかじってまた走り出した。
京都あたりからは慣らしも終わり、ずっ
と国道を全開だった。夜に我々が養って
いるマウスキャッチャーは出ない。
常に全開だ。
カワサキの空冷2ストエンジンも焼けず、
快調そのものだった。
実は国内初の実質的なレーサーレプリカ
はAR50だった。
ポジションがレーシーな為にとても楽で、
横浜から広島まで走っても身体はなんと
もなかった。
これが直立姿勢のバイクならば、振動が
もろに腰と背骨に来るので耐えられな
かったことだろう。
下半身で乗り、上体を脱力させて被せて
腕はぶらんぶらんにさせて、セパハンは
軽くフワリと支える。これで800km連続
バッチリだ。
帰りは名古屋の友人の実家に泊めて貰っ
た。アパートの隣りの部屋の慶應の奴で、
FX乗りだった。
この時、名古屋に寄ったのは目的があっ
た。東山植物園の一方通行ツイスティを
走る為だった。
地方のミニサーキットみたいで面白かっ
た。まだ世の中にローリング族はいない
頃で、ロードは貸し切り状態だった。
(現在閉鎖)
一日のロングライドは、私の場合、どう
やら800kmあたりまでが多かった。
昨年5月は地元の仲間と山梨まで走った。
片道約720kmだ。
これは弾丸で走った。時々針が目盛りの
ない所で止まるまで。
山梨の刀工康宏の工房での合宿のために
深夜に走行した。
途中、大雨にたたられたのが厄介だった
が、翌日はド快晴だ。
刀工康宏の工房前から。
素晴らしい所だ。初めて行ったのは90年代初期だったが、
相変わらず、山梨のここは別天地だ。
刀工の都合が合えば、毎年行くことに
している。
昨年は秋には北九州まで日帰りで数台で
サッと走った。
これは10月の阿蘇行き全国からの共走り
が台風で流れた為だが、翌月にサクッ
と北九まで有志で走った。
行き帰りは弾丸。ネイキッドなのでベタ
伏せで左手はウインカーステーを握って
いた。この時の車もライトミドルだが、
針目盛りの無い所あたりまで針は行く。
吸排気はノーマルではなく、電子回路も
いじってある。
下道では生まれて初めての平尾台。
これまた、最良のよき一日だった。
景色も珍しく、存分に楽しめた。
日帰り735km。
朝4時から夜23時50分あたりまで走って
いた。全員が。
この40数年間を振り返ると、遠くに行く
のは山ばかりだ(笑)。
考えたらそうだ。
湘南にしろ、瀬戸内海にしろ、海という
のは住む街から近すぎる。埼玉南部から
湘南までも100km程だ。三原から広島
までと変わらない。近すぎる。神奈川な
どは海に面している。
どうしても遠乗りとなると、山に向かう。
これ、日本の地形的にもそうなのだろう。
東京横浜時代に、走りに行くとなれば、
それは湾岸ではなく箱根だった。
私が愛した箱根。
雪で閉鎖期間以外は毎週走っていた。
箱根はとにかく最高だ。
関東にいて箱根を走らない手はない。
奥多摩よりも、とにかく箱根だ。
東京、神奈川、埼玉にいるなら、まず
箱根。
瀬戸内沿岸は、海のすぐ前が山という
地形で、これは関東とは大きく異なる。
山から海が見え、海からは山が見える。瀬戸内海は波が無い内海だが、潮が急流のため危険な海だ。源平の合戦然り。箱庭のような海と山だが、瀬戸内って
なかなかいいもんだぜ。
景色は見惚れるよ。