初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

大腸内視鏡検査

2015年07月21日 18時24分45秒 | Weblog


内視鏡検査も終わって

病室へ看護師さんの車いすで

戻りました



病室では早速、点滴が始まりました

点滴の瓶が空になると次の瓶と交換して

切れ目なく続きました。

… … …

時々、抗生物質薬も追加されました



入院時から2日間、絶飲絶食でした

点滴のおかげか、喉も渇かず,

空腹も感じませんでした



ただ、手洗いに出掛けるときは

必ず,ナースコールで看護師さんを

呼んで、一緒に行かなければなりません



入院して3日目、絶食で消化器を

充分休ませたところで

1800㏄の水と下剤を吞んで

大腸内視鏡検査を受けました



貼付写真の「ドトール」喫茶室は

近畿大学附属病院の新築、救急病棟の

2Fにできました

… … …

今回は、緊急入院だったので

行けませんでした






近畿大学附属病院・60病棟

2015年07月20日 20時21分35秒 | Weblog


CTスキャンで頭部を調べられましたが

異常はなく、救急病棟から4Fの連絡通路を

通って病院本館の60病棟、60×室へ向かいました

… … …

この60病棟は,18年前検査入院でお世話になった

65病棟の反対側で同じフロアーでした

同じ病院でも十数年経つとあちこち少しずつ変わっていました



CTスキャンの次は

いよいよ内視鏡検査です

下血が少し残っている間に

出血場所を見つけるのでしょう

今度は、看護師さんの車いすで1Fの

内視鏡検査室へ向かいました



後期高齢者の患者の増加で

胃カメラ、大腸内視鏡検査室はいつも満員です

… … …

私は、緊急検査なので順番に割り込んでくれました



1日に同時に,胃カメラと大腸内視鏡,二つの検査は

初めてでしたが、強めの麻酔のせいか

夢うつつのうちに検査は終了していました



担当のA立医師は

出血場所を見つけて処置されたようです

消化管出血という病名で直腸の憩室(けいしつ)

5ヶ所からの 出血で止血処置を施しましたと

云われました

… … …

私が心配していた「がん」ではありませんでした











近畿大学附属病院・救急病棟

2015年07月19日 20時29分55秒 | Weblog


近畿大学附属病院は数年前に

新しく,救急病棟のビルが建ちました

新ビル、2階の「ドトール」珈琲コーナーは

来院のたびに入りますが、そのほかは知りませんでした



まさか私が、救急車でこの救急病棟に入るとは

思っていませんでした

… … …

救急車はバックで病棟に入ります

すぐドアが開けられ担架の私は

ストレッチャーに乗せられ救急スタッフに渡されます



新しくデザインされた暗赤色や暗紫色衣服の看護師、

その中に白衣の医師などに

囲まれて、私の胸にまず、心電図用?の

電極が取り付けられると、そばの液晶モニターに波形が

浮かんで、ピーッ,ピーッ、と音声が流れ出しました



私の耳元で

「次はCTスキャンです…」と

告げられて,広い処置室からストレッチャーに乗せられた

私は、長い廊下を通って同じフロアのCTスキャン室に運ばれました

上向きの私に天井の蛍光灯が次々とよぎっていきます

昔のテレビドラマ「ベン・ケーシー」のイントロを思い浮かべました



緊急入院で部屋は

しばらく待ちましたが、

60病棟、60×室に決まりました





近畿大学附属病院に入院

2015年07月18日 19時13分55秒 | Weblog


久しぶりに救急車に乗せられました

前回の救急車内より少し広く感じられます

モニター類が新しく、すべて液晶に

なっているからでしょう



今回の卒倒、昏倒の原因に

思い当たることがあります

少量ながらすでに下血(げけつ)が始まっていました

色鮮やかな鮮血です。

… … …

いずれ大腸内視鏡検査を

受けねばと考えていました



前回T病院に緊急入院して

大腸内視鏡検査を受けた時は

下血が止まって安定してからの

検査だったので

下血の原因は不明でしたが

今回は原因がわかるのでしょうか





やがて、大阪狭山市大野東の

近畿大学附属病院に到着です

近畿大学附属病院には30年前から

内科でお世話になっている病院です







救急車に乗せられて

2015年07月17日 22時29分38秒 | Weblog


6日(月曜日)いつものように朝の散歩に

出発しました。コースは喫茶店ガボットで

一服して南海千代田駅前踏切を渡って

奧田整形外科でリハビリを受けて

気が向けば,坂道を上がって寺ケ池公園へ

という道順です

… … …

ブログ、Facebookの添付写真用に

いつもは一眼レフを肩に歩くのですが

なぜか、カメラを持たないで散歩に出発しました



喫茶店ガボットのカウンターでホット珈琲を

飲んでいました

… … …

突然、ガボット・マスターMさんが

「大丈夫ですか…」

私は、床にひっくり返っていました



店の外にはすでに救急車が到着しています

ヘルメットを被った隊員さんの担架で

救急車に乗せられて、すぐ

左手は動きますか?右手は動きますか?

懐中電灯に照らされて瞳孔の反応を調べられ

ろれつが回らないことはないかと

脳梗塞、脳血栓などをまず疑ったのでしょう



救急車はサイレンを鳴らしながら

近畿大学附属病院へ向かって出発しました

私が救急車に乗ったのはこれで2度目です








白い煙の弁当箱

2015年07月12日 22時01分40秒 | Weblog


私の通っていた幼稚園は

年長さんになると弁当持参になりました



母親に作って貰った弁当を

もって登園します。

… … …

夏は,蝉がなく下鴨神社の森の横を通って

幼稚園に1人で歩いて行きました

… … …

最近は世の中が物騒なのか

幼稚園のバスが家の側まで

迎えに来ますが



冬の幼稚園は

寒いので,教室にストーブが入っていました

そのストーブの周りを金網で囲んで

しかも、金網に棚が何段か作られていて

そこへ、園児は持参した弁当を並べて置きます



昼食時間が近づくと

冷えた弁当がストーブの熱で

温かくなっているわけです

… … …

棚に並んだ弁当箱の一つから

白い煙とひどい臭いが立ちこめました

当時の弁当箱は普通、アルミニュームか

アルマイト製でしたが、煙を出した

弁当箱は,セルロイド製でした

… … …

園児は先生に連れられて

園庭へ避難したことを

思い出しました。







ストーミー・ウェザー(荒れ模様)

2015年07月11日 22時05分02秒 | Weblog


私が4歳のころ

日中戦争(支那事変)が始まります

日本中がなんとなく焦臭くなってきました

… … …

部屋のレコード・キャビネットには

軍歌や戦時色のレコードが沢山ありました



紀元二千六百年

愛馬進軍歌

露営の歌

月月火水木金金

若鷲の歌・予科練の歌など



幼心に聞いたこれらの軍歌は

今、急に聞いても歌詞がふっと心に

浮かんできます

… … …

恐ろしいことです



ポピュラーソングで気になるのがありました

メロディは覚えているのですが

幼稚園児だった私に曲名がわかりません

… … …

戦後、ラジオを聞いていると

Don't know why there's no sun up in the sky

Stormy weather, since my man and I ain't together

と懐かしい歌声が流れてきました



曲名は「ストーミー・ウェザー(荒れ模様)」でした

長年、心に引っかかっていた曲名がわかって

すっとしました

… … …

それにしても、このレコードを父親はどうして

持っていたのでしょう









マドンナの宝石

2015年07月10日 23時14分59秒 | Weblog


当時のレコードはSP盤で

10インチと、12インチの

2種類でそれぞれ表のA面と裏のB面と

ありました



10インチ・レコードは片面の録音時間が

3分ほどでしたからジャズ、軽音楽

歌謡曲の再生時間は3分ほどにまとめられていました



12インチ・レコードの片面の再生時間は5分ほどで

したから主にクラシックでした

… … …

12インチレコードのクラシックで

9分~10分ほどのクラシックは

曲の途中でレコードをA面からB面へひっくり返して

聞いていました



クラシックでも本格的な交響曲などは

何枚も次々にレコードをかけ替えていかなくてはなりません

交響曲は数枚のレコードで豪華なアルバムになっていました



我が家のレコード・キャビネットに

交響曲はなくクラシックは一枚もので

「マドンナの宝石」や

「ドナウ河のさざなみ」などを

よく聞いていました









映画「巴里の屋根の下」

2015年07月09日 20時10分37秒 | Weblog


奥の部屋の電蓄で

シャンソン「巴里の屋根の下」が

流れていました

… … …

両親は音楽が好きで

この「巴里の屋根の下」は

映画の主題歌でした



このフランス映画は

ルネ・クレール監督の

最初のトーキー映画でした

制作が1930年で

公開が1931年ですから

私が生まれる前に両親は

すでに見ていたのでしょう



カツドウ屋だった父親が

母親に「予算があったら日本でも作れる…」と

話していたのが、

子供心に妙に気になっていました



テレビの懐かしの名画劇場?で

「巴里の屋根の下」を放映していました

タイトルが済んでファースト・カットで

シルエットの屋根の煙突をパンして

街並みの俯瞰フルショットになります

カメラはそのまま、街の中に降りてくる

凄いショットで始まります



街並みは多分、オープン・セットで

セットの上から斜めにレールを敷いて

キャメラを乗せたトロッコで移動ショットを

撮影したのではないでしょうか。

まったくの想像ですが…



父親が「予算があれば…」の言葉は

このショットを指していたのかも知れません。








グリーグの「ペールギュント・組曲」

2015年07月08日 22時01分55秒 | Weblog


両親とも音楽が

好きだったようです

… … …

手巻きの蓄音機(ちくおんき)のほかに

もう一つ奥の部屋に電蓄(でんちく)が

ありました。



電蓄とは電気蓄音機(でんきちくおんき) の

略で、レコード演奏のターンテーブル駆動は

フォノモーター(電気モーター)で行います

… … …

レコードの音溝からはピックアップで拾います

ピックアップの電気信号はアンプで増幅されて

励磁型ダイナミック・スピーカーから音楽が流れます



アンプは木製の箱(シャーシー)に真空管ソケットが

並んでいました

今から思うと、42(よんに)ー80(はちまる)の

シングル・アンプだったようです



長時間レコードが一枚ありました

12インチのSPレコードで

表面にグリーグのペールギュント第一組曲が

裏面にペールギュント第二組曲が入っていました



いまから思うと、SPの長時間レコードは

33回転だったのかも知れません

当時の、フォノモーターは78回転用でしたから

スローの33回転はなかなか出ませんでした

… … …

長時間レコードに失敗したビクターは

後年、これがトラウマになってLP発売が

大幅に遅れることになります



音楽好きの母親はなぜか

この「ペールギュント」を嫌っていました

… … …

私は、結婚してから思い出の「ペールギュント」を

勿論、LPになってからですが

部屋で鳴らしていると

家内は「ペールギュント」は嫌いだと言い出しました

… … …

「ペールギュント」はなんとなく女性にきらわれるのでしょうか