今日のうた

思いつくままに書いています

沖縄と国家

2018-04-09 10:25:19 | ②一市民運動
辺見庸氏と目取真俊(めどるましゅん)氏の対談集『沖縄と国家』を読む。
              ↓
https://www.kadokawa.co.jp/product/321704000013/

沖縄は日本であって日本とは認められていない国、そんな印象を受ける。
目取真さんは次のように書いている。
「どこだって植民地支配された地域で『原住民』が活躍するのは
 スポーツと芸能ですからね。政治とか経済とかそういう中枢には
 入れないわけですから」
確かに沖縄というと、現在活躍している芸能人の顔が浮かぶ。
更にはオスプレイの墜落事故や米兵による殺人事件、
名護市辺野古の新基地建設や東村高江のヘリパッド建設の反対闘争など、
メディアで報道されて初めて、ヤマトゥ(本土)の人間は沖縄を意識するのではないだろうか。

60年代、あるいは70年代には、「安保反対」が当たり前のように叫ばれていた。
だが今そんなことを言おうものなら、「中国や北朝鮮の脅威が高まっているのに、
アメリカに守ってもらわなくてどうする!」と直ぐに反論されるだろう。
その結果、沖縄への過剰な基地負担、そしてアメリカから兵器を買うために
膨れ上がった莫大な軍事費。
だがすべてアメリカに従属しアメリカ頼みで、はたして国を守れるのだろうか。

『憲法9条を守る』運動は、私も自分なりにしている。
このことに対しても目取真さんは次のように指摘する。
「私から見ると、意図的に平和運動の軸を日米安保反対から9条擁護に
 ずらしていったような気がするわけです。
 日米安保に触れなければ米軍基地に反対する必要もなく、
 護憲だけを唱えて楽な平和運動ができる。
 それで自分たちも平和運動に参加して、社会的な役割を果たしている気持ちに
 なれますからね。でもそれは沖縄が置かれている状況とはまったく乖離(かいり)
 している。このズレっていうのはずっと以前から感じています。
 日米安保抜きの憲法9条擁護など欺瞞(ぎまん)でしかないと思いますけどね」

確かに日米安保に触れない平和運動は、お手軽な運動かもしれない。
そして多くの日本人は、日米安保という軍事同盟を事実上容認している。
国を守るとはどういうことなのか、日米安保は本当に必要なのか、
日米地位協定という不平等条約のもとで、沖縄の人たちを危険に晒してまで
アメリカに従属することが、はたしてベストな選択なのか。
いざとなったら本当に、アメリカは日本を守ってくれるのか。
安倍氏を筆頭に、私たちはこうした問題から目を逸らし、
アメリカの言いなりになっていれば安泰と思ってはいないだろうか。
沖縄に基地の大半を担わせ、「ああ、自分は沖縄に住んでいなくてよかった」と
思ってはいないだろうか。

目取真さんの次の言葉が胸に刺さります。
「九州だって朝鮮半島や中国に近いのに、どうして沖縄以外の選択肢はないのか。
 米軍が守ってくれると無条件に信じて思考停止した人たちが、
 しかし基地負担は担いたくないという利己主義から沖縄に基地を
 固定化しようとしているだけです」

だが私たちは、「沖縄でなくてよかった」などと言っていられるだろうか。
アメリカの言いなりになって必要のないオスプレイを買わされ、
事前通告なしに、横田基地に5機配備される国。
そのことに対して何も言えない安倍政権。
今後、日本全国の空にオスプレイが飛び、日本の沖縄化が始まるかもしれないのだ。

目取真さんの手は、カヌーを漕ぎ過ぎて指紋がないという。
小説家である目取真さんは、小説を書く時間がないくらいに辺野古に足を運ぶ。
目取真さんの次の言葉から、沖縄の基地反対運動の厳しい現実を知る。
「基地の弱点はゲートだっていうのが、オスプレイ配備に反対した普天間基地の
 封鎖で分かったわけですよ。まわりを金網に囲まれているということは、
 ゲートを封鎖すると物資も人も出入りできなくなるから、
 基地機能がストップする。
 だから1000人集まって、毎日辺野古のゲート前に座ったら、
 工事は止まるんですよ。
 だけど、それだけの人が集まるのが難しい。

 海の行動にしても、カヌーはいきなり漕いで行動できるわけじゃないから、
 限られた人でやらざるをえない。

 イラクとかアフガニスタンと同じようにですね、暴力を行使せよと短絡的に
 言ってるんじゃないんですよ。
 直接相手に打撃を与えられるかどうかが問題じゃなくて、こちらの目的は、
 基地がなくなればいいわけです。基地の機能をストップさせて、彼らが
 うまく戦えないようにすればいい。
 機動隊に殴られようが蹴られようが、引きずられてあちこち青アザができようが、
 それでも歯をくいしばって座り込んで、米軍車両を止めれば基地機能を阻止できる、
 という覚悟でやらないと。非暴力っていうのは自分が痛い目にあわないということでは
 ないですからね。
 どんなに痛い目にあっても非暴力を貫くっていうのは大変なことなんですよ。
 肉体的にも精神的にも」 (引用ここまで)

沖縄の問題は他人事ではない。
帯に書かれているように、「だれも傍観者、忘却者であってはならぬ――」
私はどれだけ沖縄のことを知っているのだろう。
昭和天皇と沖縄について、初めて知ることがあった。
まずは沖縄を知ることから始めよう、と思った。

①「辺野古抗議に数百人、機動隊ともみ合い 工事1年を前に 4月23日 朝日新聞デジタル」

https://www.asahi.com/articles/ASL4R2W8TL4RTPOB001.html
        ↓














































(画像はお借りしました)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする