日本戦後史論1に追記した内容が長くなるので、独立させます。
2015年6月26日放送、BS朝日「『19歳が見た沖縄の戦い』~悲劇!封印された
島民の叫び~」を観た。観ながら怒りが収まらなかった。
中でも、2014年1月、「オスプレイ配備に反対する東京要請行動」には、
沖縄県知事になる前の翁長さんをはじめ沖縄県の市町村長など140人が、
東京の街を静かにデモをしていた。
「オスプレイ配備に反対」のプラカードを持って進む人たちを、歩道側から
プラカードや旗を持った人たちが取り囲み、罵声を浴びせる。
「反日・サヨク」、「売国奴」、「日本から出ていけ」、
「国益の足を引っ張る反日 死ね!」
これらのプラカードや罵声に曝されながら歩く沖縄の人々に対して、
申し訳なく、恥ずかしかった。
沖縄は基地の殆どを押しつけられ、自分たちの生活がこれ以上脅かされることに
対して反対行動をする。人間として当たり前のことをすることが、
なぜ反日になるのか!
沖縄の人たちは、日本人ではないとでも思っているのか!
こうしたことを報道しないマスコミ、規制しない政権、見て見ぬふりをする国民。
安倍政権になってから、我が家の上空を自衛隊機がひっきりなしに飛ぶようになった。
誰も何も言わない。直接火の粉が降りかかるまでは、見て見ぬふりをする。
自衛隊機が飛んでくるたびに、こことは比較にならない負担を強いられている
沖縄のことを想う。
アメリカの言いなりになるしかない安倍首相は、沖縄のことをほんの少しでも
考えたことがあるのだろうか。本当に国民を愛しているのだろうか。
番組の後半には、「ベトナム村」が出てくる。こう呼ばれていた村が沖縄に存在した
ことを、私を含むほとんどの人が知らないのではないだろうか。
「ベトナム村」とは、米軍が1960年代、ベトナム戦争のゲリラ戦訓練などのために
沖縄本島の米軍北部訓練場に設置した通称「ベトナム村」のことをいう。
実戦さながらの訓練を行うために、「ベトナム村」があった高江の人々は、
ベトナム人の身代わりに乳幼児をふくむ約20人が動員されたという。
その際、怪我をした住民もいた。
そして今も、米軍の訓練のために、高江の人々や家を攻撃目標にして、
高江を囲むようにヘリパッドがいくつも建設される予定だ。
オスプレイがひんぱんに飛ぶようになったら、高江の人々は住むことができなく
なるのではないだろうか。
自分たちが攻撃目標になって、連日、米軍の訓練が行われる高江の人々のくらしを、
政治家は想像したことがあるのだろうか!
365日、24時間、高江の人々は危険に曝され、恐怖を感じながら、騒音に耐え、
生きていくことになってしまうのだ。
自分のことではないからと、黙殺していいのだろうか。
私はこの番組を観るまで、こうした事実を全く知らなかった。
琉球新報に「ベトナム村」のことが詳しく載っています。
ブックマークに「『ベトナム村』内部写真発見 60年代米軍北部訓練場」を
引用させて頂きました。
また、米軍のヘリパッド建設に反対する高江の人たちを不当逮捕した、
ドキュメンタリー映画「標的の村」が作られています。上映は終わっていますが、
予告編をブックマークに入れましたので、是非、是非、是非、ご覧ください。
自主上映会はあります。スケジュール表も「標的の村」のブログに載っています。
ブログの「ニュース」をクリックすると下の方に、「上映会スケジュール」が出てきます。
そこをクリックすると出てきます。
↓
http://www.hyoteki.com/trailer/
追記1
2015年6月25日に、安倍首相を支える中堅・若手議員が開いた勉強会
(文化芸術懇話会)で、作家の百田尚樹氏や3人の自民党議員から
次のような発言があった。
「沖縄の新聞社はつぶせ」
「マスコミを懲らしめるには広告がなくなるのが一番」
なんという暴言、なんという思い上がり、なんという無知、なんという判断力の無さ、
なんという人間性の欠如、なんという想像力のなさ、なんという……………………。
呆れて言葉が出ないとはこのことだ! 文化芸術以前の問題だ!
多くの日本人が、安倍政権の「報道規制」に憤りを感じている中で、
翁長沖縄県知事の言葉がとても印象に残った。 (敬称略)
7月4日のTBS「報道特集」で、金平キャスターが翁長さんにインタビューしていた。
金平:「今のこの状況をどう思われますか?」
翁長:「私は30年間、政治に関わってきて、こんなに落ち着きのない政治は無かった」
今の政治を的確に表していると思った。
「落ち着きのない政治」・・・政治家の欲望だけが前面に出る政治。
「ああしたい」、「こうあるべきだ」、そうするための最短のシナリオを国民に提示する。
自分たちがすること、しようとしていることは、全て善!あとは聞く耳を持たない。
迷いや疑いのかけらもない。それにより生じるであろう将来への思慮は微塵も感じられない。
国民がどうなるか、国民の生活はどうなってしまうのかは、彼らにとっては問題外!
その根拠となるのは、ただ一つ
「私は総理大臣なんですから」 嗚呼!
(2015年7月5日 記)
2015年6月26日放送、BS朝日「『19歳が見た沖縄の戦い』~悲劇!封印された
島民の叫び~」を観た。観ながら怒りが収まらなかった。
中でも、2014年1月、「オスプレイ配備に反対する東京要請行動」には、
沖縄県知事になる前の翁長さんをはじめ沖縄県の市町村長など140人が、
東京の街を静かにデモをしていた。
「オスプレイ配備に反対」のプラカードを持って進む人たちを、歩道側から
プラカードや旗を持った人たちが取り囲み、罵声を浴びせる。
「反日・サヨク」、「売国奴」、「日本から出ていけ」、
「国益の足を引っ張る反日 死ね!」
これらのプラカードや罵声に曝されながら歩く沖縄の人々に対して、
申し訳なく、恥ずかしかった。
沖縄は基地の殆どを押しつけられ、自分たちの生活がこれ以上脅かされることに
対して反対行動をする。人間として当たり前のことをすることが、
なぜ反日になるのか!
沖縄の人たちは、日本人ではないとでも思っているのか!
こうしたことを報道しないマスコミ、規制しない政権、見て見ぬふりをする国民。
安倍政権になってから、我が家の上空を自衛隊機がひっきりなしに飛ぶようになった。
誰も何も言わない。直接火の粉が降りかかるまでは、見て見ぬふりをする。
自衛隊機が飛んでくるたびに、こことは比較にならない負担を強いられている
沖縄のことを想う。
アメリカの言いなりになるしかない安倍首相は、沖縄のことをほんの少しでも
考えたことがあるのだろうか。本当に国民を愛しているのだろうか。
番組の後半には、「ベトナム村」が出てくる。こう呼ばれていた村が沖縄に存在した
ことを、私を含むほとんどの人が知らないのではないだろうか。
「ベトナム村」とは、米軍が1960年代、ベトナム戦争のゲリラ戦訓練などのために
沖縄本島の米軍北部訓練場に設置した通称「ベトナム村」のことをいう。
実戦さながらの訓練を行うために、「ベトナム村」があった高江の人々は、
ベトナム人の身代わりに乳幼児をふくむ約20人が動員されたという。
その際、怪我をした住民もいた。
そして今も、米軍の訓練のために、高江の人々や家を攻撃目標にして、
高江を囲むようにヘリパッドがいくつも建設される予定だ。
オスプレイがひんぱんに飛ぶようになったら、高江の人々は住むことができなく
なるのではないだろうか。
自分たちが攻撃目標になって、連日、米軍の訓練が行われる高江の人々のくらしを、
政治家は想像したことがあるのだろうか!
365日、24時間、高江の人々は危険に曝され、恐怖を感じながら、騒音に耐え、
生きていくことになってしまうのだ。
自分のことではないからと、黙殺していいのだろうか。
私はこの番組を観るまで、こうした事実を全く知らなかった。
琉球新報に「ベトナム村」のことが詳しく載っています。
ブックマークに「『ベトナム村』内部写真発見 60年代米軍北部訓練場」を
引用させて頂きました。
また、米軍のヘリパッド建設に反対する高江の人たちを不当逮捕した、
ドキュメンタリー映画「標的の村」が作られています。上映は終わっていますが、
予告編をブックマークに入れましたので、是非、是非、是非、ご覧ください。
自主上映会はあります。スケジュール表も「標的の村」のブログに載っています。
ブログの「ニュース」をクリックすると下の方に、「上映会スケジュール」が出てきます。
そこをクリックすると出てきます。
↓
http://www.hyoteki.com/trailer/
追記1
2015年6月25日に、安倍首相を支える中堅・若手議員が開いた勉強会
(文化芸術懇話会)で、作家の百田尚樹氏や3人の自民党議員から
次のような発言があった。
「沖縄の新聞社はつぶせ」
「マスコミを懲らしめるには広告がなくなるのが一番」
なんという暴言、なんという思い上がり、なんという無知、なんという判断力の無さ、
なんという人間性の欠如、なんという想像力のなさ、なんという……………………。
呆れて言葉が出ないとはこのことだ! 文化芸術以前の問題だ!
多くの日本人が、安倍政権の「報道規制」に憤りを感じている中で、
翁長沖縄県知事の言葉がとても印象に残った。 (敬称略)
7月4日のTBS「報道特集」で、金平キャスターが翁長さんにインタビューしていた。
金平:「今のこの状況をどう思われますか?」
翁長:「私は30年間、政治に関わってきて、こんなに落ち着きのない政治は無かった」
今の政治を的確に表していると思った。
「落ち着きのない政治」・・・政治家の欲望だけが前面に出る政治。
「ああしたい」、「こうあるべきだ」、そうするための最短のシナリオを国民に提示する。
自分たちがすること、しようとしていることは、全て善!あとは聞く耳を持たない。
迷いや疑いのかけらもない。それにより生じるであろう将来への思慮は微塵も感じられない。
国民がどうなるか、国民の生活はどうなってしまうのかは、彼らにとっては問題外!
その根拠となるのは、ただ一つ
「私は総理大臣なんですから」 嗚呼!
(2015年7月5日 記)