Nori log

日常のちょっとした出来事を写真で残しています
3年の上海駐在を終え、今は日本の良さを再認識中

総構実習 平地部

2023-09-28 09:19:51 | 小田原ガイド

今週の小田原ガイド育成講座は総構の平地部めぐり。

小田原駅東口を出発して5㎞を歩く。

屋外は午前中だけだったし、曇り気味の天気だったし、先週の山間部実習より暑さ的にはやや楽だった。

 

しかし平野部の総構はほとんど形を残してなく、これは観光資源にはなり得ないんじゃないかな?

この右手の盛り上がりが土塁で、道の下に走る暗渠が堀だった ・・・ とか言われても ねぇ

かろうじて形を残しているのがここ蓮上院の土塁だけなので、他は推して知るべし・・・

 

今回で良かったことは、一般者立入禁止の小田原城は御用米曲輪の発掘現場を見れたこと。

ここは上層に江戸時代、その下に戦国時代が埋まっているとのこと。

発掘後にこの2層をどうやって見せるかを検討中らしい。

楽しみだね。

 

そんな午前中を過ごした後の午後の座学は、眠いったらありゃしねえ

(_ _)zzzzz

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総構 実習

2023-09-22 14:21:22 | 小田原ガイド

今週の小田原ガイド育成講座は総構(そうがまえ)の実習だ。

総構とは城や城下町をぐるりと囲む外郭のこと。

小田原城は3重の構えで囲われており、最外郭の長さは9Kmに及ぶ。

ウォール シーナ・ローゼ・マリア のミニミニ版だね。

どのようなもので囲われていたかというと

この全周を3年で作ったというから驚きだ。

今回は西部の約半分の距離を実際に歩いての講習だった。

小田原駅西口を9時にスタートすると、既に暑っつい。

(講習中は撮影禁止なので、今回の写真はネット上で拾ってきたもので代用)

 

<城下張出>

右手の高くなっている部分が張出。

堀底部からの画角だが、底部は埋められて平坦にされてる。

小田原の史跡は保存状態が良くない部分が多い、というか、実生活が優先されてきた傾向にあるな。

 

<山ノ神堀切>

左の斜面が主の土塁で、右の木々の手前辺りが掻揚土塁、それらの間が堀部になる。

ここでも掻揚土塁が削られて堀が埋められているね。

 

<稲荷森>

主土塁の上から堀を見下ろす画角。

ここは往時の様子を比較的よく残している所だ。

竹藪や木々で囲まれていて、心地よい空気が流れている。

 

<東堀>

総構の記事には必ずここのシーンが出てくるほど象徴的な場所だ。

ここも比較的に保存状態はいいが、当時は10mほどの深さだったらしいので大分埋まってきてるようだな。

まあ400年経っている割にはよく残っていると言えるだろう。

ここには横矢掛(よこやがけ)というクランク部も残っている。

敵襲のスピードを落とす目的と、複数方向から弓矢や銃で迎撃するための仕掛けだ。

 

当時に思いを馳せながら下っていくと突然、なんの余韻もなく現実世界に出くわす。

なんか残念な気分にさせられたのは、俺だけじゃなかっただろう。

この後は小田原城まで住宅街等を通り抜けながら「ほら、あの斜面が土塁の跡だよ」とかの説明を受ける。

ん~ なんか、つまらんなぁ~

自分でうまくガイドできるかどうか、あまり自身がない所だ。

 

歴史遺産は一度壊してしまうと決して元に戻らない。

失くてしまった後で後悔しても後のカーニバルだもんね。

自然や動植物もそうだな。

以前の講習で

「現在の自然や遺産は自分たちのものではなく、今後の世代から借り受けているものだ」

と教わったことを思い出し、実感が湧いた一日だった。

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小田原ガイド育成講座

2023-06-29 17:39:20 | 小田原ガイド

昨日は小田原ガイドになるための講習の11回目だった。

今回のお題は 小田原城 (画像は今年春)

戦国最大規模の中世城郭だったとのこと。

しかし現在の天守閣は江戸時代のものを再現しており、土で築かれた戦国時代のものとは違うらしい。

関西では当時でも石垣の城が大半だが、関東はまだ土塁だった。

砂質の関西は石垣で固めなければ崩れてしまうが、関東ローム層はカチカチになって崩れにくいから石垣は必要なかったとのこと。

 

講習では城の歴代変遷等を学んだが、小田原城といえばお城を中心に配された壁、総構(そうがまえ)だろう。

(以前に総構を歩いた記事は こちら

壁は内側から 二の丸外郭・三の丸外郭・総構 の3重で、まるで ウォールシーナ・ローゼ・マリア だな。

武田信玄や上杉謙信の攻撃を退けた時期には三の丸外郭までしかなく、その外の城下町は略奪/陵辱の苦しみを受けた。

それに心を痛めた領主である北条氏は、長さ9kmに至る大外郭の総構で町ごと囲んだということだ。

その土塁はこのような構造。

攻撃側は堀底で動きを奪われ、守備側の矢の餌食になる運命しか残されていない。

ただでさえ登りにくいこの関東ローム層の法面に、水を撒くことで更に滑りやすくすることまで考えていたらしい。

この構えには当時破竹の勢いだった豊臣秀吉も力押しはできず、包囲戦を選ぶしかなかった。

これに100日耐えた北条氏も家臣と民のことを考え、自分と引き換えに無血開城を選んだとのこと。

早雲から氏直までの約100年に渡る後北条氏の終焉だ。

 

さて今回の講師は小田原城天守閣館館長。

この人ねえ、「俺がやった」とか「俺が身体をはって止めた」とかの自慢話が結構随所に。

それさえなけりゃ興味深い良い講習だったんだけど ねぇ

まあ良かった点は吸収し、気になるところは反面教師として自分を律していくとすればいっか。

そこまで含めると有意義な講習だったのかもね。

 

余話だけど、小柳ルミ子のデビュー曲「私の城下町」のジャケ写真はここ小田原城だったらしい。

格子戸を くぐり抜け 見上げる夕焼けの空に ~ ♪

俺は記憶あるけど、大半が知らない世代だろうな 今はね~

コメント (2)
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総構 ガイドツアー

2021-04-26 10:13:35 | 小田原日常

先週の土曜日、小田原ガイド協会の総構ツアーに参加してきた

定員9名の小グループで、700円/人のリーズナブルなツアーだ。

 

「ところで総構(そうがまえ)って、何?」 って人が、ちょっと前の Nori を含めて大半だろう。

詳しくは こちら を参照ください。

簡単に言うと、城だけでなく城下町全体を囲う防壁だ。

更にその内側には、三の丸、二の丸、と防護壁を重ねているので、総構はウォールマリアと思って頂ければよろしいかと。

 

総構の全体像は総延長 9km に及ぶ

今回のツアーはその北西部分を歩き、この区間は自然の地形を利用した土塁がメインだ。

右から攻めてきた敵兵は堀底に落ち、土塁上からの攻撃に為す術なく射られてしまうという仕掛けだ。

これで上杉謙信や武田信玄を撃退し、秀吉さえも力攻めはできず包囲戦をとるしかなかった。

 

さて、ツアーは10時に小田原駅をスタートするが、そこですぐにガイドの豆知識が炸裂する。

小田原駅西口には北条早雲の小田原城攻めの象があり、牛の角に松明を灯して突進させた逸話を表している、が

ガイド曰く

「角に火を点けられると牛は怖がって前に進みません。 本当は角に刀を付けて、尻尾に火を点けたんですよ」

ん、納得できる。

 

駅から少々登って最初のポイントは 山の神堀切

堀切とは敵兵が攻め込むルートを断つ目的で、尾根をスパッと切り取った部分のこと。

人が立ってる場所が堀切で、右へ落ちる部分が外敵返しの斜面なんだね。

この斜面のすぐ先に秀吉側の旗が乱立して、夜には鉄砲の音で威嚇してたらしい。

 

稲荷森

切り立つ斜面にうねる堀。こりゃあ守り側が断然有利だ。

以前は竹藪に埋もれていたらしいが、今はきれいに整備されて当時の威光を見せている。

 

途中で素敵な廃屋が

この廃屋辺りは道が直線に敷かれている。

桜の馬場 と呼ばれ、北条氏時代に馬の訓練場だった場所なそうだ。

 

ここからは今回のメインとなる3本の小峯御鐘ノ台大堀切が続く

 

西堀

多段の複雑な構造が面白い堀。

比較的近年の2017年に一般公開されたようだ。

 

中堀

今は一般道となっているけど、面影は充分偲ばせるね。

 

東堀

総構と言ったらここの画像が一番使われているだろう、保存状態がよくてアクセスもいい場所。

ここで上から攻撃されたらたまったもんじゃぁないね。

しかしここを含めて今まで見てきた堀は、土が堆積して当時よりもかなり浅くなっているらしいが。

 

東堀の横矢掛

堀をシケイン状に曲げ、敵兵のスピードを落とさせて矢を射る仕掛けだ。

やられるほうは絶望的な気分になっただろう。

 

ここでなぜかふと「昔の人は生きることにとても真剣だったんだろうな」なんて思ってしまった。

 

この先は急に一般道に出て、昔から現代へいきなり戻ってきたような気分にさせられる。

 

いやぁ 面白かったな。

自分で地図を片手に回ることもできるけど、それでは知れないことを聞けることがいい。

このガイドツアーは他にも数種類あるようなので、是非そちらも試してみたくなったところだ。

 

ツアーは2時間半ほどで終了し、解散地点の小田原城では藤が盛りだったよ。

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