栄光の広場からバスで10分、サハリン郷土史資料館(旧樺太庁)
此処は、ボランティアガイドさんが付いて30分。
こうなると、30分をたっぷりと感じてしまう錯覚の怖さ
内装を含めて、日本的な洋館で、そこそこ保存程度は良いと思いました。
↓内部の感じは、レトロ感あり、やや雑然。(これがロシア風?)
この資料館、かなりのスペースをアイヌ民族と文化について展示しています。
日本国内で、アイヌ民族について、これほどの規模と充実した内容は無いような?
実は、くちこ的にウルトラびっくりコンコンな話を函館のドライバーさんから聞いたのでした。
アイヌ人は、福島から北海道に渡り、更には樺太に渡ったのだ、と
そんなばかな・・・
船の中で歓談中に話しても、誰も信じてくれなかったし
帰宅して調べましたが、頭の悪いくちこが一人で読んでもよく解らない・・・
イメージ的には、和国と戦い続けた感じ?
そして、その戦いに敗れて、見下されたような?
遡れば、本州に住んでいたのも事実と言うか、
これを何と表現したものか?
勝手に、一部、抜粋します↓
「蝦夷」は日本人(和人)による他称である。古くエミシ、平安末期からはエゾと呼ばれるようになった。さらに古くは毛人と書いてエミシと読まれていた。ここではアイヌ民族と同根として扱っている。
関東から東北にかけて住み、和人に征服された人々であるが、当時から北海道の渡島地方にも分布していたことが明らかである。アイヌ民族との異同については現在も不明である。
和人による東北地方の侵略・征服
年代不詳400年ころ? 日本書紀の景行天皇条。「東の夷の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という。また土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」と記される。
まあさ、40年前、白老に住むアイヌ人の長老に、アイヌ美人だから、お歯黒をしなさいと強く勧められたくちこです。
そして、アイヌの民族衣装が、妙に良く似合ったことを、今、思い出しました。
↓40年前の証拠写真
アイヌ的鎧 毛皮の上着 民族衣装
一番気に入っのは、赤ちゃんを乗せる揺り籠、ぶら下げて揺らしつつ、母親達は仕事をしていたらしい・・・
大日本帝国とロシアの国境を現す石碑↓
日本側 石碑の厚み ロシア側
ここで、ブロ友、みさとさんの為にロシアの蝶の標本を↓
↓孫王子の為に
幻の怪魚 イトウ サメとカメ
バスで30分走り、シティーモールへ、此処も20分位の休憩でした
単に、地元のスーパーって感じ。
クレジットカードとルーブルが通用する、と。
先ずはトイレへ・・・
くちこは、携帯だけ首からぶら下げて降りたのですが、トイレットペーパーが無い
日本人の老婦人が目ざとく、可哀想なくちこに気付いてくれて、残りですが、どうぞ、と。
ああ、このご恩は来世で
皆さんは、お土産を見に行った?
と言うか、もう10分程度しか残っていないんだけど。
くちこは、自分の昼ご飯を買いに行きました
サメ氏曰く、自分の昼食を買いに行った人は、くちこだけだと。
なんで
でもさ、ファーストフード店ばかりでした
それでも、買わねばならじ
ここでまた、サメ氏がやらかしました
先ず、VISAかmaster しかダメなのに、サメのメインカードがJCB
ルーブルは両替しなかった、くちサメです。
此処まで来て、何も買えない、食べられない
くちこ、激怒
しばらく固まった後に、もう一枚、予備がある、と。
早く言えーーーーー
これが、何故か、カードリーダーに中々通らない。
何度もやり直し、待ち続け、やっと読み込めました。
すると、
日頃使っていないカードだから、暗証番号を忘れた、と
三度目にやっと合格。(しかも、自分の誕生日!)
サメが何と言ったか
こんな、どこにでもある物、ロシアで買わなくても、と。
意地で、ピロシキとか無いか探しましたが、やっとそれに類似した物を発見
一人で、探し回りました
↓こんな感じ、バスの皆さんにも分けてあげました ↓これが苦労してGETした戦利品の全て
サメ氏は、黒いバーガーを受け取る間に、一人奮闘したくちこでしたが、
「もう、時間が無いの解っているの?」とサメ。
はあ・・・
勿論、5分前には集合しましたよ
バスで一時間、コルサコフの港に戻ってきました。
個人のビザを持つ人が通過する建物(小屋?) マンホール 漁船?
テンダーボードの上では、皆さんそれぞれのお土産話に大わらわでした。
果ては、乗組員さんの恋愛告白まで。
2時には戻っていましたが、ちょっとランチが足りなかったので、ビュッフェへ。
↓日本のみかん?
すぐにディナーなのにね・・・↓
スイカのハニーシトラス マスカルポーネクリームがけ、これが超美味しかった
さあさ、コルサコフの夕焼けをご紹介
屋外シアターは、日本語字幕でスターウオーズをやっていました。
ちょっと懐かしいんだけど、ロシアでこれを観る方が不思議。
ABBA特集を演奏していました、楽譜はiPad。
くちサメは、毎晩恒例、15階のジャグジーとシャワーへ。
満天のコルサコフ・・・
今夜も二人ぼっちのジャグジーです。
コルサコフの空の下夫婦でジャグジー。
自分の人生で、こんな日が巡ってくるとは思いもしなかったね、と。
花も嵐も踏み散らかした、来月で、再婚十周年な、古びたくちサメなのでした。
12012歩 49階
凄いです。
アイヌ、本州にいたのですか⁉️
おもしろい話ですよね。でも、Wiki でも書いてました。笑
終戦後にロシアがした事は許せませんが。
こんな機会でもなければロシアの地を踏むこともありませんよね。ピロシキ?美味しかったですか?
それに、この旅行記が凄い!、細かい事も良く覚えていて 書けましたね~!。
(サメとカメ)は写真から 偶然の思い付ですね?。(笑)
で!「トイレ」の「神」から見放され、(我自らの手で 運を掴む!)にならなくて良かったですね~!。(*^_^*)
素敵なお二人が目に浮かびますよ~
何時までも続いてほしい光景ですね。
古びていませんから くちサメご夫婦は・・・(笑)
でもなぜ いつもお二人なの?
あどけないくちこさん かわいいし衣装が良く似合っていますね(*^-^*)
それを背景にしたくちこさんの姿、 まるで映画のワンシーンのようです!
船旅ならではですね。
盛りだくさんの旅、楽しませてもらっています!
>栄光の広場からバスで10分、サハリン郷土史資料館(旧樺太庁)
日本的なものも残っているんですね。
捨てられてしまっているかなと思いました。
>「蝦夷」は日本人(和人)による他称である。
なるほど。
勉強になりました。
先住人を大切にしたいです。
お歯黒は、いくらくちこさんでも似合わないと思いますよ。(笑)
>スイカのハニーシトラス マスカルポーネクリームがけ、これが超美味しかった
やっぱり船内の食事が一番ですね。(笑)
>コルサコフの空の下夫婦でジャグジー。
自分の人生で、こんな日が巡ってくるとは思いもしなかったね、と。
花も嵐も踏み散らかした、来月で、再婚十周年な、古びたくちサメなのでした。
羨ましい!
コルサコフの空の下でジャグジーを二人で楽しむ。
まだ10年ですか!
仲がいいはずです。(笑)
いえね、毎回ヨダレを垂らしながら穴のあくほど拝見していたのですが、
以前頂いたコメで、蝶の標本がきっと登場するって思ってましたから・・・
「みさとさんの為にロシアの蝶の標本を」…ということですからね、
ありがた〜く、両手を合わせて拝みながら見せていただきましたよ(笑)
上の左から、クジャクチョウで次はキベリタテハかなぁ?
キタテハもいればアカタテハとヒメアカタテハもいますね。
黒い大きなアゲハはミヤマカラスアゲハ、その下はナミアゲハ、そして縞々芋虫付きはキアゲハですね。
他にも見慣れた蝶がいっぱい〜
この中には、我が家の庭に来ている蝶の姿も色々あるけれど、
遠く離れたロシアと信州って、生息環境が似てるってこと?
もしかして、蝶はよく似てるけど「ロシア○○○○○」の名が付いていて、微妙に違ってたりして・・・
ロシア語ではそれぞれどんな風に命名されているのでしょうね・・・気になるなぁ〜
わぁー、この標本を実際に全部この目で見てみたいです! いいなぁ〜くちこさん!
わざわざ写真を撮ってきていただいて、ありがとうございまました♪
時々拝見している白衣の天使も素敵ですけど、熊に守られ(?)ながらのアイヌ民族衣装姿も素敵だわぁ〜
夕日をバックの姿は、どこぞの女優さんのようですね。
できることならこのデッキの端で、くちサメご夫婦の「タイタニック」も見たかったです!
20年前のくちこさん、意志の強さがしっかりと見え、それに美人なのがよくばり!
コルサコフのジャクジーのお風呂で二人仲良く「こんなことがあろうとは・・・」と思いをかみしめるところになると、こちらも胸が熱くなりました。素晴らしいカップルですよ~。
ここを読んだだけでも私は満足です。
どちらかと言うと、色白で、瞳が茶色なくちこ。
日本人を、北方系と南方系に分けるなら、北方系と思われます。
なので、くちこアイヌ説も、当たらずとも遠からじかと?
まあ、お歯黒は勘弁です(^^;)
ピロシキ風・・・です。
冷食を油で揚げた感じで、イマイチでした。
熱々でしたが。
では、頑張って時間を掛けつつ思い出して書いた甲斐がありました。
その内、旅行もままならなくなったら、自分のブログを懐かしく再読したいと思っているくちこです。
くちこは、15階の無料のジャグジーとシャワー、サウナ、穴場だと、以前から此処のブログにも書いているし、船旅中にも歓談中に皆さんに勧めているのですが、ジャグジーは大きなプールにも4カ所あるし、昼間楽しむことはあっても、夜は面倒に思われるのかしら?
くちサメは、一つ階段を上がるだけだったので、気軽でしたが。
案外、これが今回の一番の思い出かもしれません。