ホントにお久しぶりでした。早8月になってしまいました。
ここまでは今まで通りのボケたワタシですね?(笑)
さて、自宅待機中、7月14日、入院予定の病院から電話がありました。
15日、朝11時までに入院してくださいとのこと。手術も午後からの予定となりました・・・と。
え?ええ?、エライ急ですね・・・ってな訳で、まぁ、当日は友人も送ってくれるという時に、能代から妹も来てくれて、大慌ての入院となりました。
厚生医療センターという、秋田ではそこそこ大きな総合病院ですが、ここに入院は初めてです・・・古い記憶から言えば、昔は組合病院と言ってたと思う。実はそこで、昔、母が顔面神経の手術をしたことがありました。新しく建てなおし、名称も変わったという記憶があります。入院の手続きの時の説明に手術中にもしもかけて欲しいCDがあったらかけてあげますよというのを聞いたワタシ。早速看護婦さんにCDを渡し、オペ中は掛けてもらいました。麻酔が腰から下だけだったので、頭の中はクリアでして、そういう事が許されたみたいだけど、実はホントにそんなことをしたのはワタシが初めてだったかも・・・と、後で思いましたけどね(笑)
まぁ、とにかく、大好きな曲の中でワタシはリラックスして受けました。途中でトンカチでトントンと叩く音が二度ほど聞こえたりしましたが、ドリル音が耳障りになるかもしれないから少し眠る薬も点滴に入れますよ・・・とそれからの記憶はない(笑)
目が覚めたら病室のベッドの上でした。妹と息子が心配そうにワタシを覗き込んでいましたが、結局痛みも出ず、まぁ、痛み止めの薬を服用させられていたせいかもしれないけど、その夜も全く痛まず術後の傷跡にアイスノンが当てられ、冷やしながら翌日を迎えました。冷やすのは毎日続き、術後の腫れや熱を持っている状態を緩和する為で、一週間ほど続いたかな~・・。
さて、実は朝食でビックリポン。
どんぶり一杯のご飯、少しのおかず・・・う・・・ワタシは朝はいつもパンだぜ・・・こんなにご飯は食べられないわさ・・・と、ムッとしつつ・・・それに牛乳・・・あぃやぁ・・ワタシャ、冷たい牛乳をグイッと飲めない体質だと栄養管理士さんに言ってヨーグルトに替えて貰った。ご飯は残してもいいと言ってくれた。いや、言っておくけど、病院のご飯にしては非常にお米は美味しかったのだけど、さすがに3食どんぶり飯は食べられませぬよ(笑)でも、ほぼ減塩おかずはさほど美味しくもないけど、ちゃんと全部食べましたさ・・・何しろ、高血圧の我が身、配慮の食事だもんで、食べるしかない訳ですよ(笑)で、1600カロリーだそうで・・・え~そんなに栄養必要かな~とはワタシの勝手な思い込みです(笑)
まぁ、そうしてワタシの入院生活は始まりました。翌日にはリハビリの先生が迎えに来て早速リハビリが始まり、ふむふむと興味津々でリハビリを受け、二日目からはもうシャワーも使っていいとな?ほぉ、ならばと早速シャワーも使い、汗だらけの体をリフレッシュ。ふ~~ん・・・ちょっとしたホテル暮らしだなぁとワタシはノーテンキ(笑)で、2週間、その間、息子は炎天下の中自転車でほぼ毎日病院に通って来て顔を見せてくれて、足りないものとか洗濯ものとか・・・思えば、それから今でもワタシは息子の世話になりっぱなしです。
病院内は車いすで自由に動け、リハビリでは松葉杖の使い方をしっかり習い、退院後の生活に備えて、沢山の薬も貰い、また妹が能代から来て退院させてくれました。
妹とも話したのだけど、息子の看護は見違えるほど細やかで気配りが行き届いていまして、親のワタシも感心するほどで、案外兄が居るから私は余計なことをしないとばかりの娘とは対照的(笑)あげくに息子の凄さは家に戻ってからも連日のように食事をマメに作り、低塩食を心掛ける気配り・・・全く主婦の仕事を淡々とこなす・・・いやはや、我が息子ながら、ワタシは何て幸せな母をさせて貰っていることかと感謝感激なのであります。娘が何もしない訳ではなく、毎日シャワーの時は娘が担当して、息子は食事を作るという連携。
こうして我が家の毎日は今日に至っている。
退院してから申し込んだ生命保険の方も直ぐに入金され、お金にも今のところは不自由はありません。その財布をワタシは息子に全て預けていますが、何の心配もしていない。息子は買い物も上手で、中々です(笑)
なので、ワタシは退院後も通って来てくれる妹の好意で既に最初のリハビリにも行って来ました。次回は12日、今月はリハビリに週一で病院に通う予定です。そして、最終的に歩けるような状態に持って行くという説明でした。
以上が入院の顛末です。
夫は既に他界しましたが、それでも何とか平穏に暮らせていることに感謝しています。ご心配を掛けたブログ仲間の皆様にも報告がてら、ありがとうの感謝を伝えたいと思います。
本当にありがとう!ワタシは元気だよ~~~ん(#^^#)