1日1日感動したことを書きたい

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人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日(初版)」(カール・マルクス)

2008-12-14 20:20:26 | 
 「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日(初版)」(カール・マルクス)を読みました。今年の8月に発行された植村邦彦の新訳です。この前に読んだのは、確か、高校生の頃だったと思います。議会制が実現したフランスで、なぜ「中庸でグロテスクな」ルイ・ボナパルトが、ナポレオンの甥だというだけで、クーデターに成功し、国民投票で圧倒的な支持を得たのか、マルクスの冗舌で、透徹した分析が展開されていきます。

 以前読んだ時に比べて、とてもリアルに感じられたのです。議会制民主主義の機能不全と経済不況の中で、「分割地農民」から「ルンペンプロレタリアート」、「ブルジョアジー」までの広範な支持を集めたボナパルティズムが出現するのですが、現在の経済・政治情勢との類似性を感じざるをえませんでした。

 議会において「代表する者」と「代表される者」とが互いに疎遠になる。ブルジョアジーは、「執行権力が勝利するたびに国債が安定することによって」、強力な行政権力を求め、自らを代表するブルジョア政党を見捨てます。
 ボナパルトの政治的基盤は、当時フランスで大多数を占めた「分割地農民」でした。彼らは、「自分たちの階級利害を、議会を通してであれ、自分自身の名前で主張することができない。彼らは自らを代表することができず、代表されなければならない。彼らの代表者は、同時に彼らの主人として、彼らを支配する権威として現われなければならず、彼らを他の諸階級から保護し、彼らに上から雨と日の光を送り届ける、無制限の統治権力としてあらわれなければならない」存在でした。
 このあたりの分析は、とても鋭いと思いました。そして、経済的な基盤からそれぞれの利害を代表する政党が生まれ、「代表するもの」と「代表されるもの」は相反することはないという見解を、決してマルクスがとっていないというのも、今回読んで改めて感じた事でした。

 現在の日本で、「自分たちの階級利害を、議会を通してであれ、自分自身の名前で主張することができない」人々の存在とボナパルティズム出現の可能性が、いま、とても気になっています。