このgooブログの画像箱を探したら、露出オーバーとなって白く飛んだ蔵王権現さまの写真が見つかった。
2年まえの5月半ばに奈良県の吉野から熊野にむけてたどる修験道の古道「大峰奥駆道」を踏破しようと7日分の重い荷物を背負って歩き始めた二日目、日本で唯一女人禁制の山として今でもかたくなに伝統を守っている山上ヶ岳(1719m)の山頂に立つ大峰山寺を詣でた際、特別開帳されていた本尊の蔵王権現さまを寺の外から撮影した写真だと思われる。
ご本尊の屋内での撮影はもちろん禁止されていただろうから、なんとか御影だけでも残しておきたいとあせってピントも露出もいい加減なまま撮ったからこんな写真になったのだろうか。
実は、麓の吉野を出発した朝、せっかくあの大きな蔵王権現様が本尊として祀られている金峰山寺(きんぷせんじ)本堂の蔵王堂の前に立ちながら、朝が早かったため権現様を拝観できなかったので、なんとか権現様の姿を望みたいという我欲があって、お堂の外からまるで盗撮のような行為をしたのであろう。
結果が、この写真であるから、たぶん権現様のお叱りを受け、神の威光に跳ね返され、それで白く飛んだのかもしれない。
それに、翌日、テント場をスタートしてすぐ、大量の倒木により道を失い、奥駆を断念したのも権現さまのいかりに触れたのかもしれない。(おのれのルートファインディング能力の未熟さを神さまのせいにしているイヤなヤツ)
それでも、権現様の、右手を高く掲げて金剛杵という武器を振り上げ、左手を腰に当て、右ひざを高く持ち上げて(ちょっとしか見えないが)・・という今にも敵を打たんとする勇猛果敢なお姿が垣間見れたので失敗作としてゴミ箱に捨てることもなく、この写真を画像箱に閉じ込めておいたのだろう。蔵王権現様のこのお姿がなんともバランスがとれていて、同じ忿怒相(ふんぬそう)でも不動明王様や執金剛神より好きだといっては神様に失礼だが、憧れの存在である。また、蔵王権現様は、ヒンズー教に起源を持たない、修験道が生み出した日本オリジナルな神様であることも高感度アップ材料だ。まさに、日本の山で生まれた山岳の守護神と言えよう。
6月の二日間歩いてきた蔵王山ももちろん蔵王権現信仰によりふもとのヒトビトの尊崇の念をいだかさせてきた山。山形古道の基地宝沢集落には、まだお参りしていないが、蔵王大権現という神社があるし、古道途中の石碑、中央高原の蔵王権現堂、熊野岳山頂の蔵王山神社、刈田岳山頂の刈田峰神社など拝礼スポットに事欠かない。もちろん、生老病死という四苦や水害・干ばつといった災害から民を救ってもらいたいという万民共通の祈願があったからだろうが、蔵王は古来何度も噴火しふもとの住民を苦しめた火の山、蔵王権現の忿怒を火山の噴火と重ね合わせ、なんとか怒りを鎮めてもらいたいとの気持ちもあったのかもしれない。
そこは、ゆくゆく調べてみたいが、日本は火山国、ならばどの火山にだって蔵王権現様が祀られてもいいじゃないかとも思えるが、記憶の範囲では、あの御嶽山や富士山、立山や白山だって蔵王権現様のお名前が見つからない。総本山のある吉野や大峰は活火山ではないはずだ。そんなことも、ゆくゆく調べてみたいが、明治政府の悪政ともいえる神仏分離令(廃仏毀釈)によって神社の神様か、お寺の仏様か訳が分からなくなった蔵王権現さまだが、オイラにとっては、山の守護神であることは間違いない。こころの礼拝所に鎮座される観音さまやマリアさまと「同列」に心底慕っていこうと思う。
特に、山を歩いていて何かしらの不都合が生じた場合は、蔵王権現様のお姿を思いだして、勇気を奮ってその不都合とやらに「右手に持った金剛杵を振り下ろし!」バッサリと消えてもらおうか。ハハハ、この神様を拝んでいるとほんとに力が湧くから不思議なんだよね。
宝沢集落の建物に・・・だれかが取り付けた看板 万国共通の標語
五合目の蔵王権現堂の権現さま
わかりやすい説明書き
こんな日記を書いていたら、もう来週また古道を歩きたくなった。ヨォーシ、遠刈田に前泊し、刈田峰里宮神社⇒刈田峰神社と蔵王御山詣りを完遂させるか、朝4時スタートで! これも、権現さまのお力なのかもしれない。