久しぶりの史跡めぐり。天気は予報では雨、空を気にしながら
ガイドさんの説明も速くなる。
バスを降りて、三崎から小網代への古道「なもな坂」を通り、真光院へ
向う。相模国一円に勢力を伸ばしていた三浦道寸義同(よしあつ)は
この寺が新井城内にあったこともあって、深く帰依し、子義意(よし
おき)と共に一族の興隆を祈願したといわれる。阿弥陀如来像の左右
に道寸父子の衣冠束帯の肖像彫刻がある。
急な坂道を下り小網代湾の白髭神社を参拝。(アカテガニの産卵観察
で来たことがある)
新井城は相模湾に面した丘陵の上に築かれ、小網代湾と油壺湾に挟ま
れた自然の要害。地続きの平坦面の細くなった地点を堀きりで遮断し、
城内外を分け、そこに橋を設けた(内の引き橋)。敵に攻められた時は、
この橋を引き上げて防戦したという。北条早雲との戦いではこの堅個な
城も3年間の攻撃に耐えたが、1516年(永正13)三浦一族は油壺に
散り、三浦為通(ためみち)以来、450余年にわたる三浦半島を本拠地
とした雄族三浦氏の長い歴史の幕が降ろされた。
三浦道寸の墓と三浦荒次郎義意の墓を参詣し解散した。
写真 左から 白髭神社、荒井浜、三浦道寸の墓
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