きまぐれ日記

散策での発見や孫の成長などをきまぐれに綴ります

三浦氏最後の本拠地油壺「新井城」をめぐる

2011-05-10 23:00:00 | 史跡めぐり

Img_8957_2 Img_8971_2 Img_8980_2

久しぶりの史跡めぐり。天気は予報では雨、空を気にしながら

ガイドさんの説明も速くなる。

バスを降りて、三崎から小網代への古道「なもな坂」を通り、真光院へ

向う。相模国一円に勢力を伸ばしていた三浦道寸義同(よしあつ)は

この寺が新井城内にあったこともあって、深く帰依し、子義意(よし

おき)と共に一族の興隆を祈願したといわれる。阿弥陀如来像の左右

に道寸父子の衣冠束帯の肖像彫刻がある。

急な坂道を下り小網代湾の白髭神社を参拝。(アカテガニの産卵観察

で来たことがある)

新井城は相模湾に面した丘陵の上に築かれ、小網代湾と油壺湾に挟ま

れた自然の要害。地続きの平坦面の細くなった地点を堀きりで遮断し、

城内外を分け、そこに橋を設けた(内の引き橋)。敵に攻められた時は、

この橋を引き上げて防戦したという。北条早雲との戦いではこの堅個な

城も3年間の攻撃に耐えたが、1516年(永正13)三浦一族は油壺に

散り、三浦為通(ためみち)以来、450余年にわたる三浦半島を本拠地

とした雄族三浦氏の長い歴史の幕が降ろされた。

三浦道寸の墓と三浦荒次郎義意の墓を参詣し解散した。

写真 左から 白髭神社、荒井浜、三浦道寸の墓


最新の画像もっと見る

コメントを投稿