叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 乱世に勝っ生命観を持とう

2010年05月20日 | 乱世に勝つ生命観を持とう

  人間は死んでどこえいくのだろう ? 

 人間は母の胎内から生まれて、
ひとりで死んでいくが、死んだあとどこえいくのだろう。
 これは長いあいだ、人間が抱えてきた疑問である。
今も、将来も、変わることはないだろう。

 釈迦は、、、
死の恐怖から開放されるために、
 王子の地位を捨てて出家した。
長いあいだ修行した結果、
生命の本質を悟り、死苦から開放された。
 釈迦の悟りを明かしたのが法華経である。

 生まれたり死んだりせず、
永遠に続く仏の命を弟子に教えたが、
 釈迦の境地に達しない弟子たちは、
法華経を聞いても理解できなかった。

 弟子のひとりが釈迦に、、
死んだあとどこえいくのですか、と質問したが、
 釈迦は黙して答えなかった。と言う。

 日蓮大聖人は、
無実の罪を着せられ、
 竜の口の刑場で、首を斬られそうになった。
 だが、
不思議な"光りもの゛が現れて斬首を免れた。
斬首に失敗した鎌倉幕府は、
 日蓮を佐渡え流罪したのである。

 このことについて、日蓮大聖人は、
後日、このように述べられている。
 日蓮と言う者は去年の暮れ、
相州、竜の口で首を斬られて終わった。
 今は、釈迦の悟った仏の命が佐渡の国に来て、
弟子たちに、
仏教の法門を書いて送っているのである。

 生死に束縛された九界の凡身が終わって、
自身の仏界を現したことを示したのである。
 これを見る人は、不思議に思うだろうが、
大事なことを伝えたいので、
 恐れずに読んでもらいたい。と。

 九界の凡身を離れ、生命本来の仏身を現したと、
書き残されている。

 生死の苦に束縛された九界しか知らない凡夫は、
死んで終わると思い込んでいる。
 だが、、
仏界を悟った仏は、不生不滅で、、
常楽我浄(清浄でいつも悦んでいる)の仏の命に、
 九界が具足していることを知っている。
だから九界の死を恐れることはない。

 なにものにも束縛されない、
自在の境地を悠々と進んでいくのだ。
 これが、、人間の幸福の究極であり。。
これになるために人間は生まれてきた。
 法華経が教える生命観の大要は以上である。

 続く  

 



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