人間は死んでどこえいくのだろう ?
人間は母の胎内から生まれて、
ひとりで死んでいくが、死んだあとどこえいくのだろう。
これは長いあいだ、人間が抱えてきた疑問である。
今も、将来も、変わることはないだろう。
釈迦は、、、
死の恐怖から開放されるために、
王子の地位を捨てて出家した。
長いあいだ修行した結果、
生命の本質を悟り、死苦から開放された。
釈迦の悟りを明かしたのが法華経である。
生まれたり死んだりせず、
永遠に続く仏の命を弟子に教えたが、
釈迦の境地に達しない弟子たちは、
法華経を聞いても理解できなかった。
弟子のひとりが釈迦に、、
死んだあとどこえいくのですか、と質問したが、
釈迦は黙して答えなかった。と言う。
日蓮大聖人は、
無実の罪を着せられ、
竜の口の刑場で、首を斬られそうになった。
だが、
不思議な"光りもの゛が現れて斬首を免れた。
斬首に失敗した鎌倉幕府は、
日蓮を佐渡え流罪したのである。
このことについて、日蓮大聖人は、
後日、このように述べられている。
日蓮と言う者は去年の暮れ、
相州、竜の口で首を斬られて終わった。
今は、釈迦の悟った仏の命が佐渡の国に来て、
弟子たちに、
仏教の法門を書いて送っているのである。
生死に束縛された九界の凡身が終わって、
自身の仏界を現したことを示したのである。
これを見る人は、不思議に思うだろうが、
大事なことを伝えたいので、
恐れずに読んでもらいたい。と。
九界の凡身を離れ、生命本来の仏身を現したと、
書き残されている。
生死の苦に束縛された九界しか知らない凡夫は、
死んで終わると思い込んでいる。
だが、、
仏界を悟った仏は、不生不滅で、、
常楽我浄(清浄でいつも悦んでいる)の仏の命に、
九界が具足していることを知っている。
だから九界の死を恐れることはない。
なにものにも束縛されない、
自在の境地を悠々と進んでいくのだ。
これが、、人間の幸福の究極であり。。
これになるために人間は生まれてきた。
法華経が教える生命観の大要は以上である。
続く