心の財(たから) *
人はだれでも幸福を求めて生きている。
あるものは財産を求め、
あるものは地位や名声を求め、
あるものはスポーツや、精神の鍛練にそれを求める。
たった一度しかない人生を、
(本当はそうではないが、みんなそう思っている)
あくせく忙しく、走り廻ってくらしている。
末法の法華経の師・蓮祖聖人は、
「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり、
身の財より心の財第一なり」 御書1173頁
と言われている。
蔵の財がいくらあっても、心が貧しければ幸せでない。
身の財・特別な技能や才能、地位名声を持っていても、
心が貧しければ、喜びは感じられない。
心の財第一とは、
心が豊かで、大安心の境地であり、
この世が好きでたまらない、と大歓喜する心の状態だ。
それらは、必ずしも財産を必要としないし、
特技や特別な才能を持つ必要もない。
財産はあっても、いつなくなるか分かりはしない。
特技や才能があっても、歳をとると衰える。
才能はあるにこしたことはないが、心に比べれば全てではない。
困難を避けず、真正面から乗り越えて、
鍛え抜いた心は、歳をとっても衰えない。
(鍛えた筋肉でも歳をとると衰えるが、鍛えた心は衰えない。
名著「人間この未知なるもの」の著者アレクセス・カレルの言葉)
恐怖から開放され、大安心の境地に立ち、
宇宙の真理と共に生きる大歓喜の心は、
過去、現在、未来の三世に亘って続くと、仏教は教える。
これが三世不変の心の財である。
たぶん皆さんは信じないだろうが、これが真実なのだ。
みんなが真実と思っているのは、夢の中の出来事を、
本当の事と思い込んでいるに等しい。
鍛えられた心は、人にやさしい心だ。
自分が強くなければ、人にやさしく出来ない。
よく鍛えた、やさしい心が心の財である。
心の財第一を知ったあとは、心の財を積むことを心がけよ。
と蓮祖聖人は教えている。
続く