神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] SFマガジン2015年1月号

2014-12-15 23:51:11 | SF

 

『SFマガジン2015年1月号』

 

今号は「円谷プロダクション×SFマガジン」。

円谷英二氏の来歴も初めて読んだので興味深かったが、やはり《TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE》と題された短編3篇が面白かった。三者三様のアプローチで円谷プロ作品のオマージュというか、二次創作を行っている。

何がおもしろいって、著者三人の魅力がそのまま作品に反映されているということ。それだけ、この三人にとって円谷プロ作品というのは血肉になっていて、自然な形でアウトプットできるということなんだろう。極端な話、普段書いている作品の固有名詞を円谷プロ作品由来のものに変えるだけで済むのかも。

第2回SFコンテストの発表は柴田勝家氏のご近影がすべて持っていった感じ。噂通り、どう見ても武将。これはペンネームを変えなくて正解だ。アップになると意外につぶらな瞳がかわいい感じ。

講評を読む限りは、大賞候補作のどれも読みたい気がするのだけれど、中でも一番地雷っぽいものが次に出版されるとのことで、いろいろな意味で楽しみ。

そして、噂のSFマガジン隔月化のお知らせ。縮小ではなく、発展的な方向でとのことなのだけれど、具体的にどういう方向に進むのかさっぱり見えない。アニメやアイドルとのコラボで、誌上もいろいろとおもしろくなってきたところなので、メディアミックスや電子化を主戦場にしていくのだろうか。

 


「多々良島ふたたび」 山本弘
ウルトラマンのいちエピソードから、なぜガラモンの小型版のピグモンが……などの疑問を解消する山本弘らしい解決編。あれがあれでこれがそれなのね、という感じでいろいろつながっている。わかったつもりになっていても、wikipediaとかを読み直すと新たな発見があるかも。

「宇宙からの贈りものたち」 北野勇作
これまた北野勇作的な怪しいホラー。あとがきのようになっているエッセイも、とても共感できる。

「マウンテンピーナッツ」 小林泰三
悪乗り版の小林泰三。ちょっとあまりに露骨すぎるのはどうかと思うが、ジャミラの扱いは涙無しには読めません。

「長城〈前篇〉」 小田雅久仁
あれ、ホラーとしては前篇だけで完結してもいいような感じ。後篇はこれの謎解きでもするのか?

 

円状塔の連載はどんどん意味が分からなくなっている。これは単行本で読み直し必須。
神林長平の連載は、意表を突く爆弾発言で、こちらもどんどん訳が分からなくなっていく。
谷甲州の連載も相変わらず細切れのエピソードで、連作だとしてもどうつながるのかがわからない。あるいは、つながらない群像劇で終わるのか……。

 


[SF] PSYCHO-PASS サイコパス/0 名前のない怪物

2014-12-15 23:45:40 | SF

『PSYCHO-PASS サイコパス/0 名前のない怪物』 高羽彩 (角川文庫)

 

アニメ『PSYCHO-PASS』のスピンアウト小説。同内容のドラマCDもあるが、どうやら小説の方が先に発表された模様。

『PSYCHO-PASS』そのままのノベライズの方ではあまり感じなかったのだけれど、どうにも文章が稚拙に思える。感情表現とかが直接的(もしくは教科書的)で、書き馴れていない感じがありありと。それでも、こっちの方がマシという感想も読むので、ノベライズの方はアニメを見た記憶により補正されているのかも。

こっちも、ドラマCDを聞いてから読むと気にならないのかもしれない。会話文はそれなりにうまいと思うし。

そういう文章の問題よりも気になるのが、果たしてこの小説はアニメのプロットに、足りないピースとしてちゃんとハマるのかということ。

狡噛と佐々山は、本編では親友だったような描かれ方をしているが、この小説だと、二人が理解しあって間もなく佐々山は殉死したように思える。二人の関係性を描こうとしすぎて、時間経過がおかしくなっていないか。

藤間幸三郎の件もそうで、事件がそんなに前の話なのであれば、そのとき槙島はいったい何歳だったのか。狡噛と槙島は同年代に見えたけど、槙島って若作りなジジイなわけ?

また、本編ではチェ・グソンや泉宮寺といった協力者の存在があり、槙島の犯行に係わっていたことがわかるが、標本事件の薬剤はいったいどこから出てきたのか。しかも、その薬剤は標本事件発覚の何年も前、藤間が少年時代に藤間の手に渡っていたということは、槙島の活動はそれ以前から始まっていたことになるが、これも時間経過がおかしいような気がする。

そんなこんなで、いまいち乗れない小説だったよ。

 


[SF] PSYCHO-PASS サイコパス

2014-12-15 23:38:54 | SF

『PSYCHO-PASS サイコパス(上下)』 深見真 (角川文庫)

 

SFマガジンに乗せられて観たアニメがあまりにも面白かったので、ノベライズ版まで買ってしまった。

昔々は、ノベライズといえば、著者が妙なオリジナリティーを出して改変するのことが多く、複数のノベライズで結末が違うとかが普通にあった気がする。

しかし、時代は変わったのか、このノベライズの著者がオリジナル脚本家のだからか、これはほぼアニメそのまま。復習するには充分だったし、結末を知っていながら燃えた。

しかも、アニメを見たのは新編集版だったので、例の事件でカットされてしまった第7話・第8話の内容も確認できた。っていうか、ここで出てきてんじゃんユーストレス! こんな大事なシーンをカットするなって、困ったものだ。霜月の登場シーンも大幅カットだし、いくら現実に起こった事件と似ているからって、深夜アニメだぞ。

さて、この作品をSFとして見た場合、やっぱりシビュラ・システムにネタは集約されるだろう。そして、読者に突きつけられるのは、主人公の朱の台詞に集約されるだろう。

「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです!」

これは現代社会においても深い意味を持つ言葉だが、シビュラシステムが支配する社会において、こう書き換えたときにどのように意味が変わるのかを考えてみるとおもしろいんじゃないか。

「システムが人を守るんじゃない。人がシステムを守るんです!」

あるいは、

「社会が人を守るんじゃない。人が社会を守るんです!」

シビュラとは何か、何であるべきなのか。アニメの第二期も佳境に入ってきた中で、いろいろ考えている。

ところで、最初から疑問なのだが、常守朱って、いくら理屈をつけようとも、どう考えても免罪体質者だよね。犯罪を犯さない強い倫理感のせいで槙島や鹿矛囲と一線を画しているだけに過ぎないように見える。

で、エラーによって犯罪係数が低くしか出ない免罪体質者がいれば、その逆の、エラーによって犯罪係数が高くしか出ない体質もあるわけだよね。それが縢と。

そうするとやっぱり、システムに守られない人物はシステムを守る必要はあるのかという問いは必然的に発せられる。

しかし、守るべきは社会だと理解すれば、また解釈は変わっていくわけで。

と、まぁいろいろと考えさせられる作品ではあるよな。

 


[SF] 売国妃シルヴィア

2014-12-15 23:28:26 | SF

『売国妃シルヴィア グイン・サーガ134』 宵野ゆめ (ハヤカワ文庫 JA)

 

著者が宵野ゆめということで、なんと外伝『宿命の宝冠』のアウロラが登場。なるほど、こういう展開もありということは、草原篇の久美沙織も正篇登場に期待したいところ。

グイン・サーガ・トリビュート・コンテストの時もシルヴィアネタが多くて意外だったのだけれど、今回は正篇においてもシルヴィアが焦点のひとつ。

もともと、あまり内面が描かれることが無く、ユリウスにたぶらかされて暗黒面に堕ちましたという紋切型の説明しかされなくなって、いわば冷遇されていただけに、空白の内面を埋める余地が多いというところは題材として魅力的なのかもしれない。

そして、創作ノートを残さなかったと言われる栗本薫を引き継ぎ、これまでに既刊の巻に残された“予言”を頼りに、グイン・サーガの未来が引き継がれていく様子は、相変わらず感動的。

そんな些細な文章は覚えていないし、そもそも最初の方の巻は実家の段ボールの中だからすぐに読み返すこともできないのだけれど、あとがきで「ここにこんなことが書いてある(要約)」なんてことを書かれた日には、背筋がゾクゾクしまくりですな。

で、そのシルヴィアなのだけれど、〈青ガメ亭〉での受け入れられ方が、オクタヴィアの〈煙とパイプ亭〉での受け入れられ方に重なる。このあたりも、パクリと言うより伝承に思えて好意的に捉えられる。

もうひとつの焦点である選帝侯会議のドタバタは、栗本薫ならばこれだけで数巻引っ張ったような気もするが、そこまでは再現しなくてもよい(笑)

《世捨て人ルカ》の予言の意味、シルヴィアとパリスの行方、ケイロニアの今後と、物語は収束するどころか新たな局面へと急加速で飛び込んでいく。

正直に言うと、正篇の復活には大いに不安だったのだけれど、こういう形でグイン・サーガを継続してくれている天狼プロジェクトと宵野ゆめ氏に感謝したい。

……なんて言うと、またプレッシャー?

 


[SF] SFマガジン2014年12月号

2014-12-15 23:15:13 | SF

『SFマガジン2014年12月号』

 

メイン記事はR・A・ラファティ生誕100年記念特集。

ラファティの未訳短編からインタビュー、エッセイ、さらには、浅倉久志の英文エッセイの逆翻訳と、いつも以上にバラエティに富み、質も量もすばらしい特集になっている。

惜しむらくは、俺がラファティのファンじゃないというところだ。

とにかく、ラファティの文章が良くわからない。おもしろいとか、おもしろくないとかいう前に、何が書いてあるのか理解できない。なので、新しい視点に慣れてないとか、そういう内容以前に、文章の問題なんじゃないかと思う。

今回掲載の3作品は、後に行くほどわかりやすいが、その反面、面白味も薄れているような気がする。いや、まぁ、俺なりの解釈ではあるのだけれど。

最初の「聖ポリアンダー祭前夜」は単語をランダムに並べただけかと思うくらいに、まったくわからないレベル。次の「その曲しか吹けない」は結末だけわかって、それによって何が書かれているのかがわかるレベル。最後の「カブリート」はそれなりにわかりやすいホラ話。

ラファティのインタビューに出てくる宗教観のあたりを読むと、キリスト教的な考え方が理解できないと、ラファティの小説は読めないような気もするが、それじゃ、これだけいるファティファンはキリスト教的考え方が染みついているのかというと、それも考えづらいんだけどな。


「聖ポリアンダー祭前夜」 R・A・ラファティ
何が何やらさっぱりわからない。文章が頭に入ってこないし、基礎知識も足りていない気がする。

「その曲しか吹けない――あるいは、えーと欠けてる要素っていったい全体何だったわけ?」 R・A・ラファティ
結末一文によって小説の全体像をひっくり返すタイプの面白さ。

「カブリート」 R・A・ラファティ
ただのホラ話に読めるのだが、解釈の余地があるくすぐりがあるのはわかる。

「About a Girl〈後篇〉」 吉上 亮
あいかわらず、読んでいるだけで、いろいろな意味で色相が濁りそう。社会がひとを助けるのではなく、ひとがひとを助けるのだという思想は諸刃の剣のような気もする。そもそも、社会がシステムと同一化されているというところが、SYCO-PASS的ディストピアの根源なのじゃないか。