神なる冬

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コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

2010-04-03 09:22:11 | SF
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』 村上春樹 (新潮文庫)

映画『涼宮ハルヒの消失』で髪の青い人が読んでいた本。
なんでわからなかったのかといえば、映画に出てきたのは新装版のハードカバーで、俺が知っているのは昔のピンク色のカバーだったから(笑)

実はこの本、大学生時代に図書館から2度借りて、2度とも読み終わらずに返してしまったんだよな。今回も序盤は読みずらい文章だなぁと思ってしまった。下巻に行く頃は慣れてきたけど。

あー、たぶん、読みづらいのは改行位置が好みじゃないからだな。ラノベみたいに改行だらけにしろというのではなく、改行して欲しい位置で改行していなくて、改行しなくてもいい位置で改行しているように見える。まぁ、慣れの問題なんだろうけど。

で、地下世界を放浪するあたりとかで結構ワクワクはしたが、終わってみればあの辺は実は蛇足だったりとか。世界が終わるというのはピンク姉ちゃんの誤解だったとか、どんだけぇ~。

最後まで読み終わっても、なんだか腑に落ちなかっので、ググって見た。有名な小説だから、解説っぽい文章が転がってるだろうと思ったのだ。

そこで、「世界の終わり」に“僕”が到着するのは、「ハードボイルド・ワンダーランド」のラストシーンという解説を見た。

おぉ、そうなのか。てっきり、博士から喰わされたデータこそが“僕”なんだと思ってた。

「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」は同時並行だと思ってた。だからこそ、「ハードボイルド・ワンダーランド」の出来事や出会いが「世界の終わり」に影響してるのだと。あれは文学的な構造であって、現実としては無関係なのか。

そういえば、図書館の女性と出会うのは、「世界の終わり」の方が前だったっけ。

でも、「世界の終わり」で逃げ出した“影”は、“僕”にとってなんなんだろう。最初に読んだときの解釈では、博士が送りこんだデータは「ハードボイルド・ワンダーランド」の“私”のコピーであり、それが一度壁の中に入り、“影”と壁の外へ逃げ出す(つまり、壁の外の意識まで支配してしまう)ことによって第3回路が完成するのだと思っていたんだけど。

で、“僕”は壁の中にとどまり、影しか逃げ出さなかったことにより、第3回路による支配は失敗するというハッピーエンドだと思っていた。

そういえば、第3回路に支配された後、主人公の体はどうなるのかというのが、まったくほのめかされていない上に、web上の書評や感想を読んでも、誰も触れていないのも気になる。みんな気にならないわけ?って、みんなって誰。

そのまま死んじゃうんだったら、「世界の終わり」が「ハードボイルド・ワンダーランド」の後っていうのはおかしいし、(死後の世界なら、影はどこに脱出したのか?)別人格になってしまうなら、その人格はどこから来るのか。植物状態になって、“僕”の帰還を待っているのか?

そもそも、それならば、“私”と“僕”の一人称が違うのはなぜぇ! 絶対、二人は完全な同一人物じゃないはずだよ!

とかなんとか、つらつらと考え続けるに、さっぱりわかりません。

プロパーSF読みとしては、“世界はどのようになりたっているのか”に興味がいくのだが、文学としては“その中で人間はどのように生きているか”の方が重要視されるのですかね。

たとえば、「<心>が無い」といわれたときに、<心>とは何か、どうして<心>が無くなったのか、という方向に興味が湧くのがSF読み。その正体や仕掛けに衝撃を受ければ《センス・オブ・ワンダー》であり、その中に現代社会や普遍の真理を見出すことができれば、さらなる衝撃に繋がっていく。

<心>を失った人たちの静謐な世界を愛でるのが文学読み? うーむ。この小説の読みどころがさっぱりわからんぜよ。そういう意味では、最後まで腑に落ちる感覚がなかったため、正直に言って消化不良。


この後、長門と「世界の終わり」ついて考えようかと思っていたんだが、小説自体が消化不良なので保留……。





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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-10-23 23:28:15
全く読めていないことにびっくりした
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