神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[メキシコ] ククルカンをつかまえに(8) カバー

2010-11-23 22:24:06 | メキシコ

9/19 昼 雨のち曇り

カバー遺跡なんて聞いたことも無かったので、コバーの別記法なんじゃないのと思っていたのだが、カンペチェからコバーなんぞに短時間で行けるるわけも無く。カバーはウシュマルの兄弟遺跡。いわゆる衛星都市、もしくは同盟都市だった遺跡らしい。

そんなことはここへ来て始めて知り、サボテンの果実やハバネロの実などを愛でながら、カンペチェからカバー遺跡へと、相変わらずジャングルの中をバスはひた走る。

その途中、すっかり寝ている間にバスは豪雨の中へ。これは雨の中の見学かと覚悟を決めたものの、カバー遺跡の駐車場に止まった瞬間に雨は小降りに。そして、カバー遺跡の敷地に足を踏み入れた時には、すっかり雨は上がり、気持ちのいい緑の芝生が目の前に広がっていた。

なんという奇跡。





カバー遺跡の目玉は仮面の神殿。その仮面とは、雨の神様チャックの顔だ。壁一面にレリーフというか、レンガのように積み重なる象の化身、チャック。写真の神殿の壁にプチプチと見えるのがすべてチャックの顔だ。カバー、ウシュマルは近くに川やセノーテ(泉)を持たない都市であり、雨こそが最大の自然の恵。この雨を司るのがチャックである。生贄台のチャックモールとは語源が異なり、アステカのトラロック神と同一視される神様だ。

昨日のパレンケといい、チャックは我々の旅を祝福してくれたのだろう。この旅では雨に合うことはない。これは明日のチチェンイツァにも希望が持てる。

仮面の神殿の前庭には、なんだかマンガチックなレリーフの柱が並ぶ。これは顔なのか、それとも身体の部分がそう見えているだけか、はたまた……。おどろおどろしい生贄のイメージとはことなり、マヤのレリーフはコミカルなものが多い。





そして、仮面の神殿には、多くは壊れ落ちてしまってるが、いくつかははっきりと象の鼻のような輪を持つ神の顔が一面に積み重なっている。これは確かに象の鼻。しかし、ユカタン地方に象がいたなんて聞いたことが無いが。これは本当に象なんだろうか。





その裏側の壁には、マヤでは珍しい立像のレリーフが。これはウシュマルと一緒に戦った王様の像だったっけ。それともウシュマルと戦った王様の像だったっけ。メモを見直しても書いてなかった。ちゃんと聞いたはずなんだけど、もう2ヶ月も前に話だし(笑)





そして、前庭には一本の石柱。これは罪人を縛り付け、鞭で打ったりしたおしおきの柱だと聞いたが、本当だろうか。あまりにサイズが大小ありすぎて、人間を縛りつけるためのものには見えませんが……。





このカバー遺跡、観光用に公開されているのはごく一部で、実はまだ発掘の途中なんだとか。その証拠に、あそこに見える山はピラミッドです。なんですと!

きっとジャングルの中には、こんなピラミッドがまだまだいくつも埋もれているに違いない。なんというロマン!





直前の雨のおかげか、そもそも人気のない遺跡なのか、完全貸切状態。足元がちょっとグジュグジュしているところを除けば、きれいに整備された芝生がとても気持ちのいい遺跡だった。なんだか、休日にふらっと遊びに行きたい公園のような感じ。なんでも、ブッシュ大統領が来訪したので整備されたんだとか(笑)


その後、ウシュマル遺跡へ立ち寄る途中でマヤ人の家訪問。

この家族、いろんなブログに出てるよ。毎日観光客相手にお疲れ様です。この日はお母さんが出かけていて、娘さんがトルティーヤを焼いてくた。(後で帰ってきていましたが)

キリスト教とマヤの神様が入り混じった祭壇がご愛嬌。ある意味、日本の八百万の神の信奉と似ているのかも。





後はマヤ式縄の実演とか、染料とか、柑橘系果実とかいろいろ。





パレンケで弓や置物を売りに来ていたマヤの人々とはまったく違い、文明の中に組み込まれつつもマヤの文化を残している人々もいるのだ。それでも、最近はマヤ語をしゃべれない子供たちもいるとのことで、文化の伝承というのは中々大変のようだ。

そして、この旅のセミファイナル、ウシュマルへとバスは移動するのだった。




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