マチュピチュ遺跡の門をくぐると、世界遺産選定や、発見者であるハイラム・ビンガムを記念したプレートが出迎えてくれる。小道の下は崖。ウルバンバ川が削った急激な谷間が見下ろせる。
小道の突き当りからは、インカの石垣が見え始める。そこから階段を登る。周囲を見渡すと、まるで山水画のように、突き出た山と山の間を白い霧が漂っていくのが見える。
見上げると、三角屋根の「見張り小屋」が見える。ここを目指して登っていく。階段の脇ではリャマが草を食んでいる。インカの石垣にリャマとは、梅に鶯くらいの良くできた組み合わせだ。
そして、見張り小屋を回り込むと、ついにマチュピチュ遺跡の全景が見えてくる。ガイドのホセさんが見張り小屋の説明をしてくれるが、心はすべて遺跡の中心部へ奪われている。
綺麗に残り、秩序だって並んだ家屋の跡。その間は美しく整備された芝生で埋められている。都市の向こうには切り立った尾根、ワイナピチュが見え、山頂付近を雲が漂っていく。これこそ、いろいろな書物やテレビで見たマチュピチュの本物の光景だ。
見張り小屋からちょっと行ったところにはテラス状になった広場があり、ここがまさに撮影ポイント。ある意味、見慣れたマチュピチュの姿を見ることができる。
遺跡の端はウルバンバ川へ急激に落ち込む急な崖になっている。高所恐怖症でなくても足がすくむほどだ。この崖にも段々畑が作られた跡がある。よくこんなところで畑仕事ができたものだ。
ここからはマチュピチュ遺跡の内部を探索。
マチュピチュの石垣はクスコで見た、いわゆるインカの石垣ほどきれいには積み上がっていない。それもそのはず、あれほどきれいに積むのは宮殿や神殿だからであって、段々畑の石組みや平民の家屋をあれほどの手間をかけて積み上げるわけにはいかないのだ。確かに言われてみればその通りだ。段々畑の石垣から突き出ているのは階段だそうだ。
斜面を下り、正門と呼ばれる門をくぐる。この正門はさすがにきれいな石組み。この門からワイナピチュを撮るのが定番。みんなで順番に写真を撮る。観光客が多いので、ひとが途切れるときを狙うのが大変。
岩がたくさん並んでいるところは復元途中なのかと思いきや、ここがマチュピチュの石切り場。村の中で切り出した石を建材に使っているのだ。こんな高いところまでどうやって石を運んだのかはこれで解決。しかし、硬い花崗岩をどうやって切り出したのかは、正確にはわからないのだという。鋭いノミを使った跡もなく、丸くえぐられた跡だけが残っている。
マチュピチュは自然の地形を利用して建てられているので、地盤としてそのまま山の岩盤が使われてる。巨大な岩がそのまま壁になっていたり、下を掘って天井に使われていたりする。神秘の都というわりには、案外、省エネで作られているようだ。
建物の中には排水溝が通っている。水はマチュピチュの街よりも高い場所、マチュピチュの尾根から引かれているらしい。マチュピチュというのは、そもそも山の名前であって、その中腹、肩のように張り出した部分にマチュピチュ遺跡はあるのだ。
他の建物と比べて綺麗な石組みになっている場所は宮殿だと言われている。ここには、王様のベッドやトイレと言われる構造物を見ることができる。もちろん、なんのためのものかは正確にはわかっていない。
クスコで見たような、多角形の石を隙間なく積み上げた建物は太陽の神殿。壁も丸く湾曲していて、明らかに他の建物とは様相が異なっている。壁から突き出したこぶし大の突起は、クスコでも見た影絵の仕組み。冬至や夏至などに影が印となって、季節の到来を告げる。ここでも巨大な石が構造物に取り込まれていて、神官の家と呼ばれる構造物の屋根になっている。
神殿には一枚岩を削って造られた階段が点在している。これも階段として作られたのか、装飾として作られたのか判然としないが、言われているように水や火の力で亀裂や結晶断面を狙って割ったとするならば、こんなに規則正しく加工できるのかという疑問が残る。まさか、これを割らずに削って作ったとでもいうのだろうか。
農業試験場後跡と呼ばれる場所には、今でもアボカドや熱帯性の果実など、たくさんの種類の植物が植えられている。“CHMPU-CHIMPU”なんて言われても、どんな植物なのかはわからないけれども。その中にはコカも栽培されていた。収穫前の植物として姿で見たのはこれが初めてかも。
聖なる広場には、これまた巨大な石で作られた石垣と三つ窓の神殿。そして、ボリビアでも見たアンデス・クロス(インディアン・クロス)の元になったと言われる階段状に切り出された岩。さらに、正確に南を指す稜線を持つ岩。ここは宗教的な儀式を行った場所だと言われているが、はたしてどんな儀式だったのかは記録に残っていない。
ちょっとした丘の上にあったのは、日時計と呼ばれる岩の彫像。巨大な岩で、日時計というイメージとはちょっと外れるが、上部や横に突き出した突起の影によって日付や時間がわかるようになっているとのこと。日時計やカレンダーならば、わざわざこんなに巨大なものを作らなくてもいいのに。
遺跡を縦断してワイナピチュの麓にたどりつく。ここから先は入山制限があって、一日に登れる人数は400人。今回は高齢者を含むツアーなのでワイナピチュには登らない。急な斜面だけれど、1時間半くらいで登れるらしい。このワイナピチュの山頂にも遺跡がある。というか、見上げると、段々畑なのか、建物なのか、そこかしこに石垣が見える。食料危機でもあって畑が足りなかったのか、それともただの趣味や習慣なのか。
ここにあった一枚岩は、ここから見える聖なる山の形を模したものだという。良く見ると、そんなに山の形は似ていないので、なんとなくそんな形の岩が切り出されたので、ここに持ってきてみたというような感じ。太古の昔にもそういう酔狂なことを考える奴が板野じゃないかと考えるとおもしろい。
入口へ戻る方向へ、再び遺跡の探索。水を湛えた皿のように丸い石は天体観測用の水鏡だとされている。しかし、水に映して月や星を観測したとは、ちょっと無理筋のような気が。ちなみに、発見者のビンガムは、石臼だと思っていたらしい。
そしてやってきました。コンドルの神殿。黒い縞模様のある羽根、白い胸飾りとくちばしがリアルに表現されている。実はマチュピチュ遺跡全体はコンドルの形をしているという。また、その他の建築物が遺跡内の石切り場から切り出された岩で作られているのに対し、このコンドルの羽根の部分は遺跡の外から切り出されたものだという。そのため、このコンドルの神殿こそが、マチュピチュの中心であった可能性が高い。
クスコはピューマの形をした街であり、首都であった。マチュピチュはコンドルの形をした街であり、スペイン人からは隠された秘密の宗教都市であった。そこで思い出すのは、インカの象徴であるコンドル、ピューマ、ヘビの三体からなる彫像。アンデス・クロスも三つの角がそれぞれ三つの象徴を簡易的に表すものだとされている。そうであるならば、クスコ、マチュピチュの他に、どこかにヘビの形をした街があったに違いない。それこそが幻の都、エルドラドだったりして。
そこから、段々畑のリャマを愛でながら再び見張り小屋まで戻って午前の部は終了。
マチュピチュでよく目にしたのは、遺跡を掃除するおじさんたち。石垣の間に生えた草や、段々畑の雑草を丁寧にコテのような道具を使って除去していく。こうやって人力でこの美しさを保っているのだなと思うと感慨深い。こういう地道な作業が無ければ、すぐにビンガムが見たように、ジャングルに埋もれてしまうのだろう。