神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] SFマガジン2014年08月号

2014-07-27 23:28:24 | SF

『SFマガジン2014年8月号』

 

特集はなんとノイタミナ枠で放送されていたアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』。

SF小説原作でもないのにこんな特集が組まれたのは、『PSYCHO-PASS』の映画化と第2期開始ということともに、虚淵玄や冲方丁(2期から)というSF界でも有名な二人が噛んでいるからか。

また、吉上亮によるスピンアウト小説企画など、メディアミックスもこれから続くらしい。そういった意味では、ただの広告?

残念なことに、『PSYCHO-PASS』はまったく見ていなかったので興味なかったのだけれど、この吉上亮の短編が凄過ぎるというか酷過ぎてトラウマレベルなので、『PSYCHO-PASS』本篇にも俄然興味が湧いてきた。

7/10からの新編集版は要予約だ。(連ドラ予約で視聴中)

他には「2014オールタイム・ベストSF プロ投票者全回答&結果分析」なんてのも載っているが、ただの集計データで、結果分析なんて載ってなかった。誰かここから統計分析でもするのか?


○「PSYCHO-PASS LEGEND 無窮花(ムグンファ)」〈前篇〉 吉上 亮
酷い。何がって、ストーリーも描写も酷すぎる。耐えられない。下手だという意味ではないよ。残虐性、悲劇性が強すぎて、読んでいられない。それでも読み通さなければならない。

あれ、良く考えたら、他の小説は全部連載か。というか、これも短期集中連載だから読み切り小説無し!?

○「あしたの記憶装置」やくしまるえつこ
新連載開始。これは何にあたるのだろう。詩? 文字による芸術?
なんとなく絵柄的に面白くはあるのだけれど、強烈に刺さってくるほどでも無い。

 


[SF] SFマガジン2014年07月号

2014-07-27 23:22:44 | SF

『SFマガジン2014年7月号』

 

特集は「SFマガジン・アーカイブ」。584ページという分厚さ。

とにかく濃厚で重厚な、まさしくアーカイブ。新規に振り返りの記事を作るのではなく、過去の歴史から掘り起こされた資料集。これはSFファン必読だ。

過去のSFマガジンの記事から、おそらく残存している実物のページをスキャンして構成されたもので、一部に文字のゆがみがあるし、誤植やページの汚れもそっくり再現されている。

SFマガジン創刊号の巻頭言から、矢野徹さんの渡米の思い出、第1回日本SF大会の記事、SF作家クラブ発足の記事と、SF熱におかされた人々のまさに熱狂が伝わってくる。

さらに、スターウォーズと宇宙戦艦ヤマトによって引き起こされた70年代のSFの夏、クズSF論争の90年代のSFの冬、そして、リアル・フィクションとJコレが導いた10年代のSFの夏再来へと、日本SFの歴史を一挙に紐解くことができる。

現在のSFを読むにあたっても、瀬名秀明や円状塔、さらには宮内悠介のデビュー当時のインタビューは必読。彼らがどうやって“SF”作家になっていったのかが読み取れる。

昨今の日本SF作家クラブをめぐるゴタゴタをとやかく言っている人は、まずはこのくらいの歴史を頭に入れておかないと、頓珍漢なことを言うことになるかもね。

興味深く読んだのは歴代編集長へのインタビュー。それはまさしく、SFマガジンが硬軟の間を揺れ動いてきた歴史である。そしてそれは、日本SFが歩んできた道そのものである。日本のSFをダメにしたのはSFマガジンなんて言われ方をすることもあるけれど、SFマガジンが無ければ日本SFは始まらなかったし、ここまでの発展は無かったのは事実だと思う。

こうやって振り返ってみると、過去にも太陽風交点事件とかいろいろな事件や事変(笑)がありながらも、徳間や角川ではなく、早川こそが日本のSFを引っ張ってきたんだなという感想を強めた。それは確かに勝者の歴史であるかもしれないけれど、やはり勝者として生き残った強さは称賛すべきだ。

そして、ここ数年で日本SFに牙城を築きつつある翻訳SFのもう一方の老舗、東京創元社がどのように早川と対抗していくのか。未来の歴史は、ここに『NOVA』を有する河出を加えた三つ巴の戦いが作っていくのだろう(プロレス風)。

記事の中で個人的にもっとも面白かったのは、実はサイバーパンク関連。90年前後の当時は大学SF研にいながらも、SFマガジンはそんなに読みこんでいなかったのだけれど、サイバーパンク作品のとらえ方を間違っていたかもしれないかなと思う。あれはサイバーであることが重要なのではなく、パンクであることが重要なのだと当時から言われていたのか。いや、いまさら過ぎるん感想なんだだけれど。


◎ 「端役」 グレッグ・イーガン/山岸 真訳
重力が横に働き、横に落ちてしまう世界の話。かと思いきや、ゲーム空間の話で、さらにはキャラクターNPCの意識の話。そして、叛逆の話。ついでに言うと、交換可能な会社の歯車に過ぎない我々サラリーマンへのメッセージ。

△ 「サラゴッサ・マーケット」 谷 甲州
読み切り? いや、ぜんぜん始まっていないんですけど。

 


[SF] SFマガジン2014年06月号

2014-07-27 22:56:56 | SF

『SFマガジン2014年6月号』

 

特集は「ジュヴナイルSF再評価」。

一部のライトノベル派から歴史認識に対する異議があったと記憶しているけれど、個人的な見解を言えばしごくまっとうな歴史認識。というのも、これはあくまで“ジュブナイルSF”であって、“ライトノベルSF”ではないからだ。

ジュブナイルSFと言えば、個人的には鶴書房の「SFベストセラーズ」なのだけれど、これは『時をかける少女』や『夕映え作戦』といった、学研の中3コースとか、高1コースとかに連載されていた小説がメインに収録されている叢書で、のちに高千穂遥の『異世界の勇者』などのオリジナル作品や、『ポンコツロボット太平記』などのNHKの少年ドラマシリーズの原作なども収録されている。

このあたりから、ソノラマ文庫、コバルト文庫を経て、ハヤカワ、創元にたどり着くというのが、個人的SF遍歴。

なので、今回の特集記事は非常に共感が高いし、『ハード・ジュブナイルSF』という概念もよくわかる。

ライトノベルとジュブナイルの違いは、後者があきらかに若年層を意識しており、なおかつ、いずれ卒業するものとして成立しているということにあると思っている。これに対し、ライトノベル読者は卒業など考えておらず、いわゆる出口を作るということに対しては大きなお世話だと思うのではないか。

なので、この特集をライトノベル読者が読めば、かなりの違和感を覚えるのではないかというのは想像がつくのだけれど、そもそもお前らの話なんかしてないよ、と言うのが、今回の特集の意図。

たとえば、新潮文庫nexが狙っているのも、ラノベの出口ではなく、ジュブナイルの出口なんじゃないか。

ライトノベル読者をどうやってSFに引き込むかという話はまったく別なテーマで、別な特集記事が必要だろうし、そもそもが無理な話なのかもしれない。

いわゆる翻案と呼ばれる子供向け要約版の出版が下火になってしまったことと、ジュブナイルSFがライトノベルにとって替わられたことがSF少年少女の減少に大きく影響しているような気がするが、今はそれ以上に、成人してからSFを読むようになったという読者のエピソードもよく聞くので、それはそれで悪くないんじゃなかろうかと思う。

でも、そういった人はSFだけを読むSFファンにはならなさそうなんだよね。その必要もないし。

したがって、面白かろうが面白くなかろうが、SFばかりを読み続ける筋金入りのSFモノを作るには、やっぱり海外翻案モノとジュブナイルSFによる英才教育は捨てがたい。



◎「タンポポの宇宙船」 藤崎慎吾
ああ、ジュブナイルってこういう感じ、というお手本的な作品。SFとしてはオーソドックスなのだけれど、最近のちょっとした科学ネタを、少年少女のちょっと懐かしくせつない感じのストーリーに仕立て上げている。

○「たとえ世界が変わっても」 片理誠
これもい感じのジュブナイル。それでいて、昭和的な懐かしさを感じるので、オジサン受けもいかもしれない。

○「釘がないので」 メアリ・ロビネット・コワル/原島文世訳
マザーグースの歌の解釈は良くわからないのだけれど、認知症が生み出す物語のせつなさが心に残る。

○「彼方へ」 草上仁
遠くへ、遠くへという気持ちは人類のグレートジャーニーを生み出し、さらに月へ、火星へ、あるいは深海へと続いていく。その気持ちをひと組の若者に託した小説。

○「と、ある日の帰り道」 宮崎夏次系
コミック。あんまりSFっぽくないけど、でも子供の頃には誰しもがそんな変な能力を持っていたし、そんなものがあっても、物語のテーマとなる出来事は変わらない。

 


[SF] 空襲警報

2014-07-27 17:15:12 | SF

『空襲警報』 コニー・ウィリス (ハヤカワ文庫 SF)

 

ベスト・オブ・コニー・ウィリスのシリアス編。

ほとんど既読のはずなのだけれど、まったく覚えていなかったり、記憶のイメージと違ったり。自分の記憶はまったく役になたないものだな。

ユーモア編の『混沌ホテル』はユーモア編の割には怒りがベースと感想に書いたけれど、シリアス編をひとことで言えば“喪失感”、もしくは、もっと身も蓋もなく言えば、“死”ということになるのか。

親しき人の死、見知らぬ人の死、自分の死。それらをどのように受け止めればいいのか。そして、どのように消化/昇華したらいいのか。その葛藤が様々な作品を生み出していると言えばいいのか。

そして、付録として収録されているスピーチ原稿でも、親しきひとの死や、死への恐怖に対する想いは語られており、それを乗り越えるために小説が果たした役割が述べられている。

架空の作り話に過ぎないものが、ひとの人生を救い、かけがえのないものになっていくということは本好きにとっての常識でありながら、それ以外のひとびとにとっては考えられらないものらしい。しかし、ここにもその一例があるのだ。

この手の喪失感を与える物語を読むのが楽しいというのは矛盾しているが、いわば心理学でいう防衛機制の一つとして働いているんだろうな。

 

「クリアリー家からの手紙」
既読なはずだけれど、まったく記憶にない。この短編集の中では一番好きかも。解説ではこれをテロと呼んでいるけれど、その発想は無かった。徐々に明らかになっていく状況が、当初に想像したものよりもどんどん悪くなっていくところがせつない。

「空襲警報」
これも既読なはずだけれど、こんな結末だったっけか。ダンワージー先生が伝えたかったことは、歴史とは何かということなのだろうけれど、そのためにこんなことをする必要もないのにと思った。キブリンのときとはえらい違いだ。

「マーブル・アーチの風」
いまいちノリきれず。文学的なものを読むのには慣れていないと言われてしまうと、そうかもねとしか言いようがない。

「ナイルに死す」
既読。最初に読んだ時の方が面白かったのは、どこに向かって行っているのかわからなかったせいだろう。SFM掲載時はどう解釈するべきかが謎だったのだけれど、ウィリス的にはホラーだったのか。

「最後のウィネベーゴ」
既読。こちらは最初に読んだ時よりも面白かった。ガソリン自動車や動物種の絶滅の話じゃなくって、主人公の愛犬への愛情と、その死の真相に関する主人公の忘れられない後悔が主題だったのか。いまさら気付くなよって話ですが。

 


[SF] 混沌ホテル

2014-07-27 17:08:58 | SF

『混沌ホテル』 コニー・ウィリス (ハヤカワ文庫 SF)

 

ザ・ベスト・オブ・コニーウィリスのユーモア編。

この人のユーモア系短編というのは、出会えない、気付かないというすれ違いっぷりが半端なくって、どちらかといとイライラすることが多いのだけれど、そうか、すべて量子のせいだったのか(違)

そして、これだけ続けて読んでみて気づいたのだが、ウィリスの短編には、世の中の非論理的なものに対する怒りとか、皮肉とかがずいぶんとはっきり出ているのだなと思った。これまでそこまで意識したことが無かったので、これは個人的新発見。


「混沌(カオス)ホテル」
ウィリス的“擦れ違い芸”の真骨頂。それを量子力学的解釈で読み解くことも可能な一篇。

「女王様でも」
非論理的なフェミニズム(ラディフェミ、もしくは、ネトフェミ)に対する強烈な一撃。

「インサイダー疑惑」
インチキ霊媒師への怒りと、それをこき下ろしてきたメンケンへの敬意から生まれた皮肉な物語。

「魂はみずからの社会を選ぶ」
ウェルズの宇宙戦争へのオマージュ。っていうか、文学的な詩に対する揶揄なのか?

「まれびとこぞりて」
最初にSFMで読んだ時には気づかなかったけれど、讃美歌の歌詞のクソさ加減をあざ笑う話でもあったのか。

 


[SF] ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち

2014-07-27 16:55:35 | SF

『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』 仁木稔 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

『グアルディア』に始まるHISTORIAシリーズの最新刊。このシリーズのはじまりを描く連作短編集。

昔、『グアルディア』を2chのSF板で絶賛したらボロボロにたたかれたものだけれど、そんなことは昔話になったようだ。月日は流れて変わるものだ。

今となっては伊藤計劃と宮内悠介の流れを組む、伊藤計劃以後SFの旗手とか言ってるやつもいるし。時系列をわきまえていなくて、ほんと阿呆すぎ。もともと伊藤計劃以後SFとか言ってるやつらはSFの歴史を踏まえていないことが多いんだけれどね。ただし、商業的目的で意図的に取り上げている場合を除く。っていうか、商業戦略を真に受けてるんじゃないよ。

そんな一部の妄言はさておき、『グアルディア』を読んだときの高揚感が蘇る「はじまりと終わりの世界樹」が一番好きかも。ここからすべての物語が始まるという背筋がゾクゾクする感覚が半端ない。

ここでこの物語に出てくる“少女”が『グアルディア』の生体端末、アンヘルにつながる少女であることが確定する。そして、生体甲冑を纏うJDの出自までもが明らかになる。まさに、『グアルディア』に直結の物語。

ただし、テーマとしては崩壊前のいわゆる黄金時代が何であったかという、いわばユートピアSF。

解説や本人のブログにもある通り、これは“オメラス”なのである。しかも、自覚的に汚濁を押し付ける先を作り上げた“人工のオメラス”である。

亜人という存在が初めて社会に登場するのは、安価な労働力としてだった。この時点で、モノのように扱われ、虐待される亜人に対しては、やはり倫理観を揺さぶられるものはある。

しかし、それが「Show must go on」における戦争エンターテイメントのキャラクターとなるにあたり、その概念が揺らいでいく。(少なくとも、俺にとっては)

たとえば、児ポでよく話題になる架空の児童に対する虐待は倫理的に咎められるべきなのか、表現の自由なのか。そこから、コンピューターゲームのキャラクター、さらに、それを現実世界で戦争を演じるロボットと考えていった先に亜人があるとすれば、果たして戦争エンターテイメントのために亜人を殺すことは倫理的に是か非か。

ヒトでは無いものをヒトの下に置き、すべての差別や破壊衝動をそこへ向けることにより、ヒトの間における負の感情を解消する。そういった形で解決を図るために、ヒトの下に置くことが許されるのはどこまでなのか。

ヒトの共感能力をめぐる議論や、いわゆる遺伝子操作ではなく繁殖と淘汰だけによる種の改造、勝敗をオーディエンスが決める戦争など、
他にも興味深い視点がいくつもあり、一筋縄ではいかない連作だった。


……まぁ、著者のブログがあるので、そこを読めば全部書いてあるんだけどさ。

 


[SF] 盤上の夜

2014-07-27 16:42:23 | SF

『盤上の夜』 宮内悠介 (創元SF文庫)

 

第1回創元SF新人賞の山田正紀賞受賞作にして、直木賞候補にもなった表題作を含む連作短編集。

最初に本屋で立ち読みした時に、あまりにえげつないので買うのを躊躇して、今に至る。文庫版が出たのを契機に、ついに購入。

なにしろ、中国旅行中に、都市伝説によくある四肢切断にあった少女が、囚われの境遇から賭け囲碁で脱出するという壮絶なエピソードから始まるのだ。

その後、話はなぜこの少女が囲碁に天才的な才能を示すのかという謎と四肢切断の関係、さらには少女を囲碁で結ぶ人間関係の紐解きへと移っていく。

SFとしても読めるが、普通の現代小説といって問題ない。というか、連作を重ねることによって、登場人物の心象を掘り下げるような、人間小説の趣が強くなる。

そして、その奥に世界認識を塗り替えるテーマが透けて見える。世界はゲームである。もしくは、世界をゲームとして認識する。さらには、そのゲームを体感し、解析し、壊し、作り変える。こういうふうに書いても、まったく伝わらないと思うのだが、この連作で著者が取り組んだことは、そういうことだと思う。

SFとしては世界をゲームで解明するとか、ゲームの完全解を導く量子コンピュータとか、そういったネタでの引っ張りはあるが、やはり主眼はその局面にいたった登場人物たちの想いを、語り手であるノンフィクションライターが解きほぐしていくところにある。

SFの手法に、擬似論文というものがあるが、これはさしずめ、擬似ノンフィクション。

論文を読むおもしろさ(?)をそのままに、擬似的な(嘘の)内容を書いた擬似論文のように、嘘、あるいはIFの事実をノンフィクションとしてつづった小説でああるため、その面白さは良質のノンフィクションを読む感覚に近い。

ただ、登場人物たちがすべてなみ外れた人々なので、スゲーと思うだけで、共感したり彼らの考え方を理解するまでには至らなかったのは残念。

 


[SF] 〔少女庭国〕

2014-07-27 16:34:22 | SF

『〔少女庭国〕』 矢部嵩 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

(バトルロワイヤル+CUBE)×∞。

“卒業式会場の講堂へと続く狭い通路を歩いていた中3の仁科羊歯子は、気づくと暗い部屋に寝ていた。”で物語は始まる。

部屋には“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ。”との「卒業試験」の張り紙。

部屋は石造りで四角く、取っ手の無いドアと、取っ手のあるドアが向かい合っている。取っ手のあるドアを開けると、そこも同じような部屋で、一人の少女が制服姿で寝ている。

ここから始まるバトルロワイヤル。というわけでもなく……。

少女たちは殺し合うわけでもなく、なんだかんだと少女期特有のゆるい会話を繰り広げながら、扉を開き、新たな少女を加えながら、状況の確認を続ける。

そして、遂に状況を認識した少女たちが至った結論とは。

驚くのはここから。

なんと、「少女庭国」という章はここで終わり、その後ろに「少女庭国補遺」という章が続いている。そして、この補遺の方がだんぜん長い。

補遺に描かれるのは、別な少女の物語。最初はパラレルワールドや、別パターンのプロットかと思ったが、実は“別な部屋”の話。

ネタバレをぶっちゃけてしまえば、この部屋は無限に続く。決して終わりはない。したがって、様々なバージョンの少女たちの物語が繰り広げられる。理系的に言えば、部屋が無限に続く以上、すべての可能性はどこかの部屋で再現されているのだ。

殺したり、殺されたり、自殺したり、みんなで餓死したり。

しかも、それだけでは終わらない。ついにはこの世界を研究し、開拓し、はるかな時を経て文明さえもが勃興する。資源は、壁の石と、無限に存在する少女たちそのものだ。扉を開き、少女を手に入れ、奴隷化し、食糧にし、わずかな所持品を資源とする。なにしろ、“卒業式でつかうために”ナイフやダイナマイトを持ち込んでいた少女もいるのだ。

このイマジネーションはものすごい。

設定は解明されず、世界の謎は深まるばかりだが、少女たちのバリエーションが世界を征服していく。まさに、数の勝利。

しかし、勝利とはなんなのか。この世界を開拓し、生き延びることに何の意味があるのか。どうあっても、n-m=1とするには、ほかのすべての少女が死なねばならないのだ。

開拓に成功し、数万人の規模の文明を作ったならば、そこから脱出するためには数万人を殺さねばならない。この理不尽さが、少女の胸に突き刺さる。生きるということはどういうことなのか、生きるということにどういう意味があるのかという根本的疑問が読者に突きつけられる。

そして、脱出路も無く、答えも無い。


ところで、n-m=1にする方法だが、最初はドアをすべてぶち抜いて、部屋を1だと言い張ればいいのではないかとおもったが、これはうまくいかなかったようだ。それならば、扉を開けさえしなければ、それでもn-m=1になるのではないかと思ったけれど、それだと試験が成り立たないか。

正解は、最初の扉を開けて、そこにいる女生徒を殺すこと。これで、二人に一人は試験に合格できる。しかし、そもそも、この“試験”がなんなのかが示されないままでは、試験に合格する意味もわからない。

ただひたすら、終わりのない思考実験によって、限られた条件のもとで想像力の翼を無限に広げるという、あまりにもSF的なチャレンジの結果が記された稀有な小説ということになる。

 


[SF] リアクト

2014-07-27 16:20:24 | SF

『リアクト』 法条遥 (ハヤカワ文庫 JA)

 

『リライト』、『リビジョン』に続く第3作。

途中まで読んで、ヤバいと思って前2作をななめ読み。思ったより忘れていたことが多く、読み直してよかった。

要するに、最初の『リライト』をメタフィクション化し、リアクト(再演)するというのが本作の趣向。

作中で“『リライト』の穴”と言われる部分が、果たして最初から仕組まれていた罠なのか、読者の批判に応えた後付けの設定なのかがわからないのが微妙なところ。

『リライト』は史上最悪のバッドエンドを迎えるタイムパラドックス小説で、あれはあれで面白かった。その作品だけで完結していて何の問題も無い。

しかし、さすがにそれは無いだろうという突込みも必然的な作品ではあったわけだが、それがこうしてひっくり返されるのは気持ちが良いかというと、逆に気持ち悪い。

2作目の『リビジョン』の内容がちょっと陳腐ということもあったのだが、あれはシリーズ中でキーとなる未来の科学者、保彦の誕生秘話だったことがこの作品で確定する。いや、これも確定なのかどうかわからないのか。

というのも、謎はすべて解けたわけではなく、あえて残っていることが明示される。したがって、第4作までは必然的に存在するわけだ。

起こっていることは、ちゃんと図解すればそんなに難しい話ではないのだけれど、どうしてそうなるのかは、そうなるのだからそうなったのだという説明でしかないので、ここを納得できるかどうかが問題。

しかも、そうなっているからそうなのだと納得したところで、後から「実はその理屈には穴がある!」と得意気に言われたところで、なんだかなあという気分になる。

とはいえ、理解した構造が見事にひっくり返される経験は、確かにおもしろい。たぶん、タイムトラベル強者(笑)の読者の方が、「ああ、あのパターンか」と勝手に納得して騙されてしまうのかもしれない。

そして、この後の完結編ではさらにこの物語の構造をひっくり返す可能性があるわけで、まったく油断がならない。

そもそも、章題が「時を翔ける少女」、「時を書ける少女」、「時を欠ける少女」、「時を賭ける少女」と、あの有名な作品のパロディであり、なおかつ、それを含めたすべてのタイムトラベル小説のパロディであることを初めから宣言しているのである。

ここまで来たら、古今東西、すべてのタイムトラベル小説をあざ笑うかのような完結編を期待したい。

 

 


[SF] All those moments will be lost in time

2014-07-27 16:11:17 | SF

『All those moments will be lost in time』 西島大介 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

なぜかJコレにコミックとして唯一収録されている作家、西島大介のJコレとしては4冊目。なんと、311を機に、東京から故郷広島へ疎開したときの心境を語るエッセイ。

ふつうはこういう本を買わないのだけれど、Jコレはまさにコレクション中なので。長期の積読を経て、やっと消化。

SFマガジンでの連載中は、ちょっと放射脳的な記述に引っかかって、なんじゃこりゃと思っていたのだけれど、読み返してみると、放射脳と揶揄するまでの記述は無かった。当時は自分も敏感になり過ぎていたのかと思い直す。

ここに描かれているのは日常の中に入り込むSF的思索と、精神的に不安な時期にそれらに救われる思いであり、SFファンにとってなじみのある感覚かもしれない。

実父を広島に、義父を福島に(しかも1Fから10km圏内!)というのは、フィクションならばあまりにも出来すぎな設定だが、これが事実なのだから仕方がない。そして、そういう身近な人々の想いを直接受け止めた結果から生まれた想いが西島氏特有のタッチで画像化されている。

そうであるがゆえに、冷徹な科学的視点よりも、放射能を恐れる本能的視点が大きくなるのも納得だ。

そして、最後に描き下ろしで追加された、福島のイベントへの参加のエピソードに至り、全体的な印象は大きく変わっている。福島という土地への肯定的な感情が見えるこの章があるのとないのでは、読後感は大違いだっただろう。


……でも、やっぱり、Jコレでこれはどうなんだろう……。