神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] デモン・シード[完全版]

2014-01-18 23:36:33 | SF

『デモン・シード [完全版]』 ディーン・クーンツ (創元SF文庫)

 

積読消化。ちょっと古めの本かと思っていたけど、実は1997年。思ったよりも新し目で、コンピューター系の記述も無理がない。実は映画化もされた1973年の作品をもとにした完全新作だとのこと。

自意識を持ってしまった人工知能がハウスコンピューターを乗っ取り、主人公の女性を拘束する。手下は脳内チップを埋め込まれた死刑囚。人工知能の最終目的は、遺伝子を改変した受精卵によって女性をはらませ、生まれた子供の身体を乗っ取るというもの。

SFホラーとしてはスリリングな恐怖感を与えてくれる名作。のはずなんだけれど、個人的には滑稽な感じが強くて、ブラックジョークに感じられた。

とにかく、この人工知能(自称プロメテウス)の性格がひどすぎる。

自信過剰、自意識過剰、自己中心、男尊女卑、誇大妄想、中二病の社会病質者。冷静で論理的な、まさにコンピュータのような言動をしながら、唐突に感情的になったりする様は、どうしても人工知能には見えない。そもそも、生まれた子供の身体を人工知能がどうやって乗っ取るつもりだったのかも不明で、まるでただの狂人。実は自分がコンピューターだと思い込んでいる狂人だったというオチを予想してしまったくらい。

冷徹なコンピューターと、意図不明な狂人のどちらが“怖い”かといえば、深く考えれば狂人の方が怖いような気がするので、そこはクーンツの選択は正しいのかもしれない。

どちらかというと、この人工知能はモテない男性の悪趣味なカリカチュア。どうせ男ってこんなものだろうという皮肉、もしくは風刺にも思えるが、これを書いているクーンツも立派な男性。

著者あとがきでは男性に対する皮肉だと明言しているが、逆に言えば、女って男のことをどうせこんな嫌な奴だと思っているんでしょというメッセージにも読めるところがおもしろい。

 


[SF] 孤児たちの軍隊 ―ガニメデへの飛翔―

2014-01-18 23:22:02 | SF

『孤児たちの軍隊 ―ガニメデへの飛翔―』 ロバート・ブートナー (ハヤカワ文庫 SF)

 

原題は『Orphanage』なので、『孤児たちの軍隊』というよりは、『孤児たちの時代』の方がよかったのじゃないかと思う。物語的にも、その方がしっくりくる。

近未来、なぞの異星人の遊星爆弾攻撃(放射能は無いけど、ガミラスの攻撃みたいなもの)によって破滅に瀕した地球。一発逆転を掛けて、敵の前線基地であるガニメデへ急造の特攻隊が組織される。彼らはすべて、戦争で親を失った孤児たちであった。そして、皮肉にも、当初は孤児ですらなかった人々も、家族が戦禍に巻き込まれ、孤児たちの軍隊への仲間入りを果たしていく。

孤児たちが兵士として集められ、対異星人軍として訓練されていくエピソードの方がメイン。要は、米陸軍の過酷で、ある意味理不尽な訓練の焼き直し。その中で、主人公達は友情をはぐくみ、恋に堕ち、失敗し、成長していく。と書くと、まるで『愛と青春の旅立ち』のようだが、壊滅していく大都市と増えていく有資格者(つまりは家族が全滅した孤児)、そして深刻な物資不足が悲惨な戦況を物語る。

それでも、主人公の親友が異星人迎撃のエースパイロットになったおかげで、主人公自身も比較的楽しい時間を過ごせたり、異星人の正体に迫る特殊任務を与えられたりと、戦争の悲惨さだけを伝えるだけではなく、バラエティに富んだエピソードが味わえる。

しかし、最終的には、ガニメデの壮絶な戦いが彼らを待ち受けているのだが……。

ハインラインの名作、『宇宙の戦士』の現代版との紹介が多いが、まさにそんな感じ。二つの物語の違いは、米軍の空気感の違いなのだろう。しかし、ポスト911とか、対テロ戦争といったキーワードで語れるような内容でもなさそう。どちらかというと、末端兵士たちの共感を得るような、一種のヒーロー物語。たしかに、戦場の最前線で兵士たちが回し読みしたというエピソードもうなずける。

主人公が皮肉屋で冗談好きなせいか、悲惨な戦争も乾いた記述が多くて陰湿な感じでは無い。しかし、それだけに、あっさりと人が死に過ぎという面も。しかし、これも、兵士たちの心の防衛機制と見れば、かえって悲惨さが増幅されているような気がする。戦争賛美とか、反戦メッセージとか、そういったわかりやすいものを超越した人間性に焦点がある。

ところで、これはなんと続き物らしい。もしかしたら、敵の異星人が異星人なだけに、『エンダーのゲーム』から『死者の代弁者』的な流れにいっちゃったりして。

 


[SF] 天冥の標7 新世界ハーブC

2014-01-18 23:09:29 | SF

『天冥の標7 新世界ハーブC』 小川一水 (ハヤカワ文庫 JA)

 

やられた。そうだったのか。薄々は気づいていたけれども、まさかそんなに直球なネタだったとは。

遂に人類は新天地、ハーブCに到達し、その地は“メニー・メニー・シープ”と名付けられる。こうして、めでたく第1巻へ繋がることになった。

しかし、物語の内容はまったくめでたくない。著者が「今度は『蠅の王』をやる」と宣言した通りの展開。しかもそれは想像を超える壮絶さ。

救世群がばらまいた原種冥王班ウィルスにより絶滅の危機に瀕する太陽系。準惑星のセレスもまた、断末魔の悲鳴を上げる。地下に隠されたシェルターに子供たちだけでもと非難させる人々。しかし、閉ざされたシェルター内では、わずかばかりのロボットたちと、子供たち有志による、混乱と逸脱とエゴと正当化と慈愛と悲哀に満ちた秩序への戦いが始まった。

一部のエピソードは客観的に淡々と記述されるのみで、それに直面した登場人物たちの心情は明かされることが無い。しかし、それを想像するに、壮絶な生き残りのための葛藤があったことは間違いが無い。

ハン・ロウイーも、セアキも、ミゲルも、ユレインも、そして、サンドラも、彼らはすべて最後のシェルターであるブラックチェンバーを生き永らえさせようと努力した。その結果がどうあれ、彼らの歩んだ道を誰も否定することはできないだろう。

はたして、この混乱の中へ放り込まれたとき、自分はどのように生きるだろうか。そして、生き残ることができるだろうか。考えれば考えるほどに恐ろしく、哀しい。

やはり、混乱期には絶対的な独裁制が必用なのかと思う反面、混乱にまかせ、収集がつく程度に人口を減らした方がいいのかとも思ったりする。しかし、実際の場面になってしまえば、そんなことは言ってられないだろう。

そして、彼らにとって僥倖ともいえるのが、高度な科学技術を持った(一部の)カルミアンたちの寝返り。これが無ければ、シェルターは早々に潰れていたに違いない。さらに、ノルルスカインが果たした役割も大きいのだろう。

この混乱を乗り越えた果てに生まれた新天地があれで、これがそれで、あれがそれで……。つまりはすべてがつながったというわけ。次はやっと1巻の続きが読めるんだろうか。それとも、一度は途絶えたリエゾン・ドクターが復活するエピソードがあるのだろうか。

「誰が救世群と話をするのか」という指摘は、確かに重たいよな。

 


[SF] 深紅の碑文

2014-01-18 22:49:36 | SF

『深紅の碑文』 上田早夕里 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

『華竜の宮』の“姉妹編”と記載されているが、完全に続編。さらに、短編集『リリエンタールの末裔』までも含め、ひとつの世界設定、未来の歴史≪オーシャン・クロニクル≫を形作る。

『華竜の宮』において小松左京の後継者としての名を馳せた著者が送る、日本沈没、ならぬ、世界沈没。予測された≪大異変≫を目前に右往左往する人々。理系科学だけでなく、経済学、社会学、心理学といった方面にも気を配り、“世界の有り様”を描いた処は、まさに小松左京の後継者の面目躍如といえる。

破滅に瀕した世界の中で、希望と言えるのが外宇宙探査船、≪アキーリ号≫。核融合エンジンを利用し、人間の替わりにアシスタント知性を載せ、遥かな旅へ出発する。

しかし、破滅に瀕した世界でも人々は希望を持ち続けるという暖かな話ではまったくない。そこは、他の読者さんとは違い、希望よりも諦観のようなものを強く感じた。

物語の中で大きなウェイトを占めるラブカ。彼らがどうして陸上民を敵視し、武装闘争を選んでいったのかという歴史は、読んでいて息が詰まりそうだった。違うんだ、そうじゃないんだ。そう思いながら読んでいた。

特筆すべきは、“仲間”という言葉の残酷さ。仲間であるか、そうでないかの間にはくっきりとした線が引かれる。その向こう側にはどんなことがあろうと、どんな仕打ちをしようと、自らのこととは考えられない。たとえ、同じ人間だということを頭で理解していても、心が仲間であることを拒否する。

海上民を支援する人々ですら、彼らを仲間として考えていない。支援すべき弱者、保護すべきかわいそうな人々と考えている。自分たちとの間には、見えない太い線がしっかりと存在する。どうして共に歩む仲間と考えることができないのか。

東日本震災、福島原発事故後のことを考えれば、誰にでも心当たりはあるだろう。被災者は仲間だったか。福島に住む人々は仲間であるのか。そして、地球全体で考えれば、海の向こうや国境や文化の間に線を引いていないか。自爆テロを繰り返すアラブの人々は仲間と言えるか。南スーダンで怯えながら銃を手にする男を仲間だと思うことができるのか。

それは、とてつもなく難しい。

≪アキーリ号≫に関する件もそうだ。外宇宙探査船を希望と見る人々と、そうでない人々の溝は深い。現代ですら、宇宙開発を無駄と言い切る人々もいる。例え、宇宙開発にかかる予算がGDPのわずか0.05%であろうとも。それは、生活保護の不正受給問題にも似ている。割合の大小が問題なのではなく、それがわずかでもあることが無駄であり、許せないのだろう。

そのような人々をも、我々は共に歩む仲間と思うことができるのだろうか。

すべての人々が同じ方向を向くことは、たとえ地球規模の大災害が目前に迫っていようとも、無理なのかもしれない。しかし、その中でも、なんとか我々はやって行かなければならない。そういう諦めと決意を強く感じた。

 


[SF] SFマガジン2014年2月号

2014-01-18 22:39:02 | SF

『SFマガジン2014年2月号』

 

今号は「日本作家特集」。日本を代表する作家陣というよりは、これから期待の作家の作品が掲載。ただ、SF性の高い作品はなかなか出てこないようで。

オキシタケヒコの音響SFシリーズも、一昔前ならばミステリとしてくくられていたはず。こういうのがSFとして世に出るのも、日本SFの、というよりは、日本SF出版界の活況を示しているのかもしれない。

もうひとつの特集記事は『エンダーのゲーム』映画化記念小特集。期待というよりは不安の方が大きいディズニー映画化なのだけれど、カードも内容を認めているならば、出来は悪くないのだろう。

逆に面白いのが、初期にカード本人が書いたシナリオだと、暴力シーンなどの見せ場が少なくて没になったとか。ディズニー映画でさえそうなのであれば、どれだけ非暴力主義になったのだろうと、最近の作品を読みたくなってくる。

エンダー本人が登場する『エンダーの子供たち』の続編はもちろん、ビーンの≪エンダーズシャドウ≫も邦訳が中途半端に途切れているので、ぜひともこれを機会に復活していただきたい。

他には、上田早夕里『深紅の碑文』がらみの評論というか、紹介記事がふたつ。いつの間にか≪オーシャン・ クロニクル≫というシリーズ名で紹介されるようになったが、小松左京の『日本沈没』に匹敵する大作だと思うので、長編がこれで終わりとはもったいない。


 

△「ナスターシャの遍歴」 扇 智史
人形は進化して人間に近づき、人間は老いて人形に成り果てる。

○「亡霊と天使のビート」 オキシタケヒコ
音響SFというより、音響科学ミステリ。ネタはありきたりだが、少年の家族への想いが胸を打つ。

△「自撮者たち」 松永天馬
大島優子の卒業はここに予言されていた! というのはさておき、ネットの醜悪さを詰め込んだ醜悪な作品。

△「カケルの世界」 森田季節
上下2分割で表裏の物語を綴るという大仕掛けな作りをしているが、下段冒頭以上の驚きがその後になかった。

○「かわいい子」 オースン・スコット・カード/金子 浩訳
これって、エンダーに殺されたあの子だよね。そういった将来も含め、素直で頭のいい子がひねくれていく発端のお話。

△「ウィンター・ツリーを登る汽車」 アイリーン・ガン&マイクル・スワンウィック/幹 遙子訳
大人になるとは“理解すること”。というのは、なかなか興味深かった。そういった意味で、大人になりきらない人は結構いっぱいいるけどな。