『日本超古代文明のすべて―「大いなるヤマトの縄文の遺産」を探究する!』 (知の探究シリーズ 日本文芸社)
今年の「神保町ブックフェスティバル」のブースで買ってきた本。世界編もあったけど、日本編を購入。本の底に赤い○Bマークあり。\500也。
古代文明は元から大好きなのだけど、最近は日本の縄文文化が熱い。いや、もはや縄文文明である。特に何がすごいって、北方に高度な遺跡が多いということ。三内丸山をはじめ、北海道にも多くの遺跡があることが判明している。温暖化した現在よりも寒かったはずの北海道に、高度な文明が存在したなんて、むちゃくちゃなロマンではないか。どうやって生活していたんだろう。まさか冬眠? いや渡り鳥みたいに南北に移動していたっていうのがありそうな説ではあるが。
『古事記』や『日本書紀』が、権力者によって作られた“歴史”であるという認識も広まってきているし、縄文文明の再評価の機運は高まっているんじゃないかと思う。
そんなこんなで、老後に日本の遺跡めぐりでもしようかという準備のために読んでみた。以前に聞いている話題も多かったが、日本ピラミッドガイドは読み応え十分で太古の旅へロマンが誘う。この本には出てこないが、札幌の三角山ピラミッド説も真実であれ都市伝説であれ、身近な古代文明ロマンとして親近感のある話題だ。
しかし、第5章の「神代文字」あたりから話が怪しくなって、第6章の「世界文明」にいたっては、もはや笑い話である。この話の怪しくなり方ははっきりとしていて、紹介される説の根拠が急に乏しく、書き手の推測だけになって参照文献が無くなってしまうのだ。この辺りはわかっていると笑える。
アヒルクサ文字、トヨクニ文字などの神代文字は、中国から漢字が輸入される以前から日本に存在した文化である。古代遺跡の文様や碑文は神代文字で解読できるとか、これまで漢字で解釈されてきた銘文も定説を覆して神代文字で読めるとか、非常に興味深い記載もある。
しかし、世界各地にこれらの神代文字が散らばっているというのは眉唾モノだ。言語学的には孤立した言語である日本語の、しかも“表音文字”である神代文字が世界に散らばっているとは阿呆らし過ぎる。古代エジプト人が日本語をしゃべっていたとでもいうのか。
こんな感じで、後半は駄洒落に近いこじつけの連発で、笑いながら読むしかない。前半が日本各地に残る文献や実地調査による真面目な調査結果を載せているのに、この後半の阿呆らしい内容ですべてが阿呆らしく見えてしまう。
結局のところ、編集者が前半の内容からまるっきり信じていなくて、すべては“シャンバラは四国にあった!”レベルの与太話と同一レベルだと思っているから、こういう構成になっているんじゃないか。あるいは、最初から、その手の与太話を信じ込ませるために騙しのテクニックで作られた本なのか。
前半の内容が興味深かっただけに、非常に残念に思ってしまった。
いずれにせよ、時の権力者が闇の向こうに葬ってしまった古代縄文文明は、考古学としても日本の歴史としても、興味本位のとんでも説だけでなく、ちゃんとした学問として再評価されるべきである。それにはまず、古墳の発掘を許可いただけないでしょうか、文科省様。
今年の「神保町ブックフェスティバル」のブースで買ってきた本。世界編もあったけど、日本編を購入。本の底に赤い○Bマークあり。\500也。
古代文明は元から大好きなのだけど、最近は日本の縄文文化が熱い。いや、もはや縄文文明である。特に何がすごいって、北方に高度な遺跡が多いということ。三内丸山をはじめ、北海道にも多くの遺跡があることが判明している。温暖化した現在よりも寒かったはずの北海道に、高度な文明が存在したなんて、むちゃくちゃなロマンではないか。どうやって生活していたんだろう。まさか冬眠? いや渡り鳥みたいに南北に移動していたっていうのがありそうな説ではあるが。
『古事記』や『日本書紀』が、権力者によって作られた“歴史”であるという認識も広まってきているし、縄文文明の再評価の機運は高まっているんじゃないかと思う。
そんなこんなで、老後に日本の遺跡めぐりでもしようかという準備のために読んでみた。以前に聞いている話題も多かったが、日本ピラミッドガイドは読み応え十分で太古の旅へロマンが誘う。この本には出てこないが、札幌の三角山ピラミッド説も真実であれ都市伝説であれ、身近な古代文明ロマンとして親近感のある話題だ。
しかし、第5章の「神代文字」あたりから話が怪しくなって、第6章の「世界文明」にいたっては、もはや笑い話である。この話の怪しくなり方ははっきりとしていて、紹介される説の根拠が急に乏しく、書き手の推測だけになって参照文献が無くなってしまうのだ。この辺りはわかっていると笑える。
アヒルクサ文字、トヨクニ文字などの神代文字は、中国から漢字が輸入される以前から日本に存在した文化である。古代遺跡の文様や碑文は神代文字で解読できるとか、これまで漢字で解釈されてきた銘文も定説を覆して神代文字で読めるとか、非常に興味深い記載もある。
しかし、世界各地にこれらの神代文字が散らばっているというのは眉唾モノだ。言語学的には孤立した言語である日本語の、しかも“表音文字”である神代文字が世界に散らばっているとは阿呆らし過ぎる。古代エジプト人が日本語をしゃべっていたとでもいうのか。
こんな感じで、後半は駄洒落に近いこじつけの連発で、笑いながら読むしかない。前半が日本各地に残る文献や実地調査による真面目な調査結果を載せているのに、この後半の阿呆らしい内容ですべてが阿呆らしく見えてしまう。
結局のところ、編集者が前半の内容からまるっきり信じていなくて、すべては“シャンバラは四国にあった!”レベルの与太話と同一レベルだと思っているから、こういう構成になっているんじゃないか。あるいは、最初から、その手の与太話を信じ込ませるために騙しのテクニックで作られた本なのか。
前半の内容が興味深かっただけに、非常に残念に思ってしまった。
いずれにせよ、時の権力者が闇の向こうに葬ってしまった古代縄文文明は、考古学としても日本の歴史としても、興味本位のとんでも説だけでなく、ちゃんとした学問として再評価されるべきである。それにはまず、古墳の発掘を許可いただけないでしょうか、文科省様。