神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 20億の針

2011-10-05 23:35:54 | SF
『20億の針』 ハル・クレメント (創元SF文庫)




遠い星から犯人を追いかけてきたエイリアン刑事、“捕り手”が、犯人ともども地球に墜落した。アメーバ状の彼らは動物の身体に共生しないと生きていけない。捕り手は寄生した少年バブと協力し、他の誰かの身体に潜んでいるはずの“ホシ”を探して捜査を続ける。

小学生の頃に子供向けの翻案版を読んでむちゃくちゃ面白かった記憶があるが、全訳を読んだのはこれが初めて。古本屋でボロボロの本(旧版。上の写真は新装版)の中に懐かしい名前を見つけたので、喜んで買ってしまった。ついでに、続編の『一千億の針』も別な古本屋で買ってしまった。(←新刊で買えよ)

しかし、外見のボロボロ感に合わせるように、訳がとにかく古臭い。カタカナ英語の表記がまだ統一されずに揺れている頃の訳出なのだろう。主人公の名前はロバートなので、愛称のバブは、今ではボブの方が一般的。飛行機の“ケビン”って何だと思ったけど、たぶん今のカタカナ語では“キャビン”のことなんだろう。おまけに、“そやつ”とか“こやつ”とか、10代の少年が言うには違和感ありまくり。

なにしろ、地球の人口が現在の約3分の1である20億しかいなかった頃の作品だ。しかし、南の島(タイチという名前が出てくるが、これも現代語ではタヒチか)というのどかな環境が舞台になっているせいか、物語にはまったく古臭さが無い。訳だけ替えてラノベにしても、そのまま通用するんじゃないかというくらい。

さすがに、本当に20億人の中からホシを探し出すことにはならなかったが、島の住民の中で、いったい誰がホシなのかという謎解きはスリリングで知的興味を惹かれる。また、エイリアンの存在以外は突飛な設定も無く、少年が仲間たちと遊ぶことをカモフラージュにしてできる範囲で捜査が行われるため、SF初心者でも十分楽しめるに違いない。さすが、子供向けの叢書に収められるだけのことはある。

しかも、この小説は『ウルトラマン』の原点とも言われ、さらには映画『ヒドゥン』や、その他のいくつもの作品を生みだしたエポックメイキングなのである。大原まり子の『エイリアン刑事』は言うに及ばず、『70億の針』(多田乃伸明)というコミックまである。というか、『20億の針』を検索すると、『70億の針』がいっぱい出てくる(笑)

主人公が少年で、夕暮れまで海で遊んで、それでも就職や未来のことに漠然とした期待と不安を持って……。犯人探しのミステリ的要素が強いが、ジュブナイルとしても素晴らしいと思う。もともと、ジュブナイルなのか、大人向けだったのかわからないが、これはぜひ黄金時代の少年少女に新訳で読んでもらいたい小説だ。


[SF] 悪徳なんかこわくない

2011-10-05 23:23:15 | SF
『悪徳なんかこわくない(上・下)』 ロバート・A・ハインライン (ハヤカワ文庫SF)


確か読んでなかったと思って、amazonマーケットプレイスで購入したのだかれど、読み終わって見ると、やっぱり読んだことがあるような。しかし、詳細なんてどうせ覚えてないので、全く問題は無かったわけですが。

死にかけの大富豪老人が、世界初の脳髄移植で若返り、やりたい放題やる話。

SFネタ的には、脳髄移植後の人物は法的に、脳の持ち主と同一人物なのか、肉体の持ち主と同一人物なのかという議論が面白かったが、あんまりメインなテーマじゃなかった。

この手のタイプのストーリーだと「永遠の命とは何か」とか、「格差社会における構造的搾取」みたいなテーマにつながることが多いのだけれど、この作品では、そんな辛気臭いテーマには全く触れられず、若いって素晴らしい、金持って素晴らしいという賛歌にあふれている。

大富豪ヨハンは、死んだ秘書ユーニスの身体に脳髄を移植して蘇るわけだが、ユーニスは女性。つまり、若返りと共に性転換まで果たしてしまう。このへんの設定からか、MtoFのトランスジェンダーにはバイブル的に読まれているらしい。男の子がモテモテのヒーローになる願望充足小説と似たようなものなのかもしれない。

ところが、この小説で面白いのは、ユーニスの身体にはヨハンの精神と共に、ユーニスの精神が同居してしまっていることだ。これにより、脳内でヨハンとユーニスが漫才のごとく掛け合いながら、この世の春を謳歌するのである。いったい、何だこりゃ。

ユーニスは絶世の美女で、モテモテ。しかも、未来は性的規範が緩くなってしまっていて、エロエロ。古い道徳に縛られたヨハンがユーニスの影響によってやりまくり状態になってしまう。そして、ヨハンはついに、かつての旧友に処女をささげるのであった(笑)

ヨハンの気持ちで一番わからないのが、女性としてかつての旧友とやっちゃうところだ。自分だったら気持悪くてちょっと無理だろう。そういう想像をさせて、そこから非対称な性というテーマに大きな問題提起を行う、というように読めなくもないが、これは著者のハインライン爺さんが自分の願望を小説化しただけというのが大方の見解のようだ。

とにかく、ユーニスの精神がヨハンに都合が良すぎて「そんなわけねー」という感想を持たざるを得ない。しかしながら、このユーニスの精神が、実はヨハンの妄想だったら、と考えるとなかなか面白いことになる。ユーニスが都合のいい女であることは、ヨハンの願望と妄想の結果なので当たり前ということだ。ユーニスの記憶については、彼女を秘書として雇用するにあたり、ヨハンはユーニス
本人が知らないことまで調べ上げたレポートを読んでいることになっているので、設定的にも問題ない。(実際は、作中で明確に否定されてしまっているわけだが……)

そして、ラスト間際、ヨハンが処女をささげたジェイクの精神までヨハンの中に入ってくるにいたっては、精神の同居はどう考えたって脳髄移植のせいと言うよりも、ただの妄想、精神症と考えた方がSF的にも科学的に思える。

そう考えると、ラストシーンは新たな冒険の始まりではなく、ただの“なむあみだあ”ということになり、能天気な小説がなんともむなしい印象の小説へと変わってしまう。これもある意味、センスオブワンダーなのかもしれない。