神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] SFマガジン2011年03月号

2011-02-11 23:23:27 | SF
『S-Fマガジン 2011年3月号』 (早川書房)




2010年度英米SF受賞作特集。ヒューゴー賞、ネビュラ賞をはじめとする受賞作、候補作の紹介。受賞作ではなくて候補作のひとつが掲載されるのは、訳も含めた時間の問題で間に合わないのか、単純に版権のせいなのか。実は発表前に候補作をにらんで、受賞しそうな作品を選んでるんだけど外れちゃったーってことだったりして。

しかし、処女長編でヒューゴー賞を受賞したパオロ・バチガルピはすげーですな。今年は日本でもミエヴィルとバチガルピの年になるんだろうか。

今回掲載されなかった作品もSFマガジンで掲載して欲しい。ストロスはともかく、ほかの作家の作品集がすぐに出るとは思えないので。今なら海外年間ベストみたいのも出せるんじゃないかな。




○「島」 ピーター・ワッツ
手段が目的化するというのは笑うところなのか。これが事故なのか悪意なのかというところで解釈は分かれるだろうが、不幸なファースト・コンタクトの後味の悪さが残る。

○「孤船」 キジ・ジョンスン
なんじゃこりゃ。ポルノであり、フェミニズムであり、なんであり、かんであり……。解釈が分かれすぎるものの、いろんなことを考えるきっかけなりそう。ただ、この物語は、なにでもない。

◎「ペリカン・バー」 カレン・ジョイ・ファウラー
これはきつい。読んでいて苦しくなる。最後のママ・ストロングとの会話が後味の悪さを増幅する。これを正しいと思える人がいるとは思えないのだが、似たような教育を肯定する人が少なくないのはなぜなんだろう。

-「ヒロシマをめざしてのそのそと〈前篇〉」 ジェイムズ・モロウ
ゴジラが原爆のメタファーであることは、日本のSFファンにとっては常識なのであるが、米英のSFファンにとってはどうなのだろう。戦時中の特撮技術は日本の方が優れていたという話も聞くのだけれど、本当のところはどうなのだろう。そういう知識を持って読むと、いったいこの物語がどこに着地するのか、期待よりも不安というか……。

○「《現代SF作家論シリーズ》第二回 アーサー・C・クラーク論 ハードSFとはどういうものか」 金子隆一
自分も、いつからか意識して“ハードSF”ではなく、“コアSF”と呼ぶようにしている。本当におもしろいハードSFというのはめったに無いんじゃないか。あるいは、人によってはまったく存在しないものなのかもしれない。クラークの小説は十分に科学的で、細かい突っ込みは楽しみを増幅してくれても、瑕疵には当たらないんじゃないかと思う。ただ、非SFファンにとっては、どこまで嘘を許せるのかという線引き方法が恣意的にしか見えなくて不満だろうな、きっと。

◎「最初の星の種」 山本ゆうじ
Readers Stroyは毎回除外しているんだけど、今回はちょっとすごかったので、あえて◎を。こういうSF的な想いがなぜ生まれたのかというのは、永遠にロマンチックなテーマだと思うのですよ。




[SF] 軌道通信

2011-02-11 22:37:34 | SF
『軌道通信』 ジョン・バーンズ (ハヤカワ文庫 SF)


大人になるための試験を2年後に控えた13歳の少女が、学校の課題でつづり始めた小惑星改造船での日々。学校のこと、家族のこと、そして、船内社会のこと。

地球から転校生がやってきたことを契機に、船内社会の特殊性が明らかになっていく。

疫病(新型エイズ)と戦争で荒廃した地球と、物資に恵まれた軌道上の惑星船。主人公の少女の閉じられた眼を、転校生の存在が開き始める。最初はそういう話なのかと思った。

しかし、転校生の強烈な反撃と地位の逆転から、意外な展開が始まる。これもまた嫌展開ないじめの話なのだが……。

アメリカにはスクール・カーストと呼ばれる身分制度があるらしい。その頂点はフットボール部のクォーターバックとチアガールである。日本で言うと、野球部のキャプテンとマネージャーか。こういう地位が、惑星船内の教室では明確になっていて、この地位を下げることをpd(push down)なんていう略語で読んでしまう。すべての成績順位は明確で、生徒たちはそれらを意識して学生生活を送っている。

特筆すべきは、それらは過酷な競争社会とか詰め込み教育とかに繋がらないところだ。生徒たちはその地位にしたがって協力し、全体のために努力することができる。pdされることは悔しいけれど、相手を認めて恨んだり陥れようとしない。

特徴的な言葉といえば、“正値”というのも気になった。これはたぶん“true”なんだろうな。船内の学校でCSL(サイバネティクス、記号論、論理学)なる科目が重要視されていることが影響しているんだろう。CSLが具体的にどんな科目なんだかはよくわからないけど。プログラミングかなんかなのか?

さて、最初の方で悲惨な地球の境遇というのが強調されるので、勘違いしてしまうのだが、惑星船も消して余裕のある生活ができているわけではない。貨幣のかわりに“選択権”が使われるのも、そのひとつの象徴だろう。

子供たちが個人の競争よりも全体最適を無意識に目指す(=条件付けられている)というのも、このことが影響しているのだと考えられる。惑星船は物資も限られ、ひとつ間違えば死の真空と隣り合わせの過酷な社会のはずだ。

この環境で子供を育てるために、惑星船の大人たちはある計画を立てる。それは確かに、子供の権利とかなんとかを考えればおかしなことなのかもしれない。しかし、彼らが生き延びるために必要だったことと考えれば、惑星船の未来の過酷さが際立ってくる。

そこで、あの個人主義な転校生が成長でき、気がおかしいと言われながらもドーム外でも生き延びられる地上との違いがはっきりとし、最初の印象がひっくり返る。

少女の成長と、学校でのいじめを描いたジュブナイルかと思いきや、環境が社会を規定するという硬派なSFだったというのが意外な一冊。



残念ながら、目録落ち、ですかね。


[SF] 老ヴォールの惑星

2011-02-11 21:19:32 | SF
『老ヴォールの惑星』 小川一水 (ハヤカワ文庫 JA)




小川一水は現時点における最高の日本SF作家じゃなかろうかと思う。その小川一水が、いわゆるラノベ作家の枠を超えて、SF作家として認められるようになったのは『導きの星』(ハルキ文庫)あたりだったろうか。それ以降、活躍の中心を早川書房へ移し、ゼロ年代を代表するコアSF作家となった。そして、現在継続中のシリーズ『天冥の標』は10年代ベストSFに決まっているかのような大傑作である。

この短編集には星雲賞受賞作の「漂った男」をはじめ、直球型のSFがそろっている。そこで共通しているのは、解説では「環境と主体」とか、他のブログでは「コミュニケーション」とか、いろいろ言われているけれど、自分は“思考実験”だと思う。

SFはIFの物語とよく言われるが、ひとつのIFから始まって、いろいろと想像力を膨らませる。そこに科学的な裏づけや、しっかりした理論を組み立て、エンターテイメント小説に仕立て上げる。そこで重要なのは、想像すること、思考することを楽しむという姿勢なんじゃないだろうか。

解説で紹介されている「小川さんは長編を書くのに疲れれたり飽きたりすると、別の短編を書いて疲れを癒して、また長編書きに戻るんですよ」という証言も、それを補強している。

思考実験から生まれた小説であるがゆえに、キャラクターレベルでの言動が、RPGのNPCくさい動きだったりもするわけだが、それもまた思考の論理を明確化するためのノイズの削除として考えれば、これもまた有効な表現方法だと言えるだろう。



「ギャルナフカの迷宮」
社会と経済の再発明の物語。思考実験のための環境の単純化が斬新なアイディアで実現される。ただ、これは思考実験でしかなりたたないだろうし、外に出た彼らの行く末が気になる。たとえば、この迷宮に飢饉を引き起こす機能が用意されていたらどうなっただろうかと考えるのも一興。

「老ヴォールの惑星」
ホットジュピターでの可能な生命形態とは、という思考実験を、SF的な“想い”につなげたことで感動が生まれる作品。個人的には“自然発生する”という点に違和感を覚えた。体表から剥がれた物質が核になって結晶が成長するとか、その手の設定は必要無かったのだろうか。

「幸せになる箱庭」
仮想現実と本当の現実は区別できるか。この現実が仮想現実だと知ったとき、自分はどうするか。この物語は小川一水の考え方であるし、ちょっと特殊な思想かもしれない。しかし、SFファンならば、共感する人は多いんじゃないだろうか。

「漂った男」
適温で、食料になって、細菌もいないゼリーの海で難破し、援けが来なかったら。何の不足も無く、ただ漂い続けるとき、人はどうなってしまうのか。小川一水の、どんな苦境でも何とかしようという前向きな性格が見て取れる。同じテーマで田中啓文や森奈津子に書いて欲しい気がする。逆想なんちゃらよりもずっとおもしろい競作になると思うんだけど。


これらの作品では、IFからの思考実験は割と露骨なんだけれど、基本的なSFの楽しさはこの思考実験にあると思う。SFを読んで、あるいはSFアニメでもSFコミックでもいいんだけれど、ワクワクハラハラドキドキして萌えて燃えるのもいいんだけれど、そんな作品であっても、そこに至るIFと思考実験を再体験してみるのもおもしろいんじゃないかな。