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神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[映画] チャッピー

2015-07-15 18:47:10 | 映画

『チャッピー』

 

どうにも「コレじゃない感」が漂うAIモノ。

ニール・ブロムカンプは、『第9地区』こそオールタイムベスト級だったものの、『エリジウム』、『チャッピー』と、続けて凡作になってしまったのはなぜなのだろうか。

本来プログラムどおりに動くAIが意識を持ってしまったが、最初は言葉もわからず、赤ん坊のような状態から徐々に育っていく過程が丁寧に描かれる。ギャングに育てられたチャッピーが善悪の概念や他人へのやさしさなどを、歪ながらも学んでいくところだとか、教育とは何か、倫理とは何かといったテーマをコメディタッチで描いたところは面白かった。

ところが、この他はどれも納得がいかない。

ナード技術者が開発したAI搭載の自律型ロボットと、マッチョ技術者が開発した脳波操縦型ロボットとの対比は面白いと思ったのだけれど、結局はマッチョ技術者が脳味噌まで筋肉なおかげで、どうにもこうにもまともな比較にはならない。

最もいただけないのは、意識とは何かというテーマが軽すぎる。最初のチャッピーの意識獲得は偶然だったにしても、意識を持ったAIがいくら優秀だからと言って、インターネットの検索結果から意識とは何かを天啓のごとく理解するなんて、陳腐すぎるだろう。

しかも、なんでそれが「AIの意識」だけではなく、「人間の意識」も解明したことになるのか。

人間の脳波をサンプリングする機械で、チャッピーの意識までサンプリングできるなんて、お前のAIは脳味噌でできているのか。まさか、人間機械論の強烈な主張だとでも?

そして、サンプリングした意識を最終的にロボットに転送できてめでたしめでたしって、意識の問題を舐めてるとしか思えない。

さらに、「僕は黒い羊」っていうセリフも掘り下げが浅すぎるだろ。確かにチャッピーは弾丸で撃たれまくったけれども、ギャングは平等に弾丸で撃たれまくるものだ。そこから「どうして僕をいじめるの」といったところで、ヒトではない存在の疎外感なんてまったく伝わってこない。それはお前がロボットだからじゃねーよ。

だから、ラストシーンで意識を持った自律ロボットが増殖する可能性を描いても、ヒトとは違う知的生命の誕生などという大きなテーマではなく、ヒトが機械のボディを得て不老不死になろうとすることに矮小化されてしまい、「黒い羊」の意味はどこかに飛んで消えてしまった。

お前はママさえ復活できればいいのかよ。その後、幸せに暮らしました、めでたしめでたしでいいのかよ。

おそらく、前評判や宣伝から思っていたストーリーと違っていたことでマイナスが大きくなっているだけだとは思うけれど、興味深いテーマをちりばめながらも、どれも掘り下げが浅すぎて失望した。

パステルカラーに塗られた銃器とか、実在するポンテタワーの使い方とか、顔の無いチャッピーの表情をフェイスガードの上げ下げだけで演技させたりとか、カタカナで“テンション”とか、映像的な面白さは充分だっただけに、とても残念だ。

 


[映画] ターミネーター:新起動/ジェニシス

2015-07-11 13:59:51 | 映画

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』

[c]2014 Paramount Pictures. All Rights Reserved

 

観てきました。“新”ターミネーター!

3作目以降を無かったことにしての新起動との売込みだけれども、別に3作目、4作目どころか、TV版があったとしても問題ない。何しろ、未来も過去も変えられるのだからな!!!

 

オリジナルの『ターミネーター』は、俺にとっては今でもベストムービーに上げるほど好きな映画だけれども、今回のこの映画はそこまででもなかった。及第点ではあるが、熱狂的にはなれない感じ。

良かった点は、サラがオリジナルの雰囲気を残したまま、めちゃくちゃ可愛くなったところ。これはカワかっこいい。そして、白髪になったシュワちゃんもむちゃくちゃ良い。セリフ通りに、古くてもポンコツじゃない。こちらはシブかっこいい。サラにしこまれて、長年の間に笑ったりジョークを言ったりするようになっているのもお茶目。そして、カイルは……こいつはどうでもいいか。

悪かった点は、とにかく設定に粗があり過ぎ。強引にストーリーを成り立たせようとしたせいか、転送装置の特性やらなにやらが矛盾点ばかり。タイムパラドックス関係はそういうものだと思って割り切って見られるけれども、わざわざ解説しなくていいところまで無理に解説するからおかしくなる。

そういった意味では、オリジナルの『ターミネーター』の語らなさ加減はいい処を突いていたのだなと再確認する。

 

しかし、ちょっと待てよ。わざわざ“叔父さん”は転送できないとセリフで言っているのはなぜか。それならば、敵を含めてターミネーターたちはどうやってタイムスリップしてきたのか。というところを深読みしていくと、実はシリーズとして織り込み済みの伏線なんじゃないかという気もしてきた。エンドロールの間に差し込まれたシーンからすると、続編作る気まんまんのようだし。

実は転送装置は二種類あるとか、そうならば未来も二種類あるとか、そもそも、サラもオールド・ターミネーターにくっついてきた偽物とか、いろいろ深読みしがいがある。

「未来は変えられるもの」なのだし、今回のサラとカールはそんなに仲が良さそうじゃないし、このままジョンが生まれるようには見えない。ここは、二人が“合体”しない、もしくは生まれたとしても女の子という形でジョンと決別すべきじゃないか。そうすれば、思う存分戦えるぞ(微ネタバレ)

 


[映画] GODZILLA ゴジラ

2014-08-24 23:59:59 | 映画

『GODZILLA ゴジラ』

 

立川シネマシティの爆音上映イベントで体感。

ゴジラは思ったよりゴジラだった。ハリウッド的な“ガッジラ”ではなく、まさしく東宝リスペクトな怪獣映画としてのゴジラだ。

実際に中身が入っていようがどうだろうが、着ぐるみ的なゴジラと昆虫的なモンスター、ゲネル・セルタスMUTOが戦うシーンは恰好が良過ぎる。

って、なんでMUTOなんて名前なんだよ。お前は、ザ・グレート・ムタか!

もちろん、ドラマシーンが陳腐だとか、ジャンジラ市ってどこだよ的な突込みはわかるが、それって昔のゴジラからの伝統じゃないか。怪獣映画に繊細なドラマを期待するなよ。

ゴジラの体型はさすがにアメリカンサイズ。ちょっとおデブ気味だが、ヘビー級のプロレスラーだと思えばこんなものだ。傍若無人に突き進む感じがよく出ていて良いかも。

爆音上映はもっと耳に突き刺さるのかと思ったけど、意外にうるさいとは感じなかった。しかし、ゴジラの吠え声や爆音で身体が震えることを実感できるくらいの絶妙な音量だった。これって、BGM、SE、会話と、トラックごとに音量のレベルを変えてるだろうな。

ゴジラの設定は日本版ゴジラを基本的に引き継いでいるとはいえ、さすがアメリカンと思ったのが水爆実験の位置づけ。

日本版ゴジラでは、水爆実験の放射能によって巨大化したのがゴジラという設定で、核による汚染に対して自然(=神)が怒るという日本的な自然崇拝の解釈だった。

一方、ハリウッド版のゴジラでは、水爆実験は米軍によるゴジラを殺そうとした作戦であった。しかし、ゴジラはそれにびくともせず、人間たちを無視し続けた。これはアメリカ人の自然観に即しているように思う。

原爆=ゴジラを生み出したという原罪をアメリカという国家に背負わせることを嫌ったという解釈も可能なのだけれど、自然というものに対する意識の差が表れているという解釈の方が、自分にはしっくりくる。

それにしても、ゴジラとMUTOの破壊はすさまじいことになっていた。やっぱり、アメリカのサイズはいろいろ違うな。ネバダから東に向かえば、このサイズ同士でも不毛の荒野で勝手に決闘しただけで終わったかもしれないのにね。

 


[映画] トランスフォーマー/ロストエイジ

2014-08-14 21:52:31 | 映画

『トランスフォーマー ロストエイジ』

 

映画見てからwikipediaなんかを見直して、へーそんな話だったんだといろいろ驚く。。

ロックダウンが何者かいまいちよくわからなかったのだけれど、忘れてるだけかと思ったら新キャラかよ。創造主の話とかはちゃんと理解できなかった。俺の理解力の問題なのか、映画の出来の問題なのか。みんな、ちゃんとわかったのか、っていうか、わからなくても楽しめるんだけど。

とにかく、トランスフォーマーがグリングリン動いて、ドッカンドッカン派手にやってくれれば満足な映画なので、それ以上を求めてもしょうがないか。

たとえば、金属化した恐竜化石が発掘されたのが北極になっているんだけど、どうしてそれをおかしいと思わないのか。北極なんて海の氷上なんだから、どこから流れてきたんだそれ。せめてシベリア、もっと言えば、南極にしておけば、突込みも少ないだろうに。こういうバカ話ほど、細部にこだわるべきだと思うのだけど。

ロックダウンとオプティマスの対決以外では、前半の親娘の葛藤ストーリーは退屈という意見もあるけど、悪くないんじゃないですかね。新しい主人公は以前の主人公ほどボンクラでもないし(少なくともオプティマスを修理して、光線銃をぶっ放すし)、ヒロインの娘もかわいいし。

ただ、予告編から恐竜が戦う話だと想像していたので、そこは拍子抜け。リアルな恐竜は冒頭にしか出てこなかったよ。もっと恐竜プリーズ。

恐竜型トランスフォーマーのダイナボットはロックダウンの監獄船に捕らえられていただけで、別にタイムスリップしたわけじゃなかった。新しい仲間が必要だって、四体だけかよ。もっともっと恐竜プリーズ。

それでも、ダイナボットたちのリアルな動きや、疾走するスピード感はよかった。期待以上にグリングリンでドッカンドッカンだったよ。

トリケラボットとかアンギラスボットとか(え、スピノサウルスだったの、あれ)が空に吊り上げられるのを嫌がって、ビルの壁面でまごまごする場面は可愛らしくてなごんだりもした。(いや、生死を賭けた戦闘中なんだけど)

原題のサブタイトルは「Age of Extinction」で、直訳すると「絶滅の時代」。つまり、6500万年前の恐竜絶滅が人類に対しても発動するというテーマがしっかりと現れていてわかりやすい。

一方で日本語タイトルの「ロストエイジ」になってしまうと、どうしても恐竜の方に主眼が移ってしまい、人類絶滅はどこへやらということで、人類絶滅なんてしないじゃんという過剰宣伝に見えてしまう。このタイトルはミスリードだと思う。

だって、結局、壊滅しているのは香港一都市だけじゃないか!

 


[映画] オール・ユー・ニード・イズ・キル

2014-08-09 17:33:12 | 映画

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

 

桜坂洋の原作『All You Need Is Kill』をトム・クルーズ主演でハリウッド映画化した作品。原題は『Edge of Tomorrow』へ変更されているが、日本では原作タイトルでの公開。

いわゆるループネタの作品なので、今となってはハルヒやまどマギのおかげで、どうしてもインパクトが小さくなってしまう。でも、原作は10年前のラノベ(スーパーダッシュ文庫)だからな。

原作ではTVゲームでのリセットによるループを肯定的に描き、どんなに失敗してもあがき続けろという強烈なメッセージを投げかけてきた(と記憶しているが、10年前なので違うかも)が、この映画では“ゲームにおけるリセット”という観点は削除されているように感じた。

映画はどちらかというと、ループ内の幻の恋愛というせつなさを描いたラブストーリーになっている。自分にとっては何度も会っている女性が、次に会うときは、彼女にとっては初対面であり、名前さえも知らないという寂しさ。

小説では描けない映像表現もなかなか面白かった。植物的でありながら動物的なギタイの造形や、圧倒的な物量のアクションはもちろん、何度も様々な形で死に至る主人公のバリエーションがテンポよく繰り返されるシーンは、ある意味では繰り返しギャグになっていて笑える。

トム・クルーズ演じる広報部の少佐も、最初はぎこちない戦闘スーツながらも、次第にスムーズな動きになっていくことで成長をわかりやすく描いていている。

そして、仲間を助けたり、助けなかったり、という行動で心の動きを描いているのもいい感じ。

あの辺りはまさに、まどマギのほむらちゃんを思い出してしまったよ。(……結局はそれか!)

ただ、不満が無いわけではない。とにかく、全体的に話の整合性が無理矢理すぎ。どうしてああいう不完全な理屈を作ってしまうのか。どうしてそんな理屈に納得できるのか。それなら、最初からファンタジーでいいのに。

いつも思うんだけれど、このへんのさじ加減というのは、どうしてこんなに感覚が違うんだろうか。

ハリウッド映画は特におかしいと思うんだけれど、いったいどうして?

 


[映画] ショーン・オブ・ザ・デッド

2014-05-27 23:03:10 | 映画

『ショーン・オブ・ザ・デッド』

 【映画】ショーン・オブ・ザ・デッド (2004) 日本版予告編

 

 『ワールズ・エンド』があまりにも面白かったので、彼らの出世作である『ショーン・オブ・ザ・デッ ド』を借りてきた。

オープニングでのスライドショーで見せる日常や、始まりは通常の現代劇でありながら、一転してホラーの世界に連れて行かれるというフォーマットはこの時代からの鉄板だったようだ。

ただし、ゾンビのモチーフは序盤の日常パートにも使われていて、最初から不穏な空気が立ち込めている。これは、現代に生きる人々の大半はゾンビ(哲学的ゾンビ的な意味やらなにやらで)だというメッセージなのかもしれない!

これを見ると、『ワールズ・エンド』で「デブキャラが格好良くてびっくりした」という感想が多かったのもよくわかる。このデブ(エド)は本当にいけ好かない奴だ。しかし、主人公(ショーン)にとっては、かけがえのない親友なわけで、恋人以上に捨てられない腐れ縁。そしてまぁ、エドは腐ってしまうんだけどねw

その親友と恋人、さらには母親とその再婚相手の間で翻弄されつつも、相手を思いやり、良かれと思ったことが惨事を引き起こし、想いは伝わらず、事態はますます悪化していくという、かなりフラストレーションがたまるコメディ。

『ワールズ・エンド』に比べれば、シーン切り替えのテンポやコメディのネタ的に洗練されていない感じを受けてしまっていまいちな感じだったが、ネットでは『ショーン・オブ・ザ・デッド』の方が面白かったという意見もよく目にする。

きっと、サイモン・ペグの作品のどれを最初に見たかで評価が決まってしまうものなんだろう。それだけフォーマットが確立されている。

日常生活のささいな出来事を現代劇で描きながらも、途中からフリーフォールで落下するごとく一気にホラーコメディの世界に叩き込まれるというフォーマット。それに対する驚きを越えた後で、本質的に何をおもしろがるのかというところが、感想の違いになってくるのかもね。

 


[映画] ワールズ・エンド

2014-05-03 05:51:27 | 映画

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』

 

SFマガジンで紹介されていた映画。これはすごく面白かった。なんといっても、ビールとSFである。俺のためにあるような映画。

小さな田舎町の悪ガキ5人組が高校卒業の夜に挑戦したゴールデンマイル。町中のバー、12軒を1軒で1杯ずつ巡り、最初のバー「ファースト・ポスト」から、最後のバー「ワールズ・エンド」へ至る至高の旅路。しかし、酔っ払い過ぎて、暴れすぎて、あえなく失敗。

数十年後、中年になった5人は故郷へ戻り、再びゴールデンマイルへチャレンジする。それぞれにオトナになった物語を抱えて。

途中までは、あれ、騙されたかと思うような展開だったが、変わってしまった故郷の人々とチェーン店化されたバーへの失望とともにトイレに向かったとき、5人をぶっ飛びな展開が待ち受ける。

まぁ、映画のトレーラーとか見ればすぐにわかるのでネタバレしちゃっているのだけれど、これは本格的に騙されたかと思い始めていたので、そのシーンでの高揚感はすごかった。やっぱり、そういう映画だったじゃないか(笑)

でもこれ、何も知らないで見たら本当にひっくり返っちゃうんじゃないか。いや、逆に、何も知らないで見るべきだった。でも、何も知らせないと見に行くこともないから、どこまで宣伝に乗せるかは難しいところ。

とにかく、いろんなところがツボにはまった。“侵略”の真相を知っている唯一の人間のキャラ付けも、主人公の名前がキングであることを使った「人間のキング」という呼びかけも、元いじめられっ子が放つ拳も、デブキャラが放つきれいなエルボードロップも、すべてが素晴らしい。

田舎町の閉塞性、閉鎖性、そして、そこから抜け出した「自由になるんだ!」という気持ちのまま大人になり切れない男の悲哀が、「俺には飲むことしかできないんだ!」という叫びとともに、地球がどうなろうとゴールデンマイルを文字通り走り続ける格好よさに変わったとき、観客はゲラゲラ笑い続ける。

物語ちょしては地球の危機というシリアスなネタでありながら、基本がコメディなので、劇場でもあちらこちらで何度も笑い声が。ビールの味を語る繰り返しネタや、「使用禁止」の看板などの小道具の使い方がことごとくツボ。

“侵略者”の造形がソフビ人形的な関節から青塗料がダラダラ流したり、明らかに口にLED電球含んだりといったチープさなのだが、それがまったく面白さの障害にはなっていない。やっぱり、何億ドルも金をかけなくても、奇想天外なアイディアとよく練られた脚本があれば、面白いものは面白い。

あきらかにそれ人形だよねという突込みを逆手に取った展開(その脚を離せ!)などもあり、隅から隅まで、やたらと楽しい。本当にツボが分かっている人が練りに練った脚本だと思う。

キャッチフレーズは「5人の酔っ払いが世界を救う」だけれども、これって救ったんだっけという捻くれた結末もいい。なんだそりゃ!


蛇足:
渋谷だと、夜の回でビールを片手にという人が多かったとか。立川での上映は昼間に一回だけという謎設定だったよ。レンタルで出たら、家でビール(いや、エールか!)片手に見るか。それも、12本用意しよう(笑)

 


[映画] ホビット 竜に奪われた王国

2014-03-03 23:41:50 | 映画

『ホビット 竜に奪われた王国』

 

映画の日(サービスデー)だったので、『ホビット 思いがけない冒険』を見ていないにもかかわらず、映画館へ出撃。まぁ、だいたいのお話は知ってるし、問題ないでしょ。

大作が封切週にサービスデーで¥1000均一なのは映画業界にとって良いのか悪いのか。でも、昼過ぎの回はそんなに大入りじゃなかった。2D字幕版だったからか?

内容は、要するに『ホビットの冒険』そのまま。はるか昔に岩波少年文庫版で読んだだけだけだったのだが、事前にwikipediaで復習したせいもあり、細部は覚えていなくても、特にお話に混乱することもなく。

ただ、似たようなひげ面が多いので、人物の同定にときどき混乱した(笑)

見どころは、遊園地のアトラクションのようなアクションシーン。樽に入って川を流れたり、トロッコにのって振り回されたり、そのままUSJかどこかにあっても不思議はないような、比喩的な意味ではなく、本当にジェットコースター・ムービー。

そして、遂に姿を現した邪竜スマウグは、翼のつき方や、城の中を駆け回る姿がモンハンのティガレックスにそっくり。ぜったい、スタッフにモンハンやってるひとがいるでしょ!

ビルボやドワーフたちの活躍によって、スマウグはターミネーターのごとく溶鉱炉で仕留められたか……と思ったら、黄金の姿で翼を広げて復活。

港町エスガロスのバルトが、伝説の黒い矢を取り出し、それを大弓で撃つんでしょ、というところで、盛り上がるだけ盛り上がって終了。その矢、撃たないのかよ!

といういいところでつづく!

『指輪物語』の前日譚としては、ドワーフたちと別行動となったガンダルフの怪しげな行動も興味深いところ。

完結版の『ゆきて帰りし物語』はいつになるかわからないが、また映画サービスデーにうまく当たったら見に行こうかな、ぐらいな感じ。

 


[映画] キック・アス ジャスティス・フォーエバー

2014-03-03 23:03:21 | 映画

『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』

 

あの『キック・アス』の待ちに待った続編。自主制作映画からメジャー制作になったおかげで、ヘンにお行儀よくなってしまうことを危惧していたけれども、お下劣でグロい部分はそのままに、字幕監修も町山智浩なので、細かいパロディネタも問題無し。

ヒット・ガール=ミンディのダンスシーンひとり演武シーンや、紫色のバイクをブッ飛ばすシーンは恰好良過ぎ。特に、アドレナリン爆発状態で瞳孔を見開いた、スーパーサイヤ人的狂えるスーパー・ヒットガールはかわいさ抜群、怖さも抜群。コワ*kawaiiでびっくりですよ。

敵役の神取忍みたいなマザー・ロシアもすごかった。というか、他の殺し屋がへぼ過ぎで、こいつが目立ち過ぎなのだけれど。

で、映像や演出には大満足ではあるのだが、やっぱり何かが違う。これは脚本のミスなんじゃないか。というか、ストーリーの方向性のミスというか。

『キック・アス』は「ヒーローってなに? 正義ってなに?」っていうテーマを、ヒーローにあこがれるイケてない少年を主人公に描ききった傑作だった。バカ強いヒロインのヒット・ガールは、ダメなキックアスの対極に配置される存在として生まれたはずだった。

一方で、『ジャスティス・フォーエバー』では、父親と子供の関係(アメリカ人ってこのテーマ好きね)がメインになっていて、正義とかヒーローとかはどうでもよくなっているような気がする。

デイヴ=キック・アス、ミンディ=ヒット・ガール、そして、敵役のクリス=マザー・ファッカーも、それぞれに父親、もしくは、父親代わりの存在との間に問題を抱えている様子が描かれる。そして、それはそれぞれに、不幸な結末を迎えてしまう。それはいいのだけれど、それって『キック・アス』の続編としてメインに描くべきものなのだったのか?

さらには、高校生活になじめないミンディのハイスクール・カースト話なんかも、結局どうしたいのかがわからない。「私は私」とか言いつつ、クイーンビー的な価値観を変えるところまでは描けていないような気がする。しかも、デイヴも(白人ってそういうものなのかもしれないけれど)いつのまにかムキムキ筋肉マンになってるし。

俺ら、ナードが世界の価値観をひっくり返す話が観たいのであって、ナードがマッチョになる話を観たいんじゃないんだよ。

メジャーになったせいで、いろんな人がいろんな意見を言って、あれもこれもと欲張り過ぎた結果、どのテーマも掘り下げが浅くなって、ただのクロエのプロモーションビデオになってしまった感じ。

さらに言えば、正義ヒーロー集団のジャスティス・フォーエヴァーはアベンジャーズのパロディなのだけれど、風刺や批判のためのパロディではなく、ただの真似っこでしかなくなっている。物語内の位置づけとして、ただの表面的な模倣であることは当然なのだけれど、メタ的な意味でもう少し意味づけを与えることはできなかったのか。

どちらかというと、悪玉親分のレッド・ミストマザー・ファッカーの方が、「悪ってなに?」という葛藤があったように思う。その結果が、「シティを爆破してやるぜ」というショッカー的に無意味な計画になっていったのだろう。ただ爆破するだけ。そこにはテロのような主義も主張もない。ただ、何でもいいから、悪いことをやりたいだけ。

「正義ってなに?」という『キック・アス』のテーマに対置するように、「悪ってなに?」というテーマがありえたんじゃないか。

クリスがマザー・ファッカーと名乗り始めたのも印象的。クリスの母親殺しの自責の念と開き直りがこの名前に凝集されている。そういう意味では、クリス側を主人公に掘り下げた方が面白味が出たような感じ。

エンドロールの前後に挿入されるシーンからすると、さらに続編もありそうなのだけれど、このまま下品なだけのヒーロー映画で終わるのは惜しい。次作があるとすれば、もう少し脚本を考えて欲しいものだ。

 

 


[映画] エンダーのゲーム

2014-02-04 23:30:38 | 映画

『エンダーのゲーム』


映画化権が売られたと聞いたのはずいぶん前のことだったので、もう永遠に実現することは無いと思っていた『エンダーのゲーム』の映画化だったが、遂に日本でも公開された。

オースン・スコット・カードの原作小説のファンなので、実は地雷作品じゃないかと思って警戒していた。なので、SF方面からでも割と好意的な作品紹介が多いことを確認してから観に行った。

映画のストーリーとしては、原作をほぼ踏襲している。しかし、残念ながら2時間に詰め込むには分量があり過ぎたようだ。薄っぺらにストーリーをなぞるだけに終わった感じ。これならば、TVドラマシリーズでやってもらうか、要素の数を減らしてもうちょっと深みを出してもらった方が良かったかもしれない。

特に、ただの粗暴な兄で終わってしまったピーターが不憫でならない。まぁ、あの当時のエンダーから見れば、粗暴な兄以外のなにものでもなかったのかもしれないけれど(笑)

映像的にはCGがなかなか綺麗だった。バトルスクールの窓から見える地球とか、バガーの生物っぽい編隊飛行だとか、女王の複眼や口元だとか。ゲーム内に登場するヴァレンタインの姿もリアルっぽいけれども、はっきりCGとわかるゲーム的な表現になっていて、ちゃんとわかっているスタッフが作っているのだなと感心した。

一方で、ボンソーの配役はどうかと思った。顔つきはいかめしいけれど、ビーン役よりちっちゃいおっさんじゃないか。なんだかイメージが違いすぎる。

バトルスクールでのエンダーと仲間たちの活躍は楽しかったけれど、エンダーやビーンの特殊な優秀さは出し切れてなかったような気がする。何より、あの有名な足を自分で撃つシーンが無いじゃないか。ビーンのぐるぐるはあったけれどさ。

しかしそれでも、「ゲートが下だ」に代表される名台詞たちはそのままで、それを聞く(字幕だったから読むだけれど)だけでもワクワクした。原作ファンにとっては、それだけで良かったかも。

問題なのは、あの唐突なラストを原作未読の観客がちゃんと理解できたのかということなんだけれど……。Movie Walkerのレビューを読む限り、大丈夫そうだ。本当に原作未読でそこまでわかるのかという疑問はあるのだけれど、映画ファンを甘く見過ぎですか。すみません。

でも、原作小説の方が絶対に面白いから。未読の方はぜひ!